4月6日、新聞の”桜だより”によると、七分咲きとのことで、行ってみることにしました。(4月7日の朝刊では、満開でした)
また、西国三十三か所十三番札所でもあり、まだ納経帳に記載していませんでしたので、花見を兼ねて行ってきました。
巡礼を思いついて大分経つのですが、どちらがついでか分からなくなり、この調子ではいつ、納経帳を完成出来るのやら、心細い限りです。
JR石山駅から徒歩で石山寺に向かいました。
20数年前に行ったことがあるので、その時の記憶では、近かったように思ったのですが、思った以上に時間がかかりました。
石山寺といえば、紫式部で、ここでも、以前の記憶とは、外れていました。
紫式部が執筆したという部屋は、山の上の舘の薄暗い所と記憶していました。
薄暗い部屋というのは、合っていたのですが、山の上ではなく、本堂の傍の部屋でした。
記憶といものは、案外あてになりません。
先日、某TV番組でも、古い記憶というものは、自分の良いように解釈して、ねつ造され、複数の事項が、絡まって記憶されている場合が多いそうです。
歳(加齢)は、多くの出来事がいつの間にか、頭の中の記憶と記録には、絶対と言うことが出来ないようにしてゆくようです。
話が逸れました。
さて、石山寺の桜は、ほぼ満開でした。
古木にはじけるほどの花びらを寄せ合っている様子は、やっと咲けたという思いがあふれています。
石山寺は、桜だけではなく、四季を通じて、色々な花が境内を飾っているようです。
まだ水仙も咲いており、その横には、すでにつつじが咲いていました。
他に椿、梅、藤、ユリ、もみじもありました。
境内を一回りしましたが、新しい建物などがあり、これも以前より徐々に拡大していったのではと思われました。
紫式部の銅像などは、新しく、その周りもきれいに整地され、新しい柵や道が作られているようです。
帰りは、京阪電車の石山寺駅から浜大津で乗り換え、三条に出て帰るのですが、蹴上で途中下車して、京都の桜の名残を惜しんできました。
その様子は、後日に。