福聚講

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3月17日はダライラマ法皇チベット脱出の日

2024-03-17 | 法話

1959年3月17日はダライラマ法皇チベット脱出の日です。

以下ダライラマ法王庁のホームぺージです。「1959年のある冬の日、中国共産党の張経武将軍がチベット指導者に、中国舞踊団による観劇への招待状を送ってきた。うわべは単純な観劇のようだったが、1人のチベット兵もダライ・ラマに帯同せず、護衛も武器を持たずに同行しろという新しい条件が加えられて招待が繰り返されると、ラサ市民に急激な不安が広がった。招待の日(1959年3月10日)、何万というチベット人がノルブリンカ宮殿に集まって、若い指導者の生命に対するいかなる脅威にも断固として反対し、法王が観劇に行くのを阻止しようとした。1959年3月17日、ネチュン神託官に助言を求めると、法王は国を離れるようにという明確な指示を与えられた。脱出が成功する確率は非常に低かったが、この神託官の結論は、法王により執り行われた占いでも同様の回答が出ることによって更に確認されたのだった。午後10時になる少し前に、法王は一兵卒に変装し、群衆のなかをすべるように、少人数の護衛に付き添われながらキチュ川に向かって進んでいかれた。そこで近親者を含む残りの側近達と合流された。1959年3月30日、ラサを脱出して3週間後、法王と側近達はインド国境に到着し、そこからはインド人護衛に付き添われて、現在のアルナーチャル・プラデーシュ州にあるボンディラという町に到着された。インド政府は既に、法王とインド国内にいる彼の従者達を庇護することに合意していた。1959年4月20日、ムスーリーに着かれてすぐ、法王はインド首相と面会され、チベット難民の社会的自立について話し合われた。

 

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