福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その130

2014-09-07 | 四国八十八所の霊験
「歌入り観音経」という浪曲があります。
お金を落として自殺しようとした甚兵衛というお百姓が江戸の大盗賊木鼠の吉五郎にお金を恵まれ助けられました。恩返しに毎日仏壇の前で木鼠の吉五郎の無事を祈ったところ吉五郎はつかまっても毎回処刑寸前に執行不能となり、ついに放免されたという話です。

 私自身も多くの縁者(無縁霊はまた別に供養しています。行者は無縁霊も供養することになっているのです。)とその先祖を毎夕供養していますが、それぞれお蔭は戴いて平安に暮らしています。
他人が拝んでもお蔭があるのです。
お大師様の般若心経秘鍵に(般若心経を)「誦持講供すれば則ち、苦を抜き楽を与え、修習思惟すれば則ち道を得、通を起こす。」とあり、法華経陀羅尼品には「(お経を)受持し、読誦し、義を解(さと)り、説の如く修行せば、功徳はなはだ多し」とあります。
うつ病で何回も入退院を繰り返していた人も般若心経を写経し繰り返し唱えることで完全に回復しています。

  白隠禅師も「(延命十句観音経は)場所を選ばず、時節を嫌わず、馬上にても枕上にても、行住坐臥の間において、間断なく唯読み得るを貴しとする由」(辺鄙以知語)とかいています。そして読経は単に読むのでなく「我々の一念一念の中に未来際を尽くして説法を続けておられる佛の声を聞くこと」(玉城康四郎東大名誉教授)といっておられます。読経の瞬間は身は合掌し口はお経を唱え心は仏様を念じているのですから三業が三密に転化しており即身成仏しているともいえます。

我々は法界の真っ只中にいるのです、そこにには過去も未来も先祖も仏様も一緒におられるのです。読経はこの法界を供養することになるので、先祖も仏様もその瞬間にお喜びになるのです。読経は法界という大きな池の水を澄ませることになるからです。



写経も大変なお蔭があります。


古い新聞ですが平成18年1月4日付産経新聞に「認知症予防の効果立証、写経で脳イキイキ」とする記事がありました。概要です。「川島隆太東北大教授と学研の共同調査で、平成15年から翌年にかけて仙台市内の高齢者延1千人を対象に、オセロゲームやクルミ握り、はり絵、あやとりなど高齢者の脳の活性化に役立つとされる160種類を実験したところ、写経が前頭葉、頭頂葉の左右いずれも最高の活性化数値プラス3を示した。百人一首書写はプラス2を示し、オセロゲームは前頭葉にマイナス3の数値を出した。・・」とありました。写経の効果・霊験は絶大です。以前うつ病で入院中の人にボールペンで病床写経をしてもらいました。医者も看護師さんも病院で写経する人は見たことないと驚きましたが2週間も続けると重いうつ病も嘘のように回復し退院しました。
写経は構えなくても出来ます。筆でなくてもボールペンでもできます。毎日仏壇の前で続ければ絶大な効果があります。30分もかかりません。なれると10分くらいでできます。書きたまったものがあれば川崎大師等の大きなお寺に納経できます。講で行くいろいろなお寺に納めてもいいのです。納経とは本来写経を収めることですから。

1、写経の心得です。
比叡山延暦寺の山田恵諦座主は写経の心がけとして
一、 写経は字を書くのでなく字の佛をつくることであると思うこと。
二、 自分の作った文字の佛から法をきくこと。
三、 自分のつくった文字の佛がその徳を発揮して自分を救ってくださるのみでなくこの文字を見るすべての人々を導き給えと祈念すること。
と書いておられます。

2、写経の次第です。
  一、室内、衣服を整える。二、身体、手を清浄にする。 三、仏壇があれば点灯点香。
  四、三禮、読経 、五、浄書 六、祈念、回向 七、三禮

3、書式です
 一、書き出しは1行空ける。二、題はかならず一行に。三、一行は17字。上下は空ける。四、最終行から1行あけて奥題を書く。五、その後も1行あけて願文、氏名、年月等をうえから3分の一くらいのところから書く。六、最後も一行あける。

4、誤字脱字の扱いです
一、誤字は横に訂正して正しいものを書く。二、脱字はそこに点をうちその行の最後にまた点をうちそこに正しいものを書く。三、ダブってかいたものはその右肩に点を2つうつ。四、脱行はその行に点を打ち次の行に書く。


5、これが一番大切です、般若心経の功徳です

・お大師様の「般若心経秘鍵」には「誦持講供すれば則ち苦を抜き楽を与え、修習思惟すれば則ち道を得、通を起こす。」とあります。(読誦すれば抜苦与楽し、意味を考えれば覚りを得、真理を体得できる。即ち現世利益も覚りもともにいただけるということです。)

・訳経者の玄奘三蔵自身が印度への求法の旅の途中で悪鬼に襲われたとき般若心経を唱えて救われたとあります(大慈恩寺三蔵法師傳)
他のお経にも功徳が書いてあります。

・「良家の男子にせよ女子にせよ、この知恵の完成を書きしるして、みずからも唱え、他人のためにも書きしるして与えるとしよう。彼は、(無数の有情を禅や神通に定着させる)良家の男子や女子よりも、より多くの福徳をやすやすと得るであろう。さらにまた、良家の男子や女子が、意味に通暁してこの知恵の完成を唱え、前の(人と同じ)ように、他人のためにも書きしるして与え、その意味文字とともに説明し、解釈してやるならば、カウシカよ、その良家の男子や女子は、より多くの福徳をやすやすと得るであろう。『八千頌般若経』

・『金剛般若経』」には「さて、スブーティよ、女子にせよ、男子にせよ、朝のあいだにガンジス河の砂の数に等しい(自己の)身体を喜捨し、同様に、間にもガンガー河の砂の数に等しい身体を喜捨し、夕刻にもガンガー河の砂の数に等しい身体を喜捨するとしよう。このようにして、百・千のコーティ・ニユタという多くの劫のあいだ、身体を喜捨しつづけるとしよう。他方、この法門を聞いて、(それを)謗らないものがいるとしよう。(両者のうちで)後者こそが、そのことによって、より多くのはかりしれない無数の功徳を集積するであろう。まして(の法門を)書写して把握し、記憶し、読誦し、理解して、さらに他の人々にくわしく説明するものはいうまでもない。」

・古来心経は障碍の除去、とくに除病に効くとされてきました。

天平時代、国家の平安を祈り聖武天皇と光明皇后が書写された「隅寺心経」は今日でも『般若心経』写経のお手本とされています。

・宝亀4(773)年には疫病が蔓延したので告示が出されました。「それ摩訶般若といっぱ諸仏の母なり。天下これを念ずれば兵戈災害も国中におこらず、庶民これを念ずればすなわち疾疫霊癘鬼も家内に入らず。この善利によって・・よろしく天下に告ぐべし摩訶般若を念ぜよ。」(般若心経を念ずれば国には平和が訪れ、庶民は病気や不祥事から逃れることが出来る。般若心経を念じなさい。)というものです。その後疫病はたちまち止んだといいます。

・またお大師様の「般若心経秘鍵」には「ここに帝王、自ら黄金を筆端に染め、紺紙を爪掌に握って、般若心経一巻を書写し 奉りたもう。 予、講読の選にのっとって、経旨の宗をつづる。いまだけ結願の言葉を吐かざるに、 蘇生の族、途に佇む。夜 変じて、日光赫赫たり。これ愚身が戒徳にあらず。金輪 御信力の 所為なり。(弘仁9(818)年の大疫にも嵯峨天皇が般若心経を写経されたので病気が治ったひとびとが道に佇んだ。)」とあります。
嵯峨天皇を始め、後光厳・後花園・後奈良・正親町・光格天皇などは宸筆写経をされ、現在でもこれらは京都大覚寺内の勅封般若心経殿に納められています。


・当麻寺の中将姫は1000巻の写経の功徳によって、極楽浄土を感得され国宝・綴織當麻曼荼羅を刺繍されたとされます。

・塙保己一は34才で『群書類従』の出版を決心した時、北野天満宮に『般若心経』100巻を千日間あげて完成を祈願しました。そして41年かけて見事、文政2年(1819)74才で『群書類従』全670冊を刊行しています。

・妙極堂教戒(浄厳)は「なぜに般若をもって法楽となすや、かの如来などはみな般若の威力によって生ずるが故に、諸天などはみな般若の威力によって生ずるがゆえに、般若を聞くときに往恩を報ぜんがための故にきたりて護持をなすなり。」といっています。佛菩薩神々みな般若心経によって法楽を得るので心経を唱えるところには必ず来てくださり助けてくださるということです。


・金沢雲龍寺住職、荒崎良徳師の「般若心経に救われた私」と題する一文が大法輪22年8月号にありました。概要を書いておきます。

「昭和58年私(荒崎)は大きな苦しみに出会い、自殺を考えるに至った。毎日暗いうちから本堂の観音様の前で「大般若理趣分」と「般若心経」を唱え続けた。ある日、林屋友次郎師の「般若心経の逐語的解釈」(『般若心経講義』昭和11年、東大佛青会編、三省堂発行内の一文)にあい意味を学んだ。

まず、最初の「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄」のところではっとした。

「度一切苦厄」とは一番欲しかった言葉だった。そしてそのためには「照見五蘊皆空」でなければならないとある。ここですべてが「空」であると覚れば一切苦厄から救われるのである。 

ではどうすれば「空」を覚れるのかそれは其の前の「般若波羅蜜多時」を深く行じた時である。ここで般若波羅蜜多とは布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六波羅蜜すべてを指すものなので此の代表として私は布施波羅蜜多を行じようと思い立った。

僧侶として布施できるものは『法』しかないとおもい各宗派の高僧にきてもらい苦しみ
真只中の58年に「金沢南無の会」を立ち上げた。この会を続けていくうち、各宗の高僧の法話と聴衆の鋭い質問に自身も広く新しい世界に踏み込めた。

写経するようになり其の中で無限に広がる仏様の世界に身を委ねることができるようになった。自殺を考えていた過去が遠い夢の中のように思える。」

・最後に自分自身の経験ですが何年も心経読誦・写経を毎朝続けています。四国霊場にも寺寺に3度以上心経を奉納しました。寺にも入らず修業らしい修業もできてないのでこれだけはとこころに決めて続けています。おかげでいろいろな願いがどんどん成就するとともに、心経の意味がすこしずつ分かりかけてきました。本当にすごいおかげがあり、そしてすごい事が書いてあるお経です。神仏が読むとお喜びになるはずだということも感じられるようになりました。そしてこのお経が作られた動機はまさに日々苦しむ衆生をいかにして救ってやるかという仏様の大慈悲によるものであるということもかんじられるようになりました。「度一切苦」「能除一切苦」と短いお経の中で二度も「苦」をすくってやるぞとおしゃっているのです。救われないわけがありません。



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