昭和61年、なんとなく下腹部の右側が重苦しく不快感があるので公立病院で診察を受けました。レントゲン検査の結果、正面からと側面からの写真にかなりの大きさのポリープが映っていました。医師は即入院、手術が必要というので仕事のことを心配しながら入院しました。いよいよ手術という時、肛門からいれた内視鏡の先端がどうしたことか途中で入らなくなりました。苦痛のあまり私は意識を失ってしまいましたので手術は中止になり . . . 本文を読む
実語教(傳、弘法大師作、寺子屋等で使用。「実語教註慈賢(鎌倉時代の天台座主)」「実語教諺解(覚賢慧空)」等より解説)解説・・・3・玉磨かざれば光なし、 光なきを石瓦となす。 人学ばざれば智なし 、智なきを愚人となす 。(韓非子「和氏(かし)」に 「楚人の和氏(かし)、玉璞(ぎょくはく)を楚山の中に得、 奉じてこれを厲(れい)王に献ず。 厲王、玉人(ぎょくじん)をしてこれを相せしむ。 玉人曰く、「石 . . . 本文を読む
この経は沙弥の十戒・七十二威儀の説明を中心に書かれていますが、雲照師は幼いときこの経を読まれて戒律を守ろうと開眼したと伝えられています。
沙彌十戒法并威儀序
夫乾坤の萬物を覆載するや人を以て貴と為す。身を立て世に處するは禮儀を以て之が本とす。君臣父子禮にあらざれば立たず。邪を防ぎ姦を止めるは禮にあらざれば禁ぜず。
和國の婚崇するは禮にあらざれば . . . 本文を読む
福聚講定例護国寺参拝記録
今、わが国で猛威を振るっている新型コロナウイルス感染の度合いは,止まることを知らない勢いで増殖し、連日のように罹患者がでていますこの様なコロナの脅威に、まともに晒されたのは、日本でも、今回が、初めてでは、ないでしょうか!古代の日本では、人々は、疫病・飢餓・飢饉などに、しばしば見舞われ、どうにかして、この苦難を乗り越えたいと、ときの天皇などは、全国の僧侶を総動員して、祈祷 . . . 本文を読む
法句經第十七惡行品二十二章「小善を軽んずること莫れ、 以って無福なりといえども水が微なりといえども漸く大器を盈すがごとく 凡そ福は充滿す・・」
我々は大善はできなくとも毎日小善を積み重ねていけばすばらしい未来が待っているということでしょう。
大智度論には「12年間毎日天にお供えをした人が宝の出る徳瓶を授かった」という話が出てきます。
「人ありて . . . 本文を読む
実語教(傳、弘法大師作、寺子屋等で使用。「実語教註慈賢(鎌倉時代の天台座主)」「実語教諺解(覚賢慧空)」等より解説)解説・・・2 ・「富はこれ一生の財、 身滅すれば即ち共に滅す。 智はこれ万代の財、 命終れは即ち随ひて行く。 」(白楽天曰く「金は是れ財にして終わって以て他の物と成る。智は是れ宝にして後に必ず仏国に生ず」「百千の富貴は夢中のこと、一旦の栄華は風前の灯」。華厳経普賢行願品「臨命終の時に . . . 本文を読む
「慈を行ずる者は慈心の果報を以て一切を饒益す。所謂、風雨隨時、日月星宿不失常度、大海不溢、大火不燒、大風不壞、此れ皆な慈の果報力なり。經中に、若し一切世間、皆慈心を行ずれば、則ち所欲自然なりと説くが如し。」(成實論) . . . 本文を読む
仏典に説く国防日本は古来中国・朝鮮半島から数えきれない侵略を受けてきています。いまはロシアが加わってきました。歴史上最も危険な状態です。大蔵経典には「防衛」という語が111か所も出てきます。・例えば大般涅槃経にはお釈迦様の舎利を守るために兵を厳重に配置し防衛守護したとあります(大般涅槃經卷下「還歸入城。起大高樓而以舍 利置於樓上。即嚴四兵。防衞守護」)。・「大乗大集地蔵十輪経巻二・十輪品第二には王 . . . 本文を読む
実語教(傳、弘法大師作、寺子屋等で使用。「実語教註慈賢(鎌倉時代の天台座主)」「実語教諺解(覚賢慧空)」等より解説)解説・・・1まず「実語」について、金剛経にも「如来は是れ真語の者、実語の者なり」とあり。大般若経巻四百五十七にも「実語品」あり。「教」とは習わしむの心なり。浄源師遺教経の題を注していはく、「教とは傚なり、衆生をして之を習はしむ、といへり」。・「山高きが故に貴からず、 樹あるを以て貴し . . . 本文を読む
「仏教では人の心を層に分かって教えている。人の心の一番底を第九識という。ここは一人一人個々別々であると同時に総ての人に共通でもあるのである。この第九識に依存して其の上に第八識がある。ここはその人の過去一切が蔵されている所である。外界はこの第八識の現れである。この第八識に依存してその上に第七識がある。其の現れが小我である。普通人は自分のからだ、自分の感情、自分の意欲を自分と思っている . . . 本文を読む
以下密教辞典等に依ります。信忠・・鎌倉若宮僧正・東寺長者・勧修寺長吏。弘長二年1262~元亨二年十月十九日(六十一歳)。関白藤原忠家の息。幼くして勧修寺勝信の室に入り弘安年中に伝法灌頂を受け、諸尊儀軌を学ぶ。道寶について密教・三論を受ける。弘安十年勧修寺長吏。正応年中に鎌倉若宮別当・東寺長者。寛元二年仙洞において愛染王法を修す。延慶三年東大寺別当。 . . . 本文を読む
Q,三種の神器はなにの象徴か?A,三種の神器は、鏡が慈悲・勾玉は正直・剣は智恵を表すとされます(注)。(注、神皇正統記に以下のようにあります。 「・・三種(みくさ)の神宝(かむたから)を(天照大神が)授けまします。先づあらかじめ、皇孫(瓊瓊杵尊ににぎのみこと)に勅して曰く、「葦原千五百秋瑞穂国(アシハラノチイオアキノミズホノクニ)は、これ吾が子孫(うみのこ)の主(きみ)たるべき地(ところ)なり。爾 . . . 本文を読む
『四分律行事鈔』(南山道宣)に「五観の偈」というものがあります。高野山でむかし行をしていたときは食事の都度唱えました。念のため記しておきます。一 計功多少量彼来処(ひとつには功の多少を計り彼の来処をはかれ)二 忖己徳行全缺多減(二つには己が徳行の全か缺か多か減かをはかれ)三 防心顕過不過三毒(三つには心をふせぎとがをあらわすは三毒にすぎず)四 正事良薬取済形苦(四つにはまさにりょうやくをこととして . . . 本文を読む