徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

阪神百貨店&新阪急ビル建て替え、「梅田1丁目1番地計画ビル」 その2

2014年11月15日 09時18分17秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

ビル建て替え工事での投資額450億円と言われていますが、それだけではないようです。

阪神百貨店の地下1階北側の地下道の拡幅、JR大阪駅側や御堂筋の地上歩道も広げ、カフェなど設置し、阪急百貨店との連絡歩道も改装し、それをさらに大阪駅前第4ビル方面に伸ばします。
さらに、阪神電車梅田駅の改装をも検討しており、総額が900億とも1000億とも言われています

工事施行計画として、大阪神ビルを東西にて2工区に分け、東側を1期、西側をⅡ期として2段階で施工されます。

2014年春から売り場縮小工事を順次行い、2021年秋ごろまで減少した売り場面積で営業されます。
その準備工事として、階段やエレベーター等の移設工事も同時に行われます。

 
Ⅰ期工事
 2015年春ごろ、大阪神ビル東側解体工事着手
 2018年春ごろ、Ⅰ期棟竣工・阪神梅田本店Ⅰ期棟オープン

Ⅱ期工事
 2018年春ごろ、大阪神ビル西側解体工事着手
 2021年春ごろ、Ⅱ期棟竣工

阪神梅田本店のグランドオープン
 2021年秋ごろで、オフィス部分の開業する全体の竣工は、2022年春ごろとなっています。

 

なお、当初竣工社は、竹中工務店か大林組が有力視されていました。

現在の新阪急ビルは、1962年に竹中工務店の設計施行で完成されましたが、大阪神ビルは、1963年に大林組の設計施行され、両ビルとも完成から50年以上が経ち、老朽化が進んでいるところから建て替えになったのですが、新しい「梅田1丁目1番地ビル」は、そのどちらが施工するのか注目されていていました。

しかし、2014年3月に発表された計画書では、竹中工務店を予定している旨が発表されています
なお、現在の阪急百貨店は、2005年に解体工事が始まりましたが、途中で、当初の施工社 大成建設が、都合により大林組に変更され、当初計画から1年半も遅れて竣工された経緯があり、今回もどうなるか、注目されています。 変更理由は、色々取りざたされていますが、内容は不明です。

 


阪神百貨店&新阪急ビル建て替え、「梅田1丁目1番地計画ビル」 その1

2014年11月13日 19時08分27秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

今年3月に阪神百貨店の入っている大阪神ビルと新阪急ビルの建て替え工事の工事施工計画が決定され、その内容について発表されました。

阪神百貨店の一部売り場や屋上遊園地も新阪急ビルのブックファストもそして地下の食堂やアリバイ横町も既に閉鎖され、建て替えによる退去がされています。

  
   現在の新阪急ビル(左)と大阪神ビル(右)            完成イメージ図  


ここでは、その内容とその進捗状況について調べていきます。

阪神電気鉄道株式会社と阪急電鉄株式会社の発表は、昨年2013年の3月にも建て替え計画について発表されていましたが、今年3月にも、工事施行計画決定として発表されました。

この計画は、「梅田1丁目1番地計画」と呼ばれ、計画中のビル名(仮称)は、「梅田1丁目1番地計画ビル」と呼ばれるようです。

昨年の計画発表では、大阪神ビルと新阪急ビルとも、築50年以上経過し、老朽化が進んでいるため、耐震、防災性能の向上など安全面による安心な区間の提供と、一番の狙いは、この不動産賃貸事業の更なる発展、すなわち不動産価値を上げ、梅田地区の更なる魅力を向上させることにあるようです。

当初の計画では、2023年の竣工を目指していましたが、2022年と1年前倒しになる予定に変更されています。

 

   

 

建て替え計画は、阪神百貨店が入る大阪神ビルと道路を挟んで南側にある新阪急ビルの土地を一体的に再開発するもので、百貨店の営業を続けるために工事を2段階に分けられています。

5つのゾーンに分かれ、
百貨店ゾーンの規模は、現在とほぼ同じ程度で(延床面積:約100,000㎡。 フロアーは、11層(地下2階から地上9階まで)

オフイスゾーンは、高層部分約190m (地上11階~38階)

カンファレンスゾーン
道路上空を建設利用することで生まれる空間を活用し、地上11階に約4000㎡をビジネス情報の発信場として、国際的に活躍する人材育成と交流の場とするとあります。
また、災害時には帰宅困難者の一時滞留スペースとしても活用します。

スカイロビー
オフイスゾーンの11階をギャラリー等の情報発信の場として活用。

屋上広場
低層部分の屋上に、環境改善に関する屋上緑化等を行う。

次回には工事スケジュールなどを掲載します。 


新しい梅田の顔、阪急うめだ本店

2012年12月04日 13時19分11秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

昨年、JR大阪駅が一新し、その周辺の百貨店の競争は一段と激しさを増しています。
新しい(五代目の)大阪駅が出来ると同時に、JR大阪三越伊勢丹が開店し、大丸は増床して、今まで百貨店にはない独自の販売展開をしています。

    

その中で、百貨店の売り上げは、スーパーやコンビニに押され、年を追うごとに減少してきました。
大阪では、昔から百貨店としては老舗の阪急百貨店も、周りの競争相手に勝ってゆかなくてはなりません。

それを打破するためには、従来の百貨店と違う百貨店として生まれ変わらなくてはならなかったようです。
去る11月21日にグランドオープンした阪急百貨店は、今までの百貨店と違うというコンセプトですが、果たしてどう違うのでしょうか?

阪急のHPでは・・・・
 ”発見がある、わくわくする、行きたくなる” ということをキャッチフレーズにしています。
具体的には、提案型、劇場型ということだそうです。

確かに、9階には祝祭広場が11階までの吹き抜けがあり、そこでのイベントを楽しみながら買い物が出来るという劇場型と呼ぶにふさわしいもので、お客を引き付けるに充分です。

もう一つの売りは、一品ものを揃えた雑貨店だそうです。
近くに「東急ハンズ」とか「ロフト」を控え、手作りの雑貨を集めた「うめだスーク(広場の意)」を誕生させました。
売り場間の仕切りをなくし、露店や雑居風に店舗を縫って散策しながら買い物を楽しむというものだそうです。

すっかり、阪急の宣伝になったようです。
スーパーやコンビニとは違う、そして今までの百貨店と違うと言うことで売り上げを伸ばすことが出来るのでしょうか?
そして、百貨店として成功するかどうか、この厳しい客争奪戦に勝つことが出来るのでしょうか?

  阪急百貨店 9階の祝祭広場・・・・(12月1日)

 


梅田北ヤードの名称を投票で・・・・・

2010年12月28日 13時25分05秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

JR大阪駅北側の再開発区域「梅田北ヤード」の新名所を、5案に絞り、来年1月28日までの一般投票で最多票を獲得したものを新名称に決定すると発表されました。

5案とは

1、「梅北」(漢字でもひらがなでも可)    2、「北梅田」      3、「ゆめきた」

4、「梅田シティヤード」             5、「おおさかきたまち」

  投票方法などの問い合わせは、大阪市都市工学情報センター   06-6949-1990
  詳細は、下記アドレスを参照してください。

 

    

      現在、先行開発現場 手前がJR大阪駅    当初の土地計画 

 

その「梅田北ヤード」の構想をめぐっては、大阪市が2022年のサッカーW杯日本招致に向けてスタジアム建設を目指していましたが、招致は実現出来ず、今後の対応が注目されています。

先日、関西経済同友会が、「グリーンパーク」として、大阪市に提案したことに対して、橋下知事は基本的に賛成の意向を示しました。
元々、知事は、森でも造っては・・・と言っていましたので、府としても財政負担も考えるそうです。

さて、どの名称が良いのでしょうか・・・・

「梅北」
・・・・ 誰もが容易にその場所を連想でき、大阪的な呼び方です
「北梅田」・・・・東梅田や西梅田がありますので、地理的にわかりやすい。
「 ゆめきた」・・・・・新しく「キタ」い生まれる街に期待感や未来への発展性を感じさせる。
「梅田シティヤード」・・・・・・ヤードには「庭」の意味もあり、都心の梅田で皆が集える場所をイメージさせます。
「おおさかきたまち」・・・・・北にある街をひらがなで表記し、親しみやすく、分かりやすい。

締め切りは、来年1月28日    募集要綱は、下記を参照ください。

 http://www.osakacity.or.jp/naming/


大阪駅はどのように変わるのか・・・・③

2010年11月27日 10時24分48秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

大阪駅の全面改修工事のために、設置された「フロートコート」や「トラベルコート」は、完成後2012年にも取り壊されます。

もともと、この建物は、工事のため、立ち退いた店舗が入っており、大阪駅の改修が終われば、それらの店舗は、再び大阪駅構内に戻ります。

 
  「フロートコート」                    「トラベルコート」    

「フロートコート」は、御堂筋口側に飲食店などの商業施設が入っています。
「トラベルコート」は、桜橋口側にJTBなど旅行会社が入っています。
いずれも、鉄骨2階建。

これらが撤去されると、今まで大阪駅前が窮屈な印象があったのですが、これで駅前に空間が出来、多少、駅前がスッキリするのではないでしょうか?

また、来年5月、大阪駅改修工事を終えた時点で、新たに長距離バスの乗り場やタクシーが新設されます。

長距離バス乗り場は、新北ビル「ノースゲートビル」の北側に、またタクシー乗り場は、同ビル2階に新設するように計画しています。

現在、「トラベルコート」横の長距離バス乗り場は駅北側の専用乗り場に移転され、跡地はタクシー乗り場に変更されるようです。

 


大阪駅はどのように変わるのか・・・②

2010年11月26日 10時49分06秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

JR大阪駅の1日の平均乗降客数は、約85万人だそうです。
これは、西日本一の多さで、私鉄、地下鉄への乗り換え客も多く、この改修工事は、その混雑ぶりを解消する役目もあります。

旧駅では、エスカレーターが上り、下り各1台しかないホームもあったのですが、新駅では増設され、エスカレーターは21台から74台に、エレベーターは5台から12台になります。

 
               連絡通路からホームへのエスカレーター     

駅の東側改札口「御堂筋口」は、地下鉄と阪急電鉄との乗り換えに使われ、乗降客の約半分を占めます。
そこには、改札口とホームを結ぶエスカレーターがなく、階段のみだったのが、エスカレーター5台が設置され、朝のラッシュ時は、その内4台が改札口からホームへ向かい、混雑を緩和させます。

混雑時間帯以外では、上り下りが2台と3台に変更されます。
そうした変更などは、相当な回数のシュミレーションを重ねており、効果が期待されます。

その他、通路や一部のホームの幅を広くし、混雑によるストレスを感じさせないようになるようです。

バリアフリー面も向上しました。
今まで、各ホームの東側に1台しかなかったエレベーターを2台に増設し、西梅田方面への移動もしやすくなります。

混雑緩和を図ると同時に、人の流れを加速させ、ストレス軽減に役立てようと、ここにも大阪駅の変貌の効果を見ることが出来るようです。


大阪駅はどのように変わるのか・・・①

2010年11月25日 11時16分12秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

「今まで 駅の上空は活用されなかった。画一的な駅から世界に誇れる駅にしたい」とJR西日本大阪ターミナル開発課長が述べています。

では、新しい大阪駅はどのように変貌し、上空はどのように活用されるのでしょうか?

今、大阪駅へ行くと、地上は工事中で迷路となっており、駅の上を見上げると、灰色にくすんだ老朽化した屋根が目に入ります。
それも来年の春には、取り払われ、その上の大きなドームに覆われることになります。

新しい大阪駅の屋根は、東西180m、南北100mで、サッカー場の2.5面分という広さです。

   
   11月現在の大阪駅の上空 (サンケイニュースから)       完成予想図

駅の上空の利用とは、大阪駅の北と南を結ぶ大きな広場(橋)が出来ます。
駅の北側に建つ「ノースゲートビル」(来春完成)の5階と南側に建っている「サウスゲートビル」(現アクティ大阪)の6階をつなぐ”空中”広場が作られ、乗降客などが南北に行き来出来る通路になります。

 
   11月1日から乗り換え連絡通路として利用。  通路から下をホームをのぞく。

 
   通路からホームに降りるエスカレーター       

 
   ホームから西梅田方面のドームを見上げる。    ノースゲートビル      

今までの大阪駅には、たたずむ空間がなく、ただ移動だけの空間からの脱却を図るため、8つの広場が設けられます。

地上22mに設けられた広場から下をのぞくと列車をジオラマのように眺めることが出来、ガラス張りの明るいドーム形屋根から光が降り注げば、まさしく、一服の清涼剤的にたたずむことが出来るのではないでしょうか?

 
  サウスゲートビル(現アクティ大阪、大丸が増床されました)   ノースゲートビル

ノースゲートビルの14階には、駅ビルでは、初めて1500㎡の農園が出来、トマトやサクランボが栽培されるそうです。

従来の駅という概念を取り払い、「小さな街のような駅になるのでは・・・・」と鉄道関係者も期待を込めています。

来年5月には、JR大阪駅が生まれ変わりますが、大阪の街自体も変わる可能性を秘めています。
平成16年5月に着工し、約2100億円を投じた巨大ターミナルは、今後どのように人の流れや街を変えて行くのか、興味が付きません。
その変貌のいったんを連載してゆきます。
                            (11月10日付けの産経新聞を参照しました)


梅田北ヤード着工も先行きは、不明

2010年04月01日 13時22分34秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

昨日3月31日に、JR大阪駅北側の再開発地域「梅田北ヤード」の先行開発が着工しました。

大阪最後の一等地と言われ、地盤沈下が続く関西経済の成長の核として期待されているのですが、不動産不況やオフイス需要の低迷、付近の商業施設が飽和状態になっているなど、先行きが不透明で、危ぶむ声も上がっているようです。

この再開発を推進するのは、「大阪駅北地区先行開発区域プロジェクト」で開発事業者12社で、企業連合を作っています。

  
  右に新築中の大阪駅新北ビル 中央のヨドバシ そこと手前の貨物駅との間が、
  先行再開発地区です。

今回の着工は、先行開発区域として7㌶で、その西側の2期事業(17㌶)には、サッカーワールドカップが開催出来る8万人規模の新スタジアムを建設する構想が浮上していますが、全体の街つくりが未定であり、順調に船出とはいかないようです。

先行開発区域には、オフイスや商業施設、ホテル、分譲マンションなど33~48階の高層ビル4棟を3区画に分けて建設されます。

企業連合の大林組と竹中工務店の2社が共同企業体として、平成25年3月の完成をめざしているとしています。
しかし、ナレッジキャピタルに参加する事業者や行政との調整がまだで、オフイスやテナント等も未定で、町ひらきが何時になるか決まっていません。

        
     先行開発地区                 完成予想図   

ナレッジキャピタルとは、先端技術を集めた「知的創造拠点」のことで、これを中心に街つくりをしてゆくのだそうです。

では、知的創造拠点とは、どのようなことなのでしょうか?
企業や研究者、市民が集まる拠点を想定し、国際会議など可能な大ホールや先端技術を集めたショールーム、研究施設、会員制のサロンなどを計画しています。

僕個人として、ここの呼称が、報道やその他の資料がまちまちであるのを、統一してほしいと思うのですが・・・・
「梅田北ヤード」が一般的なのですが、他に「北梅田」「大阪駅北地区」「梅田貨物跡」などがあります。

その梅田貨物駅の閉鎖は2013年(平成25年)だそうです。
つまり、先行開発地域が完成した時には、閉鎖となり、それらの業務は、吹田に移行されると思われます。

ちなみに、大阪駅北地区先行開発区域プロジェクトの主体企業12社とは、①エヌ・ティ・ティ都市開発 ②オリックス不動産 ③関電不動産 ④新日鉄都市開発 ⑤積水ハウス ⑥東京建物 ⑦三菱地所 ⑧住友信託銀行 ⑨日本土地建物 ⑩大林組 ⑪竹中工務店 ⑫阪急電鉄

   
 JR大阪駅の完成は来年 駅のドームも完成真近  阪急百貨店は2012年に

JR大阪駅が2011年に、阪急百貨店が2012年に、そして梅田北ヤードの先行開発地域が2013年に完成となれば、毎年、これからこの辺りの変貌ぶりには、目が外せません。


大阪の地名と成り立ち ⑫ -黒門市場ー

2010年02月13日 12時18分23秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

黒門市場は、地名ではないのですが、大阪では、特に年末ともなれば、テレビや新聞紙上で大きく取り扱われますので、ほとんどの大阪の人は知っていると思われます。

が、大阪近郊の人は、存在は知っていても、どこにあるのか、案外知らないようです。
そこで、日本橋の近くと言えば、あっ、あそこらか・・・・となればいいのですが、その日本橋も影が薄くなっているのが現状のようです。

      

では、なぜ、この黒門市場が有名なのでしょうか?
また、その名前はどこからきているのでしょうか?

マスコミで取り上げられるということで有名であるのは、冒頭に述べた通りですが、最大の理由は、大阪の「食い倒れ」の最大拠点であるミナミを支えてきたのが、この市場だったからなのです。

つまり、ミナミの繁華街の胃袋は、黒門市場から仕入れた素材で満たされているのです。
今も、黒門市場の客層は、ミナミの人が約7割を占めているとか。

  

売れ残りの魚を安く売りさばいていたのが評判になり、盛り場として流行り出し、明治35年には、公設市場として認可されました。
当時は、「圓明寺市場」と呼ばれていました。
近くの日本橋二丁目にあった圓明寺という大きな寺にちなんで名付けられていたのですが、それよりもその寺の山門が黒塗りであったため、それが印象的で、次第に「黒門市場」と呼ばれるようになったそうです。

しかし、明治45年の難波の大火災で圓明寺も山門も焼失してしまいました。
写真も残されていないので、実体の程は不明です。
名前については、諸説があります。
「火事で門が黒こげになったから」とか「もともと黒門筋と呼ばれていたから」とか「町木戸が黒かったから」とか黒門を巡る異説も少なくないようです。

黒門市場には、150店舗以上が営業していますが、もっとも目につくのが「ふぐ専門店」です。
全国の水揚げ量の約6割が大阪で消費されています。
大阪では縁起を担いで、「ふぐ」を「ふく(福)」と呼び、毒に当たれば死ぬことから「鉄砲」ともいわれ、略して「てつ」ともいいます。
従って、鍋料理を「てっちり」、刺身を「てっさ」と呼ばれて、大阪では、冬の料理に欠かせないようです。

 


大阪の地名と成り立ち ⑪ -日本橋ー

2010年02月12日 10時43分52秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

大阪の「日本橋」の読み方は、「にっぽんばし」ですが、東京のそれは「にほんばし」と読みます。

読み方にも、それぞれの背景があります。
東京の場合は、もともと「二本の橋」であったそうで、それが次第に「日本橋(にほんばし)」と呼ぶようになったそうです。

大阪は、初めから「日本一」を意識して呼ばれ、最初に架けられたのが、豊臣時代であり、秀吉の意向が多分にあったようです。

  
   地下鉄千日前線 ”日本橋駅”の液晶表示板     
日本橋界隈

もっとも、最近でも日本橋1丁目を「日本一」と呼んでおり、大阪人の「日本橋」の思いは強いのですが・・・・
その割には、今は少々分かりにくいところにあります。
というのも、道頓堀川沿いの繁華街が途切れるところにあるため、日本橋を目当てに訪れことは、あまりないようです。

それよりも、近くにある古本書店街や電気街、それに黒門市場の方が有名になっています。 黒門市場については、後日書きます。

江戸の日本橋は、東海道の起点であり、大阪の日本橋は、熊野へ向かう紀州街道のスタート地点となっており、どちらも、江戸時代は「公儀橋(幕府が管理する)」であったことからも、重要性が分かります。

しかし、当時の日本橋の南詰めは、重罪人の罪状を書いた高札場があり、橋の上で罪人がさらしものにされたようです。
近くの千日前には、刑場や墓所があったのですが、明治4年に廃止され、跡地が盛り場として賑わうと、日本橋界隈はますます栄えてきました。

得てして、昔、刑場とか墓場であった所が、廃止されると盛り場になるのが、多いようです。