徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

大晦日の除夜の鐘

2007年12月31日 13時41分01秒 | 独り言・社会・ニュース

昨年、一昨年の大晦日の日には、何を書いたのかと思い、調べてみると、何と両日とも”みそかそば”でした。

”みそ”は三十の意味、”みそか”は三十日のことです。
しかし、月の大小によって変動するので、実際は29日のこともあったが、新暦では31日を指し、”大晦日”は、12月31日のことです。

大晦日を”おおつごもり”ともいい、”つごもり”とは晦日の別名であり、”月つごもり”が転じたものだそうです。
大晦日の夜のことを除夜といいます。
除夜は、年神を迎えるため一晩中起きている習わしがあるそうです。
と言うのも、その年の煩悩を取り除き、新年を清らかな心で迎えるためなのです。 
そして、その煩悩は、仏教思想に基づいて108つあるといわれています
除夜の鐘をつくことによって、その108の煩悩を一つ一つ取り除て、新しい年を迎えると言うものなのだそうです。

  F10号

煩悩とは、「心を惑わし、身を悩ませる」もので、心身を乱し悩ませ智慧(知恵)を妨げる心の働きです。

108つのうち最後の一つは新年に打ちますが、これは今年1年煩悩に惑わされないようにという意味が込められているそうです。
煩悩の数は、宗旨宗派によって異なり、通俗的には108つですが、少ないのは、3つの場合もあり、多くは64000とも言われています。

3つの煩悩の場合、貪欲、愚痴、瞋恚(しんいといい、これを三毒といい、煩悩の根源と言われています。(瞋恚とは、怒ることです)

今年も、なんと貪欲な人が多くいて世間を騒がし、それに怒り、そしていくつも愚痴を言った一年でした。
来年こそは、その三毒が、少しでも少なくなるように過ごしたいものです。


伊丹・昆陽池の渡り鳥

2007年12月30日 09時39分08秒 | 独り言・社会・ニュース

先日、久しぶりに伊丹の昆陽池に行ってきました。
ここは、散歩のコースの一つで、毎年この季節になると多くの渡り鳥が飛来してきます。
ここは、阪神間でも野鳥の楽園として知られています。
が、この数年、年々渡り鳥が減少しています。
報道によれば、多いときには1万羽を越える野鳥が飛来していたのが、今年は1千羽ほどになっているそうです。
そういえば、湖面一体に野鳥が埋まっていたのですが・・・・・

  

奈良時代の高僧、行基が731年に農業用にため池として造ったもの「昆陽(こや)」という地名は、古代の地名「児屋郷(こやきょう)」にちなんだもので、歌人、藤原定家が詠んだ漢詩にも「昆陽池」の名が出ているそうです。

野鳥の減少の原因として言われているのが、今年の3月まで環境浄化対策を実施しており、その時に湖底の汚泥を約3万㌧取り除いたが、この工事に数年かかった影響で、野鳥が羽を休めることが出来ず、徐々に減少したと言われています。
同時にカワウが増え、エサがなくなったのも減少の原因の一つで、地球温暖化も一因かもしれないとも言われています。

  

この野鳥の群れにエサをやっている子供の頭すれすれに飛んでくる様は、なんとも微笑ましく、自然の素晴らしさを感じます。
人間は自然には、勝てないことを再認識しなくてはなりません。
自然は、自然にしておきたいものです。


「おせち料理」とは・・・・

2007年12月29日 11時23分14秒 | 独り言・社会・ニュース

今年も残すところ今日を入れて三日となりました。
この時期、各地で迎春準備の様子が報道されています。
各家庭でもお正月には、色々な過ごし方がありますが、正月の様子も様変わりしてきています。

お正月には欠かせない「おせち料理」も家庭では作らなくなってきています。
その理由の一つに、有名ホテルの「おせち料理」が予約販売されたり、元旦から多くのスーパーや百貨店が開店していることも原因ではないでしょうか?

何時から、元旦から開店するようになったのでしょうか?
それでなくとも”家庭の味”が薄れている昨今、せめてお正月の「おせち料理」を家庭で作って、新年を祝いたいものです。

      

さて、その「おせち料理」は、今は正月用に作る料理をさしていますが、もともとは、「節(せち)」は季節の変わり目をいった言葉で、変わり目となる日を「節日(せつにち)」といい、この日にお祝いが行なわれ、その時の料理のことをいいました。

「節日」に作られる供物を「節供(せちく)」といい、もともとは平安時代の貴族たちが行なっていたものですが、節供としての料理を「おせち」というようになって、一般庶民に広まったのは、江戸時代後期で、案外新しいものなのです。


アメリカの球場事情ーその6-

2007年12月28日 11時03分14秒 | 野球・タイガース

今日は、デトロイト・タイガースの本拠地コメリカ・パークです。
デトロイトタイガースと言えば、阪神タイガースと縁が深い球団です。

大阪野球倶楽部が、大阪タイガースと球団名を変えたのが1936年。
球団名を阪神の社員の公募で決めたのですが、その時、タイガースという名前が広く知られていた理由として、その前年の1935年にデトロイトタイガースがワールドシリーズで優勝していたことでしょう。

 

デトロイトタイガース(英語ではタイガーズとスに濁点がいるのですが、大阪タイガースが決められた時にタイガースと新聞記事に載ったのが、そのまま続いているようです)は1893年の創設で、老舗球団の一つです。

  

前の球場が老朽化し、駐車場が手狭になったので新球場を2000年に創設し、その時、コメリカ銀行がネーミングライツを買い取り、新球場名を”コメリカ・パーク”となりました。 新球場の収容人員は41070人。

コメリカ・パークは左翼105.2m、中堅128m、右翼100.6mでフイールドが広く、本塁打が出にくいが、三塁打は良く出る球場として有名だそうです。
球場のいたるところに虎の像があり、タイガースの選手がホームランを打つとバックスクリーンの虎の像の目が緑色に光るそうです。


世界の軍事費は・・・・

2007年12月27日 11時10分56秒 | 独り言・社会・ニュース

12月24日、平成20年度の予算政府案が閣議決定されました。
その中で、防衛費は、前年比1%減となっています。
日本では防衛費としていますが、軍事費と同義語ので以下軍事費と記しました。

チョット古い資料で恐縮ですが、2004年の世界全体の軍事費は、対前年比約10.5%増の1兆1193億㌦となったそうです。
これは、世界のGDP(国内総生産)合計の約2.7%にあたり、その半分近くの4559億㌦を占めるのがアメリカです。

冷戦終結後、世界の軍事費は減少傾向にあったのですが、2001年の同時多発テロ以降はまた拡大傾向となった国も少なくありません。

  
      世界各国のGDPに占める軍事費の割合

その中、日本の軍事費は、世界で6番目の規模で、実態は軍事大国であると指摘されています。
世界の軍事費、1位はアメリカ、2位は中国の843億㌦、3位がロシアの615億㌦、4位がフランスの527億㌦、5位はイギリスの501億㌦、6位が日本の452億㌦、
7位はドイツの378億㌦、以下8位はイタリア、9位はサウジアラビア、10位はインド
となっています。

軍事費のGDPに占める割合が一番多いのが北朝鮮の25%(額では55億㌦)がダントツに高く、2位がオマーン、3位はサウジアラビア、4位ヨルダン、5位イスラエル、6位ロシア、7位中国、8位アメリカ、9位フランスとなっています。

GDPに占める割合の世界平均は2.7%ですが、日本の軍事費は1976年に三木内閣の閣議決定によりGDP比1%枠が設定され、今もその枠を超えることはありません
が、額的には、アメリカの10%、中国の54%ですが、北朝鮮では8倍、韓国の2.7倍と、周辺国では、日本がかなり多くの軍事費となっています。
しかし、これだけの軍事費が、本当に必要なのか、その例え10%でも貧困国や温暖化防止に使うことが出来ないものか、考えさせられます。
(資料は2004年のものを使いました)


江戸時代の庶民生活ーその4-

2007年12月26日 10時11分09秒 | 江戸時代とは・・・・・

昨年の11月21日に”江戸っ子は自慢にならない”ということを書きました。
”江戸っ子”は、「粗忽で乱暴で物事のわきまえが足りなく、教養もなく、そのくせやたらと粋がって通人ぶり、人を馬鹿にして大きな事をいう」と・・・・

確かに、江戸っ子は、少々危なっかしいところがありますが、悪意はなく、そそっかしいく、教養のなさが為せる業で、これを愛嬌と見るかで、評価の分かれるところです。
そのような中でも、人として生活する上で、最小限の「こだわり」があったようです。

「江戸しぐさ」は、今の時代でも快適に生きるためのヒントがあるようです。
越川禮子著の「江戸しぐさ」には、次のようなことが書いてあります。

その一部を抜粋すると
1、忙しい、忙しいと言うな。
  忙しいとは心を亡くすと書きます、決して自慢できることではない。
2、そんなに偉い方とは知らずにと言うな。
  偉くない人には無礼をしても良いのか
3、知ったかぶりをするな。
  知らないなら知らないと言った方が良い
4、自分と違う意見をないがしろにするな。
  意見が違うから参考になる
5、はい、はいと二度返事するな。
  一度は了解、二度目は迷惑
6、初対面の人に年齢、職業、地位を聞くな。 三脱の教え。
  聞いて付き合い方を変えるのか

       
       三脱の教え                こぶし腰浮かせ

7、常に人を思いやれ。 傘かしげ、肩引き、こぶし腰浮かせ。
  傘かしげ・・・雨のしずくがかからないように、傘をかしげあって気配りして往来す
  るしぐさ。
  肩引き・・・狭い道ですれ違うとき、肩を引き合って胸と胸をあわせる格好で通る
  しぐさ。
  こぶし腰浮かせ・・・乗り合い船(今なら電車など)で腰の両側にこぶしをついて   軽く腰を浮かせ、少しずつ幅を詰めながら一人分の空間を作るしぐさ。

まだまだ、ありますが、この他は、後日機会があれば、載せたいと思います。
これらは、何時、生まれたのか、江戸の庶民だけだったのか、分かりませんが、いつしか、長い期間を通じて養われてきた、庶民の知恵ではないでしょうか?
この内容について、公共広告機構がコマーシャルで流していますが、今のせちがらしい時代だからこそ、そして現代の人が忘れていたことを思い出させて、生かしていく世の中であって欲しいものです。


サンタクロースの誕生は・・・・

2007年12月25日 09時03分11秒 | 独り言・社会・ニュース

クリスマスには付き物のサンタクロースってどうして生まれたのでしょうか?
サンタクロースの起源として有名なのは聖ニコラウスの伝説というのがあります。

昔、働き者ですが貧乏で3人の娘をお嫁に出すことが出来ず、困っている人を見つけた聖ニコラウスは、ある日金貨をその家の煙突に投げ入れました。
煙突の下の暖炉には、靴下があり、金貨はその靴下に入ったというお話です。

一般的に、サンタクロースがプレゼントを配るということが定着したのは19世紀の中頃、ニューヨークが最初というのが有力になっています。

         

あの赤い服は、キリスト教の司祭服からきているとされています。
司祭服には、赤。白、緑、紫などあるのですが、赤い服は、殉教の色で殉教者のために祝日に着用するそうです。

世界サンタクロース会議というのが毎年7月に行なわれています。
グリーンランド国際サンタクロース協会という組織があり、1957年に出来、7月には世界のサンタクロースがデンマークに集まります。

       

世界の公認のサンタクロースは180人登録されているそうです。
日本代表は、パラダイス山元という人で本職はラテン音楽家だそうです。

サンタクロースは、白い髭に太ったからだでいつもニコニコしている姿が思い出されますが、この太った身体は、健康的に悪いということから、サンタクロースもブート・キャンプに参加させようと言うジョークがあるようです。


クリスマス・イブに考える

2007年12月24日 09時56分18秒 | 宗教を考える

今日は、クリスマス・イブです。
「イブ」とは、eveninng (夜)と同義の古語(even)の語末音が消失したものだそうです。
転じて12月24日全体を指すこともあります。
ちなみに、12月23日を「クリスマス・イブ・イブ」と呼ぶ人もありますが、これは日本独特の表現です。

     

多くの国では、クリスマスは、家庭で過ごす日とされていますが、一昔前の日本では、どうもこの意味が理解されていなかったのですが、最近は、本来の意味に近づいてきているようです。

元々日本人は、キリスト教自体に余り深くは知らないことばかりです。
キリスト教に限らず、日本人の宗教観は、相対的に淡白で寛容であり、こだわりがないようです
江戸幕府がキリスト教禁止令を出して以来、キリスト教の信仰者は、虐待されほとんど消滅状態でした。
終戦以来、日本人は、自らは無宗教主義者と称している人が多いようです。
が、生まれたときは、初参りや七五三で神社に行き、大晦日ではお寺で除夜の鐘を撞きお正月には、神社にお参りし受験などでは絵馬に願い事を書き結婚式では、神前、仏前、教会で亡くなれば読経を読むというふうに、全く節操がありません。            

自然と生活にたくさんの宗教が入っているのですが、その信仰の程は分かりませんが、結構これで満足しているのではないでしょうか?
宗教行事も一つのイベントと考えているのです。
その意味に置いて、日本人の宗教は、雑神教とか混神教とかであると言えるのではないでしょうか?(全くの僕の造語ですが・・・・)
この状態になったのには、幾多の歴史があり、日本人の形成と大きく関わりがあったことを忘れてはなりません。
良いとは言えないまでも、決して悪いことではないと、僕は思うのですが・・・・

    ☆     ☆     ☆

現在のローマ教皇のペネディフト16世は、12月8日に次のようなコメントを出しています。
「現代の消費社会の中で、この時期は商業主義に”汚染”されているのは残念なことです。聖誕祭の精神は”精神の集中”と”落ち着き”と”喜び”であり、この喜びとは内面的なもので、決して外面的なものではない」と・・・・

 


江戸時代の庶民生活ーその3-

2007年12月23日 10時08分39秒 | 江戸時代とは・・・・・

「江戸しぐさ」と言うのが見直されています。
江戸の町は、18世紀にはその人口140万人に達し、当時世界最大の都市となっていました。
江戸の市街地の大半は武家屋敷に多く占められ、江戸の人口の大半を占める町民は限られた地域にひしめき合って、町民の人口密度は現在の3倍に達した地域もあったようです

江戸の庶民は、このような環境の中「江戸しぐさ」と呼ばれる相手を思いやることを第一義としました。
そこには、自分を磨き、相手を尊重すること、身分や血筋、門閥にとらわれず、自由な発想が出来る人間を「江戸っ子」として認めたのです。
江戸時代という封建制の中にあっても、それに拘束されない、自由人たる江戸っ子の生き様が、今もそれを必要としています。

 
  「江戸しぐさ」の一つ、「傘かしげ」 雨のしずくがかからないように、傘を傾げあ
  て気配りをして往来するしぐさ  イラストは伊藤美樹さんのを借用しました。

「三つ心、六つしつけ、九つ言葉、十二文、十五理で、末決まる」
これは、江戸庶民が子供の教育に使った言葉です。

三歳までに素直な心を、六歳になると振る舞いに節度をもたせ九歳では人前でも恥ずかしくない言葉使いを覚えさせ、十二歳できちんとした文章が書けるようにさせ十五歳にもなると物の道理が分かるようにしなくてはならないというものです。
この「教え」は現代にも通用する「教育論」です。


またまた、視聴率について

2007年12月22日 09時17分06秒 | 独り言・社会・ニュース

視聴率の統計数値は、95%の確率でほぼ正しいと言うことが、前回で分かったことと思います。

 
           1日、30分毎の視聴率の推移

平均視聴率とは、毎分0秒のときの視聴率の平均で、瞬間最高視聴率とは、一つの番組中で最も高かった瞬間視聴率を指します。
では、これまでで、瞬間最高視聴率は、どんな番組でいくらの視聴率をあげたのでしょうか?

1962年以降では、1963年12月31日の第十四回NHK紅白歌合戦でビデオリサーチ調べでは81.4%、ニールセン調べでも89.9%が最高瞬間視聴率でした。

視聴率の三冠王ということを使い出したのは1980年代、フジテレビで1982年から1993年の12年間、三冠王を獲得しました。
三冠王というのは、ゴールデンタイム(19時~22時)、プライムタイム(19時~23時)全日(6時~24時)の三つの区分の時間帯がトップの視聴率をあげた局をそのように表現しました。
この三冠王にプラス、ノンプライムタイムを加えたのを四冠王として使い始めたのが日本テレビで巨人戦を含めて、1994年から2002年の9年連続、四冠王となりました。

 

テレビ離れが言われていますが、特にNHK関係の最近の紅白歌合戦の凋落や大河ドラマの視聴率の伸びが今ひとつです。
これには、一般大衆の趣味の多様化やテレビ以外の娯楽が広まり、その上テレビの企画のマンネリ化が指摘されています。

  
 
大河ドラマと株価 関係ないのでは・・・・    小泉元首相の視聴率??

ちなみに、NHK大河ドラマで期間(初回から最終回まで)の平均視聴率が高かった番組は1987年の”独眼竜政宗”の39.7%、次いで翌年の”武田信玄”の39.2%でした。
瞬間最高視聴率をあげたのは1964年の”赤穂浪士”の53.0%、次いで”武田信玄”の49.2%でした。

今年の”風林火山”の平均視聴率は18.7%、最高でも22.9%。
ここ数年、平均で16%~22%、最高でも22%~27%と低迷しています。
さて、来年のNHK大河ドラマ”篤姫”は、どれだけの数字をあげるのでしょうか?