日本紀略 / 延喜九年(909)五月九日条
「九日 疾疫に依り 諸寺諸社に於いて 仁王経を読ましむ」
・天皇は醍醐天皇、「延喜の治」と呼ばれ安定していたように見えるがこの年延喜九年は藤原時平が道真の祟りで頓死したとされます。
・続日本紀・巻第四十・延暦九年の末文に「是年秋冬。京畿男女年卅已下者。悉豌豆瘡を発す。〈俗云裳瘡。〉臥疾者多し。其の甚しき者は死す。天下諸国往往而在」(都と畿内に住む三十歳以下の男女のことごとくが、俗に裳瘡と呼ばれている豌豆瘡(天然痘)にかかり、病気となって多くの者が寝てしまい、その重い症状の者は死亡した。諸国の多くがそのような状況に陥っている)
仁王経法についてはここにあります。