福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

御大師様の先祖供養についてのお考え・・15

2019-06-15 | 先祖供養
御大師様の先祖供養についてのお考え・・15
・大師は鑑真和上の高弟如宝を供養されています。「この白業(善行)を挙げてかの四恩に沃がん。・・・虚空を盡し、法界に洞かんじて同じく(遷化した如宝も)一味の醍醐に飽きて斉しく三点の覚苑(法身・般若・解脱の三点の覚りの世界)に登らん。」とおっしゃっています。
「招提寺の達嚫の文
それ念風(無明煩悩)一度吹けば識海波濤し、覚月たちまちに飛んで智山崛不吻(くつふつ)たり(師の教えにより覚りの山が聳える)。心暗きときはすなわち遇うところことごとく禍なり。眼明らかなれば途に触れて皆宝なり。如来はこれを覚って万徳の殿に優遊し、衆生はこれに迷って三途の獄に沈淪す。沈迷の端、驚かずんばあるべからず、昇悟の機、仰がずんばあるべからず。この故に我が大師薄伽梵よくこの趣を説いて一子を提撕したまふ。かの妙偈にいわく、「我覚本不生云々」(大日経具縁品「我れ本不生を覚り、語言の道を出過し、諸過解脱することを得、因縁を遠離せり、空は虚空に等しと知る」)「諸行無常云々」(涅槃経聖行品「諸行は無常なり、是れ生滅の法なり、生滅し滅し己って、寂静なるを楽となす」)「阿婆迷云々(あさんめい、大日経具縁品の入仏真言、「のうまくさまんだ、ぼだなん、あさんめいちりさんめまえいそわか」)。もし衆生有って一度この法を聞けば、五逆氷の如くに銷きえ、四重(殺生・偸盗・邪淫・妄語の四波羅夷)露の如くに落つ。たちまちに凡境を超えてたちまちに佛位に入る。
伏して惟んみれば、招提寺の法灯律将(鑑真の弟子如宝)は体浮花の世に潔く、心濁濫の時に清めり。羯磨の百千(こんま、作法に通じている)、口吻に波瀾し、調伏(律)の万巻,舌の上に括嚢す。救蟻の年(八歳)、室に入って写瓶し、秉法(ひょうぼう、羯磨の儀で具足戒を受ける)の日壇の臨んで、翻醐(他者に戒を授ける)す。一人これを尊んで逶抜任し、四衆これに憑んで受戒す。いうべし人中の抜楚(ばっき、偉人)、法城の葛亮(法を伝える諸葛孔明のような名将)、なりと。時に年華しばしば萎み、八十たちまちに臨めり。所作已に弁ず(自利利他の行を為し終えた)、何をか憂え、何をか慮らん。しかれどもなお思はく、一乗は崇むべく、四恩は答すべし。
謹んで法弟寿延等を率いて大般涅槃等大乗佛印等の一百七巻を写し奉り、兼ねて百僧を延屈して一乗を講読す。しかればすなわち万徳慈悲の蓮眼を開き、一車智慧の刀刃を揮う、竜象逶迤(いい、長く続く)として鐘梵寥亮たり(鐘や梵唄が響き渡る)。六楽雷の如くに震い、百供雲の如くに湧く。伏して願わくは、この白業を挙げてかの四恩に沃がん。六大の所遍みなこれわが身なり。十界の所有ならびにこれわが心なり。虚空を盡し、法界に洞かんじて同じく一味の醍醐に飽きて斉しく三点の覚苑(法身・般若・解脱の三点の覚りの世界)に登らん。承和元年二月十一日。」

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