日々の出来事 7月24日 たこ八郎
今日は、たこ八郎が海に帰った日です。(1985年7月24日)
1985年7月24日、たこ八郎は神奈川県足柄下郡真鶴町の海水浴場で飲酒後に海水浴をし、心臓マヒを起こして亡くなりました。
たこ八郎は、少年時代に左眼の視力をほとんど失いました。
でも、仙台育英学園高等学校在学中ボクシング部で活躍しプロボクサーを志望、そして、視力表を丸暗記してプロテストに合格します。
その後、日本フライ級チャンピオンまで獲得するのですが、左目が見えないことを相手に悟られないようにパンチを打たれ続けた結果、パンチドランカーとなり引退します。(このファイトをモデルとして漫画“あしたのジョー”が作られました。)
引退後は、由利徹の住み込みの弟子として芸能界にデビューします。
しかし、パンチドランカーの症状の夜尿症で迷惑を掛けると由利徹の家を出、友人たちのところを泊まり歩きました。
それでも、友人たちは“たっこでぇーす”と再々訪れる たこ八郎を邪険に扱うことも無く、誰からも好かれる人間であったと言われています。
芸能界デビュー後は、コミカルな風貌と演技でテレビや映画で活躍を続けましたが、残念ながら人気絶頂のさなか溺死の訃報が届きます。
当時の新聞は、大きく“たこ八郎、海に帰る”と報じました。
1985年秋、由利徹と赤塚不二夫、山本晋也らが発起人となって建てられた たこ八郎の墓には、座右の銘“めいわくかけて ありがとう”の文字が刻まれています。
|ω・`) チラッ、た、たっこで~す!
~オレが主役でいいのかなぁ・・・~
タモリが“笑っていいとも!”の生放送中に、この訃報を言っていたことを覚えている人は多いと思います。
たこ八郎
☆今日の壺々話
不眠症
ルーシーは不眠症のためドクターを訪ねました。
「 先生、最近、夜どうしても寝付けないんです。
何とかなりませんか?」
ドクターは夫人を診察して言いました。
「 軽い不眠症ですな。
薬を処方します。
あと寝る前には数を数えるといいですよ。
羊が一匹、羊が二匹、とね。」
「 わかりました。
やってみますわ。」
ルーシーは家路に着きました。
次の診療日、ドクターは夫人に尋ねました。
「 どうですか。
その後の具合は?」
「 ええ、お蔭様でよく寝れるようになりましたわ。」
「 それは良かった。」
「 ただ問題があるんです。
実は、私が数を数えてると主人がいつも決まって急に夢から覚めて飛び起きるんで困ってるんです・・・・。」
「 えっと、ご主人の職業は?」
「 プロボクサーです。」
喧嘩1
エレベーターから降りようとしたらドアが開いた瞬間、新聞配達が乗ろうとしてきました。
一応奴は後ろにさがったのですが、降りたときに顔を近づけてきました。
そして、何も言わず俺の顔を見ながらエレベーターに乗っていきました。
気持ち悪かったです。
25歳位で昔は不良だったのかマジボウだったのかわからない中途半端な奴でした。
むかついたので「降りる方が先なのは常識だぞ、そんなんじゃ死ぬまで新聞配達だな。」と言ってやりました。
奴はキレて「誰が新聞配達だ!俺はボクサーだ!」と叫びながら、俺のほほに右ストレートを叩き込みました。
アドレナリンが体中を駆けめぐりました。
俺もキレて持っていた缶コーヒーを投げてつけて完全に喧嘩になりました。
俺は21歳身長173センチ体重60キロで相手は167センチの60キロ位です。
俺はボクサーはパンチのスピードと重さを上げるために前足に体重をかけると聞いていたので、右ローを3発叩き込みました。
ローのあと数発殴られましたが、ローが効いたようで最初に受けたパンチ程効きませんでした。
そのあとは奴の頭を壁にたたきつけたりしてしめました。
トドメに倒れている奴の口に踵落としで歯を何本か折ってやりました。
後日奴をしってる近所のおばちゃんから1勝3敗の三流ボクサーと知りました。
ボクサーは喧嘩弱いなと思いました。
マジでセレスや徳山や畑山位なら喧嘩で勝てそうです。
喧嘩2
駕篭から降りようとしたら垂れ幕が開いた瞬間、浪人が乗ろうとしてきたでござる。
一応奴は後ろにさがったのでござるが、降りたときに顔を近づけてきたでござる。
そして何も言わず俺の顔を見ながら駕篭に乗っていったでござる。
気持ち悪かったでござる。
25歳位で昔は士分だったのか足軽だったのかわからない中途半端な奴でござった。
むかついたので「降りる方が先なのは常識でござろう。そんなんじゃ死ぬまで浪人だな」と言ってやり申した。
奴はキレて「誰が浪人だ!俺は元は大名だ!」と叫びながら拙者のほほに殴りつけてきたでござる。
脳内分泌液が体中を駆けめぐり申した。
拙者もキレて持っていた名刀正宗を抜いて完全に喧嘩になったでござる。
拙者は21歳五十石取りの江戸詰め仙台藩士で相手は先述の通り浪人でござる。
拙者は浪人は刀を売る事があると聞いていたので、先手を取り袈裟打ちを叩き込み申した。
相手はやはり竹光だったようで最初に放った一撃で紙切れのように割れた竹光ごと血の海に 沈んだでござる。
そのあとは冷たくなった奴の身体がぴくぴく動くのを黙ってみ申した。
トドメに倒れている奴の懐から二分銀を何枚か盗んだでござる。
後日奴をしってる近所のおばちゃんから、奴が元五大老の一人だと知り申した。
大名は喧嘩弱いなと思ったでござる。
マジで清正や福島や高虎位なら喧嘩で勝てそうでござる。
タコウィンナー
タコさんウィンナーって言ってる奴!タコウィンナーさんだろうが!
なんでタコにさん付けしてんだよ!
あれはタコじゃなくてウィンナーなんだから、ウィンナーにさん付けしろよ。
なに呼び捨てにしてんだよ。
タコさんウィンナーのどこが悪いの?
普通タコウィンナーとは言わないような気がするけど・・・。
つーかアレ何て呼んでたっけか?わからない。
「の」を入れれば解決。
タコさん「の」ウィンナー。
タコ「の」ウィンナーさん。
どっちが正解か…、分かるよな?
ありがとう。
自分が間違っていました。
タコさん「の」ウィンナーだと卑猥な意味になりますよね。
いやあのそういう事じゃ。
陸にあがる蛸のお話
蛸が上陸して野菜をあさる、と言う話が有るのですが、これに関する話をご存知ならば教えていただたいのです。
事実なのやら伝説なのやら・・・・・・。
釣りやってる人なら知ってる事実だけど、タコって白いものに興味を示して食いついて来るんだよ。
だから特にタコだけを狙うときは、らっきょとか瀬戸物とか白いものを仕掛けにつけて釣る。
大根に食いついたってだけなら不思議でもなんでもない、そういう習性だからね。
おととい堤防で釣りをしていたらに横にタコが練り歩いてたよ。
横の人が釣ったのが逃げたかと思い横の人に聞いてみると知らないと。
何だ?と首をかしげていると、堤防のふちからタコが登ってきた後があるではありませんか。
三浦あたりでは大根畑にタコがいたと聞いたことあるけどホントなんだと思った。
スルメ食べてたからそれ狙ってきたらしい。釣りよりタコ取れたほうがうれしかった。
タコかわいいよタコ。
九州出身のおじさんが、たこが畑に上がってきてきゅうり食べるって話をしてて、マジかよと調べてたどり着いたんだけど。
しかし、大根の方が昔と違って青首になってしまった今、蛸は何を目指すのだろうか、ジャジャーン。
車で海岸沿いを走ってたら、たまにタコが横切ってるところ見るよ。
漁港で水揚げされたタコが逃げ出して1時間ぐらいうろうろしてる時もあるから、結構陸でも呼吸できるんではないかな。
果実や野菜を好む理由はわからんなぁ。甘党かな?
以前親父に聞いた話だが、曾祖父さんが畑に上がってくるタコをよく捕まえていたそうだ。
タコが移動した後はヌルヌルが続いていて、帰りもそれを辿って帰るらしい。
そのヌルヌルを途中で踏み消してしまうと帰り道が判らなくなるんだと。
そうやって、キョドってるところを捕まえたんだそうだ。
アリかよ。
住んでる所
結構前だけど、電車で高校生二人の会話。
「 瓢箪山って駅マジであんねんな。冗談かと思てたわ。」
「 古い地名や。ふざけてつけたんと違うで。」
「 でもちょっとふざけてんかと思うやん、最初思わんかった?」
「 生まれた時から住んでんねんから思わん。」
「 いや、でもヒョータンやで、ヒョータン。あ、また笑うわ。」
「 失礼なやっちゃな。そういうおまえはどこ住んでんねん?」
「 蛸地蔵。」
「 おまえに瓢箪山を笑う権利は無い!」
蛸地蔵由来
敵軍に攻められて落城寸前だったお城に、大ダコに乗った坊さんがきて錫杖で一万人の敵兵をぶっ叩いて回ったらしい。
それでも多勢の敵軍が有利、坊さんは敵兵に囲まれて、あわや!ってとこに、今度は海の波に乗って大ダコと子ダコが大量に押し寄せてきて城で墨を吐きまくって敵を壊滅させたらしい。カオス。
その坊さんは実は、むかし海にポイ捨てされた地蔵の化身で、そのあと城の堀の泥の中に埋められた末に忘れられて謎の発光地蔵となり、まあ色々あって、いま駅の近くの寺にある蛸地蔵です。
ちなみに、その時の城主は別のタコにも助けられたことがある。
タコに縁がありすぎる。
海に突き出した感じのボットン便所
そういや昔、セーシェルに行ったとき、
レストランのトイレが海に突き出した感じのボットンだったんだが、
俺がウンコするとそのウンコにエビが群がってててさ、
俺のウンコ大人気な訳。
海に落ちて数分で形跡もなく食い尽くされて、
なんとなくいい気分になった。
で、トイレから出てくると、料理が運ばれて来ててさ。
メインのエビ料理のエビが、俺のウンコに群がっていたエビと同じ種類なの。
アハハハハ。
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