福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

福聚講・第16回坂東33観音霊場巡礼の記録(2010-12-05)

2010-12-13 | 開催報告/巡礼記録
福聚講・第16回坂東33観音霊場巡礼の記録(2010-12-05)

今回の巡礼先は、第30番札所・平野山高蔵寺(高倉観音)と第33番札所・補陀洛山那古寺。JR内房線・木更津駅東口10時集合(新宿駅北口、横浜駅東口から木更津駅行きの高速バスあり)。結願の日にふさわしく快晴。10時30分、東口駅前・5番乗り場よりバスに乗車、10時50分高倉下車。緩やかな坂(舗装道路)を徒歩5分。「近道」の標識があり右へ。落ち葉の重なりあった山道を登り5分、高蔵寺に着く。
 高蔵寺の開創は、用明天皇(在位585年~587年。)の頃、徳義上人がこの地にて修行中、古木の梢に高さ4寸ほどの観音像が飛来、その観音像を安置したことに始まる(寺伝)。後に、この地の長官が子宝に恵まれず、この観音様に祈願し娘が授かったが、年頃になっても縁遠い。再び観音様に祈願したところ娘は結婚。その後男子を出産。授かった男子が藤原鎌足であり、鎌足は大伽藍を報恩のために寄進した(寺伝)。
 本堂は、床の高さが2.3メートル、床を支える柱は88本もある高床式の重層入母屋造り、大永6年(1526年)藤原時重の建立。本尊は、正観世音菩薩(楠の一木彫り、像高3.6メートル。)本堂にて、般若心経3巻、観音経2巻、13仏ご真言、光明真言各7回を納経。
 高床式を生かした観音浄土巡りでは、足下から正観世音菩薩(本尊)を仰ぎ見る。その大きな切れ長の目に癒され、諸々の執着を忘れ、安らいだ気持ちに浸る。

 12時、寺からタクシー15分、木更津駅へ。列車を待つ間、昼食。12時40分木更津発、那古船形駅着13時51分。徒歩15分で那古寺へ。冬ざれの庭に山茶花が赤やピンクの花を一杯に付け、初冬にしては強い光りに輝いている。寺は、那古山の中腹にあり、下の道から伸びている急な階段を上がって境内に立つ。境内には青い空を背景に、目を惹く朱塗りの山門や、朱と白のコントラストが美しい本堂など優雅な伽藍が明るい空間に光っていた。

那古寺は、養老元年(717年)行基菩薩の開基。縁起によると、行基菩薩が海中より香木を得て千手観音を刻み、元正天皇の病気平癒を祈願。直ちに快復。天皇の勅願により、那古山上に堂宇が建立されたと云う。その後、源頼朝、足利尊氏、里見一族の厚い信仰を受け寺運拡大、大寺となったが、元禄大地震で堂宇全壊、徳川幕府により現在地に再建された。
 本堂は、八間四面の朱塗り本瓦葺。松平定信の手になる円通閣の篇額が掲げられている。内陣には、銅造り鎌倉時代初期の本尊を模した千手観音像(重文)。本堂にて、般若心経3巻、観音経2巻、13仏ご真言、光明真言各7回を納経。

境内から遠く鏡ヶ浦が望まれる。宇宙の流れから見ると小さな一瞬の存在だが、私達は観音様のお陰で、満願を迎えられたことを喜び、また、導いて下さった師と、共に歩いた仲間に感謝した。15時那古寺から徒歩12分で那古船形駅へ。那古船形駅15時18分発、木更津駅16時17分着。駅近くで満願を祝い懇親会。

参加者:高原講元、高橋、岡村、渕野、米田、角田、菊池、鈴木、有薗2、関口2、計12名。
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