日本史で、重要な事件の一つで、大体の時代背景は分かってるつもりでした。
勿論、それは一つの事件としてとらまえていただけで、そこの人物の生活とか家族とか等は考えることがありませんでした。
それは、なにもこの「桜田門外の変」だけではないのです。
歴史に残る出来事が起こるまでには、その前後の出来事やその周りに多くの人がかかわっているのです。
その人たちは、歴史に残る出来ごとにかかわっていても、決して歴史の記録には残らないのです。
国を思う若い人が、この国難に自らの命を賭して事を起こします。
いかに真剣に国の行く末を思っているのか、この映画から伝わってきます。
余談ですが、あれから150年経ち、彼らが思うような世の中になったのでしょうか?
映画「桜田門外の変」ポスター 平和な家庭も長続きしませんでした・・・
この映画も、あまりにも多くの人は、知っている出来ごとなのですが、その登場人物の日常の生活等は、知る由もありません。
しかし、それが、脚色であっても、結果的に推測されたことであっても、映画なら出来るのです。
この物語の主人公 関鉄之介(大沢たかお)は、安政7年(1860年)12月、妻ふさ(長谷川京子)と息子(加藤清史郎)に別れを告げ、故郷から失踪します。
鉄之介は、大老井伊直弼(伊武雅刀)を討つ盟約を実行するため、江戸に向かいます。
大老襲撃は3月3日の大名総登城の日に決まり、水戸藩の尊王攘夷派の指導者金子孫二郎(柄本明)から、鉄之介は、襲撃実行部隊の指揮を任されます。
江戸城 桜田門外の死闘
衝撃の場面は、想像以上に残忍な様子を映し出されていました。
その襲撃は序曲に過ぎず、後の計画では、同時に薩摩藩が挙兵し、京都を制圧して朝廷を幕府から守るはずでした。
しかし、薩摩藩内では、藩主もかわり、慎重論が持ち上がり、計画はとん挫します。
それによって、幕府からも、また水戸藩からも終われる身になった鉄之介は、ここに至るまでを思い返します。
そこには、ペルーの黒船があり、井伊直弼が大老となり、その井伊と対立した水戸藩主徳川斉昭(北大路欣也)が蟄居失脚させられます。
そして、安政の大獄が始まり、この暴挙を阻止しようと、鉄之介らが、立ち上がったのですが・・・・
最後に、鉄之介の言葉が、結局は歴史とは、多くの犠牲を伴うものだったと、改めて思い起こされます。
「われらは、井伊直弼の首一つを奪うために、どれだけ多くの命を道連れにしたのでしょうか」