播但線5627Mは、5分遅れの11時42分に寺前駅2番乗り場に到着。3番乗り場に停車中の、11時47分発の1233D(キハ40 2008)に乗り継ぎました。生野までの道中、昼食を食べたり、向かい合わせになった年配の女性と談笑しながら進みます。和田山まで行くのだそう。
12時8分に生野駅に到着。交換可能駅で対面式ホーム2面2線の構内ですが、上下線間は広く空いています。
それでは駅舎の中へ。一見した限り、無人化されて窓口が閉鎖されたように見えますが…。
待合室内部もお見せします。広い空間にレトロな椅子が4脚並んでおり、壁面には生野の名所の写真が飾られています。
それでは駅舎撮影。東口の駅舎は、昭和35年7月築の国鉄後期形の細長い駅舎で、全体は入りきりません。
駅舎横には、明治42年築の旧日下旅館が保存されています。3階まである和風建築ですが、当時としては斬新な旅館でした。
駅前の様子。ロータリーの向こうにある個人商店は、周辺の山にマッチした意匠です。徒歩圏内に古い町並みがあります。
跨線橋を渡って西口へ。右側には窓口があり、営業時間は7:00~18:00です。更に右手に行くとトイレです。左手は小さな待合室です。生野駅は委託駅なのです。
それでは駅舎撮影。西口の駅舎は平成21年4月に新設された、意匠のある木造駅舎です。
駅舎右側の部屋は、朝来市観光案内所です。レトロなつくりで、生野銀山とその周辺の観光パンフなどが豊富に置かれています。クリスマスツリーが季節感を醸し出していました。これは、2011年12月10日の旅行記です。
駅舎の右側にある小さな木造建築は何だろう?ランプ小屋にしては新し過ぎるし…。物置かも。
駅前の様子。南方にはタニマチという会社のオフィスがあります。幹線道路を挟んだ向かいにはローソンがあります。
西口の駅前ロータリー端には「山田顕義終焉の地」。山田顕義は初代司法大臣で、生野銀山を興し、日本大学の学祖でもありましたが、1892年に生野銀山に視察に行った際に鉱山事故に巻き込まれて48年の生涯を閉じました。
生野駅は志村喬記念館へ徒歩15分でアクセスできますが、滞在時間が26分しか取れないのが今回のプランの最大の泣き所。次回は是非観光したいですね。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問
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