徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

映画 「超高速!参勤交代 」

2014年06月29日 15時36分16秒 | 映画・社会

城戸賞を受賞し、ベストセラーになった土橋章宏氏の同名作を映画化されたコミカルな時代劇です。

城戸賞とは、映画製作者として永年に亘り、我が国映画界に寄与され、また多くの映画芸術家や技術者の育成に務まられた故城戸章宏氏の新しい人材発掘し、その創作活動を奨励することを目的として昭和49年12月1日の「映画の日」に制定されたものです。

時は、元文元年春、磐城国の湯長谷藩は、徳川8代将軍吉宗(市川猿之助)の治める徳川幕府から、通常8日かかる道のりにも関わらず突然5日以内に参勤交代をするように命じられる。

    

湯長谷藩内に金が獲れたという隠密の報告を鵜呑みにした老中 松平信祝(陣内孝則)の策略によるもので、この無理難題憤りながらも、藩主 内藤政酵(佐々木蔵之介)は、家老相馬兼継(西村雅彦)に対策を命じます。

わずか1万5千石の小藩にとって、貯金も人手もなく、あまりにも短い日程を強いられる参勤交代の行列を組むことすら出来ません。

山中を少人数で近道して駆け抜け、街道では中間を雇い、大人数に見せるという作戦を立て、実行してゆきます。

   

山中では、雲隠段蔵(伊原剛志)を道案内に雇いますが、この行列を阻止するために、老中も伊賀忍者を使い色々と邪魔をしてゆきます。

湯長谷藩士に、個性的な者が多く絡み、コミカルに話が進みます。

話の内容としては、たわいもありませんが、次々と事件が起こります。
その中に、飯盛り女 お咲(深田 恭子)との絡みや忍者との壮絶な争いが、滑稽さと痛快さを噛みあわせ、そこに藩士の、荒木源八郎(寺脇康文)、秋山平吾(上地雄輔)、増田弘忠(柄本時生)、鈴木吉之丞(知念侑季)、今村清右衛門(六角精児)、の個性派の俳優が、より物語を盛り上げています。

ともかく、話の筋は、先さきが読めますが、理屈抜きで、笑えて、肩の凝らない映画でした。


タイガース、貯金を使い果たした交流戦・・・・

2014年06月25日 11時01分48秒 | 野球・タイガース

今年も、トラの交流戦は、大幅に負け越しました。
9勝15敗、1回あたりの得点率と失点率の差でかろうじて最下位を免れたが、実質、勝率では最下位。
それも甲子園でたったの3勝しか出来ず、地の利が生かせずに甲子園での指名打者を上手く使えなかった。

交流戦の最後の3連敗が、この交流戦を象徴した戦い方で、特に昨年も4連敗している楽天に策もなくコロリと負け、左右のエースを立てながら後味の悪い連敗で締めくくってしまいました。

  今年のルーキーから救世主は出るのか

では、交流戦の実績は、どのような内容だったのか、下記の通り調べてみました。

          交流戦前(44試合)    交流戦後(68試合)    交流戦 (24試合)

勝 敗 数       25勝19敗           34勝34敗          9勝15敗
勝    率        0.258              0.50            0.375
順    位                          せ・リーグ3位       交流戦 11位 
首位との差        3.0                 5.5             〃    7
貯    金         6                  0                〃   ー6  

打    率        0.272              0.263            0.247
防 御 率         3.95               4.05             4.24

得 点 数        206(4.68)          293(4.3)           87(3.6)
失 点 数        190(4.32)          306(4.5)          116(4.8)

 
本塁打数         32(0.72)           44(0.647)        12(0.5)
盗 塁 数         22(0.5)            33(0.485)         11(0.46)

                            ( )内 1試合当たりの実績

交流戦24試合の実績は、どの項目をとっても、悪い内容になっています。
チャンスに打てない打撃陣踏ん張りきれない投手陣、これは、個々のモチベーションの問題なのでしょうか、それとも采配の不備からくるほころびなのでしょうか?

特に、初戦を落とすという試合展開を考えるとその試合だけではなく、その後の試合に影響を与えているようです。
初戦を何回も落とすような事態になれば、もっと大胆なことが出来ないのでしょうか?
同じことの繰り返しでは、結果も同じようになってしまいます。

     

特に投手陣の崩壊が目にあまります。
得点数を上回る失点数では、勝てません。

先発投手に勝ち星がつかない試合が多く、救援陣も持ちこたえられない場面がシバシバ見受けられます。

交流戦の序盤、不振だった広島は、後半に持ち直しました。
やはり、投手陣の復調が、好転した要因だとおもいます。

 

タイガースもここにきて、また3Aから建山と契約したようです。
確かに、投手陣のテコ入れとして、補強?するのは良いのですが、若手は一体どうしたのでしょうか?
何時までも、安藤、福原、加藤に頼っているようでは、タイガースの明日はありません。
若手育成をあきらめたわけではないでしょうが、どうも安易な方向に流れているように思われます。

打撃陣もせっかく若手が芽を出そうとしている状態であり、ここにも采配の妙を発揮してほしいものです。
掛布DCの効果が表れるのはこれからでしょうか?
森田や伊藤隼の台頭が待たれます。

 


なぜ、6月が”水無月”と・・・そして、今日は夏至

2014年06月21日 10時41分22秒 | 今日は、何の日

6月は旧暦で”水無月”といいます。

梅雨の季節でもある6月になぜ、水無月というのでしょうか?

”水無月”と書いていますが、実は、水が無いという意味ではありません。
”無”は 「の」 にあたる連体助詞の 「な」 で「水の月」というのが、本来の意味だそうです。

これは、陰暦の10月の「神無月」と同じ意味です。

しかし、旧暦の6月は、本来梅雨の明けた時期になっています。
したがって、新暦にあてはめて解釈するのは、間違いで、文字通り、「水の無い月」と解釈される場合もあります。

なお京都には、「水無月」という名前の6月を代表する和菓子があります。
白の外郎生地に小豆をのせ、三角形に包丁されたお菓子ですが、これにも意味があります。
小豆は悪魔払いであり、三角の形は、暑気払う 「氷」 を表していると言われています。  

   御所では、「氷室」の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気払いをしていました。 庶民は、その氷の代わりに、それをかたどった菓子を食べるようにしたとか・・


梅雨は、中国から 「梅雨(ばいう)」として伝わったとされ、日本ではこれを「つゆ」と呼ばれるようになりました。

中国での元々の意味は、6月は、カビの生えやすい時期の雨という意味で、「黴雨(ばいう)」 と呼ばれていたとか・・・・
それでは、語感が悪いため、「梅雨」 としてとも言われています。

どちらにしても、日本では「梅の熟する時期の雨」 という意味で「梅雨」をあてはめ、それを「つゆ」 と呼ばれるようになったのは、「露 (つゆ)」 からとも考えられていますが、それより、梅の実が熟す時期であることから、「漬ゆ (つゆ)」と関連させる説もあります。

             

今年もジメジメとした嫌な時期ではありますが、これは天然の恵みでもあることを忘れないようにしたいものです。
ただし、大雨による災害の発生しやすい時期でもあり、注意が必要でもあります。

今年の梅雨入りは、近畿地方では6月4日ごろで、例年より、3日早いそうです。
なお、平年の梅雨明けは、7月21日ごろですが、今年は、何時になるのでしょうか?
ちなみに、昨年の梅雨明けは、7月8日ごろだったそうです。


手術後のリハビリテーション・・・③・・・

2014年06月14日 09時16分36秒 | 腰部背柱管狭窄症について

来る16日で、手術後2か月になります。
やっと杖なしで、自分の足で歩けるようになってから3週間ほど経ちました。
が、まだ間欠跛行(かんけつはこう)といって、歩行する時の負荷によって下肢が次第に疼痛やシビレを感じ、一時休憩することによって症状が低減され、再び歩行出来るというものです。

この時の歩行は、肩の上下運動、体幹の左右 前後に振れ、下肢の運びが歩幅や速さなど、歩行が異常であると判断されることだそうです。

もちろん、何をもって、正常な歩行であるかという定義は難しく、その時の体調や履物、それにその人の癖などで、判定は難しいのですが、今までと違うと自分が感じれば、それが異常ではないでしょうか?
今の僕の歩行は、今までと違う足の運びで、この歩き方についてもリハビリしてゆかなくてはならないようです。

 

去る10日に、2回目の予約診断を受けました。
レントゲン、血液検査などを行い、医師の問診を受けます。
結論から言えば、順調に回復しているようです。
一番心配なことは、感染症、後遺症の発生ですが、どうやらその心配もなさそうでした。

 

さて、前回に再手術の話も出たということ書きました。

手術後、血腫による下肢麻痺の疑いが出たことです。
左足首から指の先までシビレが生じ、一時、左足首が上に反らすことが出来なくなりました。
術後、血腫による下肢麻痺であれば、緊急手術をしなくてはならないと言われていました。

このシビレが出たのが、手術後3日目から時々出ていたのですが、本格的に痛さが出てきたのは、術後5日目でした。
体温も術後から継続して37度前後の微熱が続いていました。

医師から再手術 必要なしと言われたのが、術後13日目でした。
その間、左足首の動きが徐々に動き出し、シビレも徐々に解消しました。
その間、再手術をしなくてはならないかもしれないという不安感で、毎日 祈るような気持ちでした。
医師から、この調子なら再手術の必要はないな・・・・と言われた時は、悪夢から覚めたようでした。

 

その左足首のシビレは、退院後1カ月経った今でも、若干残っています。
手術同意書には、神経除圧操作に伴う一時的な下肢筋力低下、疼痛、シビレ等出現することがあるとし、経過予想及び考えられる後遺症として症状残存の可能性としてシビレ等残ることが多いと書いてあります。

手術前の痛みに比べれば、今の状態を良しとしなくてはなりません。


「第29回 鈴懸の径絵画展」 開催中

2014年06月12日 09時41分23秒 | 芸術・水彩画

毎年 11月に開催していました「鈴懸の径絵画展」は、6月11日(水)~6月14日(土)に開催されています。

僕は、4月 手術前に申し込みをしていたのですが、搬入が5月25日で、手術後ということもあり、まだ自動車の運転に自信がなく、電車で運ぶのも困難で、宅急便という選択肢もあったのですが、何か面倒という気持ちが働き、断念しキャンセルの通知をしました。

毎年5月に「百花創作展」を、11月に「鈴懸の径絵画展」が開催されていましたが、その二つを統合して、今年から、会期を6月に変更して、「鈴懸の径絵画展」として実施されることになりました。

ということで、今年 参加を予定して、製作していた「百花創作展」も、今回の絵画展も、残念ながら展示することが出来ませんでした。
が、ここに展示させていただきます。

  
   「百花創作展」参加予定作   「彼岸花」 F8号

 
   「鈴懸の径絵画展」参加予定作   「須磨寺にて・・・真夏のおまいり」  F10号  

 

なお、現在 開催されています「鈴懸の径絵画展」については、下記をご覧下さい。
  http://www.hyogo-arts.jp/?p=5197


映画 「万能鑑定士Q-モナ・リザの瞳ー」

2014年06月07日 09時36分56秒 | 映画・社会

映画 「万能鑑定士Q-モナ・リザの瞳ー」を見てきました。

映画鑑賞の目的も、今の体力で鑑賞に耐えるかなどとリハビリの一環として見に行きました。
まず、長い間(2時間ほど)に同じ姿勢が出来るか・・・
入院中の習性から、退院後1か月経った今でも昼寝をしているが、果たして、その眠気に勝つことが出来るか・・・・・

以上のリハビリの一環などという言い訳は、見事に裏切られ、途中で席を立つこともありませんでした。

  

松岡圭祐の人気ミステリー小説「万能鑑定士Qの事件簿」シリーズを、綾瀬はるか主演で映画化されたものです。
例によって、小説は読んでいませんが、何冊か読んだ人の話では、いくらかの事件簿を集約されて一つの映画の脚色されているようです。

あり得ないことが出来るのが、小説や映画の世界ですが、この映画も、その部類に入るのですが、見ていて案外納得してしまうから不思議です。

  

ある日、ルーブル美術館から莉子のもとに、世界的名画「モナ・リザ」を守ってほしいという依頼が舞い込みます。

「モナ・リザ」が来日するにあたり、”万能鑑定士Q”の店主 凛田莉子(綾瀬はるか)に、アジア圏代理人の朝比奈(村上弘明)から、警備強化のため、臨時学芸員として推薦されます。

雑誌記者の小笠原悠斗(松坂桃李)とともにパリに向かい、ルーブル美術館で行われた試験に合格します。

その真贋を見極める方法は、二人ひと組で行い、莉子のパートナーには流泉寺美沙(初音映莉子)で、リシャール・ブレ(ピエール・ドウラドンシャン)の指導・講義のもと訓練を続けますが、次第に莉子に変化が出てきます。

その異変には、モナ・リザの瞳に秘密があると・・・・・
真贋を見極める方法も、トリックが・・・・
流泉寺とリシャールとの関係が・・・・

莉子は、”モナ・リザ”とそれを取り巻く呪文から救出することが出来るのか・・・・
そして、”モナ・リザ”を偽物から守ることが出来るのでしょうか・・・・

 

        2004年6月 訪問時のルーブル美術館        

2004年に、僕はこのルーブル美術館を訪れています。
その時の印象にある美術館もそして”モナ・リザ”の絵画も近くで見ましたが、どうも違うようなのですが・・・・

              
    左は 2004年、僕が撮影したもの  右は、映画の1場面   これでは比較出来ないか
     

ルーブルで見た”モナ・リザ”の絵はもっと小さかったように思うのですが、思い違いであればと思いますが、僕の見た”モナ・リザ””は、実は偽物だったりして・・・・そんな筈はないか・・・・


手術後のリハビリテーション ・・・②・・・

2014年06月03日 16時14分52秒 | 腰部背柱管狭窄症について

リハビリテーションは、治療に伴う合併症を予防し、後遺症を最小限に抑えて、スムーズに手術後の回復を図ることです。
つまり、一口に言えば、日常の生活に支障がないようにすることですが、もちろん手術の種類によってリハビリの内容が違うのは当たり前のことです。

肺がんなどの手術では、手術前から、痰を出す訓練をしているようです。
もちろん、術後も自分で痰を出せるようにするのが、重要なリハビリだそうです。

胃がんなどでは、よく噛んで食べることがリハビリの基本だとか。
間食をいつ、何を、どれくらい食べるのを考えることが、回復への近道だそうです。

僕の場合、背中を10Cm切り開いて、椎間板を取り除き(除圧)、チタン合金で腰椎を固定するような手術でのリハビリの基本は歩くことです。
もちろん、手術後、すぐには歩くどころか、這うことも、すぐには動くことさえ出来ないのです。

 

手術自体は、全身麻酔のため、まったくわかりませんが、看護師さんから、「手術が終わりましたよ」
と声をかけられ、無意識の中で、徐々に気がつきだすと、傷口の痛さなのか、どこの痛さなのかわからないが、身体中が痛く、その痛さと同時に身体が抑えつけられるように圧迫される自由が利かない苦しさで、「痛い・・・」「なんとかしてくれ(といったかどうかわかりませんが、そのような感じだったように思います)」叫んでいたようで、頭の中が真っ白で、あまりの痛さに唸っていたようです。

喉の渇きも、胃が動いていない間は、水も飲まれず、足には、血栓予防のために両足に付いた機械が足を抑えつけます。

そのうち、座薬などで痛みを抑え、水を一口飲んだ時には、やっとひと心地が付きました。

 

手術のあくる日の朝には、ベッドを起こして朝食をとります。
これを食べることによって、点滴が外されます。
が、ドレーンや尿管は付いたままで、身体は寝返りどころか身体をずらしたり動かせたり出来ません。

 

術後2日目からドレーンや尿管も取れ、コルセットを着けて歩行器でトイレに行くことも出来るようになり、昼からは、初めてのリハビリが開始されます。
但し、トイレに行くにしてもリハビリテーション場に行くにしても、看護師さんが付き添います。

病院内でのリハビリテーション場には、多くの器具が揃い、沢山の患者さんが理学療法士さんやリハビリ専門医の指導のもと熱心に取り組んでいました。

まだ、歩行器に頼りきって、歩けない僕のようなものは、ベッドの上に寝転んで、滑車でつられた4Kgほどの重りを片足づつ上げ下げして、まず足の筋力の衰えを解消することから始まりました。

歩行器から杖にかわり、一人で歩けた時は、ホッとしました。
しかし、それも順調に推移したわけではありません。
一時は、再手術ともいわれましたが、それは次回に・・・・・