クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

2010年冬・山陰の旅(その6)

2011-02-10 00:04:13 | 山陰線


博労町駅から踏切を渡って西に進むと、浄土宗の寺院である光西寺があります。



再び踏切を渡って東に進むと、勝田神社の脇に一等水準点を発見しました。ここまで保護されているのは初めて見ました。



折角なので、勝田神社にて旅の安全を祈願しました。出雲大社に近いこともあり、注連縄が大きいです。



出雲大社別院は、博労町駅から歩いて数分の所にあり、勝田神社と敷地が隣接しています。社殿がコンクリート造り。



その手前には、黄檗宗の祥光山 了春寺があります。博労町駅界隈は寺社が実に多いです。



8時33分発の1635K(キハ40 2094+キハ47 2004)に乗車して博労町を後にしました。「キハ40 2094」はネコ娘車両で、天井もまた然りです。


 8時40分に三本松口駅に到着。



駅前に出ます。三本松口駅は片面ホーム1面のみの構内で、境港方にのみ出入口と待合ブースがあるだけの無人駅です。そこには券売機もあります。



三本松口駅は「そでひき小僧駅」。ホームが狭いので全貌は入りません。



三本松口での滞在時間は15分。近くのローソンに行って缶コーヒーを購入しただけ。駅周辺は閑静な住宅地です。近くを米川が流れていますが、ゴミのポイ捨てが目立っていたのが残念です。



8時55分発の1636K(キハ40 2115+キハ47 2019)に乗車して2駅返します。「キハ40 2115」はねずみ男車両です。


 
9時ちょうどに富士見町駅に到着。ホームは狭いです。



それでは駅全体を。片面ホーム1面と待合ブースのみの無人駅で、入口は境港方の1箇所だけ。その入口には券売機があります。



つづいて駅名標。富士見町駅は「ざしきわらし駅」。それにしても、背景はマンションです。



ローソンを目指して踏切を渡ります。ボウリング場の前を通過した後に幹線道路と合流。それが国道9号だと分かると、旅気分がグッと沸いてきました。


つづく

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2010年冬・山陰の旅(その5)

2011-02-07 22:55:56 | 山陰線
1日目の模様はこちら


 2010年12月19日(日)の朝となりました。6時50分に起床。PCを返却した後、お握りと焼きそばの朝食をとり、7時20分頃にチェックアウト。この日は境線の全駅下車を目指します。
 境線に駅巡りに先立ちまして概要を紹介します。境線は、米子と境港を結ぶ全長17.5km、駅数15の盲腸線です。普段は普通列車のみの路線ですが、列車によっては妖怪車両も運用され、土休日には臨時快速列車も走ります。今年(2010年)度の上半期にはNHKの連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が放映され、水木しげるの出身地である境港の町は一躍脚光を浴び、観光客で賑わっています。

米子駅に到着したのは発車の3分前。「青春18」に日付印を入れ、何とか7時30分発の1633K(キハ47 2019+キハ40 2115)に乗車しました。もしこれを逃すと、当日中に境線全駅踏破が果たせなくなるのです。



7時38分に後藤駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面2線の構内です。



本線の脇の引込線は、後藤総合車両所に繋がっています。JR西日本の気動車の多くがここで全般検査を受けます。このため、境線はこの駅まで電化されています。



境線の各駅には、正式な駅名の他に妖怪にちなんだ駅名も付けられています。ということで、このブログでも全駅紹介します。最初に紹介する後藤駅は「どろだぼう駅」です。



構内踏切を渡って駅前に出ました。待合所に券売機がありますが、無人駅で駅舎もありません。駅名板には一旦木綿に乗った鬼太郎のイラストが描かれています。駅裏はアパート群です。



それでは周辺散策。敷地外に出ると、ホープタウンやパチンコスロット・KINDAIのある一帯に出ました。朝方だからこそ静かですけど、昼間から夜にかけては賑やかでしょう。また、中央に流れる川は米川といい、弓ヶ浜への農業用水とするために開削された人工河川です。郡奉行米川所平の監督により元禄13年(1700年)により掘削が始まりましたが、宝暦9年(1759年)にようやく完成を迎えた大土木工事でした。源流は車尾戸上山の麓にあり、日野川と法勝寺川の水を引いています。


20分滞在しただけで、7時58分発の1634K(キハ47 137+キハ47 1054)に乗車して次なる駅へ。



8時2分に博労町駅に到着。片面ホーム1面のみの構内で、ホームがカーブしています。



起点から1駅目にあたる博労町駅は「コロポックル駅」です。



それでは駅舎撮影。米子方に待合所がある無人駅です。脇には水洗トイレがあります。



今回は待合室の内部をお見せします。入口に券売機があり、壁にはベンチが3脚並んでいます。高校が近いせいか、床面にはゴミが多く散乱し、お世辞にもキレイとはいえません。



それでは、周辺散策にまいりましょう。米子東高まではおよそ0.3kmです。


つづく
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2010年冬・山陰の旅(その4)

2011-02-04 00:00:45 | 陰陽連絡線

木次線1454Dは、14時13分に加茂中駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面2線+側線1本の構内です。このようにキハ120同士の交換が見られましたが、降りたのは私1人。



構内踏切を渡ってスロープを下り、駅舎に入ります。委託ながらも駅員が配置されており、乗車券も取り扱っています。待合スペースには、「先輩に挨拶をするわが孫は 今われ知らぬ少年になる」の短歌が掲出されています。



それでは駅舎撮影。昭和15年4月23日築の木造駅舎が健在です。意外な所に純粋無垢な木造駅舎を見つけました。トイレは駅構内にあります。



滞在時間が75分あるので、周辺を散策します。商店街を抜けて、堤防に上がりました。対岸には面白い建物が見えますね。



それは、雲南市文化会館・ラメール。また、雲南市加茂町は「銅鐸の町」で、平成20年現在で39個も見つかっています。


再び赤川を渡り、Aコープや酒屋のある一帯へ。気が付いたら15時5分を回ったので、たまらず駅に戻ります。


 
帰りに見つけた銅像。加茂町の偉人に違いないですが、誰なのかは失念しました。


迷いながらも13分前に駅に戻り、15時28分発の1456D(キハ120 5)に乗車。結論を先に申し上げますが、この日に訪問した木次線の駅で私以外に乗降があったのは出雲大東駅だけでした。



15時36分に南宍道駅に到着。片面ホームと昭和37年1月の開業以来の待合所のみの無人駅です。背景が暗いので、撮影にはちと厳しいです。



宍道方にある2つの開業記念碑。右のは開業時に建てられたもので、左のは開業40周年を記念して平成14年に建てられたものです。付近には金山跡があり、「金山の里」と冠されています。



今回は時刻表も公開します。下り9本、上り10本で、午前中の下り1本が通過します。果たして、どんな立地条件の駅なのでしょうか。



それでは駅の外に出ます。ホーム先端にある階段を下ると鉄道敷地内、すなわちアウト。ホームを木次方に向けて歩くと、写真手前の細道に出て道路に出ることが出来ます。案内が無いから、外から来た人は分かりにくいですね。



撮影条件が厳しくなってきますが、いっそのこと下り列車を利用してロケハンします。16時8分頃にキハ120の単行がゆっくり坂を上っていきました。田んぼが黄金色に輝く季節には、面白い風景となるでしょう。



南宍道駅周辺は、山の中腹にある鄙びた集落です。まるで何十年前にタイムスリップしたかのようです。


私は南宍道駅に相当衝撃を受けました。16時27分発の1460D(キハ120 3)に乗車しました。今回巡った木次線の区間はほんのさわりだけですが、「制限15」や急勾配の区間も多く抱え、十二分に衝撃的な路線でした。まるで全駅下車達成したかのような充実感がありました。



16時33分に宍道駅3番乗り場に到着。ISO1600で「1/20sec F8.0」まで厳しくなってきましたが、何とか撮影することが出来ました。「祝 平成22年4月 島根県立宍道高校開校」の幟が掲出されていました。


酒屋でワンカップを購入し、16時55分発の山陰本線138K(キハ47 3014+キハ47 83)に乗車。もう眠気が襲ってきました。米子駅到着後、SATYで買い物し、東横イン米子駅前に宿泊しました。


2日目の模様はこちら
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2010年冬・山陰の旅(その3)

2011-02-01 00:11:15 | 陰陽連絡線


木次線1452Dは、12時21分に出雲大東駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。高齢者の乗下車が多く見られました。



ホームからの長い通路を通り抜けると、いきなり駅前に出ました。平成18年10月築の、大きな合築駅舎です。通路から右側はグリーンセンターです。左側についてはこれから紹介します。



通路の左側の建物に入ります。委託ながらも駅員が配置され、窓口営業時間は8:00~17:30です(但し、休日は休みです)。窓口の奥には「パソコン教室@ステーション」が併設されています。



待合室を更に眺めます。簡易郵便局も併設されています。左側の部屋は売店となっており農産物も販売しています。右側はトイレ。



駅前には雲南総合病院が聳え立っています。出雲大東駅は、いわば旧大東町のライフラインの中枢です。


駅には高校生がどんどん集まってきました。20分滞在した後、幡屋駅に向かって歩きます。高校生をやり過ごしながら踏切を渡った後、三叉路を右折しました。



大東ホールや浄水場を通過すると、赤川沿いに出ました。しばらくすると、木次線の鉄橋が見えます。ロケハンしたら面白そうですが、次に通る列車はこれから乗る1454Dだったりします。



ある地点から堤防上の遊歩道を歩きます。プチ茶畑も見られ、新潟と同じ日本海側でも気候が全く異なるのだなと感じました。眼下には酒屋もあったりします。



春殖(はるえ)橋を渡って赤川を横断。意外と雄大な川です。対岸の信号を直進した後、製材所の三叉路を左折。



再び踏切を渡り、三叉路を左折。あとは県道157号を進むのみ。



しばらく歩くと、突如茶畑が広がってきました。そこは、岩熊城跡への登り口となっています。室町時代末期に、馬田豊前守によって築城されました。


 5分ほどして目的地が見えてきました。


13時21分頃に幡屋駅に到着。出雲大東駅を出発して40分後でした。駅前には郵便局があり、特に平日の昼間は何かと使える駅です。



それでは駅舎撮影。平成7年2月24日(財産票による)に吹きさらしの待合所の駅となっています。以前は木造駅舎が建っていました。手前にトイレがあります。



無人の待合ベンチにて、羽田空港で購入した松阪牛のおこわで昼食にします。1100円と値が張ったけど、めちゃ美味かったです。


待合所だけだと思ったら、宍道方に駅員の立つスペースがありました。幡屋駅は無人駅ではないかもしれません。



歯磨きを終えると、そろそろ出発の時間となりました。申し遅れましたが、幡屋駅は片面ホーム1面のみの構内です。14時8分発の1454D(キハ120 206)に乗車して次なる駅に向かいます。


つづく


参考サイト   西国の城跡・岩熊城(いわくまじょう)跡 島根県雲南市大東町養賀
          さいきの駅舎訪問

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