妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・25
六に毘沙門身。
「應以毘沙門身得度者。即現毘沙門身而爲説法。」
「毘沙門」とは梵語には多聞と云。又は普聞と云。福徳の名普く四方に聞ゆるが故なり。新家の梵語には吠室羅摩挐(べいしらまんだ)と云。唐には有財と云。最勝王經には多聞天を以て四天の上首となす。(「金光明最勝王經四天王觀察人天品第十一「爾時多聞天王。持國天王。増長天王。廣目天 . . . 本文を読む
Q、地蔵菩薩はなぜ道端に多く祀られているのか?A,お地蔵さまは道祖神と習合して道端に多く祀られるようになったというのが民俗学者の説です。・まず柳田国男「道祖神」の中から、「・・閻魔と地蔵とは同じ一つの神の、両面であるといった人もあります。・・・大阪天王寺の地蔵祭りは・・人によっては、これを道碌神の祭りともいいました。道碌神は道祖神さえのかみのことでありますが、これも少年と非常に仲の好い辻の神で、も . . . 本文を読む
妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・24
五には天大将軍身
「應以天大將軍身得度者。即現天大將軍身而爲説法。」
義疏に𦾔譯の金光明經を引いて散脂大将なるべき欤と云へり。(散脂は具さなる梵語には散脂修摩と云。此には密と云。二十八部の主なりと云へり。最勝王經には僧慎尒耶夜叉大将と云へり。此には正了知と云。)(金光明經卷第三金光明經散脂鬼神品第十「世尊。我於諸法正解正觀。得正分 . . . 本文を読む
妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・23
四には大自在天身
「應以大自在天身得度者。即現大自在天身而爲説法。」
「大自在天」とは色界頂の摩醯首羅(まけいしゅら)なり。新譯には摩醯湿伐羅(まけいしつばら)、此には大自在と云。樓炭經には阿迦尼吒( あかにだ)と云(大樓炭經卷第一閻浮利品第一「過是已有須陀尸天。過是已有阿迦尼吒天。」)。此には質礙究竟(しつげくきょう)と云(質礙 . . . 本文を読む
妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・22
三に自在天身。
「應以大自在天身得度者。即現大自在天身而爲説法。」
義疏に曰、自在天身とは欲界の王なり。梵語には婆舎跋提(ばしゃばつだい)、此には他化自在天と云。他の變化せる五欲の境を假て、己が楽とするが故に他化自在天と云。即是魔王なりといへり。浄名經不思議品に曰、維摩居士、大迦葉に語らく、十方の無量阿僧祇の世界の中に魔王と作る者 . . . 本文を読む
妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・21
二には帝釈身。
「應以帝釋身得度者。即現帝釋身而爲説法。」
「帝釋」とは具さなる梵語には釈迦提桓(或は提婆と云う)因陀羅と云。釈迦、此には能と云。提桓、此には天と云。因陀羅、此には主とも帝とも云。能く天主と作る義なり。須弥山の頂に喜見城あり。周(めぐり)千由旬、城に千の門あり。城中に殊勝殿あり。周千由旬、黄金を地と . . . 本文を読む
日本紀略 / 延喜九年(909)正月廿一日条
「廿一日 止内宴 依去年諸国損也」
天皇は醍醐天皇。前年に起こった蝦夷征伐の「巣伏の戦い」で多くの人々が犠牲になり疲弊していたのを天皇が心配されたと思われます。 . . . 本文を読む
日本紀略 / 延喜九年(909)正月廿一日条
「廿一日 止内宴 依去年諸国損也」
天皇は醍醐天皇。前年に起こった蝦夷征伐の「巣伏の戦い」で多くの人々が犠牲になり疲弊していたのを天皇が心配されたと思われます。 . . . 本文を読む
今日は白楽天の生まれた日です。白居易(白楽天)は大歴7年1月20日(ユリウス暦772年2月28日)生まれとされます。白居易は仏教徒としても著名であり、晩年は龍門の香山寺に住み、「香山居士」と号し、馬祖道一門下の仏光如満や興善惟寛らの禅僧と交流があったということです。『景徳傳燈録』巻4では、鳥窠道林(741年 - 824年、禅僧)との『七仏通誡偈』に関する問答が見られます。「元和中白居易出守茲郡。因 . . . 本文を読む
妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・20
二には縁覚身
三に聲聞身。佛の説法の聲を聞いて得道するが故に名く。
「應以聲聞身得度者。即現聲聞身而爲説法」
釈迦一代の舎利佛目蓮等の内秘外現の聲聞等の類なり。或は蔵通の聲聞となり、或は五味に随って次第に轉じて終に法華一乗に會する聲聞と成るなり。
「而爲説法」とは四諦の法及び人天乗の法なり。人は五戒、天は十善及び四禪四無色定。 . . . 本文を読む
今日弘仁十四年823正月廿日は大師(50歳)が「酒人の内公主がための遺言」を代筆された日です。この酒人の内親王(光仁天皇の王女)はなかなかさばけた人で、すでに逆修をおわっているので 簡素にせよ・・といっています。いまでも大変参考になる遺言です。「酒人の内公主がための遺言(酒人の内親王は光仁天皇の王女。天長六年八月に薨ぜられたので大師が遺言を代筆されたもの)」われ式部卿と大蔵卿と安敕(あと・桓武天皇 . . . 本文を読む
・宝亀十一年780一月二十日、僧侶の荒廃を戒める詔勅が出されています。(続日本紀に「宝亀十一年一月丙戌,詔曰:「朕以,仁王御曆,法日恒澄,佛子弘猷,惠風長扇.遂使人天合應,邦家保安,幽顯致和,鬼神無爽.頃者,彼蒼告譴災集伽藍.眷言于茲,情深悚悼.於朕不德,雖近此尤,於彼桑門,寧亦無愧.如聞,緇侶行事,與俗不別,上違無上之慈教,下犯有國之道憲.僧綱率而正之,孰其不正乎.又諸國國師,諸寺鎮、三綱,及受 . . . 本文を読む