徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

日本の城、もう一つの名前 ⑨ -高松城=玉藻城ー

2013年02月28日 21時20分40秒 | 城郭への展望

2010年5月20日の当ブログには、今でも多くのアクセスがあります。
それは、「高松城天守閣の再建は・・・」と言うものです。
その後の状況は分かりませんが、関心が高いと言うことなのでしょう。

お城の再建を望む声は、なにも高松城だけではなく、各地で観光だけではなく、地域おこしや郷土を見直すという観点から要望が湧いています。
が、再建となると文化財保護法の規制や資金の問題など多くの問題があり、簡単にいかないようです。

  
     月見楼                            玉藻公園の碑     

高松城の別名は「玉藻城」と言われています。
万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と読んだことから、高松城周辺の海域が”玉藻の浦”と呼ばれたことに由来するとされています。

高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後、天正15年(1587年)讃岐一国の領主となった生駒親正によって、”野原”と呼ばれた港町に築かれました。
現在の遺構は、江戸初期、徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松に移封された松平頼重によって改修されたものです。

 

 明治以降の都市化によって現在は、海側に新しい道路が通り、ほとんどの建物は取り壊されました。最盛期に比べ現在は約1/8の8万㎡に減少しました。                          

     
     
 城の北東部にある月見櫓                 再建が取りざたされている天守台                    

      
  城内にある重要文化財の被雲閣は当時の1/3に。  海側に道路が出来、城が削られました。 
         上記、4つの写真は、JRホテルクレメント高松から撮影しました。

 

城郭の形式は輪郭式平城で本丸を中心に二の丸、三の丸、北の丸、東の丸、桜の馬場、西の丸が時計回りに配置され、三重に堀が回されていました。

かっては、城壁が瀬戸内海に直接面し、外濠、中濠、内濠の全てに海水が引き込まれ、城内に軍船が出入り出来るようになっており、日本初の”海城”です。

 なお、高松で名高い栗林公園は、頼重の隠居所として城の南西に造築されたものです。


トラ、侍ジャパンを完封リレー、深刻な打撃不振・・・

2013年02月27日 09時16分44秒 | 野球・タイガース

侍ジャパンを相手に、伊藤隼太のタイムリーによる1点を守り、投手陣は完封リレー。

全日本の2番に鳥谷がセカンドで先発しましたが、4打数無安打に終わり、少々残念でした。
鳥谷の打席には、複雑な気持ちになります。
ただ、守備では良いところを見せ、打撃の不振をカバーしました。

打撃不振は、両チームに言えますが、特に日本代表の不振は深刻です。

  
      
  5回、コンラッドの四球を小宮山が送り、9番の伊藤隼がセンターへ適時打 


24日のオーストラリア戦では13安打で大勝したので、その勢いがそのまま出てくると思ったのですが、トラの投手陣に散発3安打は、メンタル面の問題だけでしょうか?

両チーム先発のメッセンジャーと内海は、3回を予定通り好投しました。
問題は2番手以降の投手陣にあります。

          

2番手以降の日本代表の投手は、一流と言われる投手です。
が、トラの2番手投手は、残念ながら2軍クラスであり、それを打ちあぐんでいる日本代表の打者には、重圧が影響しているのでしょうか、本来のスイングが出来ていないようです。

攻撃にリズムがなく、淡白の攻撃の繰り返しで、この状態では、3連覇は難しいのではないでしょうか?
トラにも同じことが言えます。
打撃のリズムも大事ですが、守備も同じことが言えます。

5回に適時打した伊藤は、その直後の6回の守備で上本と衝突し、上本がタンカーで運ばれ、その状態が心配ですが、これも好事魔多しというべきか、どちらも不慣れな守備位置とは言え、声をかけると言う原則がなかったのでしょうか?

上本の深追いも問題ですが、後ろ向きの上本に対して、前に走ってくる伊藤がもっと大きな声やしぐさが出来なかったか、これも守備のリズムが大事と言うことなのではないでしょうか?

どちらにしても、侍ジャパンの巨人勢の不振は、明後日の巨人との強化試合で不振を脱出機会になるか、注目したいものです。

 


トラ、オープン戦初戦を飾る・・・代打大谷、投ゴロ併殺打

2013年02月23日 17時06分23秒 | 野球・タイガース

昨日、キャンプを打ち上げ、今日からオープン戦が始まりました
最初の相手は、日本ハムで、オープン戦から大谷が代打で出ると報道されており、何時、どのようなタイミングで出るのか注目されました。

試合は、先発、岩田と武田勝で始まりました。
武田勝は、1回から新井良の適時打、2回、上本、大和のヒットと上本がボークを誘い、3失点、3回もマートン、コンラッド、伊藤隼の3連打などで2失点と散々な出来でした。

この勢いが5回にもマートンのヒットとコンラッドのホームランで2点を加算し、4回を除く毎回の21安打、15得点と大量得点となりました。

と言っても、まだオープン戦が始まったばかり、勝った負けたとか云って一喜一憂しておられません。
開幕まで如何に調子を上げ維持してゆくかが、これからの課題です。

  


特に、上本、大和の1,2番の活躍は、目を見張るものがあり、上本と西岡とのセカンド争いは楽しみになってきました

4番候補は、新井良を始め、マートンや鳥谷、調子が戻れば新井貴とも云われていますが、コンラッドの打力も捨てがたいところです。

投手陣も2番手以降の伊藤和、白仁田、高宮ともに失点し、まだまだ本調子でなさそうです。
高宮や藤原は、今後も出番があれば頑張ってほしいのですが、今一つ気迫に欠けるのが気がかりです。。

それにしても、キャンプから心配されている投手陣全員に元気がありません。
1軍入りに向けて、打撃陣の頑張りに比べて、投手陣の動きが悪いのが心配です・・・・・

 
  1回 新井良のレフトへ1点先制          5回 コンラッド オープン戦1号2ラン


大谷は、4回、1アウト満塁で代打で出場しましたが、ピッチャーゴロのゲッツーに終わり、プロ初打席は、無念な結果となりました。
あとは、ライトの守備につき、無難にこなしていたようで、2打席目を期待したのですが、7回に代打が出て、結局1打席に終わりました。

 4回、代打大谷 ピッチャーへ併殺打


日本の城、もう一つの名前 ⑧ -会津若松城=黒川城ー

2013年02月18日 10時39分20秒 | 城郭への展望

NHKの大河ドラマの「八重の桜」は、会津藩の国元のお城は会津若松城で、幕末には官軍の砲撃によって、お城は大きく傾きます。

大政奉還の舞台となった二条城とともに、江戸時代の幕引きとなったのが、この会津若松城と言えるでしょう。

このお城の落城とともに江戸時代は終わりを告げるのです。
その意味においても、この会津若松城は、日本の歴史上需要なお城の一つです。


本来は、若松城ですが、地元では一般的に鶴ケ城といい、地元以外では、会津若松城と呼ばれることが多く、文献上は黒川城とか会津城とされています。

国の史跡としては、若松城祉の名称で指定されています。

以上の他、会津鶴が城とも云われ、多くの名前を持っています。

  
     復元・整備された鶴が城              生々しい砲弾跡が残る鶴が城の走り長屋


若松城は、至徳元年(1384年)葦名直盛が造った「東黒川館」が始まりと言われ、後に会津領主の葦名盛氏が改築し、現在の城閣の原型を築き、その時の名前は「黒川城」でした。

 文禄元年(1592年)、黒川城に入った蒲生氏郷は、大大名として相応しい近世城郭に改造し城下町を整備し、町の名前も「黒川」から「若松」へと改名しました。

この「若松」という名前は、氏郷の出身地、現在の滋賀県蒲生郡日野町にある蒲生氏の氏神の参道にあった「若松の社」に由来し、同じく領土であった松阪の「松」という文字も由来していると言われています。

文禄2年(1593年)望楼型7重(5重5階地下2階)の天守が完成し、名を「鶴ケ城」に改められました。
なお、望楼型7重と言いながら実際は5重なのですが、比喩言葉で7重とは、幾重にも重なるという意味があります。

 会津藩の悲劇などと言われるのは、幕末、松平容保が京都守護職に就任した時から始まります。
慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発、やがて戦火は会津へと移りました
城下は戦火に見舞われ、白虎隊の悲劇が生まれ、約1ヶ月に及ぶ籠城戦を耐え抜いた鶴が城は奥州一の名城として、天下に知られました。

その名城も明治政府陸軍省の命により、明治7年に取り壊されました。
その後、旧藩士らの尽力により、陸軍省から払い下げられ、昭和9年には国から史跡として指定され、昭和40年に、昔の姿そのままに復元されました。

  
   現在、復元された鶴が城               戊辰戦争後の鶴が城には、鯱はありません。


その姿に、不明なところがただ1点あります。
現在の天守閣には、鯱が上げられていますが、明治初年の古写真には鯱がありません。
これを理由に平成22年(2010年)の改修工事に合わせて、鯱を取り外すべきという意見がありました。
江戸時代の絵図には鯱が描かれているものもあり、正確なところは不明だそうです。


トラ、若手の活躍で大勝・・の筈が投手陣に課題

2013年02月16日 19時01分29秒 | 野球・タイガース

中日との練習試合が沖縄・北谷公園野球場で行われ、トラの若手の活躍で大勝しましたと言いたいのですが、終盤追い上げられ、雑な試合となりました。

練習試合だけに若手に生き残りやアピールをするためのプレーの筈なのですが、打撃は兎も角、投手陣に課題が残りました。

トラの先発は榎田でしたが、2回3失点、スタンリッジも2回1失点、鶴は1安打無失点に押えたのですが、伊藤和は、1回2/3 7安打2本塁打を打たれ7失点。
白仁田もピリッとしませんでした。

5番手6番手の投手が中々決まらないようです。
何しろ19安打され、11失点。

若手中心の打撃陣はまずまず好調でした。
コンラッドのソロ、伊藤隼の3ランを含む4安打、日高も代打で一発を打ち、4番新井良も3安打、等で23安打15得点。

             1  2  3  4  5  6  7  8  9       
        T    0  0  2  6  1  3  1  0  2  =  15  
        D    0  3  0  1  0  0  3  4  0  =  11


昨年、苦しめられた中日相手だけに、開幕まではまだまだ日数があるとはいえ、練習試合と言えども、そして、若手中心と言えども、また追い上げられたとはいえ勝てば悪いはずがありません。

若手だけではなく、チーム全体で、中日とはオープン戦の2試合を連破して昨年の苦手意識を払拭して欲しいものです。

   
   4回、チーム初ホームランを放つコンラッド      4回、ライトへ3ランの伊藤隼   

 
  5回、代打日高のソロホームラン       今年から先発予定の榎田 2回5被安打3失点では?

 


日本独特のバレンタインデー・・・・

2013年02月13日 19時45分42秒 | 独り言・社会・ニュース

バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼるそうです。
ローマ皇帝、クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止したのですが、キリスト教司祭のバレンタインは、秘密に兵士を結婚させたが捕えられて処刑されたそうです。

処刑の日が2月14日で、キリスト教徒はこの日を祝日とし、恋人の日となったというのが一般論です。
恋人たちの愛の誓いの日とされ、世界各地で様々なお祝をしています。

  水彩画 F8号
          昨年 訪れた金比羅さんを描きました。


日本でのバレンタインデーとチョコレートとの歴史の起源については諸説あり、確たるものはないようです。
昭和30年代には、バレンタインデーの贈答にチョコレートとする意識はまだなかったようです。

日本の社会への定着は何時、どのようにして展開していったのでしょうか?
デパート各店がバレンタインデーの普及に努めたいたのですが、なかなか定着しませんでした。

しかし、1970年代後半に、女子が男子に親愛の情を込めてチョコレートを贈るということが契機になって、日本独特の習慣が生まれました。
1980年代になるとホワイトデーとか義理チョコが生まれました。

ホワイトデーの起源としては福岡県の和菓子屋・石村萬盛堂がキャンペーンし、返礼にマシュマロデーと名付けたことによるとされ、1979年には、他の菓子店と協同で「ホワイトデー」という名称を用いたとされています。

                   

1980年には第1回「愛にこたえるホワイトデー」キャンペーンが行われ、全国飴菓子工業協同組合では、1984年をホワイトデー定着の年としています。

欧米では、男性や女性も、花やケーキ、カードなど様々な贈りものを恋人や親しい人に贈るという日となっており、日本に見られるような、ホワイトデーの習慣はありません。
まして、日本のバレンタインデーにおける、職場における贈答習慣とかキリスト教との直接的関係はほとんど意識されていないのも日本型の特徴です。

チョコレートを贈る習慣は、19世紀後半のイギリスではじまったとされていますが、欧米ではチョコレートだけに限定されているわけではありません。
まして、女性から男性にという習慣も日本独特なようです。

日本独特の「バレンタインデー」とは・・・
○ 贈答品はチョコレートが中心
○ 女性から男性にという一方通行な贈答
○ 女性が男性への愛情表現の機会だと認識されている。




トラ、今季 最初の対外試合を制する

2013年02月10日 16時48分03秒 | 野球・タイガース

キャンプ中、今季初の対外練習試合を若手の活躍で勝ちました。
練習試合と言え、内容的にも理想的な展開で勝てば、それに越したことはありません。
自分の仕事をすれば勝つことが出来ることの証明になったと同時に、自信につながれば良いのですが・・・・

勿論、これで万事うまくいくとは思いませんが、昨年の悪夢を少しでも払拭してゆき、開幕を迎えて欲しいものです。

 
 


先発の岩本は3回を2安打、無四球、無得点に押え、2番手の伊藤和も予定通り3回を2安打、無得点に押えました。
日本ハムには、3番 陽、4番 中田、5番 稲葉と本番さながらのオーダーでしたが、この3人を押え込みました。
3番手の松田は、中田にレフト前、稲葉にセンターへ2ランを打たれましたが、大和のフアインプレーなどで、2回、2失点としました。
思った以上に良かったのは伊藤和でした。
岩本も松田も、これからの成長が楽しみです。

  
   インタビュー受ける岩本                    好投した伊藤和               


打撃陣も負けていませんでした。
大和の3安打、新井良の2ベースを含む2安打、先発したマートンもコンラッドも安打を打ち、最初の試合としては、まずまず満足出来る内容でした。

注目のコンラッドは2回、左打席で1,2塁間を抜きましたが、3回、右打席でセカンドゴロに倒れました。
もう少し見たかったのですが、打つ方はまずまずと思いますが、守備、送球が少し心配なようです。

  
    3回 新井良 三塁線を抜く2塁打 セカンドに盗塁した大和が生還。



上本は安打し盗塁死しましたが、大和はすぐ、その後盗塁するなど、足にもこの二人には期待したいものです。
大和は、今の調子を持続するなら、外野の一角に食い込む事を期待したいです。

一人無安打に終わったのが、伊藤隼でしたが、これからオープン戦を通じて大和らと競い合ってレベルアップして欲しいものです。


中国の大気汚染のPM2.5って・・・・

2013年02月08日 19時57分11秒 | 独り言・社会・ニュース

今、中国の大気汚染が話題になっています。
あの北京オリンピックの時にも北京の空は暗くなり、その後改善されたように思ったのですが、一向に改善されなかったようです。

昨年末に中国にある米国大使館がネット上でクレージーな酷さとして発表したのですが、北京の当局は、そんなに汚染されていないと反発していました。

北京当局の発表と、米国大使館の数値と違うのは、中国当局の測定する汚染物質の大きさがが違うと言うことだそうです。
北京市民からは情報隠しを疑う声が高まってきました。

   
   
 汚染物質が風に乗って・・・・             右端が髪の毛の太さ、左がPM2.5  

つまり、中国当局の数値はPM10以上の大きな粒子の数値を元に計っていたのです。
問題は、大きな粒子ではなく、汚染を測定するのは、それより、もっと小さな粒子を測定しなくてはならないのです。
PM10以上の粒子の測定では、健康被害に対する警告にはならないのです。

中国当局は、市民の健康を守るより、当局の安全と地位を守ることを優先させるために、汚染の実態と関係のない数値で誤魔化していたと指摘されています。

では、今云われているPM2.5とはどんなものなのでしょうか?
日本の環境基準の測定の対象になるものの定義としては、粒径10μm以下のものとされています。
浮遊粒子状物質のなかで、粒径2.5μm以下の小さなものを微小粒子物質(PM2.5)と呼んでいます。
この微小粒子物質は粒径がより小さくなることから、肺の奥深くまで入りやすく健康への影響も大きいと考えられています。

これから黄砂の季節になれば、偏西風に乗って黄砂と共にこの微小粒子状物資が日本上空を覆うと思うと、今まではある程度自然現象として我慢していても、今後はこれでは済まされないようです。

日本では、年平均値15μg/㎥以下且つ1日平均値35μg/㎥以下とする環境基準が2009年9月9日に定められました。
中国では、ある日の北京は、900μg/㎥と日本の基準の25倍以上の値だったそうです。

ちなみに
スギ花粉は、                   0.03mm    
黄砂は、                 0.5~0.001mm
大気浮遊粒子状物質(SPM)        ~0.1mm(粒径)  
微小粒子状物質(PM2.5)       0.0025mm以下   

 

この原因には、工場の排気ガスや石炭による暖房ですが、一番大きなものは、自動車用ガソリンの品質の低さが起因していると指摘されています。 
そこで、中国でも2017年末までに排ガス規制に対応する基準を決めて行くように進めるとしています。

日本では昭和43年に大気汚染防止法が制定され、工場の排気ガスや自動車の排ガスを法律で規制しています。
排ガスの少ない低公害の自動車や火力発電所も燃料の中で硫黄酸化物及びすすの出さない天然ガスを使用する割合を増加させています。


今年のタイガースは・・・キャンプは順調か・・・・

2013年02月06日 12時05分19秒 | 野球・タイガース

大阪での平均気温も数字的には、寒さは底をつき、立春も過ぎ、徐々に気温も上がってきてるとは言え、まだまだ寒い日が続いています。
その中、プロ野球のキャンプが熱を帯びてきました。

今年で11年目を迎えたタイガースの沖縄・宜野座村野球場でのキャンプも今日で6日目を向かえ、第1クールが終わり7日は休みです。
昨年の1軍のニューフエイスと言えばルーキーの伊藤隼、伊藤和の2人だけだったのですが、今年のニューフエイスは、7名と増えました。
今年のキャンプは、この7名の動きが焦点となっています。

 

    
           キャンプ 初日 和田監督                            



その中でも一番の話題は、藤浪の動きです。
今までは新人としてのメニューだったのが、第2クールからは、みんなと同じメニューとなるようです。
期待が大きいだけに、これからの起用が楽しみです。

次に注目の選手は、西岡と福留でしょう。
報道では、2人ともチームに溶け込みんでいるようです。
西岡などは、安打性のあたりでは6割を超えているとか・・・・
福留もインタビューで、3割と出塁率4割を目標にするとか・・・・

 

  
   鳥谷と西岡の新二遊間コンビ          注目の藤浪  



次に注目は、外人のコンラッドです。
スイッチヒッターとして、試合に生かせるか、長距離打者なのか、中距離打者なのか、何番を打つことが出来るかが、このキャンプで見極めることが出来るのでしょうか?

  
    新助っ人 コンラッド                      球児の後釜と言われている松田


ファンの楽しみは、先発オーダーをどうなるかです。
昨年ブレークした大和、上本は・・・
新井兄弟は・・・・
キャッチャーは誰が正妻として、マスクをかぶるのか・・・
早くも開幕が待ち遠しいのですが、今の調子がそのまま鵜呑み出来る訳ではありません。
まずは、怪我がなく、それぞれの持ち味を出して欲しいものです。


今日は、グランドコンデションが悪いと言うことで、当初は宜野座ドームでしたが、朝10時半過ぎには、メイングランドに戻っての練習となりました。
今年は、今までは天候に恵まれ、全体的にまずまず順調だそうです。

早くも10日は、日ハムと、11日には韓国のLGとの練習試合があります。
22日のキャンプ打ち上げまで練習試合は6試合組まれており、23日からは、日ハムとのオープン戦があり、26日のWBC日本代表、27日はWBCキューバ代表との試合があります。

 


映画「ストロベリーナイト」

2013年02月02日 11時17分50秒 | 映画・社会

誉田哲也の人気ミステリー小説「姫川玲子シリーズ」を原作にしたテレビドラマの劇場版。
最後の場面以外、どのシーンも雨の中でストーリーは進んで行くのがこの映画の特徴なようです。

雨の音としたたる滴の音が、この映画のBGになり、登場人物の心情を表しており、一つのリズムを出していました。
ストーリー自体が暗いものなのですが、その雨で余計に暗くなると言うことがなく、それが余計に緊迫感を出していたようです。

さて、ストーリーですが、警視庁捜査一課の女刑事・姫川玲子(竹内結子)がやくざを狙った連続殺人事件に挑む内容です。
その女刑事と暴力団幹部(大沢たかお)との禁断の恋と警察の隠ぺいが複雑に交錯し、もつれ合う事件の真相はどうなのでしょうか?

   

姫川が率いる姫川班は、管轄内で起きた4人の殺人事件を担当することになります。
警察が合同特別捜査本部を設けて捜査に臨む中、当初は、暴力団の内部抗争として捜査を進めますが、姫川は、それに疑問を感じます。
そんな中、犯人は柳井健斗(染谷将太)というタレコミがあるのですが、上層部は、それを無視するように命令します。

それに納得しない姫川は単独で捜査を続けて行きます。

  
  移動したはずの井岡(生瀬勝久)も捜査会議に   マキタとの出会いも、雨が・・・・・       



菊田(西島秀俊)を始め、姫川の部下、石倉(宇梶剛志)や葉山(小出恵介)ら姫川斑メンバーは、姫川の単独行動をサポートします。
その中で、事件は、柳井の家族を襲った9年前の事件が発端と知り、柳井の知り合いというマキタという男に出会います。
それが、龍崎組若頭補佐、極清会会長の牧田勲(大沢たかお)で、この出会いが大きく姫川の人生を変えていきます。

警察の威信を揺るがし、捜査は思いがけない方向に進んでゆきます。

なぜか、結末の画面には、雨もあがり青空が広がっている公園。
捜査方針に背いた姫川班は、分裂し、それぞれ所轄に配属され、姫川班の最後という触れ込みですが、いずれ集結して姫川班が復活するだろうと感じさせるラストシーンでした。