徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

変貌する大阪駅 -その2-

2007年10月31日 08時58分49秒 | 鉄道のよもやま話

大阪駅のホームは、7面13線あったものが改良工事に伴い現在は5面10線となっています。
将来的には6面11線となる予定です。

  改良前

  改良後
  赤い部分が乗り換え連絡通路で改札内、薄緑の部分は自由通路で改札外

2011年に向けて主な改良工事の内容は、
① 北端の旧10・11番のりばを廃止し、北ビルを解体した上で、新たに駅ビル(新
   北ビル)を建設する。 
② ホーム上に橋上駅舎を建設し、改札口、南北自由通路を設ける。
③ ホーム、橋上駅舎を覆うドーム状の屋根を設ける。
④ 御堂筋口の中2階通路を廃止する。
⑤ エレベーター、エスカレーターを増設する。
⑥ 南側の駅ビル「アクティ大阪」を増床する。

  
     新北ビル 外観               大阪駅の断面図

大きな特徴は、ヨーロッパのターミナル駅のようにホーム全体をスッポリと覆うドームで幅160m、高さ50m、奥行き105mの巨大な駅空間が出現することです。
大屋根は、空の見える開放的なもので、ホームを跨ぐ南北の自由通路は幅10mの広い通路が設けられ北口と南口を結ぶ連絡橋となります。
上からは、広々としたホーム全体が見渡せ、行き交う列車の様子が眺められると言うものだそうです。

新北ビルは28階建ての高層棟(西側)と11階建ての低層棟で構成され、百貨店(三越)、シネマノンプレックス、フィットネスクラブ(コナミスポーツクラブ)、オフイスなどが入居する予定です。
新北ビルは、旧9・10・11番のりば部分と旧北ビル部分に建設されますが、高層部分は、駅の北側の道路にはみ出し、建物が道路を覆う形になります。

 


変貌する大阪駅 ーその1ー

2007年10月30日 10時08分22秒 | 鉄道のよもやま話

JR大阪駅は、今大改修工事を行なっています。
平成23年(2011年)に完成予定です。

明治7年(1874年)に神戸・大阪間の鉄道として旅客のみの取り扱いで開業して今年で133年経ちます。
当時の駅舎はゴシック風の赤レンガ造り2階建てで、現在地より西側の大阪中央郵便局付近にあり、周りには民家がわずかにあるだけで田んぼが広がっていたようです。

  開業時の大阪駅

当初の計画は、市街地に近い堂島あたりに建設される予定であったが「汽車の火の粉で火事になる」という住民の猛反対で、当時は町外れであった梅田に建設されと言われています。
が、これには異説があり、将来東へ線路が延伸された際に通過駅とするための駅構造にしたために、このような位置づけとなったとも言われています。

開業当時は、「梅田駅」「梅田ステーション」と呼ばれていましたが、阪神・阪急・貨物駅が開業すると、次第に梅田駅とは呼ばなくなったようです。

  
   大阪駅の航空写真(2006年3月?)

1906年に公布された鉄道国有法に基づき国有化される前は、この大阪駅は官営鉄道(国鉄)の列車の他、山陽鉄道(現山陽本線)、阪鶴鉄道(現福知山線)、西成鉄道(現環状線)、関西鉄道(現関西本線)、南海鉄道(現南海本線)、といった5つもの私鉄の列車が乗り入れていたことがありました。

今行なわれている改良工事は、2004年より、駅のバリアフリー化、改札口の新設、そして駅ビル建設などを中心に、大きく変わろうとしています。


消費期限と賞味期限

2007年10月29日 08時44分10秒 | 独り言・社会・ニュース

食品の期限表示には「消費期限」「賞味期限」の2種類がありますが、この二つの違いは何なんでしょうか?

「消費期限」は、定まれた方法により保存した場合、腐敗、変敗その他の品質の劣化に伴い安全性を欠く恐れがないと認められる期限を示す年月日です。
この期限は、製造日を含めて概ね5日以内で品質が急速に劣化する食品につけられ、主に弁当、サンドイッチ、惣菜、生菓子、食肉などで、弁当や惣菜などは製造時間まで表示することが望ましいと定められています。

「賞味期限」は、定められた方法により、保存した場合、期待される全ての品質の保持が十分に可能であると認められる期限を示す年月日です。
ただし、当該期限を越えた場合でも、これらの品質が保持されていることがあるもので、製造日を含めて概ね5日を越え、品質が比較的劣化しにくい食品につけられます。
3ヶ月を越えるものについては「年月」で、それ以外は「年月日」で表示されます。
主に牛乳、乳製品、ハム、ソーセージ、冷凍食品、即席めん類、清涼飲料水などで、期限が過ぎても直ちに「食べられなくなる」といことではなく、およその目安なのです。

  

定められた保存方法とは、いずれも未開封の状態で、表示の通りに保存した場合の期限です。
要冷凍とか、要冷蔵とかで、常温の場合で保存する場合は、表示が省略されます。
砂糖や食塩、調味料、チューインガム、アイスクリーム類は表示が省略されるようです。

要は、「消費期限」は開封すれば5日以内に、「賞味期限」は、少々期限が過ぎても大丈夫なようです。

といって、余り神経質にならなくても良いのでは思いたいのですが、消費期限の改ざんなどが報道、指摘されている昨今、食の安全については、企業の道徳、プライドが望まれますが・・・・・・


JR西日本の新駅

2007年10月27日 09時21分29秒 | 鉄道のよもやま話

今年3月に神戸線で「さくら夙川駅」が開業しましたが、来春には、JR西日本での新駅の開業は6駅、駅名の改称が2駅あります。

1、JR京都線、山崎~高槻間の新駅「島本駅」
  この駅は、昭和36年から地元の人達によって新駅設置の陳情がなされ、46年
  ぶりに開業されることになったものです。
  
2、JR神戸線、鷹取~須磨間の新駅「須磨海浜公園駅」
3、山陽線、英賀保~網干間の新駅「はりま勝原駅」
4、山陽線、高島~岡山間の新駅「西川原駅」
5、山陽線、大竹~岩国間の新駅「和木駅」
6、山陰線、安岡~綾羅木間の新駅「梶栗郷台地駅」

改称の駅は、
1、湖西線、現駅名「西大津駅」が「大津京駅」
2、湖西線、現駅名「雄琴駅」が「おごと温泉駅」
  上記2駅は、地元の強い要請があり、改称されることになったようです。

 
   今日の絵は、「尼崎・寺町界隈」 F6号

なぜ、この時期に、これだけ多くの新駅が新設され、駅名が改称になったのでしょうか?
私見ですが、一駅の新設や改称だけでも、時刻表の書き換えやダイヤの組み換えも時間と費用がかかりますが、まとめた方が費用的にも割安になるということでしょうか?
また、長年の地元の要請を何時までもほっておくと、それでなくともJR西日本の評判が悪い中、鉄道離れが生じてくると判断されたようです。
特に私鉄との並行路線には、乗客の確保に重きを置いているのでしょう。

利便性だけではなく、安全性もお願いしたいものです。


日本の品格はどうした!!(怒)

2007年10月26日 10時27分55秒 | 独り言・社会・ニュース

昨今のニュースを見ていると、政界も企業もそしてスポーツ界も秩序というものがなく、自己主張や自己利益のみを追求して、いわゆる品格というものがありません

品格とは、その人、その物の気高さ、上品さがあるということです。
そして、気高さには、潔よさ、威厳があるということです。

ミートホープ、白い恋人、赤福、比内地鶏、一級建築士、海自の給油量、肝炎リストなど等・・・・世に偽装、ねつ造、隠ぺいの種は尽きないようです。

西武球団(だけではないようですが・・・)、朝青龍、時津風部屋、亀田一家、防衛省、厚生労働省なども、品格の欠如は、目を覆うばかりです。

  
   通称「ボタン寺」と呼ばれています万勝院の土塀 F8号

「品格」を叫ばれて久しい昨今、皮肉にもその「品格」がありません。
以前にも述べましたが、藤原正彦著の「日本の品格」にも書いてありますが、日本の品格の基盤は「武士道」にあるようです。

金銭万能よりも道徳を上に見るという精神性の高さが必要なのです。
武士道というものには、明確な定義はありません。
一言で言えば、「卑怯を憎む心」なのです。
「敗者への共感」「劣者への同情」「弱者への愛情」と藤原正彦は言っています。

つまらない論理ばかりに頼っていないで、「ならぬものはならぬ」の精神が必要なのです。


歴史が眠る、もう一つの京都

2007年10月25日 13時49分24秒 | 西国三十三ヶ所巡礼の旅

昨日の続きです。
三十三間堂をあとにして、昼食を食べようと食堂を探しましたが、付近にはありません。 
お寺の前とかイベント会場の付近には、食べ物屋があるものと思っていたのですが、どうやらこの考えは間違っていたようです。

うどん屋かフアミレスがないか、豊国神社に向かって大和大路を北に上って行く事にしました。
途中にフランス料理店がありましたが、コースが3000円でした。
ここを通り越して、とうとう豊国神社の前まできましたが、ありません。
耳塚を見て、当たりを探すと、神社を100mほど過ぎたところに小さなうどん屋を見つけ、そこで昼食を取ることとしました。

店内は、修学旅行の中学生らしき女学生が8人ほどいたのですが、それで店内は一杯で、カウンターに座ることとしました。
主人曰く「このあたりで食べ物屋は、流行らないからありませんよ。 付近の住人は、年寄りが多く、食べに来ません。 元来、京都人はケチなんです」と・・・・

  
   豊国神社の唐門             方広寺の鐘楼

食事をそこそこに済まし、豊国神社にお参りに行きました。
太閤さんの神社らしく、唐門は、立派ですが、参詣者は少なく、寂しい限りです。
この神社は、豊臣滅亡後、家康によって取り壊されましたが、明治13年に再建されました。
立派な唐門は、伏見城の遺構で、国宝です。

隣に方広寺がありましたが、そこはもっと寂れていて、本堂の屋根は傾いていました。 わずかに大きな鐘楼が、大仏の大きさを偲ばれるだけでした。
「国家安康、君臣豊楽」の銘文が刻まれて、この文字が歴史を大きく左右したことも忘れさせるようでした。
同じ太閤さんのゆかりの土地でも、大阪城の賑わいに比べると、この静けさは何なんでしょうか?

  
  六波羅密寺 左下は清盛塚        
境内にある念仏石

ここを又、北に15分ほど歩いて、五条通りを抜けると、六波羅密寺があります。
西国17番札所で、ここの本尊は、十一面観音立像(国宝)で病魔を鎮める仏さんですが、12年に一度しか開帳されず、次の開帳は2012年だそうです。
平清盛ゆかりのこの寺には、清盛の塚や宝物殿には、清盛の坐像や開祖した空也上人像や地蔵菩薩があります。
ここも、輝かしい歴史と裏腹に、寂しい佇まいでした。

京都には、歴史が静かに眠っています。 
多くの遺跡や旧跡も、人気があり、賑やかなところもありますが、今日回ったところは、歴史の脚光を浴び、その重さにも関わらず、現在に取り残されたところでもあったようです


狩野永徳と京都散策

2007年10月24日 20時17分35秒 | 旅行・観光

京都国立博物館の”狩野永徳展”とその周辺の三十三間堂、豊国神社、方広寺、六波羅密寺を回ってきました。

 

NHKなどで度々放映されてきましたが、”狩野永徳展”の実物を見に行ってきました。
桃山時代の覇者として日本美術史に輝かしい足跡を残した狩野永徳、”天下を取った絵師”として、信長、秀吉らの時の権力者に重用された絵師です。

屏風絵、襖絵、扇面画などの水墨画から風俗画、肖像画など多種多様の時の一人者の絵師の絵は、良くここまで描かれたものと感服の連続でした。

 

中でも唐獅子図屏風や檜図屏風は、評判以上に魅了しました。
ここに展示された以外にも、安土城、聚楽第など多くの作品が焼失したり、消滅したものがあることを思うと残念でなりません。

 

この会場のすぐ南には、国宝の三十三間堂を訪れました。
この建物もそうですが、中にある中央の中尊(十一面千手千眼観世音)を中心に左右500体、合計1001体のご本尊にも圧倒されました。
今や正月の風物詩となっています通し矢が行なわれる場所に立つと如何にこの建物(本堂)が大きくて、威圧を放つことに気がつきました。
この長いお堂は、120mあり、正面の柱間が33あることから「三十三間堂」と通称されています。

この三十三間堂は正式には蓮華王院といい、1164年に平清盛が造進されましたが、80年後に焼失しました。
1266年に再建され、その後幾度の修理を経て740年保存されいることを思えば、現在にも多くの人々が古の威容さに感服せざるをえません

ここを後にして、豊国神社、方広寺、西国第17番札所の六波羅密寺を回りましたが、ここの様子は、後日に報告します。


今年も、コスモスが咲き始めました

2007年10月23日 12時53分59秒 | 独り言・社会・ニュース

尼崎市と西宮市の境を流れる武庫川の河原に、今年もコスモスが咲き始めました。
昨年までは、500万本でしたが、今年は550万本となりました。

あちこちでは、既にコスモスが咲いていますが、ここのは違う品種のようです。
と言うのも、ここのコスモスは背が低く揃えられており、小さなお子さんやお年寄りや車椅子の方でも見れる高さ(60~70cm)に統一されているのです。

  
  満開までには、もう少し       コスモス畑で清掃しています

今日は、ボランテアの人が集まり、これから見に来られるであろう人達が怪我をしないようにと、周りの石を拾い集めました。
毎年、この地区のボランテアの人達が、夏の暑い盛りに種を蒔き、幾たびか除草や清掃を繰り返してきました。

見頃は、来週末から11月中頃だそうです。
今年も、たくさんの幼稚園児や老人ホームの人達などが遠足に訪れることでしょう。

なお、このボランテアの主催は、「髭の渡し花咲き会」です。
コスモス畑の場所は、武庫川の尼崎市側で国道171号線より北側、動物愛護センターの南側の武庫川の河原です。
  


大丈夫か?日本の食糧自給率

2007年10月22日 08時59分17秒 | 独り言・社会・ニュース

食糧自給率とは、食べ物が国内生産でどれくらいまかなえるかを示す指標です。
今年の8月に農林水産省から発表された2006年度の日本の食糧自給率は、カロリーベースで前年度より1ポイント低下して39%と発表されました。

指標には、品目ごとの自給の度合いを示す「品目別自給率」、家畜などの飼料も含めた穀物の自給の度合いを示す「穀物自給率」、熱量(カロリー)をもとに自給の度合いを示す「供給熱量自給率」などがあります。

      

「供給熱量自給率」は、「カロリーベース」と呼ばれ、国民一人一日当たりの国内生産カロリーに対する国民一人が一日当たりの消費カロリーの割合を示しています。

つまり、カロリーベース39%とは、国民一人が一日に必要とするカロリーの39%しか国内で生産出来ていないことになります。

日本のカロリーベースの食糧自給率は、昭和40年には73%ありました。
また、穀物自給率も62%から27%と大幅に減少しています。

  世界主要国の自給率

他の国では、カロリーベースでトップなのがオーストラリアの309%、続いてカナダの159%、フランスの141%、アメリカの132%と、自国で消費する量より多くの生産量となっており、特に先進国では自給率の維持、向上に向かっているのに対して日本は低下の一途を辿っています。

なぜ、日本の自給率がこのように下がったのでしょうか?
一つは、主食に米を食べなくなったと言うことだそうです。
米の自給率は、昭和40年で95%のものが、現在94%と比較的自給率が高いのですが、小麦にいたっては昭和40年で28%のものが、現在13%にまで落ち込んでいます。

さらに深刻な問題は、農業従事者の高齢化と農地の減少、輸入農産物の増大により、農業従事者の減少という悪循環が、この自給率低下の要因となっています。
農業政策の根本的な改善を期待し、国民一人ひとりが関心を持つ必要があるようです。