徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

趣味の水彩画 -1-

2007年01月31日 10時13分12秒 | 芸術・水彩画

1月も今日で終わりますが、今年は暖かい日が続いています。
日中などは、外の方が気持ちが良いのですが、この暖かさも地球温暖化が進んでいると考えると不安になります。
今週末には、一時寒くなるようですが、この寒さも長続きしないようです。

   ☆           ☆         ☆

僕は趣味で水彩画を習っています。がまだまだ巧く描くことが出来ません。
よく「巧く描こうとは思わないで、感じたままを・・・」と言われますが、凡人には、なかなかそのようにはいかないようです。
やはり描く上は、巧く描きたいと思うのが普通ではないでしょうか?

水彩画といっても、絵の具や描き方によって色々あるようです。
一般に水彩画といえば、透明水彩絵の具で描くことを云う場合が多いのですが、その他に不透明絵の具固形水彩絵の具などもあります。

  
    今日の絵は、”函館の修道院にて”  F8号

僕なりに拙い経験での感じたままを述べてみたいと思います。
絵を描くといっても、水彩画の他に油彩画(油絵)、パステル画、コンテ画日本画水墨画、さらに鉛筆などでのデッサン画などがあります。

水彩画にしても淡彩画、濃彩画、着彩画さらに最近は、パソコンのソフトを使ってのパソコン絵画(電彩アート)などもあるようです。
紙や目的によっても違うようです。
色紙絵絵手紙もまた楽しいものです。
その色紙絵でも、筆で描く以外に、竹ペンや葦ペンなどを使って描く方法もあります。
これもまた趣が違って、なかなか乙なものです。

描くものによっても色々あるようです。
風景画、静物画、人物画、抽象画が主なものです。
さて、実際に描くとなれば、実物を見ての写生が本当なのですが、しかし、実際に写生にはかなり制限があり、困難な場合が多いようです。

暖かくて、気持ちの良い季節には、外に出て写生をするのが、絵を描くものにとっては、最高の気分なのですが、サイズが大きな絵とか、動くものとか、時間が少ない場合(旅行先や日の片寄りによる変化)は、どうしてもカメラに収めて描く場合が多いのですが、もっともこれは邪道であるのに違いがありません。

さて、どうしても写真から絵を描かないといけない場合(僕の場合かなり横着で、この場合が多いですが・・・)の注意点があります。
次回には、僕なりに考えた描き方を述べてみたいと思います。

 


"サザエさん”の誕生日

2007年01月30日 09時23分09秒 | 今日は、何の日

1月30日は、「サザエさん」の生みの親である長谷川町子さんが1920年に佐賀県佐久市で生まれました。

これほど日本国民の多くが親しんでいる漫画の主人公は、いないのではないでしょうか。 
テレビの「サザエさん」は、1969年から放映が始まり、現在まで40年近く続いており、そのテーマ曲はいまだにヒット・ランキングの上位にある、とんでもないロングセラー曲です。

     

作者の長谷川町子さんは、初め画家を志しますが、高女在学中に「のらくろ」の田河水泡の弟子になってマンガを書くようになったそうです。
「サザエさん」「いじわる婆さん」以外の作品としては「いじわる看護婦さん」「エプロンおばさん」などがあります。

この「サザエさん」は浜辺を散歩していたときに着想を得たものとされ、最初は福岡の「夕刊フクニチ」に1946年から連載されましたが、その連載をサザエさんを唐突に結婚させ終了した後、今後は1949年から朝日新聞に続きが連載されることになりました。
朝日新聞での連載は最初夕刊でしたが1951年から朝刊に移り、1974年2月「フジ三太郎」にバトンタッチして終了しました。
朝日新聞の連載分だけで25年間の長期連載でした。

   

その人気の「サザエさん」も自費出版した時には、1巻目を大手の取次ぎ店が受け取ってくれたのに気をよくして2巻目も出版します。が1巻目の返本の山が押し寄せ2巻目は取り扱わないと取次店から通告されてしまします。

要するにこの本のサイズが横長の変形版であったため本棚に並べにくかったこともあって全く売れず、家は返本の山で埋まったといわれています。
しかし、母親から本のサイズを変えてもう一度出版するように進められ借金をして再度挑戦し、幸いなことにボツボツと売れ出して、その後在庫は一掃されたそうです。

このことを教訓に、長谷川町子は出版社の誘いに乗らず、姉と「姉妹社」を設立し、長谷川町子の作品はこの「姉妹社」からずっと出版され続けることになりました。


いよいよキャンプイン・・・

2007年01月29日 13時19分55秒 | 野球・タイガース

現在、自主トレ中のプロ野球各球団も2月1日には一斉にキャンプインします。
ペナントの開幕は、我がタイガースは、3月30日に京セラドームで広島と対決します。

オープン戦は、2月24日に安芸でオリックス戦を皮切りに2月25日高知で同じくオリックスと、地元では3月3日京セラドームでこれまたオリックスと対決します。

今年のタイガースは、井川の抜けた穴をどう埋めるのかが話題になっていますが、岡田監督はあまり深刻に考えていないようです。
つまり、左の能見、筒井、江草、吉野、三東、中村泰それに2年目の岩田、ルーキーの小嶋の8人がそれぞれ2勝すれば井川の14勝をオーバーするという単純計算を立てているようです。 また井川の209イニングをこの8人が27イニングつづ投げれば良いということになります。

まずこの通りにはいきませんが、このつもりでこの8人にハッパを懸けたいのでしょう。
この8人のうち3人でも4人でも昨年を上回る成績を願いたいものです。
それより、右左には関係なく、実績のある福原、安藤、杉山、下柳、それに太陽、金沢などがしっかりと先発の働きが出来れば問題はないのですが・・・・・

後は、ウイリアムス、藤川、久保田が、きっちりと中継ぎ、押さえをして、昨年や一昨年以上に勝利の方程式を立てれば、磐石の投手陣となるのですが・・・・

     
   新助っ人 ジャン投手        藤川のグラブ「気力一瞬」

27日に新助っ人のジャン投手が来日しましたが、このジャン投手は身長193cm、体重116Kgで、変化球も多彩で最速158Kmとの触れ込みです。
例年、外人には、煮え湯を飲まされることが多いのですが、こればかりは、やってみなければ分からないものです。

野手では、今年の期待の星は、桜井や赤松、前田大なのですが、如何せん守るところがありません。がレギュラーを押しのける力を見せて欲しいものです。
それに、桧山の復活も期待したいところです。


ハンカチを持っていない!!!

2007年01月28日 09時47分06秒 | 独り言・社会・ニュース

ノロウイルス感染症が猛威をふるっていましたが、最近は下火になったようです。
その予防として手洗いやうがいを励行するように広報されていましたが、実は数年前から気になっていたことがあります。

  
     今日の絵は、”シクラメン” F6号

それは、駅や百貨店などのトイレで見ていると、手をきちんと洗っている人が少ないことです。 
まったく洗わない人もいるし、手先だけ申し訳程度に濡らしている人も少なくありません。
どうしてだろうと思っていると、その理由はハンカチやタオルを持ち歩かない人が多いそうです。
紙を節約して、最近はハンドドライヤーを設置しているところが増えました。
先端医療がマスコミにも取り上げられ、高度な医療知識を持つ人も増えましたが、基本的な、手洗い、うがいが大切などということが抜けているのではないでしょうか?

子供が学校に行くときハンカチやテッシュを持たせないのでしょうか?
勉強以前の基本的なことと思うのですが・・・・・
ドライヤーは節約のためにも使わない、ハンカチやテッシュを持たせるということを教えたいものです。

別にハンカチ王子の真似をせよとは云わないが、その心がけが必要と思われます。


国旗制定記念日

2007年01月27日 09時52分10秒 | 今日は、何の日

今日、1月27日は、明治3年(1870年)に太政官布告の船舶法により、船舶に国旗の掲揚を定めたことによります。
この時に、サイズ、デザインが統一されました。

       

日の丸」が最初に公的に、使用されたのは、寛文13年(1673年)に江戸幕府が御城米廻船に船印として「日の丸」の”のぼり”を掲揚するように指示したのが初めとされていますが、戦国時代にも武将の旗印として使われたこともあるようです。

国際的に認められたのは、万延元年(1860年)に日本修好通商条約の批准書交換のために渡米した使節団の一行が「日の丸」と星条旗が掲げられ、新聞等で紹介されたことから、遅くとも江戸時代末期には、「日の丸」が日本の国旗として内外で認知されたものと考えられています。

終戦後は、一時GHQの方針として、国旗掲揚は、その都度許可が必要とされましたが、昭和22年(1947年)に、GHQ覚書で、祝祭日には、国旗の掲揚を正式に許されました。

国旗も誕生からその後の生い立ちには、色々な歴史が刻まれています。

星野ジャパンもこの日の丸を背負って、北京オリンピックでは、金メダルを取って欲しいものです。


北京オリンピック

2007年01月26日 10時22分00秒 | 独り言・社会・ニュース

星野ジャパンが誕生しました。
この先、大きな試練が待ち受けていることでしょう。
「金」以外はいらん・・・・というのは大きなプレシャーとなります。

北京オリンピックの野球の競技は、2008年8月13日~23日まで開催されます。
野球競技は、2012年のロンドン大会では、野球競技はありません。
その次の大会2016年には、東京が立候補していますが、もし、北京で日本が優勝でもすれば、野球が復活するのではないかとの思いがあるのでしょう。

 

民間資本の導入で成功した1984年のロサンゼルス大会以来、オリンピックの商業化は進み「金のなる木」といわれるほどになってきました。
2002年に開催されたソルトレークシテイ大会では、招致委員会による買収工作が発覚するなどして物議をかもしました。

こうした事態を受け、IOCは開催コストのスリム化などを改革案として打ち出したのですが、結局2012年の開催地の最終候補に残ったのは、ロンドン、パリ、ニューヨーク、モスクワ、マドリッドの大都市だけとなりました。
この時の最初の立候補地は、最終候補地以外には、イスタンプール、ライフチヒ、リオ・デ・ジャネイロ、ハバナでした。

  
   北京オリンピックのメインスタジアム    席が甲、乙、丙、丁と区分

選手総数1万人を越える巨大イベントの開催は、もはや大都市でなければ不可能になってしまったのでしょうか?
閉鎖的な中国が、商業主義になった巨大イベントをどのようにして、開催することでしょうか?


石ノ森章太郎、松本零士の誕生日

2007年01月25日 09時35分58秒 | 今日は、何の日

奇しくも1938年1月25日は、石ノ森章太郎松本零士という2人のビッグな漫画家の誕生日です。

        
      石ノ森章太郎氏          松本零士氏

石ノ森章太郎は、1998年1月28日に急逝しましたが、「サイボーク009」と「仮面ライダー」で知られています。
「仮面ライダー」はしばしば誤解されていますが、原作ではあの顔は正体を隠すための仮面でした。つまり「変身」の必要はなかったのですが、TVシリーズ2号ライダーの一文字隼人(佐々木剛)以来、あの「変身」こそが仮面ライダーのシンボルとなりました。

    

石ノ森章太郎のこれらの作品は、いわば手塚治虫の「鉄腕アトム」の延長線上にあり、そこに描かれているのは、戦争への抗議であり、機械文明に潜む疎外された者の悲哀でもあったのです。

松本零士は「銀河鉄道999」「戦艦ヤマト」が代表作です。
初めは少女マンガを描き始め、主人公は細身のハンサムが多用されましたが、その後は「銀河鉄道999」に見るような、ガニマタの小男が主人公キャラとして多用されるようになりました。

「銀河鉄道999」は題名から連想されるように、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」からインスパイヤされた作品です。
地球とアンドロメダ星雲の中核星を結ぶ宇宙列車「銀河鉄道999」に乗り込んだ少年の冒険物語ですが、鉄道マニアと宇宙マニアの心をくすぐってくれました。
かなりの長編でTVでも長時間放映されました。


"DMV”は、鉄道、バス???

2007年01月24日 16時53分05秒 | 鉄道のよもやま話

平成16年から、JR北海道で開発されています”DMV”という乗り物とは、どんなものでしょうか?
道路上ではタイヤで走り、レール上では鉄製の車輪で走る乗り物で、分類するとすればバスの類に入るのだそうです。

レールバスという名前で、海外でも試験的に開発されてきましたが、実用化されませんでした。
また昭和37年にも当時の国鉄が国鉄バスと鉄道のローカル線を直通する目的で「アンヒビアンバス」の開発が進められたことがあります。
しかし、これらが実用化されなかったのは、道路走行からレール走行に切り替える技術が未熟で大きな手間と時間、設備が必要となり陽の目を見ないまま中止された経緯がありました。

   JR北海道が開発したDMV

JR北海道が開発しているDMV(デユアルモードビークル)とは、ゴムタイヤが4輪あり、前輪の前に前部ガイド輪(鉄製車輪)、後輪の後ろに後部ガイド輪があり、道路ではガイド輪を跳ね上げて床下に収納し、ゴムタイヤで走行します。
道路から線路走行への変換は10秒という早さが特徴だそうです。

北海道では、道路や線路では、凍結、積雪のために交通障害が多発し、その解消とローカル線の廃止に伴い、鉄道幹線をつなぐ交通機関として期待されています。
つまり、バスと鉄道を途中駅で乗り継ぐことなくバス停からターミナル駅まで直通できることで、効率良い旅客輸送が出来るということでしょう。

平成19年4月から釧網本線の浜小清水~藻琴間で試験的営業運行が予定されている他、静岡県富士市などで採用が検討されています。


裁判員は”クジ”で決まる・・・・

2007年01月22日 09時25分12秒 | 独り言・社会・ニュース

2009年までに「裁判員制度」が導入されます。
「裁判員制度」とは、普通の人が殺人などの大事件の裁判に出席して裁判官とともに判決を決める制度です。

毎年末までに各地方裁判所が有権者から翌年の裁判員候補を”くじ”で選びます。
09年からとなると、08年の末には、裁判員候補が決まる事になります。
この確率は、70人に一人が一生で1回は候補となるというものだそうです。

         
      「裁判員制度」のポスターですが、あまり見かけませんが・・・・・

裁判員が必要となる放火や誘拐などの事件が地裁へ持ち込まれるごとに、候補から実際に担当する裁判員を6人を選びます。
裁判員に指名されたら学生や重病人、高齢者など以外は、必ず裁判に出ないといけません。 
欠席は10万円以下の罰金刑があります。

この裁判員制度の大きな目的は、別に裁判員に専門的な法律の知識はいりませんが、専門知識を持った裁判官に、一般市民の常識をぶっつけるのが裁判員の役割なのです。
ただし、最終的には裁判官と一緒になって、被告が有罪か無罪か、有罪ならどの程度の重刑(懲役何年、死刑まど)を科すべきかを決めます。
普通の人には、かなり荷が重そうです。

「どんな犯罪なら懲役何年」といった”相場観”なんて、普段から持ち合わせてる人はそうそういない気がします。

結局我々素人は、裁判官の意見に従うばかりで、市民感覚を反映できる可能性などないのではないでしょうか?


「企業の品格」が・・・・・・

2007年01月21日 08時57分23秒 | 独り言・社会・ニュース

不二家問題で不思議に思われることがあります。
雪印乳業や日本ハムを、なぜ「教訓」にしなかったのか、ということです。
雪印の事件後、食品業界では衛生管理の体制強化をしたり、社員教育を徹底したりする企業が少なくなかったのですが・・・・・・

同業者のそういう動きを他人事のように受け止めていたと思わざるを得ません。
内部文書では「雪印の二の舞は避けなくてはならない」と書いているくらいだから、消費者の信頼を裏切った時のシッペ返しの大きさは認識していたはずです。

頭で分かっているのと、実際に行動に移して生かすのとは、まったく別の問題なのでしょう。
ここにルール違反が日常的となり、経営陣は問題を隠ぺいしょうとし、発覚後も責任逃れの姿勢が目につきます。

 
   1月23日まで塚口さんさんタウン3号館5Fで開催中

昨日も菓子製造・販売の「おたべ」が、賞味期限切れのチョコレートを使っていることが分かったと発表されていました。

北海道ガスのガス漏れ事件も、ガス漏れが起こっていることが分かっていながら対策が遅れことも、企業としての姿勢が問われるのではないでしょうか?

とにかく、安全を後回しにして営利が全面に出ているように思われ、企業の品格が問われるのではないでしょうか?