徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

日本にも”ポンペイ”があった???

2006年11月27日 15時55分55秒 | イタリア旅行記

先月のイタリア旅行で印象に残ったものの一つに”ポンペイ”遺跡があります。
時は、AD79年、ローマ帝国の時代、ナポリの近郊のベェスビオ火山が突然噴火し、大量の火山灰を撒き散らし、ポンペイに積もった火山灰は高さ14mに達したと言われています。
街は発掘される18世紀半ばまで、キリスト教が生まれる前から、静かに眠り続けました。

  

ポンペイは、紀元前8世紀にイタリアの先住民族によって造られた街で、当時はローマの貴族の保養地として賑わっており、1万数千人の人々がいたとされています。

余談ですが、1880年、ベェスビオ火山の登山電車の会社は、客寄せに「フニクリ・フニクラ」(登山電車という意味)という歌を作り、当時は世界的に大ヒットしました。

ところで、日本にも「日本のポンペイ」と呼ばれているところが、木曾の奥地にあります。
「帰雲城(かえりくもじょう」跡がそうです。

  

天正13年(1585年)11月29日に、マグネチュード8クラス直下型地震が発生し、山が崩壊して、その土砂が城下町まるごと飲み込み数千人が生き埋めになったとされています。
このため、当時の文献などがなく、その場所さえはっきりしていません。
この天正の大地震の前の近郊の町の地図から、ほぼこの辺りといわれているところに「帰雲城址」の碑が立っています。

この地が、有名になったのは、この辺りに金鉱があり、帰雲城主の内ケ島氏が楠木正成の子孫であり、かなり金塊を貯め込んでいるとの噂が立ったことです。

当時の文献やはっきりした地図もない状態で、未だ城跡らしきものも見つかっていないのに、噂だけが一人歩きしています。


またまた、イタリア事情

2006年11月18日 12時53分03秒 | イタリア旅行記

イタリアには、コンビニがありません。 そして自販機も非常に少ないのです。
屋台で新聞や飲み物などを売っていますが、観光地にはこれらに土産物も売っています。 しかし、観光地以外では、探すのが大変です。

  
                     ローマ市内の屋台              

世界には多くのコンビニがあるのですが、アメリカでのコンビニのベスト10での1位はシェルオイルプロダクツが5937店、2位にセブン・イレブンの5717店などが展開しています。
日本では、セブン・イレブンが1万859店、ローソンが8077店、ファミリーマートが6565店もあり、世界的にコンビニが生活に密着しています。

このセブン・イレブンも世界に展開しているのですが、ヨーロッパでは北欧のスエーデンに74店、ノルウエーに78店、デンマークに47店だけで、他の国にはほとんどないのが現状のようです。

日本では、独自の商品開発や店舗ごとの売り上げがリアムタイムで分かるPOSシステムの導入など、きめ細かな対応で着実に発展してきました。
今、世界のセブン・イレブンを総括しているのが、日本のセブン・イレブン・ジャパンですが、これは米国セブン・イレブンを2005年2月にイトーヨーカー堂が買収したものです。

  サンマルコ広場の土産物屋

でも、イタリアにもマクドナルドは、ありましたが、サービスは非常に悪い。
テイクアウト(持ち帰り)は出来ず、注文を聞いた人が、その準備から商品を渡すまで全部するため、時間が掛かります。
その上、客が次から次に来るため、注文を2,3人分まとめて聞くために、忘れている客もあり、後からの客が先に商品を引き取るというトラブルが耐えません。

聞くところによると、日本のように専業にすれば、自己責任が出来ないということらしいです。
ちなみに、マクドの店舗数が一番多いのが、アメリカの13609店、日本が2位の3774店で、イタリアでは326店ということです。

 尚、これらの数値は、2005年の統計に寄ります。


イタリアの車事情・・・・

2006年11月17日 10時48分51秒 | イタリア旅行記

僕の見た範囲では、イタリアの車は小型車が多く、その中でもベンツが多いようです。
日本では、ベンツは、高級車で中型・大型が多いのですが、イタリアでは、極普通の車のようです。
ベンツに次いでアウデー、GMWが巾を利かせているようです。
その中でも、日本車では、日産が目を引きます。

  
  ローマ市内 小型車が多い      ナポリの市内 ここも車線がない・・・

旧市街地では、道路も狭く、一方交通ですが、ついそこまで行くのにも大回りしなくてはならず、歩いた方が早いのでは?と思われます。
対面交通道路では、道の両端には、ぎっしり車が駐車され、出るのには至難の技です。
以前にも述べましたが、その縦列駐車から出るのには、前進して前の車に当て、後進して後ろの車に当て、その隙間から出るそうです。
そのため、車には、至るところにキズや凹みがあり、ほこりだらけの車が多くありました。

  
  ナポリ市街地              懐かしい三輪車も・・・・・

窓をも開けっ放しで、狭い車内に大きなイタリア人が乗っている様は、少し気の毒なようですが、イタリア人にすれば、走って乗れれば良いようです。
タクシーも小型車が多く、中も決して綺麗とはいえません。
が、タクシーの運転手は女性も多く、運転も荒く、乗っていてヒヤヒヤします。

車線もほとんどが、描いておらず、先を争って走る様は、怖いほどです。
到底、この地での運転は、僕には出来ません。

事故も頻繁に起こっているようですが、殆どが示談で済ませ、余程のことがない限り警察沙汰にはならないそうです。

単車やスクーターの類も多く、道路はまさに戦場状態と言うのは、言い過ぎか・・・・
その中にあって、時々綺麗な大型車をも目に付きますが、これらは殆どが、運転手付きと言うのも、余りにも一般人との差があるようです。 

 


イタリア鉄道事情

2006年11月16日 10時06分47秒 | イタリア旅行記

今、検定と言うのが、流行っているらしいです。
パソコンの検定や語学の検定は以前からありましたが、最近は、世界遺産検定、京都検定など、ご当地検定も増えているようです。

  
 今日の絵は、ベネチュア です。 F10号

時刻表検定は、今年で12回と言う事で、12年前から全国で実施されています。
検定の種類は、第1種・第2種の2種類です。
第1種は、時刻表を日常的に業務に利用している人や趣味として高い水準で時刻表を愛読している人が対象です。 ここには、鉄道マンは勿論、旅行会社などこれが職業に繋がる人が、多く会社での資格認定にもなっているようです。

第2種は、第1種より比較的簡単で鉄道フアンの初心者クラスで、点数によっては3級~5級が認定されています。

一見数字の羅列に見える時刻表ですが、鉄道フアンにとっては、列車の発着時刻ばかりでなく、どの列車がどのホームに到着するのか、どの列車とどの列車がどこですれ違うかなど、様々な情報が織り込まれているの”ドラマ”なのです。

松本清張の「点と線」や西村京太郎のトラベルミステリーなどは、列車の発着を犯罪トリックに使った小説やTVドラマ化されて、人気が高いのは、潜在的な時刻表フアンがそれだけいると言うことなのでしょう。

しかし、この時刻表でのトリックが成立するのも、日本の鉄道が時刻通りに運行されるから、成立することなのです。
                 

イタリアの鉄道事情では、発着時刻の10分や15分の遅延は日常茶飯だそうです。

  
   ミラノ駅 構内                ユーロスター

発車のベルもなく、いつの間にか発車して、車内放送も何を言っているのか分かりません。イタリア語だからではなく、声が低いのです。
イタリア鉄道自慢のユーロスターでもこの有様です。

駅構内には、改札がありません。 構内には、自動車や荷車が行き交い、写真などを撮っていれば危うく衝突されます。
キップは、車内で検札に来ますが、この時にキップを買うことも出来ます。
と言う事は、どこから乗ったのか分からず、検札に来なければただ乗りも可能です。

実に”いいかげん”です。 日本では、考えられません。
これは、何もイタリアだけではなく、日本以外の鉄道は、どこもほぼ同じようだそうです。

 


イタリア旅行記ーその13-

2006年11月15日 09時06分03秒 | イタリア旅行記

イタリアでの最終日は、ミラノで連泊し、いよいよ10月31日には、23日からの長い旅程が終了し、一路日本に帰ります。

  

31日は、ミラノ12時15分発のKLMでアムステルダムへ行き、そこで乗り換え、アムステルダム15時15分発で、同じくKLMで関西空港に・・・・・
帰国は、日本時間11月1日の関空着10時20分着で無事帰ることが出来ました。

今回の旅行は、なにか忙しい感じがし、たくさんの史跡や寺院、美術館、景勝地を巡り、正直疲れました。
ローマに到着時は、時差ボケで夜中に目が覚める時が多かったのですが、3,4日で解消しましたが、各都市とも旧市街地は、足元が悪い中徒歩で、おまけに早朝の出発、夜遅くのホテルに帰還は、疲れが序々に出てきました。
帰国後は時差ボケは、それ程でもなかったのですが、足腰の疲れだけが残りました。

まだまだ、見たりないところが多くあり、イタリアの国自体が、人類の歴史を受け継ぎ、世界の歴史が凝縮されている国であると再認識させられました。
”ローマは一日にしてならず”とはよく言ったものです。

  
     ミラノ市街                  ミラノ・ブランド街

このイタリア旅行記も、無事終了することが出来ました。
今度は、もっとゆったりとした旅行がしたいものです。
観光旅行も良いのですが、心身ともに静養出来る旅行を探そうかとも思っています。

イタリア旅行では、色々な物を見聞きしましたが、機会があれば、それらを又載せて行きたいと思っています。

 


イタリア旅行記ーその12-

2006年11月14日 10時26分53秒 | イタリア旅行記

ミラノ市内見物も最初のスフォルツェスコ城を後にして、スカラ広場にやってきました。
スカラ広場に面して、かの有名なスカラ座があります。
外観は、何の変哲もないシンプルな建物ですが、内部は豪華絢爛だそうです。
内部の見学は出来ませんが、このスカラ劇場のこけら落としが1778年と言いますから、なんと日本では江戸中期に当ります。

  
      スカラ座                ガレリアの入り口

スカラ広場の市庁舎を横に見て、ビットリオ・エマヌエーレ2世のガレリアのアーケードを通りました。アーケードと言っても日本にある商店街のアーケードとは、規模が違うようです。床のモザイクと天井のガラスが美しいショッピングアーケードです。

  
    ガレリア 内部              ガレリアの通り

このアーケードを抜けると、目の前に大きなドゥオモが我々を圧倒するように尖塔が林のように複雑に立っています。
内部には、ステンドグラスが美しく、この一つ一つが、キリストの生誕からの聖書の物語が綴られています。
この教会には、誰でもが入れます。持ち物検査もなければ無料です。 

  
   ドゥオモ 尖塔               ドゥオモ内のステンドグラス

この教会には、エレベーターが付いており、ここからドゥオモの屋根(テラス)に昇ることが出来ます。これは有料ですが・・・・
まさか、教会の屋根に昇ることが出来るとは思いませんでした。
日本のお寺の屋根に昇るようです。 少し恐れ多いようでしたが・・・・
眺めはは素晴らしく、外被、複雑な尖塔やその尖塔の上には聖母像が飾ってあり、身近に見ることが出来ました。

  
   ドゥオモの屋根 テラス           テラスから広場を望む

昼食の後は、自由行動となりました。
このイタリア旅行の最後の自由行動で、各人それぞれミラノの百貨店やブランド街の散策となりました。

このブランド店が集まる通りを歩きましたが、店は高級感が漂っており、店の中には入りにくい感じがしました。 ウインドウショッピングで済ませました。
朝から歩き通しで、疲れました。
早々にタクシーでホテルまで帰り、イタリア最後の夜を過ごしました。


イタリア旅行記ーその11-

2006年11月13日 18時53分50秒 | イタリア旅行記

この2,3日、急に寒くなってきました。 現在の日本の話です。これが平均気温だそうですが、今までが暖かく、昨日からコタツやストーブを出しました。但し、まだ使うほどではないのですが・・・・

                 
さて、イタリアで旅行も大詰めを迎えました。
10月30日、今日も天気が良さそうです。
 でも今日も暑そうです
ローマに着いてから、暖かいと言うより暑い日が多くありました
事前に調べた気温では、21℃~24℃くらいでしたが、この旅行中は、25℃~28℃と平均気温より高く、長袖を多く持ってきたのですが、Tシャツでも充分だったようです。

昨日、ベネチャからミラノまで約270Kmのドライブでミラノ泊まりでした。
このホテルには、日本のTV放送が見ることが出来ました。
日本国際放送と言うもので、日本から海外向けに放送されているものですが、主にNHKの放送内容が多いようです。 
イタリアに来て始めての日本語放送は、”ちびまる子ちゃん”でした。
他は、日本の風景や生活習慣など、懐かしいものが多くありました。 

ミラノと言えばファションで有名ですが、市街地にはローマと同じように落書きあり、自動車は運転マナーは悪く、予想に反して当初の印象は、余り良くありませんでした

  
   スフォルシェスコ城             さしずめ日本の櫓

まず最初に訪れたのが、スフォルツェスコ城です。
このお城は、1300年代に造られたそうですが、日本にあるお城と同じように、堀があり、城壁は高く、石落としがあり、堀に掛かる橋は、跳ね橋となっています。
丁度、騎馬警察の巡回に巡りあわせて、写真を撮ることが出来ました。

  
    平和の門                 騎馬警官の勇姿

ここからは、パリにつながる平和の門が遠くに見ることが出来ます。
ミラノは、これからスカラ座、ガレリア、ドゥオモ、を見学しますが、これは明日に掲載します。

       


イタリア旅行記ーその10-

2006年11月12日 08時22分48秒 | イタリア旅行記

10月29日、今日も天気が良かった。これで旅行中、晴れ続きです。 
後、残すところ観光の日は、今日を入れて二日となりましたが、明日も晴れるように願っています。

運河の前のホテルを出て、大運河にあるドゥカーレ宮殿に向かうのには、水上タクシーなるものです。
この街は、陸路は、細い裏道以外すべて運河で結ばれています。

  
   ベネチュア湾               溜息橋  

大運河に望むドウカーレ宮殿に着き、まず「溜息橋」を見ました。
溜息橋というのは、犯罪者が刑場に向かうときに渡る橋で、受刑者が、ここで”溜息”を付く事から呼ばれたそうです。
この宮殿内を見学し、ここのバルコニからサン・マルコ広場を見下ろしました。
ここから、見ると自分が王様になったように、何か背筋が伸びます。

  
   サン・マルコ寺院                サン・マルコ広場

サン・マルコ寺院は、ローマやフイレンツエと違ってビザンチン様式の建築で又異なったイスラム教のモスクのような外観でした。

サン・マルコ広場から大運河方面のサン・マルコ湾を望むと、対岸のサン・ジョルジョ島や税関所跡がかすかに浮かんで見えるのは、なんとも幻想的な姿が浮かんでいました。
この風景は、あまりな美しさは、古典的で絵画的でした。

 

ここを後にして、ゴンドラに乗って、水上タクシーとは違う一面を乗せて、カンツオーネを聞きながら、ベネチャの奥、裏側まで遊覧を楽しみました。

  ゴンドラが行き交う運河

 


イタリア旅行記ーその9-

2006年11月11日 09時26分47秒 | イタリア旅行記

ピザからフィレンツェに戻り、今までのツーアー一行と合流して、28日の午後は、ベネチアに向かいました。

その前にフイレンツェの街が一望出来るミケランジェロ広場に立ち寄りました。
ここからは、絵葉書にある風景が広がっています。
天気も良く、昨日に見てきたウフイッツィ美術館、ドウオモ(花の聖母教会と言うらしいです)、アルノ川に渡るベッキオ橋、ジヨットの鐘楼が、中世の姿そのままに望まれました。

   
    ミケランジェロ広場からフイレンツェの街を一望

        パノラマ

かすかに遠方はかすんでいますが、イタリアの街の象徴がパノラマで見れることは、素晴らしい光景でした。

このミケランジェロ広場を後にして、約255Kmのドライブをして、今夕ベネチュアに着きました。

  ホテルの窓から

このベネチュアのホテルへ行くのには、やはり市街地にはバスで入れず、ローマ広場から徒歩で約10分かかりました。 ホテルの窓からは、運河に掛かる橋やバールで一杯飲んでいる人達の声が響き、遅くまで賑やかでした。

 


イタリア旅行記ーその8-

2006年11月10日 09時52分58秒 | イタリア旅行記

10月28日、今日は、オプションツアーでピサの斜塔観光です。
フイレンツェから車で、他のツアー客と一緒に、約1時間かけて行って来ました。

普通、ピサの斜塔だけかと思っていましたが、回りは大きな広場になっていて、ドゥオーモと洗礼堂、サンタ・マリア・デイラ・スピーナ教会があり、そのそばにピサの斜塔(鐘楼)がありました。

  
   手前が洗礼堂、教会・斜塔の順     5階部分が修正されています

この斜塔は、一時崩壊の危機にあったそうですが、日本人の設計・施行で崩壊が免れたとか・・・・・
どうして、このような斜塔が出来たのかは、定かでないそうですが、詳説があり、ガリレオ・ガリレイの発案とも言われているそうです。

洗礼堂の中は、大きなガランドウになっていて、音や声が綺麗に反響します
そこで、歌手が、歌ってくれましたが、耳を澄ますと声がこの洗礼堂に響き天から聞こえてくるようでした。
この洗礼堂の中央の台には、昔の衣装やパンが飾ってありました。
これらを巡る回廊には、昔の墓があるそうです。

  
    洗礼堂の内部                   教会内部

この広場の周りには、日本の観光地と同じように多くの土産店が出ています。
黒人が皮のベルトを腕に抱えて売っていましたが、聞くところに寄りますと、この中には多くのスリが潜んでいるようです。
めぼしをつけた観光客の周りに、数人が取り囲み、売るようなそぶりをして、たの者が、スルようです。 
実際、同じツアーの一人の人が取り囲まれていましたが、直ぐに抜け出したのを見ました。 本人は、非常に怖かったそうです。

スリや置き引きなどは、イタリアに限らず、日本ほど安全ではないそうです。
食事でトイレに立つ時、日本では何気なくイスにバッグを置いていきますが、これが一番危ないそうです。
リュックなどは、後ろにあるため分かりにくいのですが、中身をスラレル危険性が大で、荷物は、肩から下げて前に置いておかなくてはなりません。

日本も最近、色々治安が問題視されていますが、まだましと言うより、どの国より、安全だそうです。