福聚講[高原耕昇講元)は、2月18日(土)14時、東京・文京の神齢山悉地院 大本山 護国寺で、第二回目の福聚講定期参拝会を、開催しました。この日、護国寺では、前前日の15日には、涅槃会が、催されたとあって、本堂には、お釈迦様の涅槃図が掛けられ、金剛界・胎蔵界の曼荼羅図も掛けられていました。
この日、高原講元様は、内陣で鐘を叩き、拍子木を打たれ、皆で観音経一巻を、読経しました。私たちが、一心不乱になって、お経をあげていますと、後ろの方で、他のお参りの方々もおなじように、声をあげて、唱和されていました。講の我々が、おいずるを着て、読経しているので、他の参者たちも、仏様の御縁に与かりたいと、私たちと共に、声を合わせて、お祈りをしたのです。以前、高尾山の僧侶から、このおいずる[白衣]を着用する意義について聞かされたことがあります。おいずるを着るのは、仏様に参拝するための、礼装であるばかりでなく、他の人に、自分の着ている白衣が、発心の機縁を促す、利他の行為でもあると。このお説教を聞いてからは、白衣のまま街中を歩くことにも恥ずかしさや抵抗感も感じなくなりました。こうして、私たち福聚講の一団に他の参拝者も一体となってお経をあげて戴いたことは、大変嬉しいことでした。
また、この18日は、秘仏御本尊である「如意輪観世音菩薩」の御開帳の日でもあり、有難い、御縁日でもありました。如意輪観音様は、小さなお顔に、女性的な唇。豊満な肢体表現が、官能性を感じさせる、秘仏です。毎月18日の観音様の縁日に御開帳されるということでした。
観音経の読経が終わると、高原講元様には、御本前に、掲げられている、お釈迦様の涅槃図の講釈をして頂きました。高原講元様の話によりますと、15日の、涅槃会本番では、もっと大きな豪華な涅槃図が掛けられていたそうです。涅槃図は、お釈迦様が、お亡くなりになる光景を描写したものです。頭を北側に向け、お顔を西側に仰いでおられます。私たちが、お葬式の時に、亡くなった方の御遺体の葬り方は、この涅槃図の作法を取り入れている。確かに、弔いの光景ではあるが、お釈迦様が、仏様になる、有難い荘厳清浄な、情景であって、決して、陰陰滅滅な、ものでなく、寧ろ、明るい歓喜に満ちたものである。と、高原講元様は、強調して居られました。
つぎに、両界曼荼羅図の掛け画に移り、仏様のオンパレード模様の、曼荼羅について、お話を聞きました。曼荼羅は、仏様の、悟りの境地を、可視化して表現されたものであり、同時に我々自身も曼荼羅なのだと示してくださっているとのことでした。曼荼羅が、これまでは、仏像が並ぶ、何やら騒がしい図柄とばかり見ていたのですが、この日は、曼荼羅は、観想の対象として、自と他、私と仏が一体となる境地に浸ることが、大切であるということを、教えられ、ズーンと身近なものになりました。
15時、護国寺にいとまを告げ、町のフアミリーレストランで休憩しました。この席は、めいめい、高原講元様と質疑応答で、花を咲かせました。講員からは、熊野の巡拝や、竹生島・宝厳寺、渡岸寺の十一面観音像の話などの蘊蓄が披露され、高原講元様は、出来ることなら、西国三十三観音巡拝もしてみたいな、と話しておられました。
続けて、講元は「御利益を頂くためには自分のことのみお祈りするのでなく、『他人も幸せになりますように』とかならずセットでお祈りしないと御利益はいただけない。切羽詰まると自分のことのみお祈りするようになるがこれでは御利益は得られない」といっておられました。
また「自分が修行した求聞持法の体験を話ししたいのだが、どう説明したらよいのか、迷つて居る」とも話されていました。是非、お聞きしたいものです。
こうして、有意義な時が、過ぎてゆきました。この日、参拝したのは、高原講元様、高橋、鈴木、清水、中塚、菱岡、中島さんと角田でした。
この日、高原講元様は、内陣で鐘を叩き、拍子木を打たれ、皆で観音経一巻を、読経しました。私たちが、一心不乱になって、お経をあげていますと、後ろの方で、他のお参りの方々もおなじように、声をあげて、唱和されていました。講の我々が、おいずるを着て、読経しているので、他の参者たちも、仏様の御縁に与かりたいと、私たちと共に、声を合わせて、お祈りをしたのです。以前、高尾山の僧侶から、このおいずる[白衣]を着用する意義について聞かされたことがあります。おいずるを着るのは、仏様に参拝するための、礼装であるばかりでなく、他の人に、自分の着ている白衣が、発心の機縁を促す、利他の行為でもあると。このお説教を聞いてからは、白衣のまま街中を歩くことにも恥ずかしさや抵抗感も感じなくなりました。こうして、私たち福聚講の一団に他の参拝者も一体となってお経をあげて戴いたことは、大変嬉しいことでした。
また、この18日は、秘仏御本尊である「如意輪観世音菩薩」の御開帳の日でもあり、有難い、御縁日でもありました。如意輪観音様は、小さなお顔に、女性的な唇。豊満な肢体表現が、官能性を感じさせる、秘仏です。毎月18日の観音様の縁日に御開帳されるということでした。
観音経の読経が終わると、高原講元様には、御本前に、掲げられている、お釈迦様の涅槃図の講釈をして頂きました。高原講元様の話によりますと、15日の、涅槃会本番では、もっと大きな豪華な涅槃図が掛けられていたそうです。涅槃図は、お釈迦様が、お亡くなりになる光景を描写したものです。頭を北側に向け、お顔を西側に仰いでおられます。私たちが、お葬式の時に、亡くなった方の御遺体の葬り方は、この涅槃図の作法を取り入れている。確かに、弔いの光景ではあるが、お釈迦様が、仏様になる、有難い荘厳清浄な、情景であって、決して、陰陰滅滅な、ものでなく、寧ろ、明るい歓喜に満ちたものである。と、高原講元様は、強調して居られました。
つぎに、両界曼荼羅図の掛け画に移り、仏様のオンパレード模様の、曼荼羅について、お話を聞きました。曼荼羅は、仏様の、悟りの境地を、可視化して表現されたものであり、同時に我々自身も曼荼羅なのだと示してくださっているとのことでした。曼荼羅が、これまでは、仏像が並ぶ、何やら騒がしい図柄とばかり見ていたのですが、この日は、曼荼羅は、観想の対象として、自と他、私と仏が一体となる境地に浸ることが、大切であるということを、教えられ、ズーンと身近なものになりました。
15時、護国寺にいとまを告げ、町のフアミリーレストランで休憩しました。この席は、めいめい、高原講元様と質疑応答で、花を咲かせました。講員からは、熊野の巡拝や、竹生島・宝厳寺、渡岸寺の十一面観音像の話などの蘊蓄が披露され、高原講元様は、出来ることなら、西国三十三観音巡拝もしてみたいな、と話しておられました。
続けて、講元は「御利益を頂くためには自分のことのみお祈りするのでなく、『他人も幸せになりますように』とかならずセットでお祈りしないと御利益はいただけない。切羽詰まると自分のことのみお祈りするようになるがこれでは御利益は得られない」といっておられました。
また「自分が修行した求聞持法の体験を話ししたいのだが、どう説明したらよいのか、迷つて居る」とも話されていました。是非、お聞きしたいものです。
こうして、有意義な時が、過ぎてゆきました。この日、参拝したのは、高原講元様、高橋、鈴木、清水、中塚、菱岡、中島さんと角田でした。