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日々の出来事 7月26日 岡 八郎

2018-07-26 07:00:00 | A,日々の出来事_






  日々の出来事 7月26日 岡 八郎






 今日は、吉本新喜劇の岡 八郎(1938年4月16~2005年7月26日)が亡くなった日です。
岡 八郎は、師匠である花菱アチャコのすすめで、1959年吉本新喜劇へ第1期生として役者希望で入団します。
その後、浅草四郎と一時漫才コンビを組みますが、再度、新喜劇に役者として復帰、花紀京と二枚看板として活躍を始めます。
当時の新喜劇では“奥目の八ちゃん”として、独特のギャグ“くっさー”、“えげつなー”、を持ち、船場太郎、山田スミ子、原哲男、木村進、間寛平等と客席を沸かせました。
 しかし、岡 八郎自身のモットーである“一にも二にも三にも健康法は酒です”がたたり、アルコール依存症となってしまいます。
そして、不幸なことに、結核、胃がん、急性膵炎、さらには自宅で転倒し脳挫傷になり、後遺症の記憶障害から台詞が覚えられず引退状態となりました。
 その後、復帰に意欲を見せ、何回か記念講演をしましたが、本格的に活躍することも無く、亡くなってしまいました。
弟子には、オール阪神・巨人 、おかけんた・ゆうた がいます。





  岡 八郎












☆今日の壺々話











    吉本新喜劇







主演 岡 八郎
悪役 島木譲二+2名(←当時は居ないが・・)

テーマソング
ほんわか、わんわん、ほんわか、わんわん、ほんわかわんわんほ♪

パチパチパチ(まばらな、客の拍手)
キャー、バタバタバタ(会場を子供が走りまわっています)

スルスルと幕が開きます。(いつもの大衆食堂の場面)

調理帽をかぶった店主の岡 八郎のところに現れる悪役三人

「 おい、ビール!」
『 はいど~ぞ。』
「 こらッ、栓抜かな飲めへんやろ!」

( ビールを目に当てて、目を栓抜きの様にして栓を開けます)

「 お前、器用なやっちゃなァ~、ゲップ!」
『 くっさー!』
「 こらァ~、人が気持ち良くビール飲んでんのに。」
「 おまえ、しばくぞ~!」

『 スキがあったらかかって・・・・・・。
( 両手を顔の前に小さく合わせ、腰を屈め、尻を突き出し左右に小さく振ります。)
 こんかい!』

「 よ~し、やったろやないか!」
『 お前ら、タダではすまへんど!』
「 なんやねん?」
『 言うとくけど、空手やっとるんや・・・・・。
 ・・・・・・・・
 通信教育やけどな。』

一同、コケル。

「 いてもうたろかァ~!」
『 それだけやないで。
 こう見えても、学生時代・・・・・・。
 ・・・・・・・・
 ピンポンやっとったんや!』

一同、コケル。

「 ガタガタ言う前に、やってしまえ~!!」

“ ボコボコボコボコ。”

( 悪役は岡 八郎から離れ、ワンテンポ置いて、岡 八郎立ち上がり、正面を向いて情けない顔で)

『 えげつな~!』

              -暗転-


















新喜劇





 先日家で吉本新喜劇を見ていたときの話だ。
横になってボーっとテレビの画面を見つめていると妹が帰ってきた。
普段からヒッキーの俺に話しかけたりなんて絶対ないんだが、後ろから「おぅ、こんちは!」と来た。
正直俺は「は?」と思ったが、しょうがないので「こんちはっす!」と答えたさ。
そしたら「最近どう?」と、たわいのない話してきやがった。
しょうがないので「まぁ普通だよ、忙しいのかい?」と適当にお茶を濁した。
そしたら急に妹は声色が低くなり、小さな声で「ちょっと掛け直すよ、変なのがいる・・・そうそう、そのひきこもり・・・・。」
















ひきこもり人生



20代
適当に暮らしていても親は現役世代なのでパラサイト可能。夢がある、やりたい事を探している などと言いつつ苦労もなく自由を謳歌した気になってる。

30代
社会人の同級生は中堅どころ。自分はまだフリーター。親が退職して生活費が苦しいことを感じ始める。改心して職に就こうにも年齢制限・職歴なしで全て書類落ち。現実を知る。精神的に耐えられなくなりこうなったのは親や社会にも原因があると言い出す。

40代
社会人の同級生は管理職になり始め、収入も増えて趣味にお金をかけたり、子供の話しをしたりで普通ながらも充実した生活を送る。一方、自分の収入は20代の頃とほとんど変わらない。体力は衰える一方なのに仕事はバイトなので相変わらず単純作業等の肉体労働。いまだ職歴なし。
普通の生活に憧れるが完全に手遅れ。結婚どころか趣味や娯楽などする余裕なし。

50代
若いフリーターの方が使えるのでバイトにありつけてもすぐ首になる。新しいバイトを探しても 高齢フリーターは嫌がられバイトも見つからない。いよいよただ生きるのでさえ苦しくなる。
親は死去するがパラサイトの子供でお金を消費したので遺産はほとんど残らない。家が老朽化しても建て替えや修繕ができず、賃貸料金も払えなくなり、ついに住居を失う。風雨をしのぐ ためビニールシートを購入する。服は毎日同じ。コンビニ・飲食店の残飯あさりを始める。
不衛生で夏は暑く冬は寒く、体中がかゆい劣悪な環境で生活することになる。

60代~
同世代は孫ができ、退職金や貯蓄・年金等で贅沢とは言えないまでも普通の老後を送る。
一方、自分は長年に渡る浮浪者生活で心も体もボロボロ。健康保険もないので病院にも行けない。
国民年金なども貰えない。日本に住んでいながらどこからも助けてもらえなくなる。体中の痛み や病気などで苦しみながら孤独に衰弱死する。

死後
親族の中では行方不明のまま共同墓地で無縁仏となる。


















友達のK




父「 今日さ、お祭り行ってきたんだよ。」
俺「 地域のやつ?」
父「 うん、それでさ、スタッフの中にお前の友達のKがいたんだよ。」
俺「 あいつも大変だな。」
父「 それで、おいK!K!って呼んだの、でも振り返らない。」
俺「 ほうほう。」
父「 それで肩たたいておい!って言ったの。」
俺「 それで?」
父「 違う人だった。」
父「 それで来賓席に座ったんだ。」
俺「 その人に謝った?」
父「 そしたら三つぐらい隣にKが座ったんだ。」
俺「 …。」
父「 そんでおいK!ってよんだんだ。」
俺「 ほう。」
父「 でもこっち見ないからおい!って叫んだんだよ。」
俺「 でどうだった?」
父「 さっきのひとだった。」



















家帰ると、吉本新喜劇

   (昭和の時代)




 半ドンって最高だった!
前の金曜日からワクワクしとったよ、確か。
昼飯食って何して遊ぶってな。
あ~懐かしいなあ。
誰か、時を戻す裏技教えてくださいよ。



 土曜日は、ランドセルだけ置いて、公民館前の広場でボールを蹴ってする野球みたいな物や、地面に四角を2つ書いて、ボールを手で弾くゲームをよくやったな。
戻りたいとも思わんが、アノ頃に比べ、ダメニンゲンニナッテシマタ。



土曜日の昼から日曜日のサザエさんのEDまでの解放感は異常だった



 午前中に学校へ行き、遊ぶ約束をして、みんなで大騒ぎしながら夏のカンカン照りの中を下校して、家についたら母親がご飯を作っていて、麦茶を飲みながらご飯ができるのを待っていたあの日々。
懐かしいなあ。
思い出したら懐かしくて泣けてきた。



 帰りの会を早く終わらないかなって、ランドセルのキーホルダー(ゴールドタイタン)を弄繰り回しながら先生の話を聞き、その後馴染の女の子と一緒に寄り道しながら帰宅。
女の60分見ながら、母さんの作ったさっぽろ一番みそラーメンをたべ、その後、また女の子と一緒に秘密基地で遊ぶ・・・。
一瞬でいいからもう一度あの時間、あの場所に帰りたいです。



 土曜の昼飯は普段では食べさせてもらえないインスタントラーメンにしてくれることが多くて、帰る前から楽しみだった。
でも、うちの母はカップヌードルにも野菜炒めを乗っけて出してくれてた。
野菜の入ってないカップヌードル食ってみてえといつも思ってたな。
 昼飯食ってからはおきまりの缶蹴りか泥警か手打ち三角ベース。
今のアルミ缶じゃなくてみかんの缶詰めなんかのスチール缶で
ボールは堅いカラーボールだった。
 当時アニメや特撮はまとめて「まんが」と言われていた時代で新聞のテレビ欄でお笑いマンガ道場という番組を見つけてwktkして待った。
アニメも特撮も流れないから30分後にorz状態になったっけ。
夜は、まんが日本→クイズダービー→全員集合と6チャンコンボだった。
 息子は当時の俺と同じ年代になったけど、今ポケモン三昧。
ボクシーのペンで消しゴム競争したり紙と鉛筆で空中戦していた
俺の時代の方がなんとなく豊かだったような気がする。



 昭和48年生まれです。
小学校終わる時に、土曜日だけは一斉下校で校庭に集合させられてからみんなで帰ったな。
そんで帰り道の途中にある駄菓子屋で30円のベビースター、10円のチロル、同じく10円の飴玉、 マルカワの風船ガムなんかを買って、みんなでそれぞれ買ったお菓子を交換しながら帰った。
 家に着いたら家族そろって昼飯を食って、行き先も告げずに友達の家にダッシュ。
みんなでファミコンやったりガンプラ作ったり、釣り行ったり山へ探検ごっこ行ったり・・・。
夕方には家に帰ってきてあばれはっちゃくや日本昔話見ながら晩飯。
8時からはドリフ見て家中みんな大笑い。その後土曜洋画劇場でホラーやってればおやじと見たり。
あぁ・・・、楽しかったなぁ・・・。



 みんな疲れてんのね…。 
あの頃に戻りたいと思った時代が一番良かった時代なんだね。
 学校から帰って台所からお母さんのカレーを作る匂いがしたら嬉しかったランドセルを置いて、沢山食べて水を飲む。
レタスとタマネギスライスにセパレートドレッシングだけかけたサラダのみが付け合わせだった。
 あの頃は何も考えず、出されたものを食べて美味しかったな。
あの頃はナンもピクルスも知らなかった、どんな店でも食べられない味。
優しかった母は更年期や父方親戚との確執、親の介護、自営業の難しさから毒親に変身した。いまではヒスった因縁や怒鳴り声をわめき、家中いらないものに囲まれた物忘れの激しい60代婆になった…。
 弟夫婦の愚痴多く、食事を作っても嫌味を言われる、2時間かけて実家に帰ると憂鬱で暗澹とした気持ちになる。
こんな大人になるなんて想像してなかった。
 便利じゃない田舎住まいだったけど、小学生時代楽しかったね。
小学生に戻って土曜日の午後、お婆ちゃんの作ったおはぎが食べたい。


















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7月25日(水)のつぶやき

2018-07-26 02:57:30 | _HOMEページ_
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