日々の出来事 7月7日 七夕 レーザー
今日は、アメリカのヒューズ研究所の物理学者セオドア・メイマンが、レーザー光線を発見した日です。(1960年7月7日)
1960年7月7日、セオドア・メイマンが棒状の人工ルビーに強力な白色光を照射すると、ルビーの先端から光輝度の赤色光線が放射され、レーザー光線が初めて確認されました。
現在、レーザーはルビー以外に液体やガスや半導体等の誘導放出を起こす媒体によっても作成され、色々な分野に使われています。
医療用としてはレーザーメス、科学分野では測量計、非破壊検査、光学ドライブやレコードの読み取り書き込み、光ファイバーを用いた通信用光源、工業分野では、レーザー加工機等です。
また、軍事分野では、銃の照準器、誘導爆弾等に使われていますが、アメリカとイスラエルが共同研究で戦術高エネルギー・レーザーを開発中です。
これは、短距離ミサイル、巡航ミサイル、ロケット等を破壊することを目的としています。
宇宙ステーションからレーザーで地球上を攻撃することが、SF映画の中だけのことではなくなってきたと言うことです。
七夕
今日は、七夕です。
夜空の天の川は見えるでしょうか。
7月7日の七夕の曜日は、3月3日の桃の節句、5月5日の端午の節句の曜日と同じです。
桃の節句と端午の節句と七夕は、毎年、同じ曜日になるのです。
もちろん、3日とも2月末日以降ですから、うるう年でも、やはり同じ曜日です。
七夕のお話
天を支配している天の神様には、織姫といい、はたを織って神様たちの着物を作る仕事をするとても働き者の娘がいました。
年頃の娘なのに、化粧ひとつせず毎日はた織に精を出している娘を不憫に思った天帝は、天の川の西に住んでいる牽牛という働き者の牛使いの青年と織姫を引き合わせます。
すると、二人はたちまち惹かれあい、結婚することになりました。
二人は、とても仲のいい夫婦でしたが、遊んでばかりいて仕事をしなくなりました。
天の神様が注意をしても返事ばかりで、全く言うことを聞きませんでした。
織姫が機織をしなくなったので、機械にはほこりがたまり天の神様の服はボロボロに、牽牛の畑は草だらけで作物は枯れ、飼っていた牛はやせ細り、病気になってしまいました。
二人を見るに見かねた天帝は怒り、
「 もう二人を合わせるわけにはいかない。」
と天の川の東と西に引き離します。
それからというもの、織姫は毎日毎日泣き暮らしていました。
牽牛も家に閉じこもってしまい、牛の病気はひどくなる一方でした。
困った天の神様は、
「 お前たちが、以前と同じように毎日まじめに働くのなら、年に一度だけ会うことを許そう。」
と、二人にいいました。
その言葉を聴いた二人は、年に一度、会うことのできる日を楽しみにして仕事に精を出しました。
年に一度会うことを許された7月7日の夜、織姫は天の川を渡って彦星に会いに行きます。
ただ、雨が降ると川の水かさが増すので、織姫は川を渡ることができなくなってしまいます。
でも、そんな時は、どこからともなくカササギの群れが飛んできて広げた翼を連ねて橋をかけ、織姫と牽牛を会わせてくれるのでした。
七夕(たなばた)
七夕は稲の開花期にあたり、水害や病害などが心配な時期です。
また、お盆(旧暦の7月15日)の準備をする頃にもあたります。
そこで、収穫の無事を祈り、棚機女(たなばたつめ)という巫女が水辺の棚の上に設けられた機屋で棚機(たなばた)と呼ばれる機織り機を使って先祖に捧げる衣を織りあげ、それを祀って神の降臨を待つという禊(みそぎ)の行事を行っていました。棚には神聖なものを一段上げるという意味があります。
やがてこの行事が現在のような形になって定着し、もともとは7月7日の夕方を表して七夕(しちせき)と呼ばれていたものが、棚機(たなばた)にちなんで七夕(たなばた)という読み方に変わって行きました。
七夕
☆今日の壺々話
星に願いを
最大化したときにタイトルバーを消す機能が欲しいです。投稿日:2008/02/06(水) 19:02:44
今日は七夕じゃないよ。投稿日:2008/02/06(水) 19:27:10
以前要望を出したところ、「今日は七夕じゃないよ」と追い返された者です。
今日でようやく七夕になりました。
久しぶりです。涙が出そうです。
最大化したときにタイトルバーを消す機能をお願いします。投稿日:2008/07/07(月) 11:53:30
よし坊主!
願いは聞き入れた。
制作に入るゆえクリスマスまで待つのじゃ。投稿日:2008/07/07(月) 12:14:07
星に願いを
1000年に一度の大流星郡だ!!
(-人-)屋根つき一戸建て・・・・。
屋根つき一戸建て・・・・。
屋根つき一戸建て・・・・・。
おまえ今どんなとこに住んでんだよ。
間違えた。
庭つき一戸建て・・・・。
ウソツキ親父
(1)
親父は言った。
「 お前は、ガチャポンで当たったんだ。
本当はレーザーポインターが欲しかったんだけどな。」
(2)
親父は物凄い肌が黒くて、小さいころ凄く憧れた。
自分も親父みたく黒くなりたいと思い、親父に聞いた。
「 どうやったら黒くなれるの?」
「 これは、コーヒーのおかげだ。
俺は毎日コーヒー飲んでるからな。
ブラジルの人も真っ黒だろ?
あれはコーヒーのおかげだ。
お前は牛乳ばっか飲んでるから白いんだ。」
それから毎日コーヒーを飲んだ。
母親が、最近牛乳を飲まなくなったと不審に思い、問い詰めてきた。
理由を話すと爆笑された。
今でも覚えてる。
それ以来コーヒーは嫌いです。
(3)
親父は仕事柄(スポーツインストラクター)筋肉が凄い。
よく力こぶを見せてくれた。
子供心に、あまりに不自然だと思ったので尋ねた。
「 何が入ってるの?」
「 レモン。」
しばらく親父が不気味で近寄れなかった。
(4)
かつお節は生きていると言われ、お好み焼きで実践された。
「 ほら、苦しい苦しいって言ってるぞ。」
その言葉に私は血の気が引いて、かつお節をつまんでは投げ、つまんでは投げ喚き散らした。
「 なんでこんな事するの!?、なんで!?」
今思うとかなりの馬鹿だった。
(5)
思い返すとまだまだあった。
正座をして足が痺れていた時、親父に相談。
「 ああ、足がコーラになったんだな。
水につければコーラが出来るぞ。」
迷うことなく洗面器に水をなみなみ張り、足を着けた。
痺れがとれていくと“ああ、コーラが染み出しているんだな”とワクワクした。
色が変わらないのが不思議だったが、飲んだ。
水だった。
(6)
親父は言った。
「 パセリを頑張って育てるとブロッコリーになる。」
パセリが嫌いだった私は、“ブロッコリーなら食べれる!”と、夕食にパセリが出た時母に泣きながら祈願した。
「 ブロッコリーにして食べるから!
ブロッコリーにして食べるから!!」
私の熱意に押された母は、一度だけ育てることを許可した。
私が次の日に見たものは、植木鉢の上でしなびたパセリだった。
(7)
サンタクロースは毎回変なものを置いていった。
一番ショッキングだったのは、朝起きて、枕元にはちくわが一本だけだった時。
何かの間違えだと思い親父に抗議した。(サンタが父だってのは知っていた。)
親父が一言言った。
「 かじってみな。」
泣きながらかじると、図書券3万円分が入っていた。
(8)
ディスニーランドへ行く時、親父が言った。
「 やつらとは、長い付き合いなんだ。」
現地に行くと確かに、やたら馴れ馴れしく接する親父とキャラ達。
子供心に“やっぱり親父は凄い人なんだ・・・”と憧れたが、よくよく考えてみると、彼らは誰にでも馴れ馴れしいよね。
ディスニーランドでは最初から最後まで、ひたすらヤツラ呼ばわり。
話しかけに行く時も“よお!元気か?”、まるで学生のノリ。
(9)
回転寿司屋で、キラキラした金のお皿に乗ったマグロを見つけた。
さぞ美味しいんだろうと手を伸ばすと親父が言った。
「 これは飾り物だから触ったらいけない!」
それで、渋々あきらめた。
しかし、ちょうど向かいのお客さんがそれを食べているのを見て抗議したところ、
「 あの人は歯が強いんだね。
ほら、ボリボリいってるよ。
聞こえない?」
とはぐらかされた。
(10)
これまで書き込んできたことについて、親父と話してた。
「 はっは~!
お前が子供生んだら、使ってもいいぜ。
使用料は孫の笑顔でいい!」
あんたの娘で良かった。
気分が良いので、これから私のおごりで外食してきます。(・ω・)ノシ
願い
先日、母の遺品を整理していたら、メモや広告の裏に、おもちゃや漫画の題名等が書かれた紙が数枚出てきた。
どうやら小さい頃に私が書いたものらしい。
だが、思い出せない。
するとその中に、「おかあさんのびょうきがよくなりますように。」と書かれた折鶴が出てきた。
「 あっ!」
私の記憶がいっきに駆け戻る。
昔の私は遠慮がちの子供だった。
体の弱い妹の看病に付きっきりだった両親に、気を使っていたのかもしれない。
欲しい物があっても、口に出す事はなかった。
そんな気がしていた。
そんな私はいつの頃か、願い事を押入れ上の天井裏に忍ばせるようになったのだ。
私の部屋の押入れから上がれる天井裏は、秘密の場所だった。
よく宝物を隠したものだ。
この願い事を書いた紙切れも、いつか叶うのではないかと隠しておいたものだ。
いや、思い起こせばその願いのほとんどは叶っていたのではないか?
そうだ、事の始まりはこの折鶴だ。
幼い頃、母が一度だけ入院した事があった。
その時私が折鶴に願いを託し、天井裏に置いたのだ。
間もなく母は退院した。
偶然なのだろう。
でも私にはドラえもんのポッケのような空間だった。
誕生日やクリスマス前に願い事を天井裏に置いておくと、プレゼントは希望のものだった。
今考えるとカラクリは単純だ、赤面モノである。
両親からの愛情が決して不平等ではなかったのだと、改めて感謝する。
ふと、あの天井裏が懐かしくなった。
30年ぶりだろうか、懐中電灯を片手に昇ってみた。
もう、そこには何も無い、深い埃だけが時の経過を教えてくれた。
しばらく思いに耽り、降りようとしたとき、それは視界に入った。
やや新しいお菓子の空き箱が梁の上に置いてある。
私はそれを手に取り下に降りた。
蓋を開けると、十数羽の折鶴が収められていた。
そこには、
「 ○○(私)の怪我が早く良くなりますように。」
「 ○○が希望大学に無事合格出来ますように。」
「 ○○の希望通りの仕事に就けますように。」
「 ○美(妹)の手術が無事済みますように。助けて下さい。」
「 ○美の赤ちゃんが無事生まれますように。」
母の願いは全て叶ったようだ。
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