新イタリアの誘惑

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隅田川⑥ 永代橋 我が国最悪の橋崩壊という歴史的な惨劇

2018-01-18 | 東京探訪・隅田川の橋

 永代橋は1698年、五代将軍徳川綱吉の50歳の誕生日を記念して、隅田川に4番目に架けられた橋だ。アーチ式の美しい形をしている。

 正面から見ると、鋼製の頑丈な構造。重厚で巨大な怪物が襲いかかってくるかのような威圧感がある。

 アーチの幅は1.5mもある。
 アーチを支える横に張られた鋼の層も力感たっぷり。


 そんな橋なのだが、実は悲しい過去が刻まれている。1807年に起きた「わが国最大の橋梁崩落事故」だ。

 (歌川広重 「永代橋深川新地」)

 この年は、10数年ぶりで深川富岡八幡宮の大祭が復活することになっていた。しかし、8月15日の祭りの予定が、悪天候続きで順延。

 「いい加減誰もが待ちくたびれた18日夕刻、やっと明日の好天を約束する茜雲が、西空を彩っていた」(杉本苑子「風ぐるま」)

 ただ、この橋は完成からすでに109年もの歳月が過ぎていた。その間応急の補修は何度かされたものの、本格的な改修はなされず、「犬一匹通っても危険」とさえ言われるような状況だった。

 町役人たちもこぞって架け替えの嘆願書を幕府に提出したものの、幕府は「危険な橋は取り払って渡し船にすべし」との返事だった。

 さて当日、祭礼の行列の時間が近づき、町民たちが橋を渡り八幡宮に向い始めた時、一橋家の姫君一行が祭り見物のため川を通り過ぎようとしていた。
 「一橋家の方々の上を町民が土足で歩くのはいかがなものか」ということで、急遽、船の一行が通り過ぎるまで橋は通行止めとなった。
 その間、次々と押し寄せる群衆で、橋の入口はあふれるほどになっていた。

 ようやく御一行様の船が通り過ぎた。 さあ 八幡宮へ!


 (歌川広重 「永代橋全図」)

 一斉に人々が橋に殺到した。 
 そして、老朽化していた橋桁が、ひとたまりもなく崩壊していった。

「恐ろしい音響が起こった。地響き、ぐ風、うねり、人間の胸郭を押し上げる絶鳴・・・」

「橋杭の根元は泥深い。後からあとから落下してくる人体に、先に落ちた者は押しつぶされ、泥に埋まって窒息死したし、かろうじて泳ぎ出した者も八方から絡みつかれ、動きが取れなくなって共倒れに沈んだ」(風くるま)


 死者、不明者合計800人以上、前代未聞の大惨事が起きてしまった。以後現在に至るまで、橋梁事故としてはわが国最大の惨事として記録されている。

 「永代と 掛けたる橋は落ちにけり 今日は祭礼 明日は葬礼」

    太田蜀山人の詠んだ歌が 残されている。 



 この大量の死者を慰霊する供養塔は、深川の海福寺に造られた。だが、1910年に寺が目黒に移転したことから、供養塔も一緒に目黒に移されている。

 詳しい説明板もあった。

 そして碑の裏側には死者の名前がぎっしりと刻まれていた。


 今の橋は関東大震災(1923年)の3年後、1926年に完成したもの。大震災後の復興事業のシンボルとして、清州橋とともに国の重要文化財に指定されている。

 永代橋から下流を望むと、右に中央大橋、

 左に隅田川から枝分かれした側に相生橋が見渡せる。

 もう一度永代橋の夕景を目に焼き付けてから上流に進もう。






 
 

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