あけまして おめでとう ございます
今年も よろしく お願い申し上げます。
今年こそ コロナのない、そして戦争のない平和な年になることを、願います。
あけまして おめでとう ございます
今年も よろしく お願い申し上げます。
今年こそ コロナのない、そして戦争のない平和な年になることを、願います。
今年は、例年になく寒さが厳しく、ウイズコロナで、外出も昨年に比べて比較的自由になったのですが、寒さが苦手な僕にとっては、外出に躊躇してしまいます。
でも、足腰には、歩くのが1番良いとされていますので、天気さえよければなるべく散歩をしてゆきたいと思います。
上記2点 今年6月に訪れた 城北公園菖蒲園にて・・・2点とも8号
朝の散歩時(午前5時半~)の空模様を描きました。 (上記2点ともF6)
伊丹バラ園に行った時のバラ F6 シクラメンの香り F6
10年程前にも20号で書いたものを、今回10号で描きました。 近所の柿を・・F6
ある資料の富士山を模写しました・・・・F8
今回の旅行の最後は岐阜城です。
岐阜城は、どうしても織田信長が最初に建てたと思いがちですが、岐阜の名前は確かに信長が改称したのですが、当初は鎌倉時代に時の執権二階堂山城守が、金華山頂に砦を築いたのが初めと言われています。
JR岐阜駅前 ”織田信長像” 岐阜城には、信長の家紋と道三の家紋も
戦国時代は、斎藤道三の居城であり、それを織田信長に攻略され、地名を岐阜と改名し、天下統一の拠点として新しく城を築きました。
現在の城は、昭和31年に復興されたもので、鉄筋コンクリート造り三層4階構造で、平成23年2月、金華山一帯を「岐阜城跡」として、国の史跡に指定されました。
城は、駅からタクシーで15分ぐらいのところで、ロープウエーで金華山の山頂まで4~5分で、山頂駅に着き、お城には、そこから徒歩7分と案内書には記載されています。
山頂駅からお城までの登城の道は、山道といえどもたった7分ぐらいはと簡単に思っていました。
不規則な石の階段で、足腰の悪い僕にとっては、その倍以上の時間がかかり、情けない話ですが、手すりとか、人の介添えが必要だったのは、やはり、自分の体を知り、地図を鵜呑みにせず、余裕をもって行動しなくてはならないと実感しました。
天守に登ると、下界は実に素晴らしく、昨日の雨が嘘のように晴れ渡っていました。
天守の天井
今回の二日間の旅行は、初日は雨で行動が制約され、二日目は、案内書にはない困難な道(ただし、個人によってはの話)もあり、予定外や新しい発見が、旅行の楽しみの一つです。と言って大げさに考える必要はありませんが、”新しい風景”を見つけてゆきたいものですが・・・・。
「下呂温泉」は飛騨山脈の山々に囲まれた飛騨川の川原付近で湧き出るアルカリ性単純温泉で、江戸時代の儒学者林羅山により、三大名泉の一つと唱えられました。
飛騨川沿いの温泉街 JR 下呂駅
三大名泉とは、「草津温泉」「有馬温泉」と今回訪れた「下呂温泉」です。
温泉は、10種類の泉質に分けらます。
下呂温泉は「単純温泉」---アルカリ性単純温泉でPh8.5以上の美肌の湯と言われ、他に鬼怒川温泉、宇奈月温泉、道後温泉などがあります。
ちなみに「草津温泉」は「酸性泉」、「有馬温泉」は「塩化物泉」その他の泉質は、又別の機会とします。
さて、この「下呂」という地名は、どのようにして生まれたのでしょうか・・・
776年(宝亀7年)に美濃国菅田駅と美濃国大野郡伴有駅の間に作られた「下留駅(しもどまりえき)に由来しています。
当時の”駅”とは、馬を乗り継ぐための宿場駅のことで伝令制度や早馬の利用に活用していました。
この宿場駅の「下留駅」が「げる」と呼ばれるようになり、それが最終的に「げろ」と呼ばれて当て字「下呂」と表記されるようになったと言われています。
しかし、「下呂温泉」と呼ばれるようになったは昭和以降で、それ以前には「湯ノ島温泉」と呼ばれていました。
従って、林羅山も「下呂」ではなく「湯ノ島」と紹介されており、それではなぜ「湯ノ島」がなぜ「下呂」になったのか・・・
要は、源泉の場所が変わったということです。
温泉が発見されたのは、平安時代ですが、後に地震があり、湯ノ島の湧出は止まりましたが、1265年に現在の飛騨川の川原に源泉が見つかりました。
その飛騨川の川原に源泉が見つかったのは、”しらさぎ”が足の傷を癒しているのを見つけたからと言われており、この”しらさぎ”は、薬師如来の化身ともいわれています。
11月末に、久しぶりに一泊二日の旅行に出かけました。
目的は下呂温泉ですが、往路に名古屋城、下呂温泉宿泊後、復路に岐阜城を見学してきました。
1日目の名古屋城は、時間的な関係だけではなく、雨が降っているということで御殿以外の西の丸公園には立ち寄らず、御殿だけになりました。
なお、2日目の岐阜は、時たま太陽がのぞく幸運に恵まれました。
旅行は、天候によって大きく左右されます。
この本丸御殿は、2009年(平成21年)から復元工事を開始し2018年(平成30年)江戸時代に将軍家光の宿泊のために造営されたものを復元されました。
御殿の内部は、障壁画や飾り金具など豪華に飾られ近世城郭御殿の最高傑作と言われていて1930年(昭和5年)に天守閣とともに国宝指定1号に指定されましたが、1945年(昭和20年)の空襲により焼失しました。
以下 御殿内部の写真を・・・
玄関 二の間
表書院
対面所
上洛殿 上段の間