日々の出来事 7月11日 京都のナイトクラブ “ベラミ”
今日は、山口組三代目組長・田岡一雄が、京都のクラブ“ベラミ”(京都市東山区三条通川端東入ル)で銃撃された日です。(1978年7月11日)
1975年頃から続いていた“大阪戦争”において、大日本正義団の組長が1976年10月、大阪の日本橋の路上で射殺されました。
この日本橋事件の報復として、大日本正義団組員の鳴海清は、山口組組長の狙撃を考える中、組長が度々京都のクラブ“ベラミ”に立ち寄ることを聞き付け、1978年3月ごろから“ベラミ”に通って、機会を窺っていました。
そして、1978年7月11日、田岡組長が東映京都撮影所の火事見舞いの後に“ベラミ”に立ち寄った折、リンボーダンスショーが行われている中、鳴海は38口径の銃弾を2発撃ち、そのうち1発を田岡の首に命中させ全治2ヶ月の重傷を負わせました。
犯行後、直ぐに鳴海は阪急電車で大阪方面に逃走します。
その後、山口組を挑発するような文章を新聞に送り付けるなどしながら逃走を続けましたが、警察の懸命の捜索にもかかわらず、9月17日、六甲山の谷底で腐乱死体となって発見されました。
なお、鳴海殺害については犯人不明のまま時効となっています。
また、ついでに言うと、鳴海が付き合っていた女性は、三菱銀行人質事件の犯人梅川昭美とも付き合っていたようです。
当時、“ベラミ”は、高級なナイトクラブで、京都でジャズオーケストラを抱える唯一の施設でした。(事件当日は、小柳ルミ子、梓みちよの写真入り看板が二つ並べて正面に飾ってありました。)
この事件後、組長は、“ベラミ”の社員を料亭へ呼び、迷惑を掛けたと謝罪し、“自分を含めて暴力団関係者は今後一切ベラミには入らない”と約束しました。
そして、“ベラミ”はその後も営業を続けていましたが、経営の中心だったママさんが亡くなったことから閉店となり、現在、店はありません。
レコード(べラミ収録版)
越路吹雪
「コシジ・イン・ベラミ ナイトクラブの越路吹雪」(1967年11月16日収録、1968年発売、東芝音楽工業)
「コシジ・イン・ベラミ ナイトクラブの越路吹雪 第二集」(1970年10月16日−20日収録、1970年発売、東芝音楽工業)
奥村チヨ
「ナイト・クラブの奥村チヨ」(1970年7月16日−18日収録、1970年10月5日発売、東芝音楽工業)
「チヨ・イン・ベラミ」(1971年8月25日発売、東芝音楽工業)
フランク永井
「フランク永井 at BELAMI」(1972年7月収録、1972年8月25日発売、ビクター音楽産業)
欧陽菲菲
「欧陽菲菲 イン・ベラミ」(1972年4月7日−8日収録、1972年6月5日発売、東芝音楽工業)
加山雄三
「イン・ベラミ~ナイト・クラブの加山雄三」(1970年10月27、28日収録、1971年12月20日発売、東芝音楽工業)
黒沢年男
「黒沢年男 ファースト・ライブ・イン・ベラミ」(1978年月収録、1978年7月発売、コロムビア)
平尾昌晃
「京都・ベラミ 平尾昌晃オン・ステージ」(キングレコード)
ベラミ
☆今日の壺々話
Q&A
暴力団が何をする人達なのか具体的にわかりません
暴力団が何をする人達なのか具体的にわかりません。
想像を働かせても何故か借金取りがやってくる絵が思い浮かびます。
もう一つは映画のような事務所襲撃の絵です。
彼らは、どのような仕事(悪さ)をするのでしょうか。
現実的かつ具体的な例を教えて下さい。
ふーぞく。
白い粉を売る。
あたりや。
企業コンサルタント。
情報誌発行。
挨拶運動。
コンサートのチケットがとれなかった人のために、
わざわざ現地まで出向いてチケットを用意してあげる。
借金が返せない人のためにマグロ漁船の船員の仕事を紹介してあげる。
お金が欲しい女性に、歌舞伎町で水商売を紹介してあげる。
(店の上に事務所があるよ☆)
他のところではお金が借りられない人に特別に貸してあげる。
老人宅に息子のふりして電話して金銭面で頼ってみる。
株主総会に出られない株主の代わりに質問してあげる。
屋根の修理や床下の修理が必要かどうか無料で点検してあげる。
網戸を換えてあげる。
こうやって話だけ聞いていくとすごくいい人っぽいな。
職場の同期
職場の同期と久しぶりに飲みに行ったときです。
それぞれ違う場所に配属になったので、約1年ぶりの再開ということもあり女の子のお店で飲んでいたところ後ろにイヤーな方々が・・・。
見た目ですぐに8の人だとわかる方々で、女の子に難癖つけたり、ボーイには料金が高いと言ったり、挙句の果てには他のお客さんにも絡み始めました。
絡まれたら嫌なので早々に退席することに・・・。
さりげなくボーイさんにお金を渡そうとしたところ、かなり出来上がってる8の1人が、
「 おい!何帰るんだ?俺らが悪いみてーじゃねーか!」
と・・・。
やんわり、
「 いやぁ~、帰り遅くなると嫁さんに怒られるんで~。」
と避けると、
「 ああ?何?そんなんが通じると思ってるの?」
と友人の胸ぐらを掴んだ。
そこで最終手段に出ました。
「 ごめんなさい。
それ以上やると正当防衛で押さえつけます。
我々は陸上自衛隊の空挺と普通科レンジャーです。
事を荒げたくないので、やめてもらえますか?
冗談抜きで僕ら強いです。」
と身分証提示しました。
すると手のひらを返したようにおとなしくなり、挙句の果てには女の子にも失笑されていました。
そのまま帰りましたがスッキリしました。
でもごめんなさい。
友人達は空挺とレンジャーの猛者ですが、僕は通信科です。
5万
俺は横浜の大学に通ってたんだ。
趣味のバイクのローンを返済する為、ビデオ屋でバイトをしてた。
バイトは時給の良い深夜に入ることが多かったんだが、結構暇な店で楽な仕事だった。
ただ、店の場所が結構ヤバメの場所ということもあり、バイトの日は毎日のようにヤクザの事務所に配達をさせられていた。
そのヤクザは店長の知り合いで、断れなく行くのはいつも俺の役目だった。
でも、俺が選んで持っていくビデオはそのヤクザのツボにはまるらしく、
「○○(←俺の名前)が持って来るビデオはいつもおもしれいなぁ」とか
「○○がいつも持って来いよ」とか言ってくれて、
チップを貰ったりして結構可愛がってもらっていた。
そんな日が一年くらい続いたある日。
いつものように店に電話があって、
「おう!○○か??今日も3本ばかりおもしれいやつ持って来いや!!」と。
バイトに入った日はほとんど毎日のことなので、いつものように新作から面白いのを選んで、店の前に止まっているローン残額たっぷりwのバイクで配達に行くことにした。
5分くらい走って、あと少しで組の事務所という時、急に左側のコンビニに止まっていた車がウインカーも付けずにいきなりUターンしてきた。
急ブレーキを掛けたが、間に合わずにその車のどてっぱらにぶつかってしまった。
バイクは倒れてカウルは割れ、タンクには大きな凹みが出来てしまった。
ヘルメットにも傷が付き、「あぁ、やっちまった…orz」と泣きたくなっていると・・。
「ふざけんなよ!!オマエなにやってんだよ!!!!!!!」
「コラ!どこ見て運転してんだよ??????ああ?!!!」という罵声が。
俺はてっきり謝ってくるのかと思ってたから、「?????」と思って見ると、当時でいうチーマーみたいな2組のカップルが車から出てきて、散々怒鳴り散らした後、
「あーあ…オマエやっちゃったね この車いくらするか知ってる?」
「これはドア交換だわ 50万はかかるかなぁ」とか言ってきた。
俺は「だってソッチが急に…」と言いかけたけど、男2人は腕にタトゥーが入ってって、結構やばそうな感じだったので、最後まで言えずに黙ってしまった。
金髪の女2人は俺を見てニヤニヤ笑って電話をしていた。
で、もさすがに悪いのは相手だと思ったんで、
「そんな運転席まで真っ黒なスモーク張ってたら、見えるものも見えないんじゃ…」と言い終わる前に、胸ぐらを?まれて、
「ああ???悪いのはお前だろ??」
「コイツむかつくな、さらってやっちまおうぜ!!」とか言われて、
俺は「もうオワタ…」と思ってた。
すぐに帰れそうになかったので、店に電話して店長に、事故にあってすぐ帰れないことを伝えた。
その後、俺は相手の言われるがままになっていた。
そしたら、しばらくして、向こうから男が2人歩いてきて、
「おう オマエら何やってんだ?」と。
俺はてっきり女が電話で仲間を呼んだんだと思って、恐る恐る見てみると・・・。
その2人は、俺がこれから配達に行く事務所の2人だった。
その2人を見たチーマーは明らかに動揺している様子だった。
その理由は・・・・。
2人ともスキンヘッド&ランニング&短パンに雪駄。
その露出の多い格好を際立たせているのは、首の根元から足のくるぶしまでびっしりと入った刺青。
チーマーのタトゥーーがシールに見えるくらいそれはもう見事なもんだった。
ヤクザの2人は、
「あんまり遅いからよ 店に文句の電話をしたら、店長が「○○が事故にあった」っていうから、様子を見に来てやったんだ」と。
車の2人はこのヤクザが俺の知っている人だと分かり、狼狽している様子だった。
「おう なにがあったか言ってみろ」と言われたので、俺は事故の様子や修理代を50万要求されていることなどをありのままに話した。
そしたら、「ハァ?50万??」とヤクザ。
「いや、あの…それは…」とチーマー。
俺はヤクザの、
「それは高すぎだろ?」とか「悪いのはお前らの車の方だから自分で直せ」
とかいう言葉を期待してた。
そしたら、「○○チャン、それは払わんといかんなぁ」と予想外の冷たいお言葉。
しかしこの後、やっぱりヤクザは怖いということを俺は心底思い知った。
ヤクザA「このドア換えるから50万かかるんだよな?」
チーマー「…あ…はぃ…でも板金で…(と言いかける)。」
ヤクザA「だったらこのドアはどうなってもいいよな?」
チーマー「・・・。」
ヤクザA「おい(とヤクザBに目で合図)。」
ヤクザB「へい!!」
ヤクザBはその凹んだドアを猛烈な勢いで蹴り始めた。
雪駄でそんなに蹴ったら足大丈夫か?いう位に蹴り続けた。
ドアはボコボコに凹み、元々の凹みは既に分からなくなり、ドアの塗装はボロボロと剥がれている。
その間チーマーは泣きそうになりながら「すみません すみません」と言っていた。
俺は自分にされたことも忘れ、すこし可哀相に思ってしまった。
そんな俺の思いをよそに、更にヤクザの恐ろしさは加速する。
ヤクザA「あとで50万渡すから ちゃんとドア直せよ。」
チーマー「・・・。」
ヤクザA「ところで、車の修理代はこっちが持つけど、バイクの修理代はオマエが持つんだよな?」
チーマー「…えっ??」
ヤクザA「あん?だってオマエそうだろ?お互いに壊したものを弁償すれば解決じゃねーか。」
ヤクザA「○○よ このバイクいくらだった?」
俺「中古で30万位でした…」
ヤクザA「うーん…あっちも凹んだドアを新品にすることだし、
同じようにバイクも新品にしてもらったらどうだ?」
俺「えっ?」
ヤクザA「バイクはな、見えないところが壊れてたりすると、あぶねーぞ。」
「遠慮しないで新品にしてもらえ。」
「新車でいくらだこのバイク?」
俺「多分60万位だと思います…。」
ヤクザA「そっか、じゃあ、消費税乗せて70万くらいだな?」
俺「・・・。」
ヤクザA「ヘルメットは?」
俺「多分3万くらいだと思います…。」
ヤクザA「そっか、じゃあ、消費税乗せて5万くらいだな?」
俺「・・・。」
ヤクザA「全部で75万と…。」
ヤクザA「仲介手数料が…25万で…。」
俺・チーマー「え??」
ヤクザA「お、ちょうどきりがいいな ぴったり100万だ。」
ヤクザA「さっきの50万とプラスマイナスして…オマエの払いは50万だな?」
俺はただただ呆然としてそのやり取りを見ていた。
ヤクザが「○○よ オマエ怪我はしてないんだろ?だったら早く店に帰ってやんな。」
「店長心配してるぞ」と「後は任せておけ」と言われて先に帰ることにした。
礼を言うべきなのかどうか迷ったが、一応「ありがとうございました。」
と言って、その日のビデオを渡して、その場を離れることにした。
倒れていたバイクを起こしメットをかぶる前に、
ヤクザBの「おら、オマエら全員免許証だせ コラ!」と言っているのが聞こえた。
後日、店長が「△△さん(ヤクザA)から預かってきた」と言って封筒を渡された。
中には5万入っていた。
なぜ5万なのか分からなかったが、よく考えてみると、
「30万(俺が初めに言ったバイクの金額)-25万(仲介手数料)=5万」
ということなんだろうと思い、
「やっぱりヤクザは怖いw」と思った。
講師の話
俺、ある専門学校で講師やってた時、東北のヤクザの娘に教えたことがあるよ。
とにかく短気ですぐにヒステリー状態になってワガママな娘なんで、同級生はみんなシカト、他の講師はヤクザの娘だからと見て見ぬフリ。
俺も当時は若かったし、高校~大学と応援団やってたから、ヤー公なんか怖くねーよ、と本気でその子に説教したり怒鳴り飛ばしたり、仲良くなってからは何時間も相談に乗ってあげたり、同級生たちと仲良くできるように色々としていた。
まぁ、その甲斐があって、徐々に周りと溶け込んでくれた。
で、夏休みが来て、その子は帰省して・・・・・。
夏休みが終わる頃、その子から突然連絡があって、
「 両親といっしょに帰京しました。
お食事いかがでしょうか。
お迎えに伺います。」と。
断るのもなんなので待っていると、うちのオンボロマンションの前にベンツ3台、真ん中はリムジンが・・・・。
まぁ、お父さんはロマンスグレーの物静かな人だったから、まだ良かったが。
生まれて初めて乗ったよ、ベンツのリムジン。
ミニバーがあるんだよ、車内に。
連れて行かれたのは、赤坂の超高級中華の個室。
親父さんが連れてきたボディガードは計8人。
店の玄関に2人、裏口に1人、個室の出入り口に2人、個室の中に3人。
まるでMIBみたいな連中に囲まれながらじゃ、味なんかわかりゃしない。
とにかく、呑め、食えで、こっちも断れないから、ヤケクソで飲み食いした。
ツバメの巣だの、グローブみたいなフカヒレだの、とにかく食った。
で、一通りの食事が終わってからは、両親の愚痴だった。
二人ともさめざめと泣きながら、
「 自分たちがヤクザのために、この子には辛い思いをさせた。」
「 本当はいけないと思っていても、この子が不憫で厳しく躾けられなかった。」
「 今までの先生は誰も本気でこの子に指導してくれなかった。」
「 この子を怒鳴ってくれて本当にありがとう。」などなど・・・。
嗚呼、ヤクザも人の親なんだな・・・・と、しみじみ思ったよ。
でも、親父さんの左手の小指は・・・・。
帰りも送ってもらって、お土産を貰った。
東北の新鮮な海産物・・・・って、そんなに食えねーよ、な量。
発泡スチロールに4ケースの天然近海物の魚介類。
もうひとつは、見事な霜降りの牛肉・・・・ 30キロはある。
まぁ、明日、行きつけの飲み屋に持っていって、飲み友達と食うか。
で、封筒がありましてね・・・・、まさか・・・・?
ええ、現金できっちりと100万円ございました。
ご丁寧にお手紙までついていて、
「 バカな娘ですが、なにとぞご面倒を見ていただけますよう云々。」
か、勘弁してください・・・・
お、重いっていうか、もはや脅迫です・・・・ 。
酔い覚ましもそこそこに、バイク飛び乗って返しに行った←(生徒の住んでたマンション)
が、当然、受け取ってもらえない。
それどころか、
「 男が一度出したものを受け取れるわけねえべさ!」と怒鳴られた・・・・。
こ、こえぇぇぇ! で、でも、大声なら負けないぞっ!
「 教育者がこのようなものを受け取れるわけないでしょう!」
「 ア"?」な表情のボディガードさんたち・・・・ 。
あ、あんたらに言ったわけじゃないんですよぉぉぉぉぉ。
30分にわたる押し問答の挙句、やっと見つけた妥協点。
「 で、では、このお金はまずお母様がお預かりください。
そして、お嬢さんが無事に卒業した時、クラスでやる卒業パーティーに寄付、ということで・・・・。」
親父様、しぶしぶながらも納得してくださいました・・・・ 。
が、突然、名刺入れから金色のなにかを出してきた。
え? 名刺? なんで、金色????
しかも、なんでボディガード軍団が「おぉ!!」とか感嘆してんの???
「 これは私の名刺です。
もし、先生になにかございましたら、この名刺を(地名)の○○組か(地名)の○○会の者に渡してください。
必ずや私の兄弟分が先生のトラブルを解決いたします。」
これは押し頂いてくるしかなかったっす。
その後、女の子が卒業するまでの1年半、 ほぼ一ヶ月おきに届く山海の名産物、東西の銘酒、季節ごとにスペシャルバージョンは大家族向け、中元歳暮は店の仕入れレベル。
卒業パーティーは約束通り、援助してくださいました。
東京ディズニーランドの某高級ホテルでパーティー・・・・。
クラス24人分の全ての飲食代どころか、宿泊費用まで払ってくださいまし・・・・。
100万じゃすまねーよ・・・・。
俺か? 俺のせいなのか????
そして、今でもお中元お歳暮は来ますよ・・・・。
お願いして、量は少なくしてもらっていますが・・・。
今はもう講師やってません。
いや、この事件が原因ではありませんがね。
本業が忙しくなってしまったので。
それにしても怖かったです。
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