福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

第14回・福聚講関東36不動霊場巡り(2012-3-24曇りのち晴れ)

2012-03-30 | 開催報告/巡礼記録
     第14回・福聚講関東36不動霊場巡り(2012-3-24曇りのち晴れ)

<第28番札所・喜多院(川越大師・天台宗)>埼玉県川越市小山波町1-20-1

 御本尊;阿弥陀如来、不動明王
 草創の祖;仙芳仙人
 開山;慈覚大師円仁(830年に無量寿寺の勅号を淳話天皇より受ける)
 中興開山;慈眼大師天海(1599年に第27世に)
 寺宝;徳川家光誕生の間、春日局化粧の間(共に家光が江戸城から移築。客殿、書院、庫裡となっており重文)、銅鐘二基(重文)慈覚大師筆跡、職人尽絵屏風(重文)、天海文書他

  

 東武東上線川越駅改札出口10時30分集合。駅前から続く賑やかな通りを抜け、静かな住宅街に入って直ぐに、緑におおわれた喜多院の南境内着(徒歩25分)。楼門正面に見える石段の上、仙波東照宮(日光山、久能山と共に、日本三大東照宮といわれる。)を拝観。元の道へ戻り先へ進むと、広い間口で重量感のある本堂(慈恵堂・不動堂)が目に入る。
 寛永15年の川越大火により、山門を除く堂宇は焼失。家光により江戸城紅葉山の別殿が移築され、客殿と書院になる。慈恵堂、多宝堂、などは再建。明治の廃仏毀釈により寺は一時荒廃。昭和21年、7棟が文化財指定。これを契機に、亮忠探題大僧正の尽力で復興された。
 
 広い境内には、丈の高いしだれ桜が、つぼみを一杯にふくらませて開花を待っている。
本堂(慈恵堂・不動堂)にて納経。納経後、12時まで境内参拝・見学。客殿の庭は、春の息吹に満ちて、心を暖かくする。境内の土産物店横の入り口からは五百羅漢が見られる。羅漢の仕草や、法具などを持つ姿は、ひとつとして同じものはなく、見ていて微笑ましく心が癒される。喜多院正面入り口から徒歩3分で川越不動着。

<第27番札所・成田山川越別院本行院(川越成田山・川越不動)>川越市久保町9-2

 御本尊;大聖不動明王(秘仏)
 開祖;石川照温師 嘉永3年(1850年)川越不動堂を開基
寺宝;雄獅子・雌獅子(左甚五郎作)石川照温像(伊豆長八作)石造不動明王二童子像   (境内露座)絵馬(額堂内)

  

  開祖石川照温師(1805年生まれ)は、故郷を出て艱難に遭遇するうち、両眼を失明。成田山で断食浄行をし、満願の頃に見えるまでに平癒。この奇跡に不動尊の大慈悲を感得。そのお陰を広める誓いをたて、受戒得度。照温師の徳に触れた有志が発起し、川越不動堂を建立。その後本行院を再興し、御本尊を奉遷。明治九年には、成田山大本山の末寺になり、本行院は本山の別院となる。
 境内は広い。喜多院と比べて人影も少なく、ひっそりしている。静かな中に、春の響きが満ちている。正面の不動堂は、緑の大屋根を持つ落ち着いた佇い。不動堂内陣にて納経。読経の言葉はひとつの音となって身体に入り、執着を解放し、やすらぎをもたらす。その後境内の、出世稲荷、大師堂などを参拝。
 巡拝後蕎麦屋で昼食、解散。.

<参加者>高原師、高橋、岡村、淵野、角田、細田、鈴木、菊池、清水、内田、関口2


 *高原師の法話 

五百羅漢とは(ブログに高原師が書かれたものを、再掲します)
 1、第一回仏典結集に集まった弟子たち五百人をいう。
 2、阿羅漢果を得た五百人の弟子(増一阿含経等)
 3、お釈迦様の授記を得た五百人の弟子

(法華経五百弟子授記品に「・・其五百阿羅漢の優樓頻螺迦葉(うるびんなかしょう)伽耶迦葉(がやかしょう)那提迦葉(なだいかしょう)迦留陀夷(かるだい)優陀夷(うだい)阿樓馱(あぬるだ)離婆多(うぱた)劫賓那(ごうひんな)薄拘羅(はっくら)周陀(しゅうだ)莎伽陀(しゃかだ)等皆當に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。盡く同く一號にして名ずけて普明と曰ん。・・・爾時に五百阿羅漢。佛前に於て受記を得已って歡喜踊躍す。即ち座より起って佛前に到、。頭面禮足悔過して自責す。世尊。我等常是の念を作して、自ら已に究竟の滅度を得と謂いき。今乃し知之を知りぬ、無智者の如し。所以は何、我等應に如來の智慧をうべかりき。しかるを便ち自ら小智をもって足と爲しき。世尊。譬えば人有り、親友の家に至って醉酒して臥せり。是時親友官事の當に行くべきあって、無價の寶珠をもって其衣裏に繋けて之を與えて去りぬ。其人醉臥して都べて不覺知。起已って遊行して他國に至りぬ。衣食のために勤力求索すること甚大に艱難す。若し少しく有る所あれば得ち以って足とす。後に親友會い遇うて之を見て、是の言葉を作す。「咄ないかな丈夫。何ぞ衣食のために乃し如是にいたるや。我昔汝をして安樂なるを得、五欲自ら恣ならしめnと欲して、某年日月において、無價寶珠を汝衣裏に繋けぬ。今故ほ現に在り。汝知らずして、勤苦憂惱して以って自活を求むること、甚だ癡也。汝今此寶をもって所須に貿易すべし。常に如意にして乏短の所なかるべし。」といはんがごとし。佛もまた是のごとし。菩薩たりし時我等を教化して、一切智の心を發せしめたまへり。而るを尋いで廢忘して不知不覺。既に阿羅漢道を得て、自ら滅度せりと謂ひき。資生艱難にして少しを得て足ぬと為す。一切智の願猶ほ在って不失。今ま世尊我等を覺悟して是のごとき言をなしたまはく、「諸の比丘、汝等所得究竟の滅に非ず。我久しく汝等をして佛の善根を種えしめたれども、方便をもっての故に涅槃相を示す。而るを汝これ實に滅度を得たりと謂へり。」世尊。我今乃ち知んぬ。實に是れ菩薩なり。阿耨多羅三藐三菩提の記を受くることを得つ。是の因縁をもって甚だ大に歡喜して未曾有なることを得たり。」とある)
         




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