今年10月以降に描いた絵は下記の5点です。
1月~3月は、3点 7月14日 掲載
4月~6月は、5点 8月4日 掲載
7月~9月は、4点 9月18日 掲載
そして、今回 10月~12月には5点で、今年描いた絵は、合計17点になります。
” 遊ぶ ” F8号
” 兄妹 ” F8号 ” 静寂 ” F8号
”竹林を散策” F8号
” 家路を急ぐ ” F6号
今年10月以降に描いた絵は下記の5点です。
1月~3月は、3点 7月14日 掲載
4月~6月は、5点 8月4日 掲載
7月~9月は、4点 9月18日 掲載
そして、今回 10月~12月には5点で、今年描いた絵は、合計17点になります。
” 遊ぶ ” F8号
” 兄妹 ” F8号 ” 静寂 ” F8号
”竹林を散策” F8号
” 家路を急ぐ ” F6号
OSAKA 光の饗宴を覗いてきました。
この時期、あちこちで光のイベントが開催されています。
大阪でも、御堂筋界隈も毎年行われていますが、年々華やかになっているようです。
〇 ”OSAKA 光のルネッサンス2015” は、大阪市役所周辺から中の島公園一帯。
12月25日まで
〇 ”御堂筋イルミネーション2015” は、阪神前交差点から難波西口交差点までの御堂筋
平成28年1月17日まで
中の島イルミネーションストリートから
中央公会堂 正面壁画をキャンパスとしたプロジャゥションマッピングを・・・・
以下の写真は、中の島・梅田間のスナップ
4度目のジェームズ・ボンドを演じるダニエル・グレイグのスパイアクション映画の「007シリーズ」もこれで24作目だそうです。
なにしろショーン・コネリーのジェームス・ボンドしか知らないので久しぶりの007でした。
かっての冷戦の時代とは違い、どんなジェームス・ボンドなのか興味がありました。
というのも、ジェームス・ボンドの知られざる過去が描かれているということでしたので・・・。
話は、少年時代を過ごした”スカイフォール”で焼け残った写真から話が始まります。
写真の謎を解くため、単身メキシコ、ローマを訪れ、悪の組織スペクターの存在を知ります。
しかし、ロンドンでは、国家安全保障局の新しいトップが、ボンドの行動を邪魔してゆきます。
スペクターを知る旧敵の娘マドレーヌ(レア・セドウ)を追跡、最後にはその娘と行動をともにし、スペクターの核心部分に迫り、死闘を、アルプスやモロッコで繰り広げてゆきます。
冒頭のメキシコシティーでの「死者の日」、古都ローマ、雪のオーストリア、砂漠のモロッコと世界の風景を見るだけでも旅情を誘うには十分な風景を満喫させてくれました。
さすが、007、息もつかせぬアクション、これでもかこれでもかと不死身な姿がこの映画の醍醐味なのでしょう。
そのアクションの場所が世界的な名所旧跡であることが、なおさらです。
大まかな事は、ぼんやりと頭にあるのですが、具体的にどうなのかは分かりませんでした。
ほぼ真実に近いストーリーだそうですが、映画ですからそれなりに脚色していると思います。
人が人を思う気持ちの大切さを描いています。 それも95年以上もお互いが思いやる気持ちを持っていたということは、なんと素晴らしいことではないでしょうか?
人の素直さ、真心があれば、世界中で頻繁に起こっている争いなどが起こるはずがないと思うのですが・・・・
1890年 - 和歌山県沖で台風で沈没したトルコ軍艦の乗組員たち500人以上の内69名を救出した事。
1985年 - イ・イ戦争でテヘランに取り残された日本人を救出した事。
この事件に関して、常々疑問に思っていたことがありました。
トルコ軍艦が日本に来た理由は何か、とその帰路に軍艦が和歌山沖で台風に会い、その夜の台風の中、どうして島民が分かったのか、その時、この島に医者がいたのか。
また、テヘランの救出劇には、なぜ日本人を優先させることによって、残されたトルコ人との間にトラブルはなかったのかということでした。
この映画を見て、この疑問点が解けました。
ただし、映画では、台風の中、軍艦のボイラーの爆発音によって村人が遭難を知ったことになっていますが、もう一説には、投げだされた船員の幾人かが灯台に流れ着き、灯台守に助けを求めたという話もあります。
その他の解答は、この映画を見てください。
医師 田村(内野聖陽)とハル(忽那汐理) 日本人が飛行機に乗るために、多くのトルコ人が
始め村民総出で救出にあたりました。 拍手をもって道を開けます。
この映画が、史実であること、95年もの長きにわたり、トルコの人々が恩義を忘れなかったことに感銘を受けました。
それも和歌山の人が貧しい中、献身的に看病し、無事にトルコに送り返すことが出来たのもこの当時の日本人気質と国家を上げての後押しがあったからです。
映画にはありませんが、後日談として、この治療費を払おうとしたトルコに対して、見舞いとして治療費などはいらないとした日本側の対応にもトルコの人々が長く記憶にしていた原因の一つだったようです。
もう一つ、和歌山県串本町とトルコのヤカケント市、メルスイン市とは姉妹都市を提携しており、日本トルコ大使館と町の共催により、慰霊祭が5年毎に行われています。
今まで、阪神電車の成り立ちから、村上ファンド問題について書いてきましたが、今回は本来の車両について書きます。
戦後の阪神電車は、新性能開発の歴史でもありました。
まず、日本鉄道界における新性能車の先駆けとして、特急用大型高性能車3011形が、1954年(昭和29年)に発表されました。
3011形は、阪神初の大型車(長さ約19m、幅2,8m)で且つ日本鉄道界における新性能車の先駆けでした。
軽量張殻構造車体、カルダン駆動方式(モーターを車体に釣り振動が少ない)クロスシートとか車内空調など新技術が多くありました。
3011形 ジエットカー
「ジエットカー」の愛称を持つ各駅停車用高性能車5001形が1958年(昭和33年)に登場します。
当時、日本最高加速度(加速4.5キロ/時/秒 減速5.0キロ/時/秒)を誇っています。
これは、阪神電車路線の駅間が短く、同時に普通車の特急・急行の待機待ちが多く加速性が必要だったことがあり、前にも書きましたが、これが「待たず乗れる」のキャッチフレーズが生まれた要因です。
1959年(昭和34年)には、ステンレスカーのはしりである普通系量産車5201形が登場しました。
ステンレスカー 現在の阪神電車車両
1982年(昭和52年)には、日本で最初の全車両冷房車となりました。
今は、阪神電車本線の全線立体交差化に向けて工事中で、踏切のなくなる日も近いことでしょう。
甲子園駅改造 2016年(平成28年)に 完成予定
甲子園駅~武庫川駅間の連続立体交差化工事は2018年(平成30年)完成予定。
昨年、つまり今年の補強はほとんど出来ませんでした。
しかし、来年は如何に若手の育成を唱えても、すぐには効果は表れません。
勝ちながら育てるためにも、今年の問題点から補うところは、補わなくては来年1年間を戦うことは出来ません。
そこで、今年の戦いの問題点を思いつくまま列挙し、補強点を探って見たいと思います。
投手
1、先発投手陣が手薄
藤浪、メッセ、岩田、能見以外の補強・育成。
2、福原、安藤以外の救援陣の強化 その後のセットアッパーの確立
3、呉昇桓に代わるクローザー 勝利の方程式の確立
野手
1、貧打線のレベルアップ。 外人以外で育成、補強。
2、長打力不足。 右の強打者の育成、補強。
3、代打控えの人材不足。 選手層の厚さと左の代打。
4、2,3塁手の守備力。
5、鳥谷の後継者の育成。
6、正捕手不在。
補強の方法の一つ、ドラフトを考えてみますと・・
ドラフトで獲得した選手は、下記の選手
http://hanshintigers.jp/news/topics/info_4019.html
ドラフト1位の高山外野手(左)と2位 坂本捕手 (右)
今年の問題点から見て、ドラフトでの補強は、あくまで2,3年先を見据えてのことで、即戦力は期待薄です。
少し残念なのは、左投げ投手、内野手が取れていない点です。
2016年のカレンダー マスコットのカレンダー・・・
次回には、今年の問題点を補うドラフト以外の補強はどうなったのかを考えてみたいと思います。