八 佾 はちいつ
ことば-------------------------------------------------------------------------
この篇は、礼をテーマとする章を中心として編集されている。
「夷狄の君あるは、諸夏の亡きがごとくならざるなり」(5)
「なんじはその羊を愛しむ。われはその礼を愛しむ」(17)
「成事は説かず。遂事は諌めず。既往は咎めず」(21)
「天下の道なきや久し。天まさに夫子をもって木鐸となさんとす」(24)
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1 孔子は季氏をこう非難した。
陪臣の身で八佾の舞(天子の舞楽)を家廟(かびょう)で舞わせるとは、これほど耐えが
たい非礼がまたとあろう。
〈季氏〉 魯国の実権者、季孫氏のこと。孔子のころの当主は、季武子、季平子、季桓
子、季康子と四代わたる。
〈八佾の舞〉八佾とは八列の意。八八、六十四人の群舞は、天子の祭祀にだけ許される。
礼の定めでは、諸侯は六佾(六六、三十六人)、卿大夫は四佾(四四、十六人)、士は二
佾(二二、四人)。季子は卿大夫の身分であるから、四佾で先祖を祭るべきなのである。
〈非礼がまたとあろうか〉 新注では「八佾すら平気で舞わせるなら、どんな非礼でも平
気で犯すだろう」と解している。
※礼も過ぎると、無用、無駄とし価値に転換する二重否定の精神はここにはない。と、ふ
とそんなことが頭を過ぎる。
Feb. 9, 2019
【再生医療事業篇:ゲノム編集技術で拒絶反応リスクレスiPs細胞作製に成功】
3月8日、京都大学iPS細胞研究所らの研究グループは、ねらい通りに遺伝子を変える
「ゲノム編集」の技術を使い、拒絶反応のリスクが少ないiPS細胞をつくる方法を開発
したとことを公表。iPS細胞は第三者の血液からつくれば、費用も準備期間もかからな
くて済む。ただ、他人の細胞を患者の体に入れるため、拒絶反応のリスクが高まる。iP
S細胞を使った再生医療の実用化に向け、課題のひとつとされているが、この方法を使え
ば、将来、多くの人に適合するiPS細胞をこれまでより簡単にそろえられる可能性があ
る。同研究チームはゲノム編集で、免疫細胞の「キラーT細胞」が、攻撃対象かどうかを
見分ける目印となる免疫の型(HLA型)を破壊。さらに、別の免疫細胞「NK細胞」が
攻撃をやめる目印となるHLAの一部だけを残すように手を加えた。改変できたiPS細
胞を取り出し、血液の細胞に変化させ、試験管内やマウスで実験。キラーT細胞とNK細
胞の攻撃を逃れ、拒絶反応のリスクが少なくなっていることを確認。
アイデアは前からあったが、複数の場所を同時にゲノム編集するのは技術的に難しかった
が、この方法が広く多くの方に使えるソースになる可能性がある。また、拒絶反応が起き
にくい特殊なHLA型を持つ人に血液を提供してもらい、iPS細胞をつくって備蓄する
事業を進めてきた。140種類を集めれば日本人の9割をカバーできるが、特殊な型を持
つ人を見つけるのは大変な作業となり、すべてそろえるめどはたっていない。一方、チー
ムは、この方法を使えば、日本人の95%をカバーするのに7種類、世界の多くの人種を
対象にしても12種類をつくれば済むと試算。この成果を受け、今回の方法を使ったiP
S細胞を人で使えるようにするための開発を進めていく。
3月11日、理化学研究所らの研究グループは、クモ糸やカイコの繭糸の主成分であるシ
ルクタンパク質を酵素処理することで、接着剤のような物性を付与できることを明らかに
したことを公表。元来、クモ糸やカイコの繭糸の主成分であるシルクタンパク質は、生分
解性、生体適合性のほか、優れた機械的特性を示すことから、生体材料をはじめさまざま
な用途への応用が研究されている。シルクタンパク質に化学修飾を施すことで新たな機能
を付与する研究のうち、酵素を用いる修飾反応は温和な条件で特定の基質を選択的に変換
できるため、特に注目を集めている。一方、海洋生物のムラサキイガイ中に存在する接着
タンパク質には3,4-ジヒドロキシフェニルアラニン(DOPA)が多く含まれ、これが優れた接着
性の発現に寄与する。
今回、研究チームは、カイコの繭糸から得られるシルクタンパク質には、DOPA前駆体の
チロシン残基が適量含まれることに着目。そして、このシルクタンパク質に酸化酵素のチ
ロシナーゼを作用させることで、チロシン部位を選択的にDOPA に変換することに成功し
ました。このDOPA含有シルクタンパク質をマイカ(雲母)などさまざまな物質の表面に
塗布したところ、接着性が大きく上昇することが明らかになりました。また、DOPA含有
シルクタンパク質の二次構造と接着性の関係を調べた結果、ベータシート構造の有無と接
着の強さには直接関連がないことが分かる。
本件で確立した酵素反応を利用したタンパク質の新しい修飾法を用いることで、環境負荷
の少ない簡便なプロセスで、天然由来の優れた接着材料を得ることができる。また、紙、
PP樹脂、木材、シルク薄膜といった性質や構成成分が異なる多様な表面で高い接着性を示
したことから、幅広い用途展開が広がる。近年、タンパク質素材とプラスチック樹脂とい
った異種材料の複合化による高付加価値材料の開発が注目されている。例えば、クモ糸由
来のタンパク質をカーボン樹脂と複合し、より軽量かつ高強度な材料を作る試みが行われ、
これらは車のボディや耐衝撃材料への応用できる。しかし、材料の複合化には異なる材料
の界面を強く接着する必要があり、本件で得られたタンパク質の利活用で、新たな異種複
合材料の創成が期待されている。
【エネルギー通貨制時代 73】
”Anytime, anywhere ¥1/kWh Era”
【サーマルタイル事業篇:熱電性能に優れた強磁性体】
3月5日、株式会社日立製作所らの研究グループは、弱い強磁性を示す金属合金から、磁
性が失われる温度周辺の幅広い温度域で、熱電性能が著しく上昇することを発見したこと
を公表。熱を電力に変換する熱電変換技術は、工場などの廃熱利用や、IoTデバイスへの電
力供給などへの応用が期待されているものの、材料の熱電性能は多くの物理的性質が関係
し、特性向上は難しい。磁性を持たない熱電材料に磁性元素を添加することで、熱電材料
の出力上昇研究がなされている。今回、同研究チームは、強磁性体に、Fe, V, Al, Siを含む
弱い強磁性合金で、強磁性転移温度 (Tc) 周辺の非常に幅広い温度域で熱電性能の向上を
観測、特にTcが室温に近い場合、Tc近辺では変換効率を最大で2倍程度も向上した。これ
は金属強磁性体に特有の「スピン揺らぎ」が、熱を効率よく吸収して電子のエネルギーに
変換する性質に由来すると考えられている。
これにより、室温でも熱電変換性能のよいタイルの自在設計指針(ガイドライン)がまた
1つ日本から発信されることとなった。面白い。
Mar.12, 2019
【ソーラータイル事業篇:メガソーラーカラス対策 琵琶湖のリゾートホテル】
3月12日、日経 xTECH(クロステック)は、滋賀県守山市の北部、琵琶湖の南端近くに
リゾートホテルの「琵琶湖マリオットホテル」がカラスの石落としによるメガソーラーパ
ネル破損(多い場合、年5枚)対策として、アレイの上に向けて、カラスが嫌がるように
光を発する機器を約半分の区域に設置取り付け効果を測定したところ、、機器を設置して
いない区画でも、割れる枚数が減っているので、どこまでが機器による効果なのか、見極
めが難しいものの、太陽光パネルのカバーガラスが石落としによって割れる枚数は、少な
くなったとのことである。
尚、同ホテルは、湖周辺の交通の要所となっている琵琶湖大橋に近く、神社や仏閣などの
歴史的な観光名所が間近なほか、京都へのアクセスにも優れる。森トラスト(東京都港区
)のグループが開発・運営しいる。以前は森トラストグループのホテルブランドを冠した、
「ラフォーレ琵琶湖」として運営されていたが、その後、米マリオット・インターナショ
ナルと提携し、2017年7月に、マリオット側のホテルブランドを冠した「琵琶湖マリオット
ホテル」として、運営を始める。マリオット・インターナショナルは、世界各地で「マリ
オット・ホテル」のほか、「ザ・リッツ・カールトン」などさまざまなブランドのホテル
やリゾートを手掛けていることで知られる。琵琶湖のホテルでは、リブランドに際して、
館内全体や客室内を全面的に一新し、マリオットの客層まで幅広いニーズに対応できるよ
うにした。ホテルの隣接地には、太陽光パネル出力約2MW、パワーコンディショナー出力
が1.990MWのメガソーラー(大規模太陽光発電所)「森トラスト・エネルギーパーク琵琶
湖」が立地。2014年12月に稼働し、4年が経過する。
【関連特許:特許5197866 カラスの営巣防止装置】
電柱、鉄塔などの架空配電線支持体の頂部に装着しなくても、頂部よりも下方において装
着が容易であって、営巣防止効果がより大であるカラスの営巣防止装置を提供する。本発
明の営巣防止装置100は、太陽光Sの受光面を有し、構築物に飛来したカラスKに向け
てLED光Lを照射する筐体と、太陽光Sを受光して発電する太陽電池と、これを電源と
して天空に向かってLED光Lの点滅発光を照射する複数のLED光源と、このLED光
源を点滅制御させる電気制御回路とから成り、構築物の頂部Tよりも下方に固定可能な固
定具10を有する。
読書日誌:カズオ・イシグロ著『忘れられた巨人』 No.39
第3部 ガウェインの追憶-そのI
わしは見たと思った。おっと、見ろ、左に小さな隙ありだぞ、とつぶやいた。あそこを突
く抜け目ないやつはいるだろうが、あいつを戦Lとして尊敬しないやつは.入札・むるま
い。だが、あの黒後家ども。なぜわしらの行く道におるのだろう。あやつらがおらんでも、
わしの一日は十分に忙しいし、わしの忍耐力は十分に試されておるのに。おい、ホレス、
つぎの峰で一休みするぞ───山道を上りながらホレスにそう言った。黒い雲が湧いてい
て、おそらく嵐になるが、それでも一休みしよう。雨宿りできるような木がなくても、ち
びたヘザーにすわりこんで、どうしても休むぞ………道がようやく平坦になる。おや、あ
そこに見えるのはなんだ,巨大な鳥が何羽も岩にとまっているな。おっと飛び立った。だ
が、暗くなりつつある空に向かわず、なぜわしらに向かってくる………そしてわかった。
あれは鳥ではない,老いた女どもがマントをはためかせ、わしらの行く手に立ちふさがっ
ているだけだ。
なぜわざわざこんな不毛の地に集まるのか。ケルンもないし、目印となる。涸れ井戸もな
い。太陽や雨に苦しむ旅人を慰める細い木一本、藪一つない。あるのは、女たちがしやが
んでいた岩、道の両側の地面に半ば沈んでいる白っぽい岩だけだ。確かに女か、とわしは
ホレスに尋ねた。わしの目よ、しっかりせい。まさか襲いくる山賊ではなかろうな。いや
、迫う。剣を抜く必要はない。よかった。昨夜、眠る前に地面に何度か深く突き剌してお
いたが、あの悪魔犬のぬめりがまだとりきれず、剣は悪自大がする。ともあれ、あれは確
かに老いた女たちだ。まあ、楯の一、二枚もあれば、よけるのに重宝したところだが・・・・・
ようやく通り過ぎたぞ、ホレス。これからはあの連中をご婦人方として思い出そうではな
いか。なぜと言って、やはり哀れみを持って接するべきだろう。いくら物腰に怒りたくな
っても、決してババアなどと呼んではならぬ。かつて美しさと気品の持ち主であった者も
いるのだ。それを忘れずにおいてやろう。
「あいつが来たよ。騎Lの名をかたるやっか」と一人が叫び、わしが近づくにつれ他の女
もそれに加わった。そのつもりなら.気に駆け抜けることもできたろうが、わしは逆境に
尻込みする男ではない。女たちの頁ん中でホレスを止めた。もちろん、女たちには目もく
れず、つぎの峰の方角をながめて、垂れ込める雲の様子を見ていた。女たちの檻襖切れが
周囲ではためき、怒鳴り声が圧力となって迫ってきたとき、わしはようやく鞍から地代の
女たちを見た。数は十五人か、二十人か。みな手を伸ばし、ホレスの脇腹に触れてくる。
落ち着け、ホレス、とわしはなだめた。そして背すじを伸ばし、「ご婦人方」と呼びかけ
た。「話をしたければ、まずその騒ぎをやめてくれぬか」それで静かにはなったが、表情
は怒ったままだ。わしはつづいて「ご婦人方はわしに何をお望みか。なぜこの道で待ち伏
せしておられたのか」と言った。女の一人が「与えられた任務も果たせない臆病者のばか
騎士だからさ」と言った。別の女が「あんたが神に頼まれたことをさっさとやってたら、
こんなふうに悲しみのうちに国をうろつかなくてすんだんだよ」と言い、さらに別の女
が「義務を果たすのが怖いって顔に書いてある。義務が怖いんだ」と言った。
わしは怒りを抑え、わかるように説明してほしいと言った,すると、なかでまともそうな
女が前に出てきた。
「お許しを、騎士様。この空の下をさまよって、もう長くなります。今日は騎士様ご本人
が大胆にもこちらへ来られるのが見えましたので、どうしても嘆きをお聞かせせずにいら
れなくなりました」
「ご婦人、寄る年波は隠せぬが、わしはいまでも偉大なアーサー王の騎士だ。そなたの悩
みを話してくだされば、できるだけお力になろう」
すると、女たちがまともそうなのも含めてみな厭味だらしく笑いはじめた。わしはあっけ
にとられた。
「さっさと雌竜を殺してくれてたら、わたしら、こんなふうに惨めにうろつかなくてすんだ
んだよ」と誰かが言った。
これにはかっとなって、思わず叫んだ。
「そなたらに何かわかる。クエリグの何かわかる」
だが、ここは我慢が必要と思い直し、落ち着いて話しかけた。
「説明してほしい、ご婦人方。なぜこのように道を歩きつづけておられるのか」
後ろから耳障りな声が答えた。
「わたしがなぜさまようか? 喜んで、騎士様。船頭がわたしに質問をしたとき、最愛の
夫はもう舟の中で、早く乗れと手を差し延べてくれていた。でもね、一番大切にしていた記
憶が盗まれていることに気づいたのよ。そのときはなぜかわからなかったけど、いまはわ
かる。クエリグの息が泥棒。それがわたしの記憶を盗んだ。はるか昔に騎士様が殺してく
れていたはずのクエリグのね」
「なぜそれを知っておられる、ご婦人」わしはもう驚きを隠せずに尋ねた。流浪の女たち
がなぜ。厳重に隠された秘密をなぜ知っている。さっきのまともな女が奇妙な笑いを浮か
べ、「わたしたちは後家ですのよ、騎士様」と言った。「いまさらわたしたちから隠しお
おせるものなどありません」
そのときホレスが身を震わせた。
わしは思わず「ご婦人方は何者か。生きているのか死んでいるのか」と尋ねていた。それ
を聞いて、女たちはまた噴き出した。あざける響きがあって、ホレスが不安そうに足を踏
み替えた。わしはそっとなでながら、「ご婦人方、なぜ笑う。それほど愚かしい質問であ
ったのか」と言った。
後ろの耳障りな声が「ほら、怖がってるよ」と言った。
「竜が怖いだけかと思ったら、あたたちまで怖いらしいよ」
「なにをばかな、ご婦人」
ホレスが勝手に一歩下がり、静止させようと手綱を引いたため、つい声に力が入った。
「わしは竜など恐れぬ。クエリグは隙猛だが、わしはかつてけるかに大きな悪にも立ち向
かっている。退治するまでに時間がかかっているのは、クエリグが恐るべき校揖さであの
高い岩山に身を潜めているからだ。ご婦人はわしを非難する。だが、いまどきクエリグの
噂などお聞きか? 過去には毎月のように村を・・・・・・村々を・・・・・・襲っていた。だが、最
後にそんな噂を聞いたのはいつだ。そのころの子供は、いま大人になっている。クエリグ
は、わしが迫っていることを知っている。だからこそ、この山々の外に姿を現そうとはせ
やぬ」
わしがそう説いているとき、一人の檻防布のようなマントが開き、土塊がホレスの首に当
たった。もう我慢ならぬ、とわしはホレスに言った。行くぞ。あの女どもにわしの使命の
何がわかる……。そしてしきりに促したが、ホレスはなぜか凍りついたように動かぬ。し
かたなく拍車をくれて、無理に前進させた。幸い、黒マントの女の群れはわれらの前で二
つに分かれた。だが、わしの□にまた遠くの峰が見えた。そして、あの荒涼たる高みを思
い、心が沈んだ。あそこを吹く冷たい風に身をさらすくらいなら、この不愉快きわまりな
い女どもに囲まれているほうがよいとさえ思った。そんな感傷からわしを解放してくれた
のは、皮肉なことに、女たちが背中に投げつけてきた連呼だ。もちろん、泥も飛んできた。
だが、連呼されているこの言葉はなんだ。まさか「臆病者」か。わしはよほどきびすを返
し、怒りをぶつけようかと思ったが、思い直した。臆病者、臆病者か。あいつらに何かわ
かる,あいつらはあそこにいたのか,遠い昔のあの日、われらがクエリグとの対決に出か
けたあの日、あのときのわれらを見て、わしを・・・・・・いや、五人の誰をも・・・・・・ 臆病者
などと呼べたか。そして、あの困難きわまる任務から.三人となって戻った直後、わしは
ほとんど一休みもせずに谷の縁に急がなかったか、ご婦人方。一人の若い娘との約束を果
たすために?
名前はエドラ、とのちに教えてくれた。決して美しくはなかったし、着るものもごく質素
だった。だが、ときどき夢に見るもう一人同様、わしの心を捉える華があったで両腕に一
本の鍬を抱えて、道端にいるのを見た。女になったばかりで、小さくて細くて、無垢その
ものであった。わしがいまあとにしてきたばかりの戦場の恐怖……そのすぐ近くを無防備
で歩きまわる姿に、任務ヘの途中ではあったがどうしても通り過ぎることができなかった。
「戻りなさい、娘さん」と馬上から呼んだ。ホレス以前の馬だ。わしも若かった。
「そんなほうに行ってはいけない。この谷で激しい戦いが行われているのを知らないのか」
「よく知っています、騎士様」とエドラは言った。恐怖のかけらも見えなかった。
「長く旅をしてやっとここまで来ました。すぐに谷を下りていって、戦いに加わります」
「妖精の魔法にでもかかったか、娘さん。たったいま谷底から戻ったおれが言う百戦錬磨
の戦士でさえ恐怖のあまり胃を吐き出すほどの惨状だぞ。あの戦場の遠いこだますら娘さ
んには聞かせたくない。それに、体に似合わぬ大きな鍬は、なぜ」
「わたしの知るサクソン人の領主がいまこの谷にいます。その人が倒されないよう、神様
にしっかり守られるよう、心から祈っています。なんとしても、わたしのこの手で殺した
いですから。あいつが母と姉妹にしたことは許せません。そのときに使うための鍬です。
冬の朝に凍った地面を耕せるなら、サクソン人の骨を断つこともできるでしょう」
わしは馬から下り、振り岡ろうとする娘の腕をつかまえた。名前はエドラ、とのちに教え
てくれた,まだ生きておるなら、そなたたちくらいの年かのう、ご婦人方。そなたたちの
一人であってもおかしくないが、わしには知るすべがない。飛び抜けた美人ではなかった
が、もう一人同様、わしはその無垢に打たれた。
「行かせて、騎士様」とエドラが叫び、
「だめだ」とわしが言う。
「谷のこの先へは行かせられない。縁から見ただけでも卒倒してしまう」
「そんなひ弱じゃありません。行かせてください」わしとエドラ。道端で喧嘩をしている
子供のようであった。思いとどまらせるため、わしは最後にこう言った。
「なるほど、娘さん。どうしても思いとどまってはくれないようだ。だが、君が一人で復
讐を遂げることがどれほど難しいか、考えてみなさい。一方、おれが加勢すれば、難しさ
は何分の一にも減る,だから、いまは我慢して、この辺の日陰で待て。ほら、あそこ。あ
のニワトコの木がいい。あの下にすわって、おれの帰りを待ちなさい。おれはこれから四
人の同志と任務に向かう。危険な任務だが、さほど長くはかからない。もし死ねば、この
馬の鞍に括りつけられ、この道を戻ってくるのが見える。そのときは、君との約束は果た
せない。だが、生き延びれば必ず戻って、君と一緒に谷に下り、復讐を手伝うと誓う。だ
から、いまは待ちなさい、娘さん。君の復讐が正当ならおれはそう信じるおれたちが探し
当てるまでその男が倒されないよう、神が計らってくださるだろう。
あれが臆病者に言える言葉であろうか、ご婦人方。あの日、クエリグに立ち向かいにいく
途中だったわしのあの言葉は? そして任務のあと五人のうち二人が倒れ、わしは死を免
れた疲れ果ててはいたが、急いで谷の縁のニワトコの木に戻った。娘は鍬を抱えてちやん
と待っていた。わしを見てさっと立ち上がる姿に、また心を打たれた。とはいえ、再度、
娘の決意を変えさせようともしてみた。娘があの谷に入るなど、できれば見たくなかった
のでな。だが、娘は怒り、
「あなたは嘘つきですか、騎士様」と言った。
「わたしとの約束を守らないおつもりですか」と。
わしは馬を下り、娘を鞍に乗せて、手綱をとらせた。綱をとりながらも胸にはしっかり鍬
を抱えておったよ。わしが先導して谷の斜面をドリ、馬と娘を谷底へ連れていった。戦の
響きが聞こえてきたとき、娘は青ざめたと思うか。戦闘域の周辺で、迫っ手に迫られて死
に物狂いで逃げるサクソン人と出くわしたときはどうだ。消耗しつくした戦士が地べたに
這いつくばり、傷口を地面に引きずるようにしてわしらの行く手を横切って行ったとき、
娘はうつむいたと思うか。小粒の涙が湧き、持っていた鍬が震えるのが見えた。だが、顔
を背けることはなかった。なぜといって、娘の目には果たすべき役割があったからな。あ
の血塗れの野原の左を見、右を見、遠くを見、近くを見て、探していた。わしも鞍にまた
がった。娘をおとなしい子羊のように前に置いて、戦の真っただ中に乗り込んだ。剣をか
右に打ち振り、楯で娘をかばい、馬を右へ左へ操りながら進み、ついには二人して泥の中ヘ
放り出されたあのときのわしを、ご婦人方は臆病者と呼べるのか。娘はすぐに立ち上がり
鍬を拾い上げ、歩きはじめた。潰れた死体に、ハつ裂きの死体。死体の合間を縫って歩い
た。聞き慣れない叫び声が耳に押し寄せても、娘には聞こえない。敬虔なキリスト教徒の
娘の耳には、道ですれ違う男どものド卑た誘いなど聞こえないのと同じことよ。わしはま
だ若く、足が速かった。剣を持って娘の周りを走りまわり、危害を加えそうなやつらを斬
り倒した。降り注ぐことをやめない矢からは楯で守った。そしてついに、探していた相手
を娘が見つけた。だが、まるで荒い波の間を漂っているようなものでな、島はすぐそこに見
えるのに、潮の流れが邪魔して、どうしても近づけぬ。その日はずっとそんなふうだった。
わしは戦い、打ち、娘を守った。一人して目的の男に近づくまで、まるで永遠のようであ
った。だが、まだ男の護衛.ニ人がいた。わしは娘に楯をりえ、「よく身を守れ。復讐は
なったも同然]と言って、護衛と相対した。三人とも戦士の技を持っておったが、それを
一人また一人と倒し、ついに娘の憎むサクソン領主の目の前に在った。男の膝には血糊が
べっとりとつき、どんなところを歩いてきたかを物語っていたが、この男自身は戦士では
なかった。わしは男を打ち倒した。
男の脚はもう役に立たぬ。
地面に転がったまま、荒い息をし、憎しみのこもった目で空を見上げていた。娘が来て、男
の横に立ち、楯を放り捨てた。そのとき娘の口にあった光は、悲惨な戦場に見るどんな光
景よりもわしの血を凍らせた。娘は鍬を下ろした。振り下ろしたのではないぞ。鍬でちょ
んとつついたのだ。そして、もう一回。いわば、土中に芋を探すときの鍬使いだ。また一
回。わしは叫ばずにいられなかった。
「とどめを、娘さん。おれがやってもいい」だが、娘が言った。
「好きにさせて、騎士様。あなたには感謝していますが、ここまででけっこうです」
「君が無事にこの谷を出るまで、おれの仕事は終わらない、娘さん」だが、娘はもう聞い
ておらぬ。身の毛もよだつ作業をこつこつとつづけていた。ほんとうはもっと諌めたかっ
たが、そのとき、人の群れから彼が現れた。彼とは、わしがいまアクセル殿として知る男
だ。もとより、いまよりもっと若かったが、当時から賢そうな顔をしていた。肢を見たと
き、戦場の騒音がわしの周囲からさっと引いていくように思えた,
「なぜそのように無防備で立っておられる」とわしは言った。
「しかも剣がまだ鞘の中とは? せめて楯を拾って、身を守りなされ」
だが、彼の遠くを見るような表情は変わらぬ。まるでかぐわしい朝に雛菊の野に立ってお
るかのようだ。
「矢をこちらへ飛ばすことを神が選ばれたのなら、わたしは邪魔をしますまい」と言った
。「お元気そうで何よりです、ガウェイン卿。あとからお見えになったのですか。それと
も最初から?」
まるで夏祭りかどこかで出会ったような口調だ。わしはもう一度叫んだ。
「身を守りなされ。ここにはまだ敵がひしめいていますぞ」
そして、相変わらず景色をながめつづける相手に、先ほど問われたことを思い出して答え
た。
「戦いの最初からいましたが、途中、アーサー王に五人の一人として選ばれ、ある重要な
任務に出かけました。いま戻ったところです」
わしの言葉に興味をひかれたようで、
「重要な任務ですか。うまくいきましたか」と言った。
「残念ながら二人の同志を失いましたが、マーリン殿が満足なさるほどにはうまくいきま
した」
「マーリン殿ですか」と言った。一賢人かもしれませんが、あのご老人を見ると身震いが
します」
そして、もう一度あたりを見まわして、
「ご友人を亡されてお気の毒です。ですが、日が暮れるまでにはもっと亡くされるでしょ
う」と言った。
「だが、勝利はわれわれのものです」とわしは言った,
「呪われたサクソン人め。ありがたがるのは死神だけなのに、なぜ戦いつづけるのか」
「純粋な怒りと、われわれへの憎しみからでしょう。もう彼らの耳にも届いているに違い
ありません。村に残っていた人々の身に何が起こったか。わたし自身、いまそういう村か
ら来たところですから、サクソン人に知らせが届いていないはずがない」
「どんな知らせです、アクセル殿」
「皆殺しの知らせです。女子供や年寄り、生まれたての赤ん坊までもが全員です。誰がそ
んなことを? われらです。なぜそんなに無防備だったか? われらとの問に神聖な協定
かあったからです。立場が逆だったら、われらも猛烈に怒らないでしょうか。彼ら同様、
傷ができるたび薬を塗りながらでも、最後の一人になるまで戦わないでしょうか」
「なぜそんなにこだわるのです、アクセル殿。今日のわが勝利は揺るがず、後世に残りま
しょう」
「なぜ? 今日襲われたのが、アーサー王の名のもとにわたしが親しくしていた村々だか
らです。ある村で、わたしは平和の騎士と呼ばれていました。ですが、今日、わが兵士ト
余人が馬で乗りつけ、無慈悲に駆け抜けのを見ました。立ち向かうのが、わたしの肩ほど
もない少年たちばかりでは……」
「それはじつに悲しいことです。ですが、お願いですから、いまはとにかく楯を……」
「訪れる村という村が同じです。わが兵士らが、したことを自慢げに語り合っいました」
「こ自分もわが叔父も責めなさるな。アクセル殿のご尽力で施行された法は、有効だった
間はすばらしいものでした。それによって何人の罪のないブリトン人とサクソン人が救わ
れたことか。法が永遠につづかなかったのは、アクセル殿の責任ではありません」
「今日の今日まで彼らは協定を信じていました。かつて恐れと憎しみしかなかった両者間
に、信頼を、と説いたのはわたしです。今日のわれらの行為で、わたしは嘘つきとなり、
殺戮者となりました。アーサー王の勝利を喜ぶことなどできません」
「恐ろしいことをおっしやる。アクセル殿が反逆を考えておいでなら、さっさとかたをつ
けましょう。ぐずぐずしてもしかたがない」
「あなたの叔父上に何もするつもりはありません。ですが、ガウェイン卿、これほどの代
償を支払って得た勝利、どう喜びますか」
「アクセル殿、今日サクソンの村々で行わ」たこと、叔父はほかに平和を維持する方法を
知らず、沈痛な思いで命じられたはずです。考えてください。アクセル殿が心を痛めてお
られるサクソンの少年たちは、やがて戦士となり、今日倒れた父親の復讐に命を燃やして
いたはず。少女らは未来の戦士を身箭ったはず。殺戮の循環は途切れることがなく、復讐
への欲望は途絶えることがありません。いまでさえ、あの美しい乙女をご覧なさい。わた
し自身がこの戦場へ連れてきたあの娘は、いまだに鍬を振るいつづけています。今日の大
勝利は千載一遇の好機ではないでしょうか,悪の連鎖を終わらせる絶好の機会が訪れまし
た。偉大な王たるもの、この好機を大胆に活かさねばなりますまい。これは来るべき平和
の始まりの日かもしれません、アクセル殿。いや、そうしなければなりません」
「わたしには理解できません、ガウェイン卿。今日、われわれは戦士も赤ん坊も区別せず、
サクソン人を血の海に沈めました。ですが、サクソン人はいたるところにいます。東から
船でやってきて、海岸に着き、日々、新しい村を追っています。憎しみの連鎖は途切れる
どころか、今日の出来事によって鍛えられ、強化されるでしょう。わたしはこれからあな
たの叔父上に会い、見てきたことを報内します。神が笑顔でいると、そう心から信じてお
られるのかどうか、お顔から判断するつもりです」
カズオ・イシグロ 『忘れられた巨人』
娘を乗せガウェイン卿が疾風の如く戦場を駆け抜ける姿は、原爆投下直後の長崎を駆け抜
けるシーンを、そして、映画『羅生門』の記憶を引き寄せた。さて、<物語>は佳境。
この項つづく