日本三名園の一つ後楽園に隣接する岡山城は、別名 ”烏城(うじょう)” または ”金烏城(きんうじょう)”とも言われています。
日本三名園とは、水戸・偕楽園、金沢・兼六園とここ岡山・後楽園です。
別名の由来は、黒い外観から”烏城”、または金の鯱から”金烏城”。
月見橋から天守を望む 金色に輝く鯱
外壁の下見板には黒漆が塗られて、太陽光に照らされ、それがあたかもカラスの濡れ羽色ににていることから”烏城”と言われています。
この壁が黒いのは、戦国時代の名乗りです。
戦国時代に備前西部から美作、備中にかけて勢力を伸ばした宇喜多氏が本拠としたことで、近世城郭の基礎が生まれ、その後小早川氏、池田氏により、現在の形になってきました。
ちなみに、現在の岡山城は、第2次大戦中の空襲で焼失されましたが、昭和41年(1966年)に復元されたものです。
岡山城には、他の城と違う特色が3つある・・・・と岡山城の案内の人から説明を受けました。
前述の黒漆塀が特徴の一つ目で、二つ目の特徴は、2階建ての建物を大中小と三つ重ねてあるということです。
三つ目の特徴は、天守閣が北側に大きく突き出た不等辺五角形をしているということです。
以上の写真 3枚から変形五角形が分かるでしょうか・・・・
岡山城案内図
右下が後楽園に通じる月見橋
少しびっくりしたのですが、この月見橋は、名前は良いのですが、後楽園と岡山城をつなぐ橋としては、すごく無粋であまりにも周りの景色とあいません。
せっかくのこの景観が台無しです。
天守閣には、時間がなく、又足腰に無理が生じないように登城しませんでした。
次回には、時間を取って天守閣にも登りたいものです。