徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

映画「桜田門外の変」を見ました。

2010年10月31日 12時39分34秒 | 映画・社会
映画「桜田門外の変」を見てきました。
日本史で、重要な事件の一つで、大体の時代背景は分かってるつもりでした。

勿論、それは一つの事件としてとらまえていただけで、そこの人物の生活とか家族とか等は考えることがありませんでした。

それは、なにもこの「桜田門外の変」だけではないのです。
歴史に残る出来事が起こるまでには、その前後の出来事やその周りに多くの人がかかわっているのです。
その人たちは、歴史に残る出来ごとにかかわっていても、決して歴史の記録には残らないのです。

国を思う若い人が、この国難に自らの命を賭して事を起こします。
いかに真剣に国の行く末を思っているのか、この映画から伝わってきます。
余談ですが、あれから150年経ち、彼らが思うような世の中になったのでしょうか?

   
    映画「桜田門外の変」ポスター   平和な家庭も長続きしませんでした・・・


この映画も、あまりにも多くの人は、知っている出来ごとなのですが、その登場人物の日常の生活等は、知る由もありません。
しかし、それが、脚色であっても、結果的に推測されたことであっても、映画なら出来るのです。

この物語の主人公 関鉄之介(大沢たかお)は、安政7年(1860年)12月、妻ふさ(長谷川京子)と息子(加藤清史郎)に別れを告げ、故郷から失踪します。

鉄之介は、大老井伊直弼(伊武雅刀)を討つ盟約を実行するため、江戸に向かいます。
大老襲撃は3月3日の大名総登城の日に決まり、水戸藩の尊王攘夷派の指導者金子孫二郎(柄本明)から、鉄之介は、襲撃実行部隊の指揮を任されます。

  
                     江戸城 桜田門外の死闘          

衝撃の場面は、想像以上に残忍な様子を映し出されていました。
その襲撃は序曲に過ぎず、後の計画では、同時に薩摩藩が挙兵し、京都を制圧して朝廷を幕府から守るはずでした。

しかし、薩摩藩内では、藩主もかわり、慎重論が持ち上がり、計画はとん挫します。
それによって、幕府からも、また水戸藩からも終われる身になった鉄之介は、ここに至るまでを思い返します。

そこには、ペルーの黒船があり、井伊直弼が大老となり、その井伊と対立した水戸藩主徳川斉昭(北大路欣也)が蟄居失脚させられます。
そして、安政の大獄が始まり、この暴挙を阻止しようと、鉄之介らが、立ち上がったのですが・・・・

最後に、鉄之介の言葉が、結局は歴史とは、多くの犠牲を伴うものだったと、改めて思い起こされます。
「われらは、井伊直弼の首一つを奪うために、どれだけ多くの命を道連れにしたのでしょうか」

東北旅行の五日間・・・3日目(恐山)

2010年10月30日 09時38分12秒 | 旅行・観光

さて、また遡って10月11日、東北旅行三日目に話を戻します。

この日は、下北半島を登り、恐山から半島の先端大間岬を回り、佐井港から船で青森港に入り、岩木山の麓にあるホテルまで、距離的にもこの旅行では最長の移動となります。

何といっても、この日のハイライトは、恐山の参拝です。
今回初めての参拝ですが、それまでの印象は、何といっても、その名前から、よい印象はなく、なにか恐ろしいところであろうと思われました。

死者の霊が訪れると言われており、この世のものと思われない風景を想像します。
その上、”イタコ”と呼ばれる人はどのような人なのか、興味津々です。

バスを降りたとたんに鼻をつく硫黄の匂いが、この地の特異な様相を表しているようです。
日本三大霊場として、比叡山、高野山と並び恐山が有名です。
霊場とは、人間の魂が集まるとされる場のことです。

 

まず、案内人の紹介で、恐山の由来から始まり、約1時間ほど説明を聞きながら総門、山門、本堂を眺め、供養場の参道を案内してもらいました。 

1200年前、慈覚大師 円仁 が入唐の際、夢に聖僧が現れ「国に帰り、東方行程30余日のところに至れれば霊山あり」とお告げを受け、諸国を行脚のすえ、この地に至り、そこが恐山であったということです。

この地は、宇曽利湖と白浜を中心に、蓮華八葉の形状を成しているそうです。
つまり、この湖と白浜の周りには、八つの山に囲まれ、その中に地獄の形相と風光明媚の浄土の相が現れています。

参道を進むと、あちこちから噴煙が立ち上り、硫黄の匂いが充満し、まさに地獄の様子を呈し、至る所に何々地獄の表示がありました。
風車が、なにかむなしく回っている様子が印象深く、荒れた土地に石がゴロゴロして、足元を危うくさせていました。

 

そこを過ぎると、白浜が広がり、その先には湖が目に入り、今までの光景とは違うなにかホッとさせられました。

 

親より先に死んだ子供が、極楽に行くために、先に死んだ親不孝を詫びて、石を100段積み上げれば許されるということを信じて、石を積み上げますが、意地悪の鬼は、99段で積み上げた石を壊します。
それが何回も続き、見かねた親が、子供の慰みに風車を置いたりして慰めます。

亡くなった子供(子供だけではなく亡くなった方)の霊を慰めるのが、この地で、その霊に会いに来るのが、ここ恐山なのです。

そこで、イタコの仕事が始まります。
イタコは通常、生まれながら盲目か半盲目になった女子が、修行をして、イタコの能力を身に着け独立したのですが、今は、盲目でなくとも、健常者でも居てるそうです。
ただし、十数人もいたとされているイタコも今は4人だけだそうです。

恐山

目が見えないだけに、あの世の事が見え、死んだ人の霊を呼び寄せ、話が出来ると言うのが、イタコの能力とされております。
これが「口寄せ」で、死者の世界にいる先祖や肉親・友人・知人と現世に生きる人との仲立ちをし、今は亡き人の意志を伝達する「仏降ろし」を、イタコの生業なのです。
今風に言うと、心理カウンセラーではないでしょうか?

あの世とこの世が繋がったとされているのが恐山で、これを必要とする人たちの心の支えであり、よりどころであるのです。

これを信じるか信じないかは、その人の心の中にあり、信じることによって、生きがいを感じ、それでこの世の人が亡くなった人への贖罪と思えば、それで良いのではないでしょうか?

ちなみに、この恐山というのは、寺の名前で、正式には、恐山菩提寺といいます。
本尊は、延命地蔵菩薩。
訪問した日は、秋祭典の最終日でした。 大祭典は、毎年7月20日~24日。


個展の開催と鈴懸の径絵画展の受賞

2010年10月28日 09時01分28秒 | 芸術・水彩画

明日(10月29日)から個展を開催します。
その景気づけでしょうか、鈴懸の径絵画展で「兵庫県美術家同盟賞」を受賞したと連絡がありました。


個展は、第1回を2007年の夏に行い、今回、2回目を開催することが出来ました。
個展(ひろし展)は、
     明日10月29日(金)から11月17日(水)まで

   場所は、前回と同じ「喫茶ギャラリー密」です。
     住所 尼崎市東難波町5-7-9  TEL 06-6481-3629
       営業時間 7:00~17:00  土、祝日は午前中営業 日曜日は定休日です。


鈴懸の径絵画展
  会期   11月4日(木)~11月7日(日)  午前10時~午後4時
  会場   兵庫県民会館前プロムナード
        神戸市中央区下山手通り4丁目16番3号
     (雨天の場合は、兵庫県民アートギャラリー2階中展示室ー兵庫県民会館内)
     JR・阪神「元町駅」より北へ徒歩7分。 地下鉄「県庁前」駅東1・2出口すぐ。
  鈴懸の径絵画展のテーマは「兵庫の風物を描く」で、僕は、兵庫県伊丹市昆陽寺の  境内にある”お地蔵さん”を描きました。

 鈴懸の径絵画展の詳細は下記をご覧ください。 詳しい地図も載ってます。
 http://hyogo-arts.or.jp/arts/suzukake/suzukake.htm

  今回は、「兵庫県美術家同盟賞」の栄誉を受けましたが、昨年は「兵庫県知事賞」を受賞しました。

昨年の「知事賞」の作品は、今回の「個展 ひろし展」に出展していますが、今年の「兵庫県美術家同盟賞」の作品は、恐れ入りますが、神戸の県民会館でご覧頂けば、幸甚です。

     
       ”お地蔵さん”(伊丹市昆陽寺にて) F10号


松山城と道後温泉

2010年10月26日 11時48分10秒 | 旅行・観光
23日、1泊二日の「旅」を楽しんできました。
行きの新幹線とホテルだけ予約しましたが、その他も予定はあるようで具体的なものはなく、出発しました。

行きの新幹線を予約したのは、正解でした。 というのも土曜日ということもあり、指定席は勿論、自由席も一杯で、連結部分にも多くの人が溢れていました。

出発2,3日前までは、23、24日とも天気が良いという予報だったのですが、24日は昼から小雨が降ってきました。
この季節、行楽にはもってこいなのですが、秋雨前線の悪さには注意が必要なようです。

昼過ぎに松山に着き、まずホテルに荷物を置いて、そこから松山城に向かいました。
伊予鉄道の路面電車で、道後温泉駅から大街道駅まで約10分、そこからロープウエイの駅(東雲口駅)まで徒歩で5,6分です。

ロープウエイ駅の隣にはリフトもあり、ロープウエイでは、長者ケ平(ちょうじゃがなる)駅まで約3分程で、リフトでは約6分かかります。

  
  松山城            結婚式?でしょうか       ロープウエイの向こうにリフトが
                                      見えます。
                                     
登城には、この他、徒歩で4か所あり、江戸時代の正規ルートは、黒門口から大手門跡まで約徒歩20から30分かかるそうです。

現在の松山城の天守閣は、安政元年(1854年)に復興したもので、小天守や櫓は戦災などで焼失し、昭和41年に全国でも類を見ない総木造により復元しました。

      
                                道後温泉駅前のからくり時計

長者ケ平駅から、松山城天守を往復し、再び長者ケ平駅まで、3時間程かけたのですが、まだまだ見ることが出来なかったものが多くあり、それより、足の疲れが先に来てしまいました。



再びホテルに帰り、お風呂の準備をして、道後温泉に向かいました。
温泉といえば、道後温泉が有名で、それも夏目漱石の小説”坊ちゃん”の影響なのでしょうが、ここもご多分にもれず、多くの人出でした。

 

先般、東北旅行した時も、温泉に行きましたが、ここ道後は、東北と違って、若い人が多いように思われました。
会社などの団体客が多いからかも知れませんが・・・・・

2階でくつろぎ、お湯からあがれば、お茶が出て、銭湯とは違う雰囲気を味わうことが出来ました。

翌日
昼前から小雨が降り、昼過ぎに松山を立ち、岡山経由で帰ってきました。


今年もコスモスが咲き始めました

2010年10月22日 14時25分38秒 | 独り言・社会・ニュース
今年も、武庫川(尼崎武庫川河川敷髭の渡し付近)にコスモスが咲き始めました。
今年で8年目になります。

9月4日に種まきをした時には、40人程の市外からの人を含む200人からの人が集まり、このコスモスの関心の深さが分かります。

 

去る5月23日、「第21回全国みどりの愛護のつどい」(主催 国土交通省)が、兵庫県三木市で開催され、「髭の渡し花咲き会」を含む86団体が、大臣表彰されました。

     

http://www-vip.mlit.go.jp/report/press/city10_hh_000049.html

国土交通省によれば・・・・
「都市緑化について広く国民の理解と協力を得ることを目的として「春季における都市緑化推進運動」を実施しています。
その中心的行事として、全国の公園緑地の愛護団体、道路や河川等の愛護活動を通じ緑の保護育成を行っている団体、地域の緑化、緑の保全団体等 緑の関係者が一堂に集い、広く都市緑地意識の高揚を図り、緑豊かな潤いのある住みよい環境づくりを推進するために実地する」と、国土交通省の報道関係者あての書類に書いてあります。

役所の言葉は、なんとも言い回しが多く、もっと簡潔に表現出来ないものかとつくづく思います。

要は、全国で緑を育てている団体が集まり、その顕著な団体が表彰されるということです。

 

武庫川のコスモスは、今は蕾みが多くありますが、見ごろは、来週末から11月中ごろだそうです。

お陰で、国土交通省から、年間いくらかの予算が出るようで、コスモスの後は、それを利用して来春に向けてチューリップを植えるそうです。

武庫川の河川敷は、兵庫県の所有で、尼崎市が管理しています。
そこで、今度は国が、支援することとなり、8年前のビニールシートと荒地であったところが、憩いの場所として、生まれ変わり、この活動を推進された多くの団体や個人の方の努力に感謝したいと思います。

10月22日現在のコスモス達を動画で見てください。
P1110152

追伸
 明日から、今度は旅行ではなく旅に出ます。 で2,3日、ブログはお休みします。

東北旅行の五日間・・・2日目(三陸鉄道)

2010年10月20日 09時07分11秒 | 旅行・観光
三陸という名称は、陸奥の国を分割して、陸奥、陸中、陸前とし、それを総称して三陸としたそうです。
この名称は、明治になって命名されたもので、江戸時代での名称は、不明です。

釜石を境に北側が南部藩、南側が仙台藩の知行地で、今でも、この三陸地方を南部地方と呼び、青森の津軽地方と対比して話されることが多いようです。

この沖合は、黒潮と親潮がぶつかる漁場で、世界3大漁場の一つです。
そして、リアス式海岸としても有名です。

旅程は、田野畑駅から久慈駅までの「三陸鉄道」に乗車します。
この海岸に沿って走っている三陸鉄道は、もともと日本国有鉄道でしたが、地方交通線の廃止に伴い、その代行として「第三セクター方式」の民営鉄道です。

 

  三陸鉄道北リアス線 田野畑駅舎       駅の周りには、コスモスが咲いていました。


 三陸鉄道の駅には、愛称が付いています。 「田野畑駅」は「カンバイルラ」ですが、これは宮沢賢治の作品「銀河鉄道の夜」に出てくる主人公の友人の名前です。
他の駅にもその土地に因んだ名前が付いています。
終点の「久慈駅」の愛称は「琥珀いろ」です。 ここは琥珀の産地として有名です。

この「三陸鉄道」は、北リアス線と南リアス線があり、その間は、JRの山田線が走っています。
北リアス線は、久慈駅から宮古駅まで、南リアス線は、釜石駅から盛(さかり)駅までで、なんとも分割されての営業は、中々難しいのではと思います。

  
              車窓から・・・・・・                                       

 
  三陸鉄道の終点「久慈駅」

 この沿線の車窓から、紺碧の海、小さな港に漁船が見え、旅情をそそります。
海沿いを約45分間楽しみ、久慈駅に到着し、そこから、今日の宿泊地、三沢古牧温泉に向かいました。

東北旅行の五日間・・・1、2日目の北山崎遊覧

2010年10月19日 13時06分24秒 | 旅行・観光
トラは死んで何を残したのでしょうか?
優勝を逸した真弓監督の続投と2軍を優勝させた平田監督の辞任・・・・反対では、と思われたのですが・・・・今度の動向に注目です。
どうも、球団の考えることが、分かりません。

    ☆     ☆     ☆     ☆

さて、去る9日から13日まで東北方面に旅行してきました。
フルムーンを利用しましたので、新幹線はグリーンが利用出来ました。

1日目
 新大阪9時過ぎに出発し、東京で東北新幹線に乗り換え、盛岡に着いたのが、午後4時前、
この日は、盛岡駅からバスで宿泊地のある雫石温泉までで、交通機関の移動だけで終わりました。
6時間半の新幹線の旅ですが、乗り鉄の鉄道ファンは、別になんとも無いのですが、鉄道に興味のない人にとっては窮屈で退屈だったかもしれません。


2日目
今日の予定は、”北山崎遊覧”と”三陸鉄道”
に乗車し、宿泊地、三沢古牧温泉までの行程です。

短い日にちで、多くの観光をしたいのが人情ですが、どうしても旅行には移動が付きもので、この移動を短くすると同時に、その移動を利用して見学すること、また電車にしてもバスにしても車窓の変化を楽しむのも旅行の楽しみ方なのです。

内陸部の雫石から太平洋側の鳥越港に、11時頃に着きましたが、天気が悪く、風が強く、三角波が立っていました。

欠航かもと思われたのですが、定刻出港しました。
でも、船は大きく揺れ、少々気分が悪くなりました。

この港から、陸中海岸国立公園の北山崎を観光船から見学します。
出港と同時に、船の周りは、エサを求めて”うみねこ”が飛び交い、出港を祝っているようです。

  

この北山崎めぐりは、途中 弁天崎、矢越崎を経て北山崎までの往復50分の航海です。
日本一の海岸美という触れ込みだけあって、太平洋の荒波が造った高さ200mに及ぶ断崖が約8Km(見たのはその一部ですが・・・)にわたってある自然美は、さすが見ごたえがありました。

  

波が高く、船は波にぶつかって大きく揺れ、船員さんがビニール袋を持ってまわっていましたが、誰ひとり、ビニール袋のお世話にならなかったようです。

再び出港した港に帰ってきたときには、薄日がさし、空が明るくなってきましたが、波はおいそれと収まりませんでした。

揺れる船から解放され、今度は、三陸鉄道から、あの海を眺めることとなりました。
この話は、次回に・・・・・・

北山崎遊覧の動画・・・・
   北山崎遊覧

トラ、最後まで期待を裏切る・・・・

2010年10月17日 19時57分58秒 | 野球・タイガース
6対7で逆転負け。
これで、トラの今シーズンは終了しました。
というのも、トラが自分自身で強制終了させたゲームのようなものです。
今日は愚痴の総集編になりそうです。
少々、この事態を直視するのには、時間がかかりそうで、感情的になっているところがあるかも知れませんが、それはご容赦願いたい。

           1  2  3  4  5  6  7  8  9     R    H
       G   0  0  0  0  2  0  3  2  0  =  7   14     
       T   2  0  1  0  1  2  0  0  0  =  6   10   

敗因は、エラーのセイとか、久保田が、藤川が打たれたからとかよりも、もっと根深いものがあるのではないでしょうか?

トラはゲーム感覚で試合に臨んだのに対して、巨人は、勝負を賭けた試合をしたのです。
今日の負けも、負けるべきして負けたのではないでしょうか。

巨人は、このCSの2連戦を苦手な甲子園ですることを考慮して、如何にして勝つ戦いをするか、戦略を練ってきたのに違いありません。

特に苦手な能見にはバットを短くして、粘って投球数を増やし、もともと精神的に弱い能見を苦しめ攻略しました。
ゴンザレスの投入も、今日の先発朝井も、練りに練った作戦だったのではないでしょうか?
守備の変更も適宜、的を得ており、監督の技量は、こういうところに現われているようです。
つまり、シーズンを戦うのとは、明らかに違う戦術を取ってきました。

これに反して、トラは、なんの秘策も戦術もありません。
昨日の真弓監督のコメントが、「もっと勝負強くなって・・・・」とは、監督のコメントとは思えません。
なにやら、人ごとのようで、これはファンが言うことで、勝負強くさせなくてはならないのは、監督自身なのではないでしょうか?

今日の試合は、今年のトラの戦い方そのまま表れていました。
確かに逆転のトラとも言われていたのですが、終盤は、救援陣の崩壊で勝ち試合を失っています。
きょうも、点は取ったのですが、もっと取れる場面で、取れなかったのが、致命傷になったようです。
今年、1年、聞きあきた言葉に、あとひと押しが・・・・あのとき、一本出ておれば・・・・今日も、同じことの繰り返しで、学習能力が疑われます。
チーム打率0.29通りとは言いませんが、肝心な時に凡打を繰り返しては、ただ打率や打点の数字だけが独り歩きしているようです。

昨日も云ったのですが、監督の意気込みが、選手にも反映するのですが、動かない、考えない、成り行きまかせでは、選手もそのような動きになるようです。
監督のセイで負けたとなれば、選手は付いてこなくなります・・・・

新聞報道によれば、原監督は、この2連戦の前に、選手にゲキを入れたそうです。
対して、真弓監督は、いつものように・・・・と言ったとか・・・・
そして、試合をするのは、選手だからとか言ったとか・・・・責任逃れと言われても仕方がないのでは・・・・・・
この差は、はっきり答えが出たようです。

来期は、もし真弓監督が続投するのなら、ただ現役時代の人気に頼らず、もう少し、監督としての勉強をして欲しいものです。


トラ、能見の不調を打線が補えず・・・・

2010年10月16日 19時18分35秒 | 野球・タイガース
大事な3連戦の初戦の先発は誰もが納得する能見でしたが、その能見が初回からストライクが入らず、ボールの切れが悪く、緊張からか力んでいるようでした。

それでも、1回、2回ともダブルプレーで切り抜け、巨人も嫌な雰囲気になったと思うのですが・・・・・
そのハンディを祓いのけるのが、トラと巨人の違いだったようです。

ここ一番に弱いトラの本領発揮した試合でした。 
これを払拭しない限り、何時まで経っても、トップには立てないようです。

2回にブラゼルの先制ホームランも出たので、本当は、ここで波に乗らなくてはならなかったのですが、この回の城島のデッドボールでのチャンスも3回の1アウト1,2塁のチャンスも逃がし、ここで、トラの流れは、途絶えてしまいました。

  
   2回、ブラゼルの先制ホームラン           緊張気味の能見は・・・・・

3回の攻防が今日の試合を決めたようです。

3回、巨人が坂本のホームランで同点にすると、亀井、小笠原の連打で勝ち越したのに対して、
トラの3回は、能見が四球で出て、鳥谷が力んでキャッチャーフアウルフライに倒れ、平野のセンター前で1,2塁、・・・・しかし、3番マートンが三振、4番の新井がショートフライで、勢いが出ません。

3回の3番の働きが、この試合の流れを変えたと言っても過言ではありません。

こうなれば、同じような展開では、ペナントの時も、トラには活気が感じられません。
このような場面でこそ、監督のゲキが必要なのです。

原監督の動きに対して真弓監督は、動かざること山のごとしです。
ペナントレースでも、マウンドに行ったことがあるでしょうか。
代打を告げるにしても、ベンチから出ません。

これでは、選手の士気が上がらないのです。
このような短期決戦では、なおさらです。

6回以降、原監督の動きは、守備を堅実なものとし、トラの攻撃をことごとく遮られました。

能見も決して3失点では、攻められません。
その後の、渡辺も久保田も良く投げたと思います。

結局は、打撃陣の尻つぼみな攻撃が、好投の投手陣を守られず、その攻撃陣を鼓舞出来なかった首脳陣も、責任が多分にあると思います。
特に、この短期決戦のトーナメントと同様であれば尚更です。

同じ事をすれば、明日も期待薄と悲観的にならざるを得ません。

「旅」と「旅行」の違いとは・・・・

2010年10月15日 16時30分15秒 | 旅行・観光
前回、「旅」と「旅行」の違いについて、僕なりの思いを述べたのですが、気になったので調べてみました。
通常、あまり意識して区分しないものですが・・・・・・

僕が勝手に区分し、実践していることは・・・・(あくまで、自己管理用です)
「旅」とは、個人で計画を立て、宿や交通機関などを事前に予約し、時には計画から外れる場合もあり、目的も出発時点とは異なる場合もあります。
「旅行」とは、旅行会社が立てたツアーで目的を達すること。

調べてみると、基本的には、僕の考えとあまり違いはありませんが、決まったものはないようです。
が、なかなか興味深いものがありますので列記してみました。
少々、言葉の遊びになったかも知れませんが・・・

「旅」は、一人でゆくもの、(一人旅とはいいますが、一人旅行とは言いません)
      行程が決まっていないもの。
      現実から逃避するもの。
      迷いながら行くもの。
      travel・・・・他の目的を達成するための移動。
      生活しながら、または生活のために移動すること。
 
「旅行」は、複数人で行くこと。(修学旅行、卒業旅行、新婚旅行、慰安旅行など・・・)
       行程が決まっている。
       現実と一緒に行くもの。
       迷わず、迷わないように連れて行ってもらうもの。
       trip・・・・そのものが目的。 英語ではtravelとの違いは余りないようです。
       物見遊山、観光目的。

    今日の絵は”靴” F6号

辞書には、
「旅」・・・・・家を離れて一時他の土地に行くこと。
       必ずしも遠くでなくとも、住居を離れること。
「旅行」・・・徒歩又は交通機関によって観光や慰安などで旅をすること。

敢えて区分しなくとも、どうでも良いことかも知れません。
言葉の遊びかも知れませんが、個人だけの思い込みでもいけませんので、一応、区分して考えられるものは、区分しておいた方が良いのではないでしょうか?

以上の意見をまとめると・・・・・
 「旅」とは、
   「おおまかな行き先だけを決めて、あとは気ままに一人で他の土地に移動すること。」
 「旅行」とは、
   「個人、または団体で、行き先、宿、交通手段、日程を予め決めて行くもの」
と、なります。
と言うことは、僕の場合、「旅」はなく「旅行」ばかりです。

その目的が観光であれ、慰安であれ、本当の「旅」に出てみたいものですね。
そこには、現実に帰ると”費用(お金)”というやっかいなものと二人連れになりますが・・・・