今年、出かけた思い出の作品です。
”日傘をさす女” 岡山城内にて F8号
”カメラを持つ男”
安芸の宮島 豊國神社 (千畳敷)にて ーⅠー F8号
”ハンカチを持つ女”
安芸の宮島 豊國神社 (千畳敷) にて ーⅡー F8号
今年、出かけた思い出の作品です。
”日傘をさす女” 岡山城内にて F8号
”カメラを持つ男”
安芸の宮島 豊國神社 (千畳敷)にて ーⅠー F8号
”ハンカチを持つ女”
安芸の宮島 豊國神社 (千畳敷) にて ーⅡー F8号
以前にも載せ、重複しているかも知れませんが、今年、描いた水彩画を数回に分けて載せます。
今回は、京都での記憶3点・・・・
青蓮院前の楠 F10号
八坂の塔 F10号
二年坂にて F10号
JR山科駅から北へ徒歩で20分、ですが、足腰が十分でないためタクシーにしました。
ちなみに1メーターでした・・・・
さて、思った以上に収穫の多い”もみじ狩り”となりました。
2011年のJR東海の”そうだ、京都に行こう”というポスターでも掲載された紅葉の名所であり、その紅葉を目的に伺いました。
"そうだ京都へ行こう”のポスター 境内図
”もみじ”も素晴らしかったのですが、それより本堂のある襖絵や天井の龍の絵も思いもかけぬ収穫でした。
天台宗五箇室門跡の一つで、親王か法親王が住職として居住する寺院として格式が高く、山寺として周りの風情を伝える古刹です。
尚、天台宗五箇室門跡とは、青蓮院、三千院、妙法院、曼殊院とここ毘沙門堂の五寺院をいいます。
勅 使 門 Ⅰ 勅 使 門 Ⅱ
ご本尊は、京の七福神の一つ毘沙門天を祀ってあることからこの名がある。
創建は大宝三年(703年)文武天皇の勅願だ僧行基によって開かれたとあります。
本堂から弁才天を望む
本堂 仁王門
拝観料500円を払うと本殿、霊殿、宸殿を周り、晩翠園を見学出来、各部屋の襖絵などの説明を受けることが出来ます。
霊殿は、阿弥陀如来を中心に歴代の影像や位牌を安置されています。
そこの天井には天井龍が描かれており、狩野永叔主信の作で、眼の向きや顔が見る角度によって変化します。
部屋を一回りすると、天井龍はそれを追いかけて見ているように見えます。
霊殿の”天井龍” 宸殿にある逆遠近法で書かれた襖絵
左から右に見て歩くと、机の大きさと向きが変わってきます。
宸殿は、御所にあった後西天皇の旧殿を元禄6年(1693年)に移築された建物です。
この宸殿の襖絵は狩野益信の作で、見る角度によって変化してみえます。
漠然と見ていては分かりませんが、そこは案内のお坊さんが説明され、改めて驚かされます。
晩翠園は、谷川の水を引き滝を造った江戸初期の回遊式庭園で、池には座禅石とか千鳥石とか配置された名園だそうです。
ここを出ると紅葉に囲まれた弁財天が祀ってあります。
太閤秀吉公の大政所・高台尼公が大阪城内に祀っていたものを当寺に移したものです。
またの名を不老弁才天と言われ、多くの人に信仰されています。
当初に思っていた以上に、紅葉もそして寺院も満喫してきました。
他にトンチを必要とする部屋もありました。
住職を訪れる客人に会えないと別室に通されます。
その部屋の襖絵には、”梅にウグイスではなくクジャク”とか”竹にスズメではなくヒヨドリ”とか あり得ない光景が描かれています。
この意味がわからなくては、いつまでも待たされるそうです。
つまり、”合えない”から”会えない”つまり「あなたとは取り(鳥)合わない」ということを暗示しており、これを察して帰ってゆくそうですが、客人 全部が全部意味がわかるのでしょうか・・・・・
なお、部屋の中の撮影は禁止されています。
上記の天井龍や襖絵はカタログやwebから写しました
昨日から ”第20回 兵庫ふれあい美術展” が開催されています。
毎年恒例により、僕も出品いたしました。
この美術展の趣旨は、新たな美の創造と世代や分野を超えた人々の交流の場として、美術の創作活動に親しむ人々の作品を展示するものとなっています。
応募資格は、兵庫県在住もしくは勤務地がある15歳以上の方。
部門は、日本画、洋画の他、彫刻、工芸、書、写真があります。
場所 原田の森ギャラリー
神戸市灘区原田通り3-8-30 TEL 078-801-1591
会期 平成26年11月20日(木)~23日(日) 10時~17時 (最終日は15時まで)
出品作品 ” ふじの花 ” F20号
11月7日の立冬も過ぎ、愈々紅葉も残り少なくなって見納めの時が近づいてきました。
毎年、この時期、紅葉を訪ねて各地を訪れるのですが、今年は足腰の具合が今一つで、出歩くのを躊躇しています。
それでも、来週には、山科の毘沙門堂に行ってみようと思っています。
その足慣らしとして、近所の公園に紅葉を見に行ってきました。
しかし、季節の流れが速いのか、ここでは、既に落葉が激しく、盛は過ぎたようです。
それでも、晩秋の紅葉を楽しんできました。
公園内にあるバラ園
ビル建て替え工事での投資額450億円と言われていますが、それだけではないようです。
阪神百貨店の地下1階北側の地下道の拡幅、JR大阪駅側や御堂筋の地上歩道も広げ、カフェなど設置し、阪急百貨店との連絡歩道も改装し、それをさらに大阪駅前第4ビル方面に伸ばします。
さらに、阪神電車梅田駅の改装をも検討しており、総額が900億とも1000億とも言われています。
工事施行計画として、大阪神ビルを東西にて2工区に分け、東側を1期、西側をⅡ期として2段階で施工されます。
2014年春から売り場縮小工事を順次行い、2021年秋ごろまで減少した売り場面積で営業されます。
その準備工事として、階段やエレベーター等の移設工事も同時に行われます。
Ⅰ期工事
2015年春ごろ、大阪神ビル東側解体工事着手
2018年春ごろ、Ⅰ期棟竣工・阪神梅田本店Ⅰ期棟オープン
Ⅱ期工事
2018年春ごろ、大阪神ビル西側解体工事着手
2021年春ごろ、Ⅱ期棟竣工
阪神梅田本店のグランドオープン
2021年秋ごろで、オフィス部分の開業する全体の竣工は、2022年春ごろとなっています。
なお、当初竣工社は、竹中工務店か大林組が有力視されていました。
現在の新阪急ビルは、1962年に竹中工務店の設計施行で完成されましたが、大阪神ビルは、1963年に大林組の設計施行され、両ビルとも完成から50年以上が経ち、老朽化が進んでいるところから建て替えになったのですが、新しい「梅田1丁目1番地ビル」は、そのどちらが施工するのか注目されていていました。
しかし、2014年3月に発表された計画書では、竹中工務店を予定している旨が発表されています。
なお、現在の阪急百貨店は、2005年に解体工事が始まりましたが、途中で、当初の施工社 大成建設が、都合により大林組に変更され、当初計画から1年半も遅れて竣工された経緯があり、今回もどうなるか、注目されています。 変更理由は、色々取りざたされていますが、内容は不明です。
今年3月に阪神百貨店の入っている大阪神ビルと新阪急ビルの建て替え工事の工事施工計画が決定され、その内容について発表されました。
阪神百貨店の一部売り場や屋上遊園地も新阪急ビルのブックファストもそして地下の食堂やアリバイ横町も既に閉鎖され、建て替えによる退去がされています。
現在の新阪急ビル(左)と大阪神ビル(右) 完成イメージ図
ここでは、その内容とその進捗状況について調べていきます。
阪神電気鉄道株式会社と阪急電鉄株式会社の発表は、昨年2013年の3月にも建て替え計画について発表されていましたが、今年3月にも、工事施行計画決定として発表されました。
この計画は、「梅田1丁目1番地計画」と呼ばれ、計画中のビル名(仮称)は、「梅田1丁目1番地計画ビル」と呼ばれるようです。
昨年の計画発表では、大阪神ビルと新阪急ビルとも、築50年以上経過し、老朽化が進んでいるため、耐震、防災性能の向上など安全面による安心な区間の提供と、一番の狙いは、この不動産賃貸事業の更なる発展、すなわち不動産価値を上げ、梅田地区の更なる魅力を向上させることにあるようです。
当初の計画では、2023年の竣工を目指していましたが、2022年と1年前倒しになる予定に変更されています。
建て替え計画は、阪神百貨店が入る大阪神ビルと道路を挟んで南側にある新阪急ビルの土地を一体的に再開発するもので、百貨店の営業を続けるために工事を2段階に分けられています。
5つのゾーンに分かれ、
百貨店ゾーンの規模は、現在とほぼ同じ程度で(延床面積:約100,000㎡。 フロアーは、11層(地下2階から地上9階まで)
オフイスゾーンは、高層部分約190m (地上11階~38階)
カンファレンスゾーン
道路上空を建設利用することで生まれる空間を活用し、地上11階に約4000㎡をビジネス情報の発信場として、国際的に活躍する人材育成と交流の場とするとあります。
また、災害時には帰宅困難者の一時滞留スペースとしても活用します。
スカイロビー
オフイスゾーンの11階をギャラリー等の情報発信の場として活用。
屋上広場
低層部分の屋上に、環境改善に関する屋上緑化等を行う。
次回には工事スケジュールなどを掲載します。
東海道新幹線の開業から8年、1972年に新大阪駅から岡山駅までの山陽新幹線が開業しました。
1975年には、博多まで伸び、山陽新幹線として真価が問われてきました。
しかし、1時的に1975年には、輸送人員も増えるのですが、長続き出来ず、東海道新幹線から延伸するかたちとしての山陽新幹線として、東海道新幹線と同様、85年の100系の登場、87年の民営化、そして1992年の”のぞみ”の登場などに加えてきましたが、それ以上に山陽新幹線独特の戦略が必要でした。
それも1995年の阪神・淡路大震災や羽田空港の拡張などで、1時は航空機にシエアを奪われ、輸送人員が伸びませんでした。
1997年に羽田空港が沖合に拡張され、国内線の離着陸時間も延び便数も増え、さらに航空会社がマイレージサービスを始めたのもこの時期でした。
航空機の対抗としてJR西日本は、1997年に最高時速300Kmの500系を投入して、航空機に対抗し、東京~博多間を4時間49分で結び、5時間を切りました。
500系 700系 レールスター
しかし、それでも形勢を逆転するまでには至らず、民営化後に投入した「ウエストひかり」は、利便性を改善したのですが、0系で運行されていたため魅力がなく、乗客増員までには至りませんでした。
また「グランドひかり」もグレードアップを計り、食堂車を投入したのですが、目に見える効果は現れず、今は、ワゴン販売に置き換わっています。
この劣勢を一気に変えたのは、最新式の700系に置き換えて、名前を「ひかりレイルスター」と改め、最高時速も285Kmとし、新大阪駅~博多駅間の平均所要時間を2時間45分とし、「のぞみ」と「ひかりレイルスター」の布陣でスピードアップを図ることにより、山陽新幹線の独特の戦略が出来あがりました。
<参考>
旅客人㌔ 1キロ当たりの収入
1972年 41億11千万キロ 1億6600万円 開業時
1975年 182億キロ 2憶5900万円 博多まで延伸
1987年 131億キロ 4億5600万円 民営化
1992年 160億キロ 5億8200万円 ”のぞみ”登場
2012年 171億キロ 5億7400万円
去る9月26日以来の新幹線シリーズのうち、東海道新幹線の続編です。
新幹線について、思いつくままに書いてゆきます・・・・・・・
開業から50年を迎えた東海道新幹線は、1日乗車人員10万人超える大ターミナル5駅を抱え、日本経済の成長を支えてきました。
開業当初の1964年度に約1100万人だった輸送実績が、2013年度は約1億5500万人と約14倍に達しました。
前回に述べました通り、この実績は順調にきた訳ではありません。
が、近年では国内景気の回復基調を背景に、ビジネス客だけではなく、観光需要も好調で、14年度も史上最高の輸送人員達成も視野に入っているそうです。
東海道新幹線は、全17駅からなっています。
新富士・掛川・三河安城の3駅は2003年に品川駅が開業して現在の陣容になりました。
最大の駅は、言わずと知れた東京駅で、1日の乗車人員が49万人(2012年度)で、うち東海道新幹線単独でも約8万9000人であり、いずれも新幹線停車駅では最大です。(在来線の乗車人員最大は新宿駅の74万人)
乗車人員が最も少ない駅は、「こだま」のみが停車する岐阜羽島駅の2812人/日です。
この駅は、駅前に広い駐車場があり、名神高速のインターも近く、バスツアー客の乗り換え駅として需要があります。
岐阜羽島駅前の駐車場 高架下にも駐車場があります。
新幹線の最大の使命は、都市間輸送ですが、東海道新幹線としては、リニア開業後は、この使命は分担され、特に観光輸送力が発揮されるのが静岡地区で、観光だけだはなく、製造業の生産拠点でも利便性の向上が見込まれます。