バス停、奥の院前を降りて、奥の院御廟まで1.3Kmを左右に墓石を見ながら、何百年も経た杉並木の中を歩きました。
この墓碑数は、20万基を越すそうです。
一般庶民から戦国の武将、それに沢山の企業の墓碑があり、さながら墓碑が広告塔の様と言うと不謹慎でしょうか?
奥の院御廟は弘法大師後入定の後、弟子達が足元を流れる清流のこの地に廟を建てたものだそうです。
中は薄暗く、丁度読経が鳴り響き、一層厳粛な気持ちにさせられました。
参道には、豊臣家、織田信長、安芸浅野家、その他江戸期の諸藩の領主の墓碑がところ狭しと点在しています。
以前に訪れたのは、25年ほど前でしたが、ここの様子は一つも変わる事がないようです。
豊臣家 墓所 阪神・淡路震災物故者慰霊碑
ある大大名の墓碑には、創建400年以上経っているので、近々再興すると、立て札が、十何代当主名で立っていました。
確かに墓石が崩れて、何時倒れてもおかしくない状態ですが、新しくなるのも考え物と思うのですが・・・・
この薄暗い杉並木を、墓碑を見ながら歩いていると、今にも何百年も前にタイムスリップしたような不思議な感覚に襲われます。
世界遺産として、今後も恥ずかしくない保存と、現況を何時までも維持して欲しいものです。
無縁塚 参道
比叡山もそうですが、この高野山も日本人の心のふるさととして、永久に残していくには、ここを訪れる人もその意味合いを理解することです。
確かに、この両霊場の建物や遺跡の保存状態もよく、ごみなどもなく、気持ちよく参詣出来たことは、それを管理する方のご苦労も含め、何時までも後世の人に引き継がれるように祈っています。