しなの鉄道駅巡りの前にニュースをお伝えします。JR北海道は一昨日、新型電気式気動車の概要を発表しました。形式名は「H100形」であり、愛称は「DECMO」です。推進軸や自在継手を廃してメンテナンス作業の安全性を高めたほか、変速機などデリケートな機器を廃して信頼性を高めています。来年2月に2両が落成し、再来年まで試運転されるそうです。前面はブラックフェイスにし、ステンレスの車体に若草色と白色のストライプが入るそうです(前面は若草色と黄色のライン)。ただ、車椅子スペースを設けた分だけ着席定員が48から36に減少しており、函館港まつりなどの超繁忙期には着席が厳しいのではないかと懸念されています。
さて、本題に。12時50分発の644M(115系S24編成)でテクノさかき駅を出発。遅れていた篠ノ井線の接続をとったらしく、6分ほど遅れていました。
6分遅れの13時9分に信濃国分寺駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。
では駅舎の中へ。自動券売機の右手に窓口があり、営業時間は7:00~10:00、16:05~20:15です。
それでは駅舎撮影。横長の三角屋根の駅舎で、トイレは篠ノ井方に。上田国分寺駅は2002年3月22日に開業しました。
ちょうどお昼時となり、駅前に牛角やかっぱ寿司などがあって食欲をそそられますが、お目当てがあるので周辺散策。国道18号を350mほど進むと信濃国分寺に到着。
そのまま八角堂に行き、しなの鉄道全駅下車達成を誓ってきました。この八角堂、奈良時代に建てられたというわけではなく、鎌倉時代に民衆によって再建されたものです!
で、その右手には国宝である三重塔が。
国道18号に戻る道すがら、まだ緑色の紫陽花が咲いてました。
そして、住宅地の一角では藤の花が色づいてました。
国道18号に戻り吉野家に行きかけましたが、瓦窯跡があったので立ち寄ります。国分寺の瓦を焼いた窯跡2基の内、1基が露出展示されてました。
「昭和の博物館」であった信濃国分寺資料館で少し勉強した後、信濃国分寺史跡公園へ。奈良時代につくられた信濃国分寺は僧寺と尼寺を設けた壮大な寺院で、この史跡公園は僧寺の跡なのです。尼寺跡はこの左手にあり、信濃国分寺資料館の真南だそうです。
駅に戻って見取り図を描いているともう時間となりました。跨線橋を渡って、定刻にやってきた14時3分発の649M(115系S24編成)で長野方面へ。
14時11分に西上田駅に到着。2面3線+側線数本の構内です。
跨線橋を渡って駅舎撮影。大正9年6月の開業時の木造駅舎が健在です。
左手には自由通路があり、これを渡ると上田西高に行けるそうです。で、トイレはこの根元に。
では駅舎の中へ。自動券売機の左手に窓口があり、営業時間は7:00~17:30(休み3回)です。さすがに14時を回ったので、周辺散策せず手持ちの玄米ブランでお昼にします。
つづく
11時47分に坂城駅に到着。
軽井沢方に行くと、169系S51編成が展示されていました
この169系S51編成、平成25年4月29日にラストランを迎えています。照明こそ取り付けられていますが、保存状態は良好です。梯子がありますが、特別なイベントの時以外は中に入れません!
で、駅舎の中の一角では、169系の車軸と車輪が展示されていました
駅前の様子。目の前には八十二銀行が。古い町並みがあるらしいですが、時間が微妙なので散策を見あわせます。
12時13分発の642Mで軽井沢方面へ。115系S16編成で結構混雑してたので、教員志望の眼鏡女子と相席に。
12時16分にテクノさかき駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。お目当てがあるので、ホーム先頭でしばし待機。
しばらくすると、「ろくもん1号」が通過していきましたこの「ろくもん」、しなの鉄道社内では「S8編成」というのだそうです。
跨線橋を渡って駅舎の中へ。委託管理ながら窓口があり、営業時間は7:00~10:30、15:00~20:00です。待合ベンチは14人分。
それでは駅舎撮影。1999年4月1日開業の、少し可愛らしい駅舎です。トイレは篠ノ井方に。
その駅舎と90°相対して左手には坂城勤労青少年センターが。
昼食にしようかと思ったが、「テクノさかき」を実感したいので周辺散策。篠ノ井方に隣接してエスプリが。
ふと路地を見ると、花菖蒲が咲いていました。この時期は端午の節句ともいいますからね。
交差点を渡って更に進みます。道路を挟んで向かいには㈱ウエダ製作所が。
㈱ウエダ製作所を出てカフェを過ぎるとアルプスツールの工場に到着。裏側からですが。行き止まりが近づいたのでここら辺で引き返します。
で、付近の陸橋を渡ると「さかきテクノセンター」が。喫茶店があるようですが、どうやらGW休みのようでした。
駅に戻ると多くの人が集まっており、話す言葉も多国籍に。テクノさかき駅周辺の工場は、きっと多くの技能実習生を受け入れてるに違いありません。
つづく
11時2分発の638Mで屋代高校前駅を出発。115系S12編成+S26編成で、軽井沢に行くという眼鏡美人と相席に。
11時9分に千曲駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。
跨線橋を渡って駅舎の中へ。天井の高い木造駅舎です。千曲市の委託管理ながら窓口があり、営業時間は7:00~19:40です。
それでは駅舎撮影。2009年3月14日開業の和風のどっしりとした駅舎です。トイレは篠ノ井方に。
31分の滞在時間を利用して周辺散策。よく整備された住宅地ですが、周辺整備が終了したのは2010年2月のことです。
数分ほど歩くと国道18号に出ました。歩道がなく付近には何も無さそうなので、ここら辺で引き返します。
駅に戻る道すがら、桜並木を見付けました。当然ながら葉桜ですが。千曲駅の背後には急峻な山脈が迫っており、そのおなかを北陸新幹線が通っています。
駅に戻ると、3分クッキングを見ながら見取り図を描きつつ休憩。その後、11時40分発の1640M(115系S21編成)で軽井沢方面へ。
11時47分に坂城駅に到着。島式ホーム1面2線+側線数本の構内です。で、その側線に止まっているカマは何??
EH200-10です付近に石油ターミナルがあり、タキが度々入線するのです。
跨線橋を渡って駅舎の中へ。待合ベンチの向かいに窓口があり、営業時間は7:00~10:20、15:00~20:00です。
それでは駅舎撮影。黒系にリニューアルこそされてますが、開業時からと思われる木造駅舎が健在です。
篠ノ井方にはトイレが。そのトイレと駅舎との間にはミニ庭園なるものが存在します。
このミニ庭園、ただのミニ庭園ではありません。駅舎側には高浜虚子の歌碑が。
で、その隣には若山牧水の歌碑が。ツツジがこれから咲こうとしていたのです。
折角坂城駅に降り立ったのだから、一名物を見ていきましょう。
つづく
7月に入り、信州ではディスティネーションキャンペーンが始まり、小海線ではHIGH RAIL 1375がデビューし、長野駅善光寺口では壁面アートでのおもてなしが始まりました。そして、本日は「ろくもん」が塩尻まで乗り入れています。今年の中央本線は変わり種の臨時列車が多数走り、鉄道ファンには要注目ではないでしょうか。
さて、これから紹介するのは「しなの鉄道全駅下車への道・第1回」です。しなの鉄道は、信越本線の経営を引き継いだ第3セクターです。1997年10月1日の長野新幹線開業時に篠ノ井~軽井沢間の65.1kmが移管され(南しなの線)、2015年3月14日には妙高高原~長野間の37.3kmも移管されました(北しなの線)。本社は上田市にあります。「北しなの線」には信越本線時代に全駅下車達成しているので、当ブログで取り上げるのは「南しなの線」の方です。尚、車両については「ろくもん」を含めて全て115系で、4月8日には初代長野色が、5月20日には湘南色が登場し、そして7月29日には横須賀色(通称スカ色)も登場します。
前置きはこれくらいにして、そろそろ出発しましょう。
2017年5月5日(金)。自転車で新津駅に行き、5時37分発の信越本線420Mで出発。E129系A30編成のみで、名古屋まで行くという女子学生と相席に。
長岡到着後、1324Mで直江津へ。E129系A24編成のワンマン列車でした。長岡以南のワンマン化、恐るべし。
直江津に行くという女性と相席になり、穏やかな日本海を眺めながら進みます。
直江津到着後、えちごトキめき鉄道2348M(ET127系V9編成+V7編成)に乗り継いで。この日は最高の妙高山鑑賞日和。
妙高高原到着後、しなの鉄道324M(115系S6編成)に乗り継いで。先ほどの2348Mの車中で長野までの運賃を精算出来たので、安心して妙高山で一杯やりました。
廃車解体待ちの107系達を見ると長野駅に到着。おやきなどを購入し、10時17分発の1636M(115系S24編成)に乗り継ぎました。
10時33分に屋代高校前駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。
では駅舎の中へ。千曲市の委託管理ながら窓口があり、営業時間は7:00~20:45です。
窓口の向かいには名産品が展示されていました。待合ベンチは18人分。
それでは駅舎撮影。屋代高校前駅は2001年3月22日に開業しました。トイレは階下に。
この駅舎を見方を変えて。三角屋根になっています。で、手前にあるモニュメントは何??
「秋」ー幸せをもたらす手ー(秋山光幸 2001年)です。深呼吸しているイメージです。
屋代高校を目指して周辺散策。駅裏には校舎のような建物があり歩道橋もありましたが、フレックスジャパンの工場でした!
沿道では八重桜が満開。
果たして、駅名の由来にもなっている屋代高校は、5分ほど南下した所にありました!
駅に戻って見取り図を描いていると、上山田行きの千曲市コミュニティーバスがやってきました
話が変わりますが、JR東日本は来る10月14日にダイヤ改正を行うことを発表しました。常磐線方面からの上野東京ラインも柱ですが、最大の目玉は黒磯~新白河間にE531系が投入されることです。これは、黒磯駅構内のき電工事に伴うものです。黒磯以北の普通列車は新白河で分断(同一ホームで接続!)されますが、東京方面の「18きっぱー」にとってはいくらか朗報といえよう。
つづく
先日、「JR東日本は新潟・秋田地区にGV-E400系を導入する」と書きましたが、八戸線には今年度中にキハE130系500番代が投入されることが発表されています。JR東日本の国鉄形殲滅作戦がいよいよ佳境を迎えたといえます。
さて、これから紹介するのは新潟の115系電車です。現在の新潟の115系の勢力は、N編成が12本と事業用車のL99編成にまでに縮小されています。高崎支社を見ても3連が若干本だけとなっており、115系が現在も残されているのは一人でも多くの鉄ちゃんを呼び込むためとも考えられよう。
前置きはこれくらいにして、2017年3月、4月の新潟の115系電車をお伝えします。特記以外は新潟駅での撮影です。
張子は、2017年3月1日の越後線1544M。今は亡きN22編成がN30編成を従えてました。
お次は、2017年3月4日の羽越線1925M。N36編成+N33編成でした。新発田駅で撮影。
新潟駅に行き、信越線434Mを。N38編成+N37編成でした。
4つ目は、越後線142M。N13編成でした。
5つ目は、2017年3月5日の信越線434M。N36編成+N33編成でした。
6つ目は、2017年4月1日の越後線1535M。キムワイプ色のN33編成でした。
7つ目は、2017年4月8日の白新線624M。N17編成でした。
8つ目は、2017年4月9日の信越線3373Mを。N37編成でした。新津駅で撮影。
新潟駅に行き、越後線143Mを。N40編成+N35編成でした。
2017年4月15日。摂田屋蔵開き号は、お約束通りのN3編成でした。
信越線434MはN36編成+N33編成でした。
越後線139MはN18編成でした。
羽越線1932MはN34編成+N35編成でした。
2017年4月21日。越後線142MはN34編成でした。
越後石山駅に行き、信越線447MはN18編成+N17編成でした。
2017年4月22日。白新線624MはN34編成でした。
東新潟駅に行き、羽越線1928MはN40編成+N30編成でした。
新潟駅に戻り、越後線139Mを。N38編成でした。
羽越線1932MはN13編成+N33編成でした。
信越線3373MはN37編成でした。
越後線143MはN17編成+N18編成でした。
2017年4月29日。信越線434MはN18編成+N36編成でした。
越後線139MはN17編成でした。
羽越線1932Mは、キムワイプ色のN33編成が湘南色のN40編成を従えてました。
最後に、2017年4月30日の信越線434Mを。N40編成+N33編成でした。
2017年3月、4月の新潟の115系電車は以上です。3月4日以降は新ダイヤとなっており、新潟の115系電車の現況がほぼ反映されているでしょう。N3編成、N33編成、N40編成は特に人気となっており、撮影する者が少なくありません。
さて、冒頭に登場した越後線1544Mですが、E129系B編成1本となっています。問題は、その前運用である越後線151Mで、5分程度遅れて新潟駅に到着することが最早日常茶飯事となっています。恐らく、白山駅時点ですし詰めになっているものと思われます。4番線に到着した羽越線942Mから1番線から発車する越後線1544Mへの乗り継ぎにトライする医福大生もいるほどです。
ところで、『鉄道ファン』7月号には「E129系は所定の本数が揃っているので、115系はやがて消えゆくものとして見守っていきましょう」との記述がありましたが、新潟の115系電車の命運を握るのは新潟駅高架化工事だと考えられます。新潟駅の高架完成後は、在来線が3面5線となります。JR東日本新潟支社は、越後線と白新線(または信越線)との相互直通運転を拡充したり、「新井快速」にE127系を充当させたりして対応する腹積もりなのでしょう。新潟の115系電車は、早くて来年の高架暫定開業時に、遅くても再々来年の高架全面開業時には終焉を迎えることでしょう。
JR東日本管内を見てみますと、今月より「信州DC」が始まっています。よって、次は「しなの鉄道全駅下車への道・第1回」をお伝えします。
JR東日本新潟・秋田支社は本日、かねてから導入を予定している新型電気式気動車について形式名などを明らかにしました。「GV-E400系」といいます。2018年度に3両(2連×1本と1連×1本)が先行製造されて試運転が行われます。その後は60両が量産され、新潟地区には2019年度までに、秋田地区には2020年度までに導入されるそうです。走行線区の一覧を見ると、キハ110系の置き換えをも見据えているものと思われます。
前回はこちら
さて、本題に。11時32分に下関駅に到着。改札を抜けて右手に進んで階段を上がると東口に出ました。平成26年3月15日築の「ripie」です。上階には「ふくふくこども館」が。
学生時代にお世話になったダイエーは「シーモール」になり、大丸になってました
で、その「シーモール」の前には「平家踊りの群像」が。そういえば、平家が滅亡した舞台である壇ノ浦が付近にありますね。
地上に下りました。東口側は、通路を挟んで右手にモスバーガーとKFCが。
自由通路を進んで西口へ。左手には、手前側よりセブンイレブン、日本旅行、土産物屋、観光案内所、味一(駅そば)、かわ本(お好み焼き屋)と並んでいます。右手には、ゆめマート、花一番、味庵と並んでいます。
西口に出ました。私が学生時代の時分には木造の三角屋根の駅舎でしたが、人生に自暴自棄になった者の放火により失われ、このような陸屋根の駅舎に変わっています。尚、トイレは幡生方に。
駅前の様子。水産関係の工場が並んでいます。
で、90°挟んで右手には「Let's 508」が。パチンコ屋です。駅とパチンコ屋が近い駅は、新潟県内には新潟駅しか思い浮かびません。
ripie内のサンマルクカフェで昼食をとって改札前へ。改札の左手には「みどりの窓口」が。
「みどりの窓口」の前には振鈴が。発車ベルが入る前に使用されていた鉄道アイテムですが、下関駅もなかなか粋な演出してくれます。
12時13分発の山陽本線5163M(415系Fo-111編成)で九州へ。
12時19分に門司駅に到着。25分発の鹿児島線4245M(813系R004編成+R213編成)に乗り継いで博多へ。
13時43分に博多駅に到着。51分発の福岡市営地下鉄478C(303系K02編成)で福岡空港へ。
14時40分発のJH505便で新潟へ。レジスタはJA03FJ(ちびまる子ちゃんジェット)。RWY34側より離陸し、一旦中津方面へ。
中津からは瀬戸内海を東進しますが、広島にて北北東に進路を変えて美保VORTACまで横断して日本海へ。
機内では、ハラダ製茶のお茶とシャトレーゼのチョコを味わいました。雲が晴れて海岸が現れたと思ったらもう出雲崎。
越後平野の田園地帯を進んでRWY28側より着陸し、16時20分に新潟空港Bスポットに到着。新潟駅到着後、17時41分発の信越線2238D(キハ47 1515+キハ47 516+キハ47 519+キハ47 1520)で新津に帰還しました。
「EVA新幹線に乗ってきた」は以上です。今回は、山陽新幹線で未踏破だった新神戸、新尾道、東広島、新岩国、新下関と巡り、山陽新幹線全駅下車を達成し、更に山陰本線のラスト3駅を巡ってきました。中でも最も印象に残ったのは、およそ新幹線の駅とは東広島と木造駅舎が印象的だった神代でした。在来線の駅巡りと比べてかなりの高コストの新幹線の駅巡りが一段落し、一つ肩の荷が下りた気がします。
冒頭に信越線2553Mが登場しましたが、現在はE129系B編成1本に変わっています。次は新潟の115系のコレクションを大放出しますが、その前運用である越後線1544Mが登場します。どうぞ、お楽しみに。
最後までお読みいただきありがとうございます。
参考サイト さいきの駅舎訪問
10時22分に梶栗郷台地駅に到着。「みすゞ潮騒」を撮影した後、綾羅木駅まで駅間徒歩することに。
駅前道路から県道248号へ合流する所にはジョイフルが。昼食には少し早い時間帯なのでスルーせざるを得なかったのがちょっぴり悔しいところ。
駅間徒歩の大半を占めた県道248号。トヨペットやネッツなどが写ってますが、ロードサイド店舗が多く賑やかな一帯です。
出発から10分余り、綾羅木川を渡ります。
綾羅木駅が近づき、県道248号の西側を。徒歩10分くらいの所に中山神社があり、西1kmの所には綾羅木海水浴場が。
めがね屋さんの交差点を左折するといよいよ綾羅木駅に到着。梶栗郷台地駅を出て18分でした。
それでは駅舎撮影。片流れ屋根の木造駅舎が健在です。トイレは改札内の小串方に。
駅前ロータリーのミニ庭園には、昭和60年3月につくられた「ふるさとの土笛」のモニュメントが。これを撮影しようとした瞬間、軽自動車が横付けしやがった。
では駅舎の中へ。委託駅ながら自動券売機の左手に窓口があり(「みどりの窓口」ではない!)、営業時間は6:50~18:20です。その手前には待合スペースがありますが、既に多くの若い子に占拠されていたので内部のレポートは見合わせました。
少し早めにホームへ。申し遅れましたが、綾羅木駅は片面ホーム1面のみの構内です。11時21分発の867D(キハ47 1060+キハ47 93)で下関方面へ。
「幡生斎場」では115系C36編成の廃車解体作業が佳境を迎えていました。11時32分に下関駅3番乗り場に到着。しばらくご無沙汰している間に、構内が3面6線に整理されていました。
下関駅は、駅舎のリニューアルが完了したと聞いております。折角なので、じっくり見ていくことにしましょう。
続きはこちら
前回はこちら
山陽本線3831Mは9時22分に幡生駅に到着。乗り継ぎ時間を利用して想天坊で打ち上げ。9時51分発の856D(キハ47 93+キハ47 1060)に乗車して山陰本線に寄り道。
10時1分に安岡駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。
では駅舎の中へ。無人化されて窓口が閉鎖され、自動券売機に置き換えられています。
それでは駅舎撮影。昭和29年3月築の陸屋根の駅舎です。トイレは小串方に。
時刻表を。上下其々毎時1~3本ずつです。次の下り列車は19分発…。
滞在時間が18分しかないので駅前だけ。閑静な住宅地ですが、「安岡沖洋上風力発電建設反対」の幟が振動が凄まじいからでしょうね。尚、深坂自然の森へは徒歩15分。
跨線橋を渡って下りホームに行くと、多くの人が待っており、大分に行くという眼鏡女性に出会いました。彼女と共に、10時19分発の865D(キハ47 169+キハ47 2022)に乗車して下関方面へ。
10時22分に梶栗郷台地駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
865Dが去ると私1人が取り残されました。自動券売機と3人分のベンチだけです。
それでは駅舎撮影。平成20年3月15日に開業した、階段と庇だけの駅舎(?!)です。トイレはありません。で、その右手の階段は??
駅裏に繋がっています。梶栗浜遺跡があり、考古博物館も併設されています梶栗郷台地駅は発見の多い駅でしたが、長居出来ないのが惜しいところ。
ついでに駅前の様子。ガリバーがあり、国道191号を挟んで向かいにはMrMaxが。梶栗郷台地駅は相当賑やかな駅です。
ホーム先端で待ってしばらくすると、お約束通りの「みすゞ潮騒」がやってきましたこの「みすゞ潮騒」は今年1月29日に運転を終了し、来る8月5日に「○○のはなし」として生まれ変わることになっています。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問