徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

"師走”の語源

2009年12月29日 14時08分56秒 | 独り言・社会・ニュース

今年も残り少なくなりました。
1年、経つのが早く感じるか、遅く感じるかは、人それぞれです。
一般的に若いころは、日にちが経つのが遅く感じられ、歳をとるしたがって早く感じられると言われています。

また、早く感じるか、遅く感じるかは、その1年が充実した1年であったかどうかでも変わるのではないでしょうか?
何をしたとか、何かを成し遂げたとか、また何かをしたいものがあれば、1年は短く感じられるもののようです。

  
   今年の思い出・・・ニュージーランド、トランツアルパイン号・・・

12月は、陰暦で”師走”ですが、なぜ、このような”師走”という言葉になったのでしょうか?
有力な説は、「師匠の僧がお経をあげるのに東西を馳せる月だから・・・」と言われていますが、では、なぜ、師匠の僧が、走り回らなくてはならなかったのでしょうか?
僧だけではなく、あらゆる師匠、先生と言われる人であれば、ある程度分かるのですが・・・・

12月は、師走の他に「師馳」とも書かれています。
「師走」の字があてられたと考えられていますが、他に「年が果てる」意味の年果つ(としはつ)が変化したものとも云われています。

また「四季の果てる月」を意味する「四極(しはつ)」からとか、「一年の最後に為し終える」意味から「為果つ(しはつ)」からと、いろいろ語源があり、正確な語源は分からないのが実情なようです。

今年の当ブログは、今日で終わりたいと思います。
内容的にも、まとまりのつかないものになりましたが、要は思いつくまま、気の向くままなもので、これに付き合って頂き、有り難く、感謝申し上げます。
お陰様で、アクセスランキングも134万件中、3000位から5000位をキープし、1日の閲覧数も500~1000件と多くの方に見て頂いているのは、僕自身も驚きと同時に励みにもなりました。
改めて御礼申し上げます。
良いお年を・・・・そして、来年もよろしくお願いいたします。


 


今 梅田は・・・・

2009年12月26日 15時10分37秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

 昨日、所要があり梅田にでました。
JR大阪駅周辺や阪急百貨店は、変貌の真っ最中です。
あらゆる所が、工事中で、行くたびに通路は迷路になっているようです。

大阪駅の工事もいよいよ佳境に入り、駅を覆いかぶさるドームも姿が見えてきたようです。
下記の写真は(11月末現在の大阪駅の様子)、”ゴリモンな日々”から拝借させて頂きました。

  
                                                                      完成予想図

   新北ビルのロゴ

詳しくは、下記からご覧ください。 
http://gorimon.com/blog/sb.cgi?month=200911

昨日の様子は下記の通りです。僕が撮れる範囲での撮影ですので、あまり上手くは撮れていませんが・・・・・

  
   アクティ大阪の大丸 増床工事     北ビルを、阪急歩道橋から

  
  阪急百貨店、建て替え工事の北棟        阪急百貨店のコンコース
  阪神百貨店とつながる歩道橋から    天井は、コンクリートがむき出しです。

大阪駅の新北ビルは平成23年春(2011年)に竣工予定。
ドームは、2011年冬の竣工予定。
 大阪駅開発プロジェクトのHPは、
  http://www.2011osaka.com/ 

阪急百貨店は、1年遅れの2012年にグランドオープンだそうです。

 http://www.h2o-retailing.co.jp/gp10/tatekae.html


九州旅行 五日間 ⑪ -熊本城本丸御殿ー

2009年12月24日 09時27分38秒 | 旅行・観光

本丸御殿は、西南戦争直前に天守閣とともに焼失しました。
本丸御殿には、藩主の居間、対面所(接客の場)や台所等の機能が備わっていたのですが、復元された御殿には、大広間(対面所)、数寄屋(茶室)と大台所があります。

障壁画のある「昭君之間」「若松之間」、巨大な小屋組を見ることができる「大台所」などが見どころです。

本丸御殿は、延床面積は、2951㎡、54億円かけ、平成20年4月から一般公開されています。

      

 昭君之間は、加藤清正が豊臣秀頼を招くために造られたとも言われています。

 <!-- 熊本城 本丸御殿① -->

 

 <!-- 熊本城 本丸御殿② -->

 


光のフエスティバルと中之島公会堂内部

2009年12月23日 16時22分57秒 | 旅行・観光

大阪に所要で出かけたついでに中之島で開催している光のフエスティバルを覘いてきました。

中之島を中心とする”光のルネッサンス”と御堂筋を中心とする”御堂筋イルミネーション”との二つの光の祭典が競合して開催さえています。

  

”光のルネッサンス”の主催は、OSAKA光のルネッサンス実行委員会で、主体は大阪の主要企業が協賛しています。
御堂筋イルミネーション”の主催は大阪府で橋下知事の肝いりで、開催されているものです。

   
  公会堂 3階 特別室      3階 中集会室        1階 大集会室

これらを全部見るには、まず御堂筋を本町から淀屋橋まで歩き、淀屋橋から中之島公園を巡れば、良いのですが、それ以外にも、OAPプラザやウエストライトパークと言って堂島川の大江橋あたりもイルミネーションがあるようです。
今回、僕の場合は、時間的制約があり、中之島公会堂と市役所辺りを中心に見てきました。

都合良く、この日は、大阪市中央公会堂の内部が見学出来ました。
3階の中集会室、特別室の内部は、大正時代のネオ・ルネッサンス様式の歴史的建築物で、国の重要文化財に指定され、見ごたえがありました。

   
          公会堂 中集会室内のステンドグラス 装飾柱など

外に出るとまだ空には明るさがあるものの、イルミネーションが鮮やかに浮かびあがり、人出も増えてきて、フエスティバルの活気が出てきました。

  
   大阪市役所                  御堂筋、淀屋橋から本町方面を


   <!-- 中之島イルミネーションストリート -->


後で分かったのですが、中之島図書館では、光と音楽のエンターテイメントショーや市役所の正面玄関では、コンサートが時間によって演奏されているそうです。


九州旅行 五日間 ⑨ -熊本城ー

2009年12月21日 10時33分50秒 | 旅行・観光

四日目

指宿から鈍行で鹿児島中央駅に向かいました。
1時間11分のローカル線の旅で、のんびりと鹿児島の車窓を楽しみました。

   
                   在来線 鹿児島中央駅  同 新幹線の駅

鹿児島中央駅から九州新幹線で新八代駅へ、そこでリレーつばめに乗り換え熊本に着いたのが12時前。

  

熊本城の見えるレストランで昼食をとって、今回の旅行の目的の一つの熊本城と新装なった本丸御殿見学へ。

熊本城は、三大名城の一つに数えられています。
三大名城とは、熊本城、姫路城、大阪城、または熊本城、姫路城、名古屋城だそうです。

  

熊本城は別名”銀杏城”ともいわれ、本丸のそばに大きな銀杏の木が立っています。
熊本城は、加藤清正が慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけて築城されたといわれています。
大小天守は、明治10年(1877年)の西南の役で焼失したものを昭和35年に再建されました。
しかし、焼失を免れた宇土櫓他12の建造物は、昔の面影を残しています。
これらは、国の重要文化財に指定されています。

日本のお城には、いくつも行っているのですが、三大名城と言われるだけあって、面積もそうですが、お城としての雰囲気があるようです。

寛永9年(1632年)に加藤家が改易され、豊前小倉城主 細川忠利が熊本城主として入城しました。
細川忠利の父は細川忠興、母は、明智光秀の娘 玉(ガラシャ)で、以降、明治まで細川家が、熊本城主となります。
あの元首相の細川護煕氏は、その末裔です。

次回は、新しく出来た、本丸御殿を紹介します。
 


九州旅行 五日間 ⑧ -知覧・西大山ー

2009年12月16日 13時04分14秒 | 旅行・観光

薩摩半島を南下して”知覧”に向かいました。
知覧は、九州にある8市町の一つ”小京都”です。
知覧の他に佐賀の伊万里とか大分の日田などです。

小京都は、全国に53市町があるそうですが、歴史を秘めてたたずむ史跡や往時の面影をとどめる街並みなどが残っているところです。

江戸時代、知覧は薩摩藩の軍事行政上の拠点で、武家屋敷群が残っています。
また、太平洋戦争時は、知覧飛行場より陸軍の特攻隊員が飛び立ったところでもあります。 ちなみに海軍の特攻隊員は、大隅半島にある鹿屋から飛び立ったそうです。

  

今回の旅行では、武家屋敷群を見てきました。
ここは、島津家の分家である佐多氏が治めており、現在残る武家屋敷群は佐多氏18代島津久峯(1732~1772)の時代に造られたものとされています。

この武家屋敷群は薩摩の典型的な作例の一つで、折れ曲がった通りに沿って連なる石垣と生垣からなる景観で、昭和56年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、そこの庭園は、国の名勝に指定されました。
それぞれの屋敷には、今も人が住んでおり、見学は、その屋敷の門をくぐり、庭を拝見させて頂くというものです。

   
    開聞岳がくっきりと見えました


そこから、薩摩半島の南端にむかい、本州最南端の駅”西大山”で記念撮影をしました。
ちなみに、駅員に居る本州最南端の駅は、その隣の駅”山川”です。
その駅の隣の駅が”指宿”です。
今日の宿泊は、砂風呂で有名な”指宿いわさきホテル”です。
砂風呂や露天風呂を十分堪能してきました。

 


九州旅行 五日間 ⑦ -仙巌園ー

2009年12月14日 08時18分07秒 | 旅行・観光

宮崎自動車道でえびの高原を半周して鹿児島空港を左手に見て(ここには西郷さんが紋付を着た像が立っていました)、鹿児島市内に入り、仙厳園を目指しました。

仙厳園は、磯庭園とも云われ、磯御殿が有名です。
万治元年(1658年)、19代島津光久が別邸として構えたもので、歴代の島津当主によって受け継がれてきました。
27代島津斉興のときに庭地が拡張され、28代島津斉彬は隣接地に集成館を築き、ここが近代化の事業発生地ともいわれています。

ここから見る桜島は、雄大でまさしく鹿児島の象徴ともいえる光景です。
昨年の大河ドラマ「篤姫」の撮影もここで行われたそうです。

     

     

磯御殿は、明治17年(1958年)に大規模な改築が行われ、明治21年から10年間あまり29代島津忠義が本邸として使用していました。
時間があれば、御殿内部も見学出来るのですが・・・・案内がついて1時間ほどかかるようです。

  

仙厳園に隣接して集成館があり、大砲を鋳造した反射炉跡や機械工場などが残されて、重要文化財となっています。
ここも入る時間的余裕がなく、これらゆっくり鑑賞すれば、かなりの時間が必要なようで、一度のツアー訪問では、無理なようです。

 <!-- 磯御殿 -->


九州旅行 五日間 ⑥ -日南海岸ー

2009年12月12日 09時16分11秒 | 旅行・観光

二日目の宿泊は、宮崎県の宮崎観光ホテルです。
が、ここで、今まで多くの旅館・ホテルに泊まったのですが、このような事態と対応に会ったことがありませんでした。

あなたなら、どうされたでしょうか?
それは、最近の世相、特に若いものの考えを反映しているのではないかと思われるような出来事でした。
12時頃から夜中の2時まで、複数の人が大声で騒ぎ、甲高い笑い声がして寝られず、辛抱しきれずにフロントにやめるように伝えました。 
でも、30分経っても騒ぎは収まるようすがなく、再びフロントに電話すると、その係の人曰く「あなたの部屋の真下ですから・・・・なんなら部屋を変わりますか」
騒ぎを認めているような口ぶりで、この夜中になんで部屋を変わらなくてはならないのか? そして「文句を言ってくるのは、あなただけですが・・・・」とまで言われれば頭にきました。 ともかくやめさせたのですが、僕の気持が収まらず、朝まで寝られませんでした。

あくる朝、フロントにキーを渡しに行っても何も言わず、僕はとうとう爆発しました。
「責任者を出せ・・・」と。 
夜中の2時まで、ホテルの部屋で騒いだ人(他の旅行の団体客か?)の常識を疑いますが、それを辞めさせず、迷惑している客を悪者扱いにしたホテルももっと常識はずれで、社員教育が出来ていません。 
どうやら、他からも苦情はあったようです。
旅行で、開放的になって、騒ぐのは良いのですが、場所と時間をわきまえて欲しいものです。 

第三日目

嫌な気分で、ホテルを後にしましたが、いつまでも文句を言っても仕方がないと、切り替えることとし、旅行を楽しむこととしました。

  
  日南海岸 鬼の洗濯板            堀切峠 

車窓からかの有名な宮崎県庁を眺め、大淀川を後にして、堀切峠を目指しました。
ここから、日南海岸が一望でき、太平洋が眺められます。
堀切峠は、ここだけではなく、山形県や広島県など全国数か所あるそうです。
この南国情緒の広大な景色を見ていると、昨晩からの嫌な思いもすっかり忘れてしまいました。

  
    堀切峠                    車窓から高千穂峰

この先を行けば鵜戸神社なのですが、一旦宮崎まで戻り、宮崎自動車道からえびの高原を経て、鹿児島にむかいました。
えびの高原から見る霧島連山も雄大で高千穂峰(1574m)と韓国岳(1700m)が印象的でした。