親鸞は父母の孝養のためにと考えて一返も念仏したことはない。
そのゆえは、一切の生きとし生けるものは、みな生まれ変わり死に変わりしたなかでの父母兄弟であるから。
いずれの生き物もこの次に生まれたときには仏になりて、たすけるべき存在でなのである。そんな深い縁の人たちを、次の世には自分が成仏して 助けなければなりません。 この世で自分の力で励む功徳ができればそれをさしむけて父母を 助けることもでき . . . 本文を読む
85番八栗寺参道はケーブルカーを横目につま先上がりの急坂になっています。 280mの屋島から下りてすぐ230mの八栗山にのぼることになります。
八栗を含む五剣山はお大師様が求聞持法を修された時、五柄の利剣が虚空より降りてきたので名付けたといわれています。参道にも霊気が漂よっています。
途中「霊徳洽三界(霊徳三界にあまねし)」「慈恩潤衆庶(慈恩衆庶をうるおす)」との石碑がありました。
お大師様 . . . 本文を読む
毎朝行法時に祓詞を唱えています。これは求聞持以来の習慣です。古事記を読み直して以来、最近この祓詞が大変身近に感じられるようになりました。
「祓詞(はらへことば)
掛(かけ)まくも畏(かしこ)き伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ)筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に禊祓(みそぎはら)へ給(たま)ひし時(とき)に成(な)りませる祓戸大神等(はらへどの . . . 本文を読む
遍路道の途中にある州崎寺は大同年間にお大師様の創建といわれていますがこの寺の戸板に佐藤継信の亡骸をのせて運んだとされており源平旧跡という旗が建っています。
この近くにはこの継信の首を取ろうとして討ち死にした若武者菊王丸の墓もあります。 平家物語によれば次の壇ノ浦では菊王丸の主君能登守も源氏の武将を両脇に挟み 「「さらばおのれら死途の山のともせよ」とて生年二十六にて海へつっとぞいりたまふ」(平家 . . . 本文を読む
「いのちを生きるものが共に一つ世界に手を取り合っていけるような、そういう世界を開かないかぎり、私の救いはない。個人の救いは一切衆生の救いと別にあるのではない。
生徒が救われないのに先生だけが救われるということはない。子供が救われないのに親だけが救われるということはないでしょう。本当の救いとは何か。性質が違い、考え方が違い、生き方が違い、年齢が違い、学歴が違い、性別が違う。その違った者同士がどこで . . . 本文を読む
屋島からの道を降りきったあたりに安徳天皇社がありました。
平家物語には壇ノ浦で、「先帝身投」として「二位殿(清盛の妻)は神璽をわきにはさみ、宝剣を腰にさし、主上をいただき奉って、・・・先世の十善戒行の御力(さきに述べた十善戒を守ると帝にうまれることができるといわれていました。)によっていま万乗の主と生まれさせたまへども、悪縁にひかれて御運すでにつきさせたまひぬ。・・・極楽浄土とてめでたきと . . . 本文を読む
華厳経巻二十八、十地品第二十二ノ六「爾時菩薩は其身姝妙にして華座に稱可す。菩薩は益一切智位の三昧力を得たるが故に、身は大蓮華座に在り。即時に眷屬の蓮華上に皆な菩薩あり。一一の菩薩は蓮華上に坐して即ち百萬の三昧を得て、皆な一心に大菩薩を恭敬し瞻仰したり。是の菩薩、蓮華座に昇る時、十方現在の一切世界は皆な大震動せり。一切の惡道は皆な悉く休息せり。光明は普く十方世界を照らし一切世界は皆な悉 . . . 本文を読む
最近のニュースで「満月まん」なるキャラクターで日本橋の掃除を毎日している人がいると取り上げられていました。素晴らしいことです。その人に触発されて多くの人が一緒に掃除をするようになったということです。日本人らしさが滲み出てきた話と思います。私の地元国立でも、先日書いたように、話すことの不自由な御婦人がほぼ毎日道路掃除をされています。今日はそれに賛同したらしき若者集団も掃除を始めていました。わたしもほ . . . 本文を読む
9月7日、坂東札所第24番楽法寺、20番西明寺、17番満願寺に巡礼してきました。
結願まであとわずか、巡礼行く朝にも気合いが入ります。宇都宮駅に9時30分に集合。
早朝は激しい雨が降っていたが、小雨になり、別名、雨引観音と言われる第24番楽法寺に着いた頃にはすっかり雨は上がっていました。これまでの巡礼でも何回かそんな事があり、巡礼道を観音様に守られているような不思議な気さえしてきます。
楽法寺は . . . 本文を読む
華厳経巻二十八、十地品第二十二ノ六「(第十法雲地)
是の三昧現在前すれば、即時に大寶蓮華王出ず。周圓は百萬三千大千世界の如く、一切の衆寶をもって間錯して莊嚴し、一切の人天の所有に過ぎ、出世間の善根の生ずるところなり。一切の法は幻の如く、化の如く、空慧の所成なりと知りて、光明能く一切の世界を照らす。瑠璃を莖となし、栴檀王を臺となし碼瑙を鬚となし、閻浮檀金を葉となして、無量の光明と一切の妙寶とは、皆 . . . 本文を読む
最近数か月毎日ある秘密の修法を行じていますが、そのなかにもどの行法にもあるように「四無量心観」があります。この「四無量心観」は以前から大変好きであった観法です。四無量心観というのは慈・悲・喜・捨の瞑想をそれぞれの御真言を唱えて行うものですが、私は、「慈」のところでは「全ての生きとし生けるものが幸せでありますように」、「悲」では「全ての生きとし生けるものの苦悩がなくなりますように」、「喜」の瞑想では . . . 本文を読む
Q,最近直葬、樹木葬、散骨等がはやっているようですがこれをどう考えれば?・・その7・最終回修正版
A,結論は「大変間違っている、こういう葬り方をされる人は死後浮かばれなくて可愛そう」ということでした。今回まで、㈠あの世の存在について、・・・「あの世はある、これを認めないのは人類の尊厳を否定し日本神話を否定する者である」、と書きました。㈡葬儀の必要性・・ここでは「葬儀は . . . 本文を読む
華厳経巻二十七、十地品第二十二ノ五「菩薩は法座に処してあるいは、一音をもって一切をして悉く解了をえせしめんと欲せば即ち開解を得、あるいは種々の音声をもって一切をして各の開解を得しめんと欲せば即ち開解を得、或は黙然をもってただ光明を放つのみにて一切をして各法を解することを得しめんと欲せばすなわち法をげすることを得、或は一切の毛孔を以て皆法音を出だし、或は三千大千世界の所有る衆生、無量の音声をもって一 . . . 本文を読む