徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

すす払い

2008年12月30日 10時46分33秒 | 独り言・社会・ニュース

今年もあと二日となりました。
新年を迎えるにあたって、師走はなにかと慌ただし気分がするものです。
最近は、暮れだからといって特別なことをすることは、段々少なくなってきているようです。

それらは、一つの風物詩的な要素があります。
特に”すす払い”をする家庭はほとんどなくなってきていますが、神社仏閣や古い建造物などでは、観光的にしているところも多いようです。

すす払いは、年末に家の内外の煤(すす)や塵(ちり)を払い、清浄な気持ちで正月をむかえる準備をすることです。
すすと一緒に一年間の厄をはらうという意味もあったのです。

     
  道後温泉でのすす払い            生田神社のすす払い

かってすす払いは12月13日にきめられ、すすとり節供、すすの年とり、十三日節供などとも呼ばれる一種の神事でもあったそうです。

電気、ガスが普及する以前は、薪や炭などを屋内で直接もやして火を利用したため、年末にはかなりの煤や塵がたまり、笹竹や竹竿の先に藁(わら)をつけた箒で天井や囲炉裏、神棚などの煤を払いました。

江戸時代には、お城や商家などではすす払いのあと、胴上げをして羽目をはずす風習もあったそうです。
当時は、歳末になるとすす払い用の竹売りも訪れました。

すす払いは、元来、正月の神を迎える神事ですが、12月中旬では時期的に早いため、次第に年末近くに行われ、定期的な行事ではなくなってきています。
家のすす払いと同時に、心のすす払いもしなくては・・・・・


井川は今・・・・・

2008年12月29日 11時08分20秒 | 野球・タイガース

先日、10月にアメリカから帰ってきていた井川が、球団事務所に現れたので、阪神に復帰か?と思われたのですが、単なる年末の挨拶だったそうです。

考えようによっては、悶着があって去った球団に挨拶に来るという律儀さは、井川の性格の良さなのでしょう。 ということにしておきます。
また、それを歓迎して受け入れる球団も大したものですが、そのような球団内に受け入れる雰囲気や環境があるのでしょう。

       
                        来年のタイガース・ロゴ

辞めた選手が気軽に訪れられる球団になったのが嬉しいではありませんか?
ダメ虎の時は考えられなかったのではないでしょうか?

その井川は、メジャー初年度の昨年は散々な結果となり、今年もメジャーでは2試合投げただけ、後は3Aで14勝6敗、防御率3.45 117奪三振の成績でしたが、どうやら来期もヤンキースでは戦力外だそうです。

が、タイガースはタイガースでもデトロイトタイガースが、興味を示しているそうです。
阪神の復帰はないものの、アメリカのタイガースでの活躍を期待しましょう。


TVドラマの視聴率

2008年12月26日 10時08分44秒 | 独り言・社会・ニュース

毎年このころになると、視聴率が話題になります。

テレビの視聴率が15%以上あればヒットとされ、10%以下は低迷と評価されています。
この視聴率の調査数が600世帯であり、この少ない調査数で信頼出来るのでしょうか?
このことについては、当ブログで昨年12月19日から3回にわたって書きました。
つまり、統計学上、誤差を0.05(5%)として計算するとサンプル数は384.16つまり385世帯の視聴率で95%の確率でプラスマイナス5%の範囲で収まるということであり、調査数が600世帯ですから、計算上は、この値は、95%で信頼出来ます。

今年のTVドラマ視聴率ランキングによると、NHKの篤姫が11月30日の29.2%でトップ、2位は7月14日のCHANGE最終回の27.4%。
3位は4月19日のごくせんの26.4%。 4位は8月30日の24時間TVドラマスペシャルの25.6%。  5位は6月19日のラスト・フレンズ最終回の22.8%。
以下流星の絆の22.6%。   薔薇のない花屋の22.4%。

20%以上が16番組あり、そのうちTV局数では、フジテレビが9番組あり、他局を圧倒しています。

      

NHKの大河ドラマも久しぶりに高視聴率となりました。
篤姫の最高番組視聴率は29.2%でしたが、期間平均(初回から最終回)では24.5%でした。

過去の大河ドラマでの期間平均の最高率は、1987年度の「独眼竜正宗」で39.7%もありました。 その時の最高視聴率は47.8%でした。
この高視聴率は翌年、翌々年も続き、1988年の「武田信玄」の期間平均は39.2%、最高は49.2%でした。
1989年の「春日局」の期間が32.4%、最高は39.2%でした。

 
    30分毎のTV平均視聴率の推移 (朝の7時ごろと夜の7時からが多い)

1963年に「花の生涯」で始まった大河ドラマの視聴率は、全46年間で34年間は、20%以上確保しているのですが、それらの番組に共通するのは、その主人公が歴史上の人物で、日本国民が誰でも知っている人物が多いようですが・・・。
その点、今年の「篤姫」は、例外になるのでしょうか?
来年の直江山城守兼継はどのような結果になることでしょうか?
再来年は、坂本竜馬だそうですが、1968年にも「竜馬がゆく」では14.5%と低迷していたのですが・・・・竜馬の知名度は低いのかなぁ
やはり、高視聴率なのは、脚本と主人公の魅力なのでしょう。

大晦日の紅白歌合戦の視聴率も話題になりますが、今年の紅白はどうでしょうか?
ちなみに、昨年は、前年より微増して、1部が32.8%、2部が39.5%でした。


あのコスモス園は今・・・・・

2008年12月23日 15時06分57秒 | 独り言・社会・ニュース

11月に多くの鑑賞者が楽しんだ武庫川のコスモス園は、今どうなっているのでしょうか?
今日、有志が集まってコスモスの種取りと菜の花の種まきが行われました。

550万本のコスモス園は、今では阪神間の秋の花の名所としてすっかり定着してきました。

   

 11月6日現在のコスモス→ 12月23日種取り前 12月23日ここに菜の花が

今年は、行政からの助成金の減少ということで、スポンサーの募集や自動車での来場者に臨時駐車場利用協力金のお願い、また、コスモス園に募金箱を設置したところ、予想を上回る寄付金・募金が寄せられました。
もちろん、この金額では、まだまだ不足なのですが、今後も行政の働きかけや募金などを通して継続して季節の花を咲かせてゆくそうです。

      

今日、奉仕に集まった人は、100人を超え、関心の深さを物語っていました。
特に近隣の幼稚園の保母さんが多く集まられ、作業に花が添えられました。

来春は「菜の花園」に取り組まれます。
例年ですと、チューリップなのですが、これも資金的なものもあり、一部のゾーンだけになります。(このチューリップの球根もある有志の寄付だそうです。)

なお、この運動の主体は地元市民(尼崎市武庫第8及び12社会福祉協議会やトーク武庫北、地元幼稚園など)と尼崎造園事業協同組合並びにボランティア髭の渡し花咲き会などです。


「冬至」=「一陽来復」

2008年12月21日 13時31分00秒 | 今日は、何の日

今日12月21日は「冬至」です。
冬至は24節気の一つで、太陰暦を使っていた頃、1年を24に分け、季節を表すための工夫として考えられたものです。

また、同時に72候のうちの64候「冬生じ夏枯れる」と詠まれています。
72候とは、24節気をさらに3つに分け、つまり季節を5日毎に細分したもので、季節の移ろいと気象や動植物の成長・行動などに託して表したものです。

  冬の円山公園のしだれ桜

これらは、元々中国で生まれたものですが、日本に伝わってからは、日本の気候や動植物などに変えて、日本人にあったものに変えています。
もちろん、時代や編者によって事象が異なります。
ちなみに、大寒の70候(2009.1.20)は「蕗のとう花咲く」。 立春の1候(2009.2.4)は「東風凍を解く」。

冬至は、1年で一番、日の短い日。季節の循環の始まる日と考えられ「一陽来復」の節目とも呼ばれています。
この日には、小豆粥や南瓜を食べ、ゆず湯を立てる風習があります。

「一陽来複」という言葉には、「陰」がきわまって「陽」が戻ってくる、あるいは冬が去って春が来るという意味で冬至の別称としても使われているようです。
「冬来たりなば春遠からじ」ということでしょうか?

これが転じて「悪いことが続いていたが、ようやく回復して良い方向に向かってきた」という意味もあります。願望かも知れませんが・・・・

米国の金融危機から、世界的な不景気に突入しています。まさに真冬に向かっている季節ですが、来年は「一陽来複」を信じたいものです。


江戸時代の中枢(江戸城)・・・その10・・・

2008年12月20日 09時08分01秒 | 江戸時代とは・・・・・

江戸幕府は、大名を殿席と官位によって類別して統制していました。
殿席については、以前の述べましたが、今回は「官位」について述べます。

官位とは、朝廷から与えられる官職と位階をさします。
この体制は、平安末期までは朝廷が掌握し叙任していましたが、武家政権成立以降は有名無実化しました。

鎌倉・室町幕府など武家政権も武士を序列化する上で官位を利用、特に豊臣政権は大いに活用しました。
江戸幕府もそれにならい、家格の高い大名については、家ごとに極官(昇進できる最高の官位)を設けました。

   大広間・上段の間

では、殿席と官位との関係については、帝鑑之間・柳之間・雁之間・菊之間に詰めている大名の官位の大半が従5位下(諸大夫)であるのに対して、大廊下・留之間・大広間は全員四品(従四位下)以上でほとんどが侍従以上です。

官位によって将軍への謁見する際の位置が決まるため、この官位の高さは儀式面で効力を発揮することになります。

官位を大雑把に区別すると、将軍は太政大臣、左大臣、右大臣、内大臣などで、大名は大納言、中納言、参議、中将、少将、侍従、四品、諸大夫などで、その中でも、大老は少将、老中は侍従と官位は低くなっています。

官位には、太政官や中務省などの各省、国司としての薩摩守などのなになにの守などの官職をも組合わせられて称しています。


鉄道にも”ゆとり”が必要です。

2008年12月15日 11時42分47秒 | 鉄道は正確が当たり前!!

昨日14日、新幹線0系の”本当”のラストランがありました。
本当の、というのは、ダイヤ上では11月30日でラストランが行われたのですが、多くの希望があり、今月3日間だけ、予約を受け付けていたのです。
最終列車は”ひかり347号”で語呂あわせで”3(さ)4(よ)7(なら)としたようです。

いつも寝台特急などが引退するときには、大勢の鉄道フアンが詰めかけ名残を惜しんでいますが、このような光景は、世界でも同じようなことがあるのでしょうか?
日本だけではないと思うのですが、これだけ、鉄道に対する思い入れが強いことの現れではないでしょうか?

      

さて、現在の鉄道の定時運転が将来も継続して維持出来るのでしょうか?
日本の近代化への道は、明治の時代から、昭和の高度成長期が終わったおよそ100年間、日本の社会が追い求めてきたものは、これといった資源のない中で、豊富で安価で勤勉な労働力と旺盛な消費意欲を背景に、効率的な大量生産・大量消費の仕組みを作ってきました。

ところが、ここ2,30年は多様化する価値観やライフスタイルで自分らしさを模索してきた結果、人々が同じような幸福になることではなく、人それぞれの幸福を認めることで、異なる価値観の尊重であり自分の時間を大切にすることとなってきたのです。

つまり、生活の安定を前提にして、ゆとりをもって生きようと考えているのです。
日本の定時運転は、鉄道マンや乗客の犠牲の上に成り立っている側面は否定出来ません。
世間一般にゆとりが行き渡ってきた中で、鉄道だけが、システムを始めとして限界に挑戦し続けることでは、鉄道離れが生じてくるのではないかと危惧されるのですが・・・・。

鉄道は人々の期待を一身に背負う交通機関でも、唯一の交通手段でもなくなっているのです。
”ゆとり”のない鉄道には、鉄道マンも集まらなくなり、乗客も去っていくのではないでしょうか?
今、鉄道が交通機関として優位に立っているのは、いまのところ「安全」で「正確」であることなのですが、これを今までと違ったやり方でやらなければならないのです。

 


鉄道、限界への挑戦

2008年12月12日 11時07分59秒 | 鉄道は正確が当たり前!!

久しぶりに鉄道ネタです。
来年3月20日に阪神なんば線が開通されます。
近鉄では、将来、姫路から名古屋や伊勢志摩間の直通特急運行を検討するそうです。 運賃とJRの対応が気になります。

          

日本人の「公共のマナー」が定刻発車に協力してきたと言われています。
整列乗車や車内でもたくさんの人が座れるように席を詰め合うなどをしたり、ダイヤが乱れた時は、駅員や車掌の言葉に従うなど、自分ひとりのために世の中に迷惑をかけないという気持ちなど至極当然と思われることが、日本の鉄道をここまで正確なものにしたとも言えるのです。
と言いたいのですが、最近は、あまりこの意識が薄れてきていることは、少々嘆かわしいことですが・・・・。

日本の鉄道マン達がヨーロッパやアメリカの大都市の鉄道を見て、驚きと羨ましさをもって嘆いているのです。
というのも、駅の設備の豊かさが違うからなのです。

つまり、例えば東京駅の東北・上越新幹線の発着線の本数はたった2本の発着線で1日に217本、多い時は240本の列車を発着させているのに対して、ヨーロッパやアメリカの鉄道でゃ、5分や10分、いや30分遅れても、発着駅ホームに余裕があるという需要環境の違いと駅設備の膨大さがあるからなのです。

  水彩画”屋根” F20号

ニューヨークのグランドセントラル駅の発着ホームは、なんと96本もあり、ホームはいつも余裕があるそうです。
1本の線路に走らせる列車の数が少ないので、システムに余裕があり、少々の遅れは放置しても、システムが麻痺することがないのです。
トラブルによって臨時列車も出しやすいということになるのですが、日本の場合1本の臨時列車を出すために35本の他の列車の運行計画を変えなくてはならないそうです。

つまり、日本の鉄道、とりわけ大都市周辺の鉄道は世界の常識からすれば、とうに限界を超えるレベルまでたくさんの列車を1本の線路で走らせているのです。
これは、国土の広さの違いだけなのでしょうか?

この限界への挑戦が、今の日本の鉄道が正確でなければならないということになったのです。


江戸幕府の中枢(江戸城)・・・その9・・・

2008年12月09日 11時40分23秒 | 江戸時代とは・・・・・

江戸時代は格式社会で、身分や儀式では様々な規則を決め、統制をしていました。
その最たるものが、大名を類別するの「殿席」と「官位」があります。

一般的には親藩・譜代・外様の三つに分ける方法ですが、当時幕府が大名をこのように分けた史実はないようです。

このことは、当時民間が刊行していた「武鑑」というものには、親藩とも譜代とも外様とも書いていないことから分かるのではないでしょうか。
発行元もたくさんあり、一年で2,3回発行していましたので、内容は、色々です。
今で言う「紳士録」のようなものです。

  
     文久2年(1862年)に発刊された武鑑     

主な記載事項は、1万石以上の大名が中心で、その大名の名前、治めている国、禄高や江戸での上屋敷、下屋敷の場所、そして家紋、本によっては大名行列の際の毛槍の形、簡単な家系、奥方の名前から出身地など庶民が知りたいことが列記されていたようです。

  
                  武鑑のいろいろ

そして大名を識別しているのが、名前のすぐ傍に書いてあるが「殿席」と「官位」です。
「殿席」とは、大名が江戸城本丸に登城した際の控えの間のことです。
例えば、「大廊下」「溜之間」「大広間」「帝鑑之間」「柳之間」「雁之間」「菊之間」の七つがあり、その控えの部屋でその大名の家格が分かるようになっているのです。

「大廊下」とは、松之廊下のことで上之部屋と下之部屋があるのは前述の通りです。
また「大広間」には二之間と三之間があります。

大体、大名の数は300諸侯と言われていますが、1835年頃は266家あり、その内一番多かったのが柳之間と帝鑑之間で二つ合わせて半分以上占めていたそうです。

殿席や官位については、後日に再び述べてみたいと思います。

ちなみに、武鑑は、ネットでも競売されているようです。


江戸幕府の中枢(江戸城)・・・その8・・・

2008年12月07日 10時51分06秒 | 江戸時代とは・・・・・

この時期、忠臣蔵の映画やTVドラマが上映されます。
討ち入りは、元禄15年12月14日(西暦1703年1月30日)なのですが、この事件の発端は、その2年前の元禄14年2月4日(西暦1701年3月3日)で、その現場が江戸城の松の廊下であることは、日本人ならよくご存じのことです。

しかし、その事件の原因は、はっきりしたものが分からないのです。
幕府の中枢で起こった事件は、幕府自体もあまり知られたくなかったようです。
というのも、それが幕府の権威の失墜にもかかわることであったと推測されるからです。 

  

この場所でなぜ事件が発生したのか、松の廊下の位置関係と機能について調べてみました。
事件当日は、将軍の年賀の使いに対する答礼として勅使・院使が下向し、儀式が執り行われる最後の日にあたり、白書院で将軍が両使と面会することになっていました。

その際の関係者の控えの席として使われたのが、松の廊下とその周辺の部屋であったのです。
廊下といっても、前回にも書いたのですが、横4畳、長さ16畳の90畳のたたみ敷きで、控えの席としても使われます。

   
         松の廊下の再現 NHK 大河ドラマのCGから 

松の廊下は、白書院と大広間を結ぶ廊下で、その周辺には上之部屋、下之部屋と呼ばれる部屋があり、通常、上之部屋は、御三家、下之部屋は加賀前田家の殿席であるのですが、儀式のある日は、上之部屋は、勅使・院使や日光門跡・増上寺住職などの休息所として使われいるので、当日も両使の控えの間であったと思われます。

従って、その付近に吉良や浅野の控え席もあり、浅野の気持ちが高じて事件に至ったものと思われます。