福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

五輪九字明祕密釋一卷(全)2/2

2023-05-31 | 諸経

第七に覺知魔事對治門とは、魔事に四種あり。一には魔衆。二には外道。三には惡鬼。四には惡神なり。魔とは魔羅、具さなる語なり。是れ障難を作す者なり。譯して殺善と云ふ。全行を障礙するを名けて魔羅と為す。惡行を作さしむるを外道と名く。身を障へて仏道を退轉

しむるを鬼と名く。善心を障礙して深を棄てしむるを神と名くる也。乃至、或は佛菩薩二乘天人等を現じ、或は顯教一乘等の相似の佛法を説きて、修行者を退せしめ、常の觀行を棄て、忽ちに他の行法に移り、乍ちに精進を至し、乍ちに懈怠に至る。又禪定を好み、又論談を好む。如是に常に非ざる、此魔の所爲なり。大般若經の魔事品兩卷、之を持し之を安ぜよ。若し魔が便を得ば即ち能く一切佛法諸世間善を障礙して、一向に惡趣に墮在せしむる也 

問。若し如是の魔事有る時、何んが當に對治すべきや。 

答。四種有り。一に隨順隨轉對治門。二に相逆相違對治門。三に倶行對治門。四に倶非對治

門也。初の對治とは當に一切三世常住の佛界魔界、皆な是れ法身本有の三密なりと観ずべし。如是の三密互相渉入して一味平等なり。魔羅の三密と我が三密と本來不二なり。既に二法無し。豈に障礙あらんや。三密と三密と本來平等にして本不生なるが故に諸佛衆魔同一法界なり。瑜伽の三密互相に輪圓して損を離れ減を離れ無諍無怨なり。所有忿怒、即ち是れ諸教令輪身なり。動靜威儀印契に非ざること無し。所出の音聲は皆な是れ眞言なり。所念の意趣悉く是れ禪智なり。所有る隨順可愛諸相も亦た如來の自性輪身なり。所説の言語は總持にあらざることなし。行住坐臥盡く是れ印相なり。所思所覺亦たは智、亦たは定なり。是を密教順對治相と名く。第二に相逆相違對治門とは、若しは手に印を結んで之を避除すべし。若しは陀羅尼を誦して加持して之を治し、心に觀智を作して之を滅すべし。觀法を作すこと云何。頌曰

我は是れ持明者なり。 魔は即ち破戒の類なり。 諸佛菩薩衆、

    聲聞諸賢聖 善天龍八部 所持の法を護るによりて

    皆な悉く我を加護し、 暫くも捨離する時無し。 何れの時にか其の便りを得ん。

    能く我が眞道を障へて 魔は無明より生ず。 我が行は本より佛道なり。

    行者は光明の如く 魔事は黒暗の如し、 故に明暗の並ばざるが如く、

    薪火の順ぜざるに同じ。 魔事は本不生なり。 幻の如く夢境の如し。

    空華の有名に似たり。 龜毛無體に均し。 暗は光明を消さず。

    妄何ぞ眞道を障へん。是を逆對治と曰ふ。

第三に倶行對治とは、順逆の二治、並べて共に之を用ふ。

第四に倶非對治とは、頌曰。「諸法本不生。自性離言説。清淨無垢染。因業等虚空」。大日經頌曰「心、自性無きが故に、因縁を遠離せり。業生を解脱して、生は虚空に等同なり」と。又云。「諸趣は唯だ相名のみあり。佛相も亦復た然なり」と。

佛界諸法、本より清淨なれば常樂我淨は是れ眞實なり。我及魔事等、畢竟空寂にして無所有・無念・無虚・無著取・無増・無減・無彼此・無體・無形・無相用・無解・無障・無礙・無自他なり。虚空は虚空を礙へず。實相何ぞ實相を諍はん。

第八に即身成佛行異門とは、凡そ即身に大覺位處を證得するの行、別に略して四種有り。所謂、深智相應印明行・事觀相應結誦行・唯信作印誦明行・隨於一密至功行なり。

第一の行は内證甚深の智慧、皆な悉く相應具足して能く印明行を修行して即身成佛するが故に。第二は深智觀慧無しと雖も慇懃に手に印を結び口に明を誦して、字印形の三種の中に於いて、隨って一事を觀修して即身成佛するが故に。第三の行は如上の二種の智觀無しと雖も、唯だ深く信解して應に印を結び明を誦して自然に頓成佛すべきが故に。第四の行は設ひ

餘の二行及び廣智なけれども、唯だ一義を観じ一法を解して至心修行の故に即身成佛するが故に。設ひ且た一法の智慧及び餘の二行なけれども唯だ信を以て門と為して一字形を観じれ成佛し、一印形の三摩耶形を観じて成佛し、一尊形相の一相を観じて成佛し、及び餘行なけれども唯だ一明一字を誦して成佛し、并に印契を結び、且た餘の密行無けれども、唯だ相應すれば必定して即身成佛するが故に、總じて爾云ふ也。 

問。正成佛一刹那の時、三密相應して成佛すると為さんや。爲當云何。

答。正成佛の時は、必定三密相應して即身成佛する也。 

問曰。若し三密相應して即身成佛すと言はば、爲當云何(はたいかん) 

答。彼の二行一行等に依りて成佛すとは、是れ正成佛の時に非ず。且た餘の二行を修する不思議加持力に由るが故に、忽に餘の二密等を出生して、三密具足して即身成佛する也。 

問。何等の經論に分別して即身成佛の義を説く耶。 

答。即身義に説くが如し。

 

第九に所化機人差別門とは、此の所化の機に於いて總じて二類有り。一には現身往生。二には順次往生なり。現身門に於いて又二の別あり。一には大機即身成佛。二には小機即身成佛。

又、二に於いて各の二あり。利鈍別なるが故に。謂、大機利根は直ちに法界體性三昧に入りて横に法界を觀じ即身成佛す。所謂、一切衆生は本有の薩埵なり。法爾に普賢大菩提心に應住す。本有のa字は所觀の體、本不生の智は能觀の體なり。能所一體、心一境、靜かにして本不生の理を覺て言語道斷し、本不生の理を覺りて諸過解脱を得、本不生の理を覺りて因業不可得なり、本不生の理を覺りて等空不可得なり。能觀縁慮の一心、所觀字相の一境、能

所一體にして空理を證する時、即身成佛す。是を大機横觀三摩地と名く。大機の鈍根は竪に法界體性三昧觀に入りて本有五輪種子を観ず。此の五字は即ち十五種の金剛三昧なり。

一字即ち十五字。十五字即ち一字。一字即ち五字。五字即ち一字なり。此字門に於いて八門を以て之を觀ず。一字攝多門。多字攝一門。一字釋多門。多字釋一門。一字成多門。多字成一門。一字破多門。多字破一門。順觀旋轉すること十二遍せば、十二流轉に於いて毎字に觀

察すれば生死の源を盡す。逆觀旋轉十二遍せば、十二還滅に於いて毎字觀察せば涅槃の理に至る。理とは本不生なり。十五の金剛三昧に入りて能く理理本不生を観じ、能所倶絶す。a

字本不生なるが故に、va(ば)字言語不可得なり、言語道斷なるが故に、ra(ら)字染淨不可得なり。解脱を得るが故に、ha(か)字因業不可得なり、無自性を得るが故に、kha(きゃ)字等空不可得なり、首尾倶亡して本心を見る時、即身成佛す。是を漸竪觀と名く。

已上共に心王の機なり。   小機利根は心數別の本尊に就く。且く觀音行者に約して之を釋せば、本有の九重のhr@i@h(きりく)字は一切衆生の本有の觀音の種子なり。慚愧不可得の義に依りて、能く自性清淨妙蓮不染を信じて蓮華を覺悟して、四時に於いて間斷せしめず、

三密行を修して開敷蓮華印に住してo@mvajradharmmahr@i@h(おんばざらたらまきりく)の明(千手観音様の呪)を誦して慚愧不可得の理に住して、本初の覺蓮を證見す。是を小機觀即身成佛と名く。小機鈍根は蓮華三昧に入りてhara@ia@h(からいあく)の四字を観じて四時中に於いて應に如是に勝三摩地に於いて四種威儀を暫くも放捨せざるべし。此の生に次第に十六大菩薩位を經、慚愧清淨菩提心を発して、薩王愛喜の位を経てhara@ia@h(からいあく)菩提心の義を観じて四種位を證し、次に四種菩提行を修して、寶光幢咲の位を経てhara@ia@h(からいあく)の理を證し、次に四種智慧門を修して、法利因語の位を経てhara@ia@h(からいあく)の智を得。次に四種精進門を修して、業護牙拳の位を経て、四羯磨を得。第十六生に於いて本有の心蓮を顕はす。先ず蓮華三昧を證して更に方便を転じ即ち大毘盧遮那佛と成る。觀自在を論ずるが如く、餘の尊も亦復た如是なり。 

問。世間の眞言行者并びに道心者の但念の者を見聞するに未だ必ずしも皆淨土に往生せず。何の用心を以てか今度往生の願を遂げん。既に一念十念を以て往生の親因と説く。心有る男女何ぞ往生の思を絶ん。 

答。多くの因縁あり。能く能く當に用心すべし。謂く或は眞言行を修し、或は但だ念佛を至し、他人の見聞を思ひて佛陀の知見を信ぜず、是の行は順因に非ず、或は他人の恭敬を求めて後世の苦行を作す、亦た順因に非ず。或は名利を以て法華經等を讀誦する、亦た順因に非ず。或は名聞の持戒、亦た順因に非ず。或は自是非他、亦た順因に非ず。或は學人の云く、十念の順因は別時意趣なりと。當に知るべし方等經を謗ずるに亦た順因に非ず。或は顯密の行業、自を執し他を非する者、亦た順因に非ず。或は彌陀彌勒の行者、互に是非を為す、是れ即ち地獄の業因なり。二諦(真諦・俗諦)を論ぜし菩薩の如し。若し如是の用心を知らば、誰人か往生せざらんや。大師云、「迷悟己に在らば、執無くして到る」(十住心論)と。                          

第十に發起問答決疑門とは 

問。五輪門に依るに機に幾く種か有る。 

答。二種の機有り。一は上根上智、即身成佛を期す。二は但信行淺、順次往生を期す。此の行者に就きて亦た多有り。正しくは密嚴淨土に往生し兼ねて十方淨土を期する有り。 

問。何故に大日を念誦して十方淨土の親因と為るや。 

答。此の五字眞言は、十方諸佛の總呪、三世薩埵の肝心なり。故に此眞言を持誦せば、思に随って十方淨土乃至彌勒所及阿修羅窟等に往生することを得。同じく九字眞言の行者、namoamita(なみあみだ)佛の名號に於いて更に淺略の思を作すこと勿れ。若し眞言門に入る時は、諸言語皆な是れ眞言なり。何に況んやamita(あみだ)をや。此の所立は三句の法門(大日経の「菩提心を因とし、大悲を根として方便を究竟とす」)を以て諸の行業を攝す。且く三部を擧げて攝して一切尊を知らしめば、a@aa@ma@h(ああーあんあく)初の一字門は菩提爲因、次の二字は大悲爲根、後の一字は方便爲究竟なり。sas@asa@msa@h(ささーさんさく)、初の字を以て因と為す。次の二字を以て根と為す。後の一字を究竟と為す。vav@ava@mva@h(ばばーばんばく)三句の分別前の如し。總じて諸佛菩薩金剛天等皆本

種子有り。其字、四轉を具するが故に亦た三句を具す。無量の三句、皆な是れ順次往生の親因なり。 

問。諸教に亦た三業の修善を以て往生の業と為す。今の宗の三密具足其義如何。

    法佛の三密は甚だ深細なり。 顯教の妙覺も知る所に非ず。

    智身の六大は極めて玄廣なり。 密宗の圓智のみ獨り能く證す。

    一道無爲の寂光佛、 驚怖し希哉して言語を斷つ。

    三自本覺の帝珠の尊、 恭敬し證を棄て眞覺を求む。

    報佛の如來は默して答ず。 變化の善逝は祕して談ぜず。

    補處の等覺、其の境に迷ひ、 飮光の受職、彼の域を隔つ。

    形體の色質即ち身密なれば、 動寂の威儀、是れ密印なり。

    音韻聲響皆な語密なれば 麁細の言語悉く眞言なり。

    染淨の心識、皆心密なれば 迷悟の分別、智に非ざること莫し。

    説默情意亦た意密なれば 輪圓具足して法界に遍ず。

    事事理理、本より不二なれば 邪正の觀念、定に非ざることなし。

    色色心心自ら異なることなければ 圓融渉入して虚空に等し。

    密行は枉げて見聞せしむること勿れ 祕法は妄りに傳受せしむることなかれ。

    淺智は顕に濫して福を失ふが故に、 劣慧は均しく爭て罪を獲るが故に。

    無根なれば篋を泉底に秘す。 信ぜざれば定めて實際を摧が故に。

    機に非ざれば談を喉内に閉ず。 疑を生ずるは必ず無間に堕するが故に。

    嬰兒に莫耶を惜しむに非ず。 唯だ恐くは妄想の是れ生を害せんことを。

    顯人に瑜伽を秘するに非ず。 偏に非す、不信の只だ災を招かんことを。

    輕んずる勿れ、疎んずる勿れ、三部の寶、 重んずべし崇ぶべし三密の珍。

    能歸は深く心蓮海に入り 大信は玄かに覺月の空を仰ぐ。

(五輪九字明祕密義釋一卷終)

 

(跋文)

右書中には灌頂文を多載す。未灌頂者は師に受けて開くべし。就中、五藏祕義は是れ大事なり。能能く受學して之を修せ。抑も此の祕釋は入三摩地の後に記す。忽然として寶生房(教尋阿闍梨・覚鑁上人が高野山に在りし時の學匠)化現して云く、崑崙一度に崩れぬ、金石即ち一物なり。毘彌兩觀凡聖無二なり。吾是れ金色世界の古衆なり。汝亦た密嚴淨土の新

人。若し此の瞻蔔林に入らば、誰人か熏を異にする有ん哉。終に此説者は如幻不見。此に於いてva@m(ばん・覚鑁上人のこと)不覺涙落慚愧熾。

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