第11章 無 の 用
たくさんの輻(や)をひとつの轂(こしき)にはめこんで、車輪をつくる。轂のなかがうつろ
だから、そこに心棒を通して、車輪が廻せるのだ。粘土をこねて、瓶をつくる。なかがうつろ
だから、物が入れられるのだ。出入口をうがって、部屋をつくる。出入口がうつろだから、部
屋が使えるのだ。このように、「無」のはたらきがあるからこそ、「有」が役に立つのである。
第12章 「腹をなして目をなさず」
美しい色彩は、人を盲にする。快い音楽は、入を曼にする。うまいご馳走は、入の味覚を狂わ
せる。 狩りを好んで獲物を追うことに熱中すれば、人は心の平衡を失う。宝物を手に入れよ
うと夢中になれば、入は行ないをあやまる。
聖人は、もっぱら内面を充実させて、外界の刺激を追い求めない。つまり、欲望を捨てて「道」
にのっとるのである。
五色目を乱る 万物は「道」の現われである。したがって、「道」はおのれに内在する。感覚
の快を追い求め、欲望に従って行動すること、それは、外なるものに支配されることにほかな
らない。
【社会政策トレッキング:バラマキは正しい経済政策である Ⅳ】
第1章 所得配分と貧困の現実――生活の安心は企業でなく国家がまもるべし
国家が国民の生活を守る以前の時代
最低賃金の引き上げは失業率を上昇させる
雇用の賃を高めるために、最低賃金を引き上げ、非正規雇用を制限し、社会保険への加入を
企業に義務づけようという意見もある。実際に、2018年10月から、労働時間週20時間
以上、年収106万円以上、雇用期間1年以上のパート労働者(学生を除く)を、年金、健康
保険に加入させることとなっている(従業員501人以上の企業のみ)。
しかし、企業が最低払わなければならない賃金を引き上げることができても(社会保険の雇用
主負担や解雇のコストを引き上げることは、企業にとっては賃金を上げるのと同じである)、
企業に強制的に人を雇わせることはできない。高い賃金で人を雇っても引き合わないとなれば、
企業は人を雇わなくなるだろう。雇わないばかりでなく、海外に工場を侈してしまうかもしれ
ない。そんな安い賃金しか払えない会社は海外に行ってしまえばよいという元気のよい意見か
おるかもしれないが、安い賃金しか払えない会社がなくなっても、高い賃金を払える会社が生
まれる保証はまったくない。最低賃金の引き上げは、雇用を減らしてしまうかもしれない。か
もしれないだけではなく、実際に減ってしまうだろうと思われるデータがある。
上図1‐2は、OECD(経済協力開発機構)の研究とデータから、2005年における最低
賃金の平均賃金に対する比率と失業率の関係をOECD加盟国について見たものである。20
05年を取ったのは、最低賃金のデータが国際的に得られた最近年だからである。また、20
08年の世界金融危機の影響を受けず、アメリカの住宅バブルの影響をそれほどは受けていな
い時期である。図を見ると、最低賃金が高くても失業率が高くない国のグループがある。しか
し、それを除くと、最低賃金が高いほど失業率が高い傾向がある。これは高い最低賃金が雇用
を縮小させてしまった結果だろう。
もちろん、最低賃金が高くても失業率が高くない国はあるのだから、最低賃金を上げても失業
率が高くならないようにすることは可能かもしれない。しかし、最低賃金が高くても失業率が
高くない国は、ルクセンブルク、オランダ、オーストラリア、ニュージーランド、アイルラン
ドである。人口五〇万に満たない金融国家であるルクセンブルクを真似るのは無理があるだろ
う。アイルランドも金融国家であるが、金融バブルの崩壊で失業率が急上昇した。オーストラ
リア、ニュージーランドは資源や農産物価格上昇の恩恵を受けていたが、日本には真似できな
い。真似できそうなのはオランダである。賃金削減と時間短縮、社会保障負担の軽減(ワッセ
ナー白意)、フルタイム労働者とパートタイム労働者の差別禁止などの政策が成功しているの
かもしれない。ただし、平均賃金を下げてしまえば、最低賃金と平均賃金との比率が高くても、
最低賃金は高くなくなるということを意味しているのかもしれない。
最低賃金の問題ではなく生活保護の問題
最低賃金を引き土げれば雇用が減少するという分析が正しいとしても、最低賃金で月に160
時間働いても生活保護水準に満たないのはおかしいという反論があるかもしれない。しかし、
これは最低賃金の問題ではなくて、生活保護水準が高すぎるという問題である。日本の生活保
護制度には、国際的に見て奇妙な特徴がある。制度を国際的に比較するのは難しいが、同志社
大学の埋橋孝文教授の素晴らしい研究に基づいて比較をしてみたい(「公的扶助制度の国際比
較―― OECD24カ国のなかの日本の位置」『海外社会保障研究』第212号、1999年6
月),日本の公的扶助支出額のGDP(国内総生産)に占める比率を見ると、わずか0・3%
であり、OECD諸国の平均(2・5%)の約8分の1と極めて小さい(埋橋教授の研究は基
本的にOECD加盟国のうち24か国を対象としているが、ここでは平均を計算する際、通常
先進国と思われている国に限定するために、トルコを除いた)。
当然のことながら、公的扶助を受けている人々(子どもを含む)の総人口に占める比率も0・
7%と低く、OECD諸国の平均(2・4%)の約10分の1にすぎない。ただし、これらの
比率は埋橋教授の研究がなされた1990年代後半の数字である。2011年では、公的扶助
支出額のGDPに占める比率は0・7%(国立社会保障・人口問題研究所ウェブサイト「社会
保障統計年報データベース」第9節「生活保護」の第276表「保護費〔扶助別〕」)、公的
扶助を受けている人々の総人口に占める比率は1・6%となっている(同第271表「被保護
実世帯・枚保護実人員・保護率」)。どちらの比率もほぼ倍に上昇したわけである。それでも、
以下に述べる他の先進国との比較から得られる結論は、現在においても正しいと考えられる。
他の先進国との比較で考えた燭台、日本の公的扶助支出額のGDPに占める比率は小さいが、
公的扶助を受けている人口の総人口に占める比率と比べると、相対的には大きい。したがって
日本の公的扶助の支出総額は小さいが、公的扶助を受けている人、一人当たりへの支出額は、
先進国のなかでも大きいのではないかと予想できる。
表I‐Iは、一人当たりの公的給付額を2つの方法で示したものである.,第1の方法は、各
国の現役労働者の平均所得との比で見るものである。これで見ると、日本は54%で世界7位
となる。日本の上にあるのは北欧の福祉国家、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドなど
である。
第2の方法は、購買力平価に換算したうえで、OECD諸国の平均との差で比べるというもの
である。公的扶前額を購買力平価で換算すると、各国の物価水準の違いを調整した生活水準そ
のものになるわけだから、優れた評価方法である。また、為替レート換算のように毎年の振れ
が大きいということもない。購買力平価換算で比べると、アイスランド、カナダ、アメリカ(
ニューョーク)などが上位にきて、日本は11位となる。ただし、アメリカは地域ごとの給付
格差が大きいためニューヨーク、フロリダ、ペンシルベニア、テキサスが比べられており、そ
のなかでニューヨークの下にあるだけだから、フロリダ、ペンシルベニア、テキサスよりは上
というわけであり、国単位で考えれば、日本は10位ということになる。
また、日本より上位にある国は人口の少ない国が多い。人ロ1000万人以上の国で日本より
上位にあるのは、カナダ、オーストラリア、オランダの3か国だけである(第一の方法による
比較ではオーストラリアのみ)。したがって、人ロ1000万以上の国のなかでは、日本の公
的扶助給付額は、世界2位または4位ということになる。
日本の生活保護水準は高い
購買力平価に換算した一人当たりGDPで見て日本とほぼ同じ所得のイギリス、フランス、ド
イツの公的扶助額は、日本より2~3割低い。また、日本より所得の高いアメリカの公的扶前
額の4地域単純平均は、日本より約2割低い。
イギリス、フランス、ドイツ、アメリカの公的扶助総額の対GDP比は、それぞれ4・1%、
2・0%、2・0%、3・7%であり、日本は前述のように0・3%である。また、イギリス、
フランス、ドイツ、アメリカの公的扶助を与えられている人の総人口に占める比率は、それぞ
れ15・9%、2・3%、5・2%、10・0%であり、日本は前述のように0・7%である
(以上の数値は埋橋前掲論文による)。
要するに、日本の一人当たり公的扶助給付額は主要先進国のなかで際立って高いが、公的扶助
を実際に与えられている人は少ないということになる。これは極めて奇妙な制度である。日本
に貧しい人が少ないわけではない。同志社大学の橘木俊詔教授は、生活保護水準以下の所得で
暮らしている人は人口の13%と推計している(『格差社会』18頁、岩波新書、2006年)。
ところが、実際に生活保護を受けている人は2006年でわずか1・2%である(国立社会保
障・人口問題研究所ウェブサイト「社会保障統計年報データベース」第9節「生活保護」の第
271表「披保護実世帯・披保護実人員・保護率」。埋橋前掲論文との値の違いは調査年の違
いによる)。
私は、日本も、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカのように給付水準を引き下げて、生活
保護を受ける人の比率を高くすべきであると考える。これまで日本で奇妙な制度が続いてきた
のは、おそらく、高い給付水準のままで実際の支給要件を厳しくし、保護を受ける人の比率を
下げていたほうが、給付総額が減るという財政的要請があるからだ。しかし、今後、65歳以
上の無年金者が続出するなかで、現在の制度は維持できないだろう。65歳以上の人は、支給
要件の一つである「働けないこと」を容易に証明できるからだ。日本独自の制度をやめて、グ
ローバルスタンダードに合わせるしかないだろう。
原田 泰著 『ベーシック・インカム 国家は貧困問題を解決できるか』
日本の一人当たり公的扶助給付額は主要先進国のなかで際立って高いが、公的扶助を実際に与
えられている人は少ないということになる。これは極めて奇妙な制度。だから、日本独自の制
度をやめ世界基準に合わせなければならない。と、ここでは重要なことが述べられている。こ
の問題提起に出口政策が展開されていく。ところで、経済学の数学モデルに心理学的に観察さ
れた事実を取り入れていく行動経済学が、1990年代以降の米国では主流派経済学となりつつあ
るというやが、そんなことを頭の片隅において、問題解決を考えていこう。
【人工知能でタンパク質を自動設計】
● 様々な機能性タンパク質開発
8月12日、東北大学大学らの研究グループは、人工知能と実験を組み合わせることで、タン
パク質の機能改変を従来よりも大幅に効率化する手法の開発。緑色蛍光タンパク質(GFP)を黄
色蛍光タンパク質(YFP)への改変をこの成果手法で、既知YFPよりも蛍光性能の高い新規YFPを
多数発見でき、抗体や酵素などの医療・食品・環境で役立つ様々な機能性タンパク質開発を加
速できる。上図1のごとく、人工知能で、タンパク質の機能改変の効率化――まず従来のラン
ダムな変異導入で少数の変異体を調製して実験を行い、人工知能の学習データ取得、➲次に、
人工知能技術の1つのベイズ最適化で、変異導入目的機能をもつタンパク質が得られるかを予
測➲目的の機能を有すパク質を豊富に含み、安価に実験を行える小規模な変異体群(スマート
ホットライブラリー)の提案が可能となる。
この研究で、緑色蛍光タンパク質(GFP)を黄色蛍光タンパク質(YFP)の改変に適用して、既
知YFPより長波長で蛍光強度も高い新規YFPを多数発見することに成功(上図2)。従来のラン
ダムな変異導入で調製したライブラリーに約3%しか黄色蛍光タンパク質が含まれなかったが、
このライブラリーをの習データを人工知能で翻訳させるとライブラリーでは約70%という高
割合で黄色蛍光タンパク質が含まれる(下図2)。この結果は人工知能がタンパク質の機能改
変に有効であることが判明する。
【読書日誌:カズオ・イシグロ著『忘れられた巨人』 No.11】
第3章
現代人が遠くの高みからサクソン人の村を見下ろしたとすれば、兎の巣穴のようだったアクセ
ルとベアトリスの村よりよほど「村」らしいと思ったことだろう。サクソン人はたぶん閉所を
嫌う感性の持ち主で、だから丘の中腹に横穴を掘るような村造りをしなかった。いま谷の急斜
面を下るアクセルとベアトリスと同じ道を現代人がたどったとすれば、眼下の谷底に四十戸か
それ以上の家を見ているはずだ。その家々の並びは、一つの中心を二重に取り巻く同心円状だ
ったろう。まだ遠すぎて、家ごとの大きさの違いや出来栄えの違いはわからなくても、どの家
も屋根が草葺きであること、家全体が丸い造りであることは見てとれたはずだ。一見して、自
分の――あるいは自分の両親の――育った家がちょうどあんなふうだった、と思う人もいるか
もしれない。
Oct. 21 , 2006
さて、サクソン人は住まいに開放感を優先したとして、そのぶん安全性を犠牲にしたのだろう
か。いや、もちろん、それを補う手立てを用意していた。長い本の桂の先端を巨大な鉛筆のよ
うに尖らせ、その柱を何本も結び合わせて柵を作り、それで村全体を囲っていた。柵のどの部
分も人の身長の少なくとも二倍はある。そんな柵でさえかまわずよじ登ってやるという元気な
侵入者のためには、働の外側に深い濠が巡らしてあった。
丘を下る途中で一息人れたとき、アクセルとベアトリスにはそういう村が見えたはずだ。太陽
はいま谷の向こうに沈みかけている。二人のうちでは目のいいベアトリスが、一、ニ歩、アク
セルの前に出て、雑草やタンポポに腰まで埋まりながら、前のめりになって村をながめていた,
「四人、いえ五人ね。男たちが門を守っているのが見えますよ」と言った。「みんな手に槍を
持っているみたい。まえに女だちと来たときは、門番が一人と、あとは犬二匹だけだったのに」
「わたしたちは歓迎してもらえそうかな、お姫様?」
「心配いりませんよ、アクセル。向こうはわたしを見知っているはずですから。それにね、村
の長老の一人がブリトン入なの。村人とは血が違うのに、賢い指導者として認められている入。
今晩一晩くらい、安全な場所を用意してくれるでしょう。それはそれとして……アクセル、何
か起こっているみたいで、そっちが不安。また一人、槍を持った男が来ましたよ。獰猛そうな
犬を河西も連れて……」
「サクソン人のやることはよくわからないな。今晩はほかにねぐらを探したほうがよくはない
か」
「でも、すぐに培くなるし、それに、あの槍はわたしたちに向けられたものではないでしょう。
じつはね、この村にぜひ会いたい女の人がいるの。わたしたちの村の誰よりも薬のことをよく
知っている人」
アクセルはつぎの言葉を待ったが、ベアトリスが村をながめつづけているのを見て、自分から
言った。
「なぜ薬のことを知りたいのかな、お姫様」
「ちょっと不快な感じがね、ときどき:・:・あの人ならそれに効く何かを知っているかと思
って」
「不快な感じってどんな、お姫様?どのあたりが不快なのかな」
「何でもないんですよ。ここに泊まる予定だったから、それなら、と思っただけで」
「だが、どのあたりなんだい、お姫様、その痛みは」
「この辺……」ベアトリスは振り向きもせず、脇腹を――肋骨のすぐ下あたりを-手で押さえ
て、笑った。「話すほどのことてもないですよ。だって、ほら、今日たってちゃんと歩けたで
しょう?」
「ちゃんと歩けていたとも、お姫様,止まって休みたがったのは、むしろわたしのほうだ」
「だからそういうことですよ、アクセル。心配することじゃありません」
「後れもせず、ちゃんと歩けていたよ、お姫様。歳が半分の若い女とも張り合えそうだった。
それでもだ、ここに痛みの相談に乗ってくれる誰かがいるのなら、会いに行っても損はないだ
ろうな」
「ですからそう言っているでしょう、アクセル?薬と交換できる錫も少しは持ってきているし」
「いくら小さくても痛みはいやなものだ。誰だって多少の痛みをかかえているが、できれば取
り除きたいな。薬に詳しい人がここにいて、門番が通してくれるのなら、ぜひ会いに行こう」
濠にかかる橋を二人が渡るころには、あたりがほとんど暗くなり、門の両脇に松明がともされ
ていた。番人はみな大柄で、がっしりしていたが、二人が近づくのをにて、なぜか慌てふため
いていた。
「ここで待っていて、アクセル」とベアトリスがそっと言った。「まず一人で行って話してみ
ます」
「槍には近づくなよ、お姫様。大は鎮まっているようだが、サクソン人はなんだかひどく怯え
ている」
「あなたが怖いのよ、アクセル、歳なのにね。怖がるのは間違いだって教えてきます」
ベアトリスは門番に向かって恐れ気もなく歩いていった。門番はベアトリスを取り囲み、話を
聞きながら、ちらちらと疑い深そうにアクセルを見ていた。やがて、一人がサクソン語でアク
セルに呼びかけた。松明の近くに来い………おそらく、若者が変装していると疑い、確かめた
かったのだろう。ベアトリスとさらにいくつか諮葉を交わしたのち、二人を通してくれた。
遠くから見たときは整然とした二重の輪だった村が、いざ中に入って狭い通路を歩いてみると、
まるで複雑怪奇な迷路に変わっていた。印象と実際の隔たりの大きさにアクセルは驚いた。確
かに暗くなってきてはいる。だが、ベアトリスの後ろを歩いていくアクセルには、ここの村造
りの理屈や狙いがまったくわからなかった。目の前に不意に建物が出現して行く手をはばむ。
二人は首をひねりながら、やむなくわきの路地にそれる。だが、その路地を行くには、野の道
以上に気を使って歩かねばならない。なにしろ穴ぼこだらけで、それがさっきの嵐でみんな水
溜りになっている。それに、サクソン人の無頓着ぶりはあきれるほどで、道の真ん中に瓦礦で
もなんでも散らし放題に散らしてある。よく平気なものだと思う。だが、それより何より悩ま
しかったのは悪臭だ。歩いていくにつれ強くなったり弱くなったりするが、決して消えること
がない。アクセルも当時の人間だから、排泄物のにおいには――人間のものであれ動物のもの
であれ――慣れていた。だが、この村の悪気はそんなものとは次元が違う。発生源はほどなく
わかった。ここの村人は神に供え物をする。あの神この神がいて、家の前であれ道端であれ、
ところかまわず山盛りの肉を捧げる。やがてそれが腐り、腐臭を放つ。ある場所でとくに強烈
なにおいがして、思わず振り向くと、小屋の軒先に何か吊るしてあるのが見えた。黒い物体だ
が、その形が目の前で刻々と変わっていく。驚いてよく見ると、無数の蝿がたかっていた。痛
が飛び回るにつれ形が変化した。そのすぐあと、子供たちが豚の耳をつかみ、引きずっている
のに出くわした。犬も、牛も、駿馬もいて、だが世話をする人がおらず、放し飼い状態になっ
ている。村人にも何人か出会ったが、みな黙って二人を見つめているか、ドアや鎧戸の後ろに
逃げ込むかだ。
カズオ・イシグロ著『忘れられた巨人』
Paul Weller "Shout To The Top" (The Style Council)