クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

平成19年新潟県中越沖地震

2007-07-17 23:24:37 | 新潟の鉄道
 2007年7月16日10時13分頃。新潟県中越地方を中心に大きな地震が発生しました。震源は、柏崎市沖約2kmで深さは17km。最大震度は、柏崎市、刈羽村、長岡市、飯縄町などで6強、マグニチュードは6.8でした。この地震は新潟―神戸ひずみ集中帯で起こったもので、1995年の阪神淡路大震災、2004年の新潟県中越地震、今年3月に発生した能登半島沖地震とも大いに関連があるように思えます。この地震による死者は少なくとも9人で、負傷者は1118人、全壊した建物は少なくとも342棟にのぼりました(7月17日21時半現在)。
 最も被害が激しかったのは柏崎市でした。
 柏崎刈羽原子力発電所では、3号機建屋脇の変圧器で火災が発生し、12時10分に鎮火するまで2時間近く火災が続き、甘利経産相に東電が「自力消火能力がないのか」と批判されました。また、7号機では、排気管から微量のクロム51やコバルト60などの放射性物質が検出されました。
 道路も被害が大きく、国道8号では長岡市大積付近や柏崎市米山付近、北陸自動車道では今日(2007年7月17日)現在、米山IC~柏崎ICが通行止めとなっています。その他の生活道路にも多くの亀裂が入ったようです。
 鉄道においても被害が甚大でした。信越本線青海川駅で大規模な土砂崩れが起きたのをはじめ、米山トンネル内では4097レが脱線し、柏崎駅構内ではS1編成が転覆しました。越後線では刈羽付近でレールがぐにゃぐにゃに曲げられました。上越新幹線では、魚沼トンネルでコンクリート片の落下が見つかり、越後湯沢~新潟で地震発生から21時過ぎまで運転を見合わせました。信越線は、地震発生直後から運転見合わせが続きました。東三条~宮内、犀潟~長野では地震発生当日は終日運転見合わせで、翌日は速度を落としての運転でした。上越線も同様でした。宮内~犀潟、特に柏崎~柿崎の復旧は、早くても1月先になるものと思われます。
 さて、私のほうはというと、地震発生当時、実は十日町にいました。1728Mで越後川口に出て、184Dで十日町(終着)までやってきて、10時57分発の166Dで上境駅を再訪するつもりでした。時間つぶしにクロス10を訪問し、天神囃子を購入した矢先に被災しました。係員の誘導で外に出され、十日町駅まで歩きました。十日町の震度は6弱だったようです。能登半島沖地震において直江津駅で被災しているので、徒歩による確認のため、飯山線、ほくほく線で少なくても2~3時間は運転できないなと確信し、既に購入した乗車券を払い戻しました。十日町のリオンドールはこの時点で一時閉店しました。

 十日町駅にて

15時50分頃に弟にクルマで救済してもらうまでは、文字通り十日町に缶詰で、十日町市博物館に行ったりしながら時間を潰すしか無かったです。飯山線は16時過ぎに運転が再開されましたが、上越線、信越線(東三条まで)、上越新幹線がダメで、当日中に鉄道で新津に帰ることは不可能でした。弟にただただ感謝です。
 最後に、被災されました方々には、心からお見舞い申し上げます。1日でも早い復興を願ってやみません。

参考 朝日新聞2007年7月17日など
コメント (1)
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