極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

法然の編集力

2015年12月11日 | デジタル革命渦論

 

 

 

 

        中国人は異民族が唱えた仏教を、なぜ理解できたのか。
             老荘の思想をたくみに受容器につかいつつ、
             そこで「無」から「空」への変換をはかったからだ。
             が、それだけではなかった。その老荘思想を
             逆にとりこんで、浄土教や禅に発展させていった。
             往時の長谷川如是閑の老子論に始まっている。
             とんでもなく痛快な見方だ。
             昔は、こういう傑物の見方というものがあったのだ。
             今は、仏教議論がせせこましくなっている。
             そろそろタオイズムと浄土教と禅とを、
             仏教と道教と儒教とを串刺しにしてみる必要がある。
                        

                                       1437夜『老荘と仏教』森三樹三郎
                                                   松岡正剛の千夜千冊

 

                                                                                    

                                                            Seigo Matsuoka                                                                                                                                          Jan 25, 1944-

 
【世界初 室温で実現できる“超電導”】

電気抵抗がゼロになり原理的に送電中の熱ロスがなくなることから、省エネルギー化につながるとして
期待される超電導技術。さらなる普及に向け超低温まで冷却せずに超電導状態を得られる物質の開発が
進んでいる。理化学研究所などの研究グループは新たな物質設計の指針となる研究成果を公開(2015.12.
01)。

理化学研究所と産業技術総合研究所の研究グループは、高温超電導銅酸化物の高圧力下電気抵抗測定の
結果から、より高い超電導臨界温度を実現する物質設計に新たな指針を示した。 超高速で走るリニア
モーターカーや病院での検査に用いるMRI(磁気共鳴画像)装置は、超電導と呼ばれる現象を応用してい
る。超電導状態になると電気抵抗がゼロになり、原理的には送電中の熱ロスが全くなくなる。
また、従来
と同じ太さの電線に大量の電流を流せるという利点もある。そのため超電導体は、情報化社会において肥大化し
つづけるエネルギー消費を抑えることができる材料として研究開発が進められてきた。ただ、超電導状態の発現
には超電導臨界温度(Tc)まで冷却する必要があり、この温度をいかに上げるかが実用化への重要な課
題。



研究グループは、現在、大気圧下で最も高いTcを示す水銀系超電導銅酸化物のHg1223とHg1212のTcをさ
らに上昇させる試みを行った。理研のキュービックアンビル型高圧発生装置(高温用)を用いて、従来
のHg1223とHg1212よりも粒子間の結合が密接で強度が高く、高圧力下でひびなどが入らない試料を作成。
これは高圧力下での物理的性質の正確測定に重要なものとなる。また、適切な熱処理を行いキャリア量
を制御してさまざまなTcを持つHg1223とHg1212を得た。さらにHg1223とHg1212の異なるキャリア量を持
つ試料ごとに、圧力によるTcの変化を調べた。その結果、大気圧下で最も高いTcを示す化学組成を持つ
試料よ
りもキャリア量の少ない組成を持つ試料の方が、高圧力下でより高いTcを示す。大気圧でTcの最
高値はマイナス147度だったが、6万気圧では、Tcの最高値はマイナス134度C、Δp(大気圧下で最も高い
Tcを示す試料のキャリア量をゼロとし、その値からの差)はマイナス0.025となった。さらに12万気圧
でのTcの最高値はマイナス125度、Δpはマイナス0.051だった(上図)。この傾向はHg1223にも見られ
たという。

 共同研究グループは、Tcを室温レベルまで引き上げることができれば、エネルギーロスを極限まで抑えることが
でき、より高い超電導臨界温度を実現する物質設計の新しい指針を得た。今後この研究をきっかけに超電導臨
界温度をより高める実験的および理論的研究が促進され、“超省エネルギー社会”の実現につながる室温超電
導体の開発が加速すると期待されるが、商用化はだいぶん先の話になる。

 Nov 27, 2015

【京セラ滋賀、年間5700メガワット時の節電で地球温暖化を防止 】

京セラは太陽電池セルを生産する「滋賀野洲工場」において、工場屋根スペースへの太陽光発電システ
ムの設置や、製造設備の省エネ化、未利用エネルギーの活用といった省エネ活動に取り組んでいる。こ
れにより年間5659メガワット時の使用電力量と約43388トンの二酸化炭素の削減に相当。

京セラの滋賀野洲工場が、環境省が実施する「平成27年度 地球温暖化防止活動環境大臣表彰をこのほど
受賞。同表彰は、環境省が地球温暖化対策を推進する一環として、08年から毎年、地球温暖化防止月
間にあたる12月に、地球温暖化の防止に顕著な功績のあった個人や団体をたたえるもの。京セラは、
10年度(から今回6年連続受賞となる.

京セラは工場のある滋賀県の太陽光発電の普及にも積極的に寄与し、滋賀・矢橋帰帆島メガソーラー発
電所(草津市、8.5(MW)、野洲・吉川メガソーラー発電所(野洲市、1.8MW)では太陽電池モジュ
ールの供給および運営を担当し、滋賀食肉センター(近江八幡市、2.0MW)へは太陽電池モジュールを供
給(上図)。工場の屋根スペースでの太陽光発電システムの設置に加えて、工場内での冷却用の冷凍機、
気圧縮機の台数制御とボイラーの小型化による運転効率の改善、シリコン鋳造炉の断熱強化による高
効率化
での省エネを実施している。また、太陽電池セル製造工程や、空気圧縮機からの排熱を温水や純
水製造設備の
熱源として利用するなど、エネルギーの再利用も推進中だ。これらの取り組みにより、年
間約5659メガワット時
の使用電力量と、約4388トンの二酸化炭素削減を実現。



また、この他に地球環境保護への貢献活動も実施。地元の小学校に出向き、子どもたちに、太陽電池を教材に
未来の環境を考える機会を提供する環境出前授業の開催や、国際湖沼環境委員会を通じてアジアアフリカ地域
の将来の環境政策を担う若手技術者へ太陽電池の製造方法、設置事例紹介や排水処理方法などを知ってもら
う機会を提供している。この先、この企業はノーベル平和賞を授賞することが約束されているように思えるニュー
ズだ。

   Dce 8, 2015

  • a) 25wt%(重量%)CHNHI/PbIのDMF溶液から従来法により製膜したペロブスカイト膜。
  • b) 25wt%CHNHI/PbIのDMF溶液からFDC法により製膜したペロブスカイト膜。平均粒径と膜厚はともにおよそ100nm。
  • c) 45wt%CHNHI/PbIのDMF溶液からFDC法により製膜したペロブスカイト膜。平均粒径と膜厚はともにおよそ300nm。
  • d) 55wt%CHNHI/PbIのDMF溶液からFDC法により製膜したペロブスカイト膜。平均粒径と膜厚はともにおよそ500nm。

 【ペロブスカイト太陽電池の不安定性を改善】

ペロブスカイト太陽電池は、無機材料にもかかわらず有機薄膜太陽電池のように室温で有機溶媒に溶け
てインク
のように扱えるため、印刷や塗布で作ることができるという製造面での大きな特長があります。
このため従来のシ
リコン太陽電池に比べて、はるかに安価に大量生産が可能になると期待され、次世代
の太陽電池として世界中で
研究されている(宮坂力教授はノーベル賞に一番近い?)ます。現在、エネ
ルギー変換効率は20%を超えるもの
が報告されるようになったものの、製膜条件により発電特性にば
らつきが見られたり、電圧掃引方向によって異な
る発電特性を示す(ヒステリシス)という現象が見ら
れるなど、再現性が悪く、発電機構の定量的な研究を系統的
に行えなかったっが、近年急速にその改善
が進んでいる。

ばらつきの主な原因は、(1)無機結晶材料を溶液からの塗布プロセスにより急速に製膜による緻密で平滑なペ
ロブスカイト結晶の膜を再現良く作製するのが難しいこと、(2)緻密で平滑な結晶膜を作る比較的品質の良い結
を得る手法が開発――す。例えば、PbI2とCH3NH3Iが溶けたジメチルホルムアミド(DM
F)溶液からCH3NH3PbI3ペロブスカイトをスピンコート法により製膜する際に、クロロベン
ゼン溶液をスピンコート中に滴下することで、緻密で平滑なペロブスカイト膜が得られれている。(3)
急速な結晶化を促進することから高速結晶堆積法注の開発で、ペロブスカイト太陽電池の素子特性のば
らつきやヒステリシスはかなり抑制され、15%程度の変換効率が再現良くなってきている。




以上の結果では、(1)光電流発生過程には変換ロスはないが、電圧はトラップを介した再結合のロス
(変換ロス)が存在する。(2)この電圧ロスを抑制にはトラップなくす必要がある。(3)しかし、
ペロブスカイトの単結晶の作製でトラップ密度が1010cm−3程度であることがわかっている。(4)
このことからVOCは1.27 Vにまで向上できそうで、
論限界値に近い値であり、ペロブスカイト太
陽電池の(5)トラップ密度を単結今回の解析結果を基に、これまでに報告されている中で最もトラッ
プ密度の低い単結晶ペロブスカイトレベルにまでトラップ密度を下げることができたと想定した時のVOC
の予測ではほぼ理論限界値にまで向上する。(6)ペロブスカイトは再結合以外の新たなロス機構が関与
も考えられるが、(7)シリコン太陽電池に迫るエネルギー変換効率25%のペロブスカイト太陽電池の
実現も可能だと考えられる。これは益々面白くなりそうだ。


※ "Photovoltaic Performance of Perovskite Solar Cells with Different Grain Sizes”(ペロブスカイト太陽電池
  の発電特性の粒径依存性)doi :10.1002/adma.201504144

 

 

 

 

 ● 折々の読書 『法然の編集力』 1  松岡 正剛 著

  【目次】

   第一部 法然の選択思想をよむ

    忘れられた仏教者
    六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風

    専修念仏への道
   父の遺旨/浄土思想との出会い/末法を生きる/法然の読暦法ノ専修念仏の確信/山か
   ら町へ/乱想の凡夫として

    法然のパサージュ
    兼実の「仰せ/「選択」とは何か/法然のブラウザトプリテラシーとオラリティ

    「選択」の波紋
    南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也


   第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ

    法然誕の地ノ突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山∠宝ヶ池越しに比叡山を望む/
    18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説法/念仏宛洋の地/善導
    との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/
    遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所


   第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

    大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏教とイメー
    ジ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教における死

 

  忘れられた仏教者

   六字名号の謎
 
  ただ一心に「南無阿弥陀仏」と称えれば、往生が約束される――。
  法然の「専修念仏」の教えをごこでまとめれば、このようになります。心して「
 南
無阿弥陀仏」と言えば極楽に行ける。ほかのことはせずとも、ひたすらそうしな
 さ
い。法然はそう教えたわけです。

  けれどもこれって、あまりにも簡単すぎる教えのようですし、それがお勤めだと

 しても、とても安易な勤行のように感じます。実際にも、仏教界ではこのような方
 法を「難行」に別して「易行にといいます。中国の六朝時代の僧・曇鸞の『往生論
 』などによる分類です。その「易行」を法然は選んだ。なぜそんな大胆なことを
 思いついたのでしょうか。

  たしかに数多ある仏道修行のなかでも、念仏はとても身近に感じることができる
 ものだと思います。私は京都の具服屋に生まれ育ったのですが、日々の周りのいた
 るところでこの念仏が称えられていました。とくに母はたいへんな浄土観の持ち圭
 で、寝る前には必ず「ナンマイダ、ナンマイダ……」と呟いていましたし、何かあ
 るたびに「ああ極楽や、極楽や」と言っていました。毎晩のように同じ念仏を聞か
 されていた私は、私ども心に「ナンマイダって何やるな」と田心ったものですが、
 そ
の念仏こそが法然の「発明」で、まさに誰しもが日々のなかで実践できる勤行だ
 っ
たのです。

  しかしその一方で、なぜ「南無阿弥陀仏にと称えれば浄Lへと往生できるのか、

  これを説明するとなるとたいへん難しい。あまりに簡潔であるがゆえに、かえっ
 てその奥行きが覗きにくいのです。
 
  だいたい「南無阿弥陀仏」にあたる用語は、サンスクリット文献やパーリ語の史
 料にはまったく出てきません。また、この洋字六欠字を名号とするように示唆して
 いる漢訳経典をさがしても、浄土三部経のひとつの「観無量寿経」にのなかでわず
 か二箇所に出てくるだけなのです。

  そこには「声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称す。仏名
 を称する
がゆえに、念念の中において八十億劫の生死の罪を除く」とあります。た
 しかに口
称念仏を重視していますが、それが宗旨の基本になるということなど、何
 も説明さ
れていません。それに本来、念仏とは「仏を念ずる」ということで、さま
 ざまな仏のイメージを思い浮かべる「鰻念」)ことだったのです。その方法には

 いろいろあって、多くは「観想の念仏’が中心だったのです。それをまとめて「観
 仏」というのですが、口に名号を唱えるというのは、そういう多種な念仏のうちの
 ひとつの手段にすぎませんでした。

  ところが、法然はその数ある念仏のなかの「称名念仏」のみに着目し、それを「
 
修念仏」にまでもっていった。あまりに革新的といっていい転換で、そこに帰着し
 た根拠がすぐには思いつきません。
  私は長らく、法然がなぜ「南無阿弥陀仏」という六字名号を祢える念仏だけで浄
 上京をおこせたのか、わからなかったのです。きっと私が知らない経緯や思想があ
 っただろうに、それがなかなかつかめません。けれども、しだいにその秘密が解け
 てきました。この本ではその話をしたいと話をしたいと思います。

   法然が先鞭をつけた鎌貪新仏教といえば、栄西、道元、口速などの数々の個性的な唱
 導者が台頭してきたことで知られています。
 法 然の弟子だった親鸞もその一人ですが、それまで日本の仏教者でもっとも論じ
 られてきたのは、この親鸞にほかなりません。それは、浄土真字が今日最多の信徒
 を抱える宗派であるというだけでなく、著作ほとんどない法然にくらべて、親鸞
 は「教行員証」や「歎異抄」にといったが著作あって、その言説にじかにふれら

 ること、ふれてみるとそのエクリチュールの華麗さや.「悪人正機説」に代表され

 る逆説的不法に読み于を引きこむ魅力があって、それらに仏教思想という枠組みを 
 超えた奥行きや思想性を感じられるからです。

  ひとことでこ言
てしまえば、とても現代的なのです。とくにマルクス主義や実存
 主義がはやっていか1960年代には、親鸞の思想が多くの文学者や思想家を剌激
 し、知識人たちの関心を挙って親鸞へと向かわせました。曹洞宗の祖である道元も

 論じられる機会の多い仏教者ですが、それもまた、足元の展開する時間哲学にアラ
 ンやハイデガーをとうに凌駕する試作感じてのことでした。

  その六〇年代に学生だった払も、爾多分にもれず俘在論や認識論のよ場から親鸞

 今週元の思想に関心をもちました。あるいは、明恵や大日能忍や日蓮らがもつ過激
 な言語的宗軟性に感応していた。そのなかにあって、ついつい法然をほったらかし
 にしていたのです。仏教思想としても、現代思想想としても、あるいは世界観の豊
 饒
さからいっても、親鸞以降の仏教者だちから法然ヘル戻ることは難しかったので
 す。
そのために「後同し」にしていました。

  ありていにいえば、法然っておとなしいのかと思っていたのです。さらにいうの
 なら私の場合は親鸞や道元に加えて空海も好さだったのですが、どうもそれらにく
 らべて法然は愚直な印象が強く、刺激矢欠けるように感じられかた。つまり、オン
 
トロジック(存在学的)な関心やエクリチュールっぼい関心では、法然を読むこと
 がいまひとつ引っかかってこなかったというのが正直なところです。

  とはいえ、そういった見方は海外でも同じだったように思います。海外での翻訳
 が多いのもやはり親鸞のほうで、法然はずっと忘れられてきたといっていい。鎌倉
 新仏教をめぐる議論では、あいかわらず親鸞や道元や目蓮、そうでなければ明恵や
 一遍に強い関心が向けられてきました。鎌倉新仏教に「日本的霊性」を発見した鈴
 本人拙ですら、そういう見方をしていました。

  ところがそのうち、ちょっと考えを改めることになりました。ひょっとして日本
 仏教における根底的な転換をはたしたのは法然その人なのではないか。決然の「
 修念仏」という先駆的確信には、何かよほどの理由かおるのではないか。ひょっと
 するとそこには、たんなる頑囚一徹を超えるクリティカルな方法が躍如していたの
 ではないか。それがのちのちの各派各祖をゆさぶったのではないか。だんだんそう
 考えるようになっていたのです。


この本と出会ったのは
昨日の市立図書館で偶然にみつけたもので、「ヘンダーリン」の
図書の貸し出し延長手続きで、ついでに、「存在と時間」(ハイデガー)、「地熱工学
入門」(江原幸雄・野田徹郎)を新たに貸し出し申請したのが切っ掛けであった。松岡
正剛の著書でなけれとむことは一生手にすることはなかぅたたろう。それにしてもどう
だ。書籍類のの焚書処分はいっこうに捗らず彼女にしかられるばかだ。


                               この項つづく

 

 

    

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アイスフォールとクレパス超え

2015年12月10日 | デジタル革命渦論

 

 

 

 

        歴史は時の経過を証明する証人である。歴史は現実を照らし、
                    記憶と力づけ、われわれに古代の便りをもたらす。

  
         History is the witness that tcstifies to thc Passillg 
         of timc; it illumines 
reality,  vitalizes memory 
                        and brings 
us tidings of antiqulty.

                                                                        キケロ    『デーオラトーレ』

                                                                       

                                                                                                                  Marcus Tullius Cicero   
                                                                                    
 (3 January 106 BC – 7 December 43 BC)

 歴史の効用を巧みに説いてある。翻訳でもその大河のような洋々とした量感の豊かな文体は感じられ
 よ
う。ルネサンス以後のラテン語の模範とされているのも、もっともであろう。「コップの中のあら
 し」とか、「友は第二の自己」とか、「老齢とは生命の冠、劇の終幕」などみな彼のことば。口ーマ
 の政治家・雄弁家(紀元前106~43)かアント・一ウス攻撃の演説後まもなく、その手下に暗
 殺された日。司法界の第一人者、統領。作の内に演説、ギリシャ哲学の紹介など多し。量感多い文体
 は、大きな影響を与えた(岩田一男
)。



 

    

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 
 

  ※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。

    非儒 - 『墨子』   

  ● 天下を乱す賊、儒家の徒 

   儒者は、こうもいっている。「君子は、戦いに勝った場合、逃げまどう敵は追わず、首をすくめて
  いる敵は射たず、退却する敵の車には手を賃してやるものだ」と。

   これにはこうこたえよう。
   まず第一に、仁人同士であれば、理屈からいっても、たがいに争いあうわけがない。たがいに事の
  是非を話しあい、理がなければ理のあるほうに従い、無知であれば、知者に従う。いいわけの立たぬ
  ときは必ず服従しヽ善とわかれば必ずわが身を改めるJこれが仁人であるこ争いあう必要がどこにあ
  ろう。争いあうのは乱暴者同士である。逃げる者を追わず、隠れる者を射たず、退却する者を助ける、
  子 いくらこんなことをレてみても、そもそも争いをはじめたものが君子であるぼずがない。

   ここに暴虐非道の国があるとする。世のためにその害を除こうとし、軍を起こして洙罰を加えふ
  これは聖人の戦いである。だがそのとき、例の儒者のやり方によって、逃げる者は迫うな、隠れる者
  は射つな、退却する者には手を賃してやれ、と兵士に銘じたならば、暴虐非道な悪人が死を逃れて、
  天下の害は除かれない。それは、天下の父母すべてを殺し、天下を害することを意味する。これはど
  の不義がまたとあろうか。

  儒者はまた、こうもいう。「君子は鍾のようなものだ。たたけば鳴るが、たたかなければ鳴らない」

 と。これにはこうこたえよう。
  仁人とは君には忠、親には孝を尽し、善をほめ、過ちを諌めるもののことであり、そうすることが
 人臣の道なのだ。たたけば鳴り、たたかなければ鳴らない。つまりこれは、知っていても教えず、力
 があっても出し惜しみし、知らぬ顔で相手が質問するのを待っている、ということだ。どんなに君生
 や親にとって利益になることでも、問われなければ発言しないというのだろうか。
  いままさに叛乱が起ころうとしている、盗賊がおし入ろうとしている。寸刻の猶予もない。しかも、
 それを知っているのは自分ひとりだ。こんな場合でも、君主や親がきかなければいわないというのか,
 とんでもないまちがいである。それでは臣下としては不忠、子としては不孝、兄につかえては不悌、
 人と交わっては不貞といわざるをえない。

  万事控え目を美服として、積極的に進言しないくせに、おのれの利益とみれば、おくれてならじと
 目をだす。君主が何かをきいても自分の得にならぬと思えば、手をこまねいてうつむいたまま、ノド
 にものがつかえでもしたかのように、もったいぶったそぷりで、
 [「たしはまだそれについて学んだことはございません」
 などという。国家の重大事に対して知らぬ顔の半兵衛をきめこみ、遠くに身を避けてしまうのだ

  又曰、君子循而不作。應之曰、古者羿作弓,作甲,奚仲作車、巧垂作舟、然則今之鮑函車匠皆君
 子也,而羿、、奚仲、巧垂皆小人邪。且其所循人必或作之、然則其所循皆小人道也。又曰、君子
 勝不逐奔、揜函弗射、施則助之胥車。應之曰。若皆仁人也、則無說而相與。仁人以其取舍是非之理
 相告、無故從有故也。弗知從有知也。無辭必服。見善必遷、何故相 若兩暴交爭、其勝者欲不逐奔、
 掩函弗射、施則助之胥車。雖盡能猶且不得為君子也。意暴殘之國也。聖將為世除害,興師誅罰、勝
 將因用儒術令士卒曰毋逐奔。揜函勿射、施則助之胥車。暴亂之人也得活。天下害不除。是為群殘父
 母、而深賤世也、不義莫大焉 。
 
又曰、君主若鍾,擊之則鳴,弗擊不鳴。應之曰、夫仁人事上竭忠、事親得孝、務善則美、有過則諫、
 此為人臣之道也。今擊之則鳴、弗擊不鳴、隱知豫力、恬漠待問而後對、雖有君親之大利、弗問不言、
 若將有大寇亂、盜賊將作、若機辟將發也、他人不知、己獨知之、雖其君親皆在、不問不言。是夫大
 亂之賊也。以是為人臣不忠,為子不孝、事兄不弟、交、遇人不貞良、夫執後不言之朝物、見利使己
 雖恐後言、君若言而未有利焉、則高拱下視、會噎為深、曰、唯其未之學也。用誰急、遺行遠矣。夫
 一道術學業仁義者、皆大以治人、小以任官、遠施周、近以脩身、不義不處,、理不行、務興天下之 
 利、曲直周旋,利則止,此君子之道也。以所聞孔丘之行,則本與此相反謬也。

 

 

【量子・ナノサイズ太陽電池時代: テッペンを取りに行く】

 

ソーラーフロンティア株式会社が国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)との
共同研究を通して、CIS系薄膜太陽電池のセル(約0.5cm2)で、エネルギー変換効率22.3%となる世
界記録を達成。この記録は、過去の薄膜太陽電池の世界記録である217%を0.6ポイント上回る。な
お、この値は独フラウンホーファー研究機
構(欧州最大の応用研究機関)で検証。
同者は、今回の成果は
(1)CIS光吸収層表面品質の向上や(2)接合形成技術の改良により達成。この記録は、これまでの薄
膜太陽電池の世界記録を大きく塗り替えるとともに、多結晶シリコン系太陽電池も未達成のエネルギー変
換効率22%を世界で初めて超えた。CIS薄膜太陽電池技術が、長期的な目標である30%を超えるエ
ネルギー変換効
率に向かって着実な一歩を刻んでいることを示す。今後もソーラーフロンティアは研究開
発の前線(フロンティア)に立ち、研究開発の成果を実際の生産現場に適用することにより、高い実発電
量と競争力のある発電コストを全てのお客様にお届けていきたいと語る。

エネルギー変換効率に加え、競争力のある発電コストを実現する要素は複数あり。CIS薄膜太陽電池は、
(1)高温下でも発電効率が落ちにくいなど優れた発電性能を有するため、(2)結晶シリコン系の太陽
電池と比較して実際の設置環境下で高い実発電量を発揮する。同社は今回の成果を礎として、さらに高出力
のCIS薄膜太陽電池モジュールの量産化を実現するとのこと。
    

 


【概要】
基板上に、遷移金属からなる裏面電極層、光吸収層、透明導電膜が順に形成されたサブストレート型薄膜太陽電池のリ
サイクル方法であって、遷移金属が表面に露出して形成された遷移金属付き基板を準備する準備工程と、前記遷移金
属付き基板を酸素含有雰囲気中で熱処理する熱処理工程と、前記基板上の前記熱処理工程により酸化した遷移金属
を、前記基板から除去する除去工程と、を含む(【選択図】図2)。遷移金属付きの基板から、遷移金属をリサイクル可能
な形で容易に分離することが可能なリサイクル方法を提供する。
 
 

【概要】

分割溝の形成により生じるデッドエリアを小さくし、相対的に発電面積を拡大して光電変換効率を向上
させる集積型薄膜太陽電池の製造方法等を提供するもの。本集積型薄膜太陽電池の製造方法は、基板上
に第1の電極層、半導体層、及び第2の電極層が順に積層された積層膜を製膜する積層膜製膜工程と、
前記積層膜を選択的に除去して前記基板の表面を露出させ、互いに平行な複数の分割溝を形成する分割
溝形成工程と、前記複数の分割溝により分割された隣接するセルの一方となる積層膜の第2の電極層と
、隣接するセルの他方となる積層膜の第1の電極層とを、前記複数の分割溝を介して導通させる導通工
程と、を有する(【選択図】図4)。開示の技術によれば、分割溝の形成により生じるデッドエリア
小さくし、相対的に発電面積を拡大して光電変換効率を向上させる集積型薄膜太陽電池の製造方法等を
提供できる。

※ 関連特許
 
・特開2015-178096  サブストレート型薄膜太陽電池のリサイクル方法及び遷移金属付き基板のリサイクル方法 
特開2015-170720  集積型薄膜太陽電池及びその製造方法 
特開2015-060888  排水部材及び太陽電池モジュール
・ 特開2015-028993  薄膜太陽電池モジュールの製造方法
・ 特開2015-021315  細長部材 ソーラーフロンティア株式会社
特許5762148  CZTS系薄膜太陽電池の製造方法 
特許5745342  CZTS系薄膜太陽電池の製造方法 
特許5725610  スパッタリングターゲット及びその製造方法 三菱マテリアル株式会社 他 

以上のように、「ネオコンバーテック」を駆使した「量子ドット・ナノサイズ電子デバイス工学」が『デジタル革命渦論
の基本特性が貫徹されている新規考案事例である。このことは実験室で実際に身体論的に感得しない限りわか
り得ない者だと、わやし(たち)の経験から了解できることである。つまりは、この「一本道」(桶狭間の戦い)のみ
によってのみエネルギー革命が遂行されるろ確信している。変換効率30%超時代目前にせまっている。このチ
ャンスを見過ごすわけには行かぬと腹に据え邁進するのみであろう。 
 



【七つのにわかな短歌鑑賞】


   細き身にコルセット佩きわが妻のゆるりと歩むロボットのごと


   整形外科の予約の札は嫁が取り妻をはこぶはわれの役割


   踏切の線路にはまる前輪を持ち上げくれぬ若者飛びきて


   踏切を渡るは後向きに曳くべしと操作教へて去りし若者


   みどり濃き禅並木をまぶしみて車椅子押す朝のコースは


   ふり仰ぐ桜の梢に虫喰ひのレース模様の葉が揺れやまぬ


   車椅子押しゆく道に鶺鴒(セキレイ)の番降りきて長き尾を振る


                      横山三樹 『車椅子』


まだ、母の死から非嘆症かた完全に断ち切れていないが、まだ北野病院の股関節手術で歩けていたころ
――後に右足の股関節手術を豊里病院で前にあり、無理矢理、ロードスターに母を同情させ、滋賀大か
ら追手問でフルオープンしキャッスルロードまで暮れ時の花見を楽しんだことがあった。人混みで混雑
している中を、わたしたちだけが、ゆっくり堀端を走らせたが、物見遊山にのぞき込まれながも、桜吹
雪が時折社内に降り注ぎ込む風景を胆嚢した。母はどうかというと無表情で、むしろ人だかりにおびえ
ている風にもみえたが、宗安寺前までくると、ハートトップを覆蓋させ帰宅した。しばらくして、彼女
は車いすなしにはあるくことができなくなった。

 

   ● 今夜の一曲

For the Peace of All Mankind  落ち葉のコンチェルト

 
【アイスフォールとクレパス超え】

今年は百名山踏破は実現できなかぅたのはいたしかたがない。来年は5月6月に上越関東の山をいつもの弾丸
登山でなく一泊二日で踏破する計画をしている。それはいいのだが、普段は普通の親戚や友人宅をも訪れよう
と計画している。ところが、百名山を踏破したなら、記念に3週間程度かけ、マッキンリー(デナリ)も挑戦し
ようと決めた(今夜、突然そう決めた)。実現できるかどうかわからないが、大きな夢を見ることにし
た。不思議な気分を経験している。
 

  

 

 

 

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量子・ナノサイズ太陽電池時代

2015年12月09日 | デジタル革命渦論





 

     僕は自分の学生寮でFacebookを開発して、学生寮のパソコンからローンチしたんだ。
           月に85ドルのサーバーを借りて、広告費を取ってそれをまかなった。つまり未だ
      に、寮
の時代からビジネスモデルは全く変わっていないんだよ。
 
                                                                       マーク・ザッカーバーグ

                                                                                          

    

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 
 

  ※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
     尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。

   非儒 - 『墨子』   

 ● とむらい乞食、儒家の徒

  儒者はまた、宿命論をとる。長寿と短命、貧と富、治と乱、これらはすべて天が決定するのであっ
 て、人の力ではそれを変更できない、困窮と栄達、賞と罰、幸と不幸、これらはすでに定まったもの
 であって、人の知力ではどうすることもできないと主張している。
  この説を信ずると、どんなことになるか。伺をやってもむだだから、役人は職務を怠り、農民は働
 こうとしなくなる。役人が勤務をなまければ、国は乱れる。農業がおろそかになれば国は貧しくなる。
 貧困と無秩序とは政治の基礎を揺るがすものだ。儒者は、こういう宿命論を「道」だとか「教え」だ
 とかいっているが、これほど天下に害を与えるものはない。
  そればかりではない。儒者は、礼を煩雑にし、楽を派手にして人を堕落させる。長い間喪に服し、                                          
 悲しそうな素振りをみせて、死者の雲を冒涜する。人の迎合は天の決定することだといって、貧しさ
  から脱け出ようとせず、かえって、それを高潔だと思いこんでいる。なすべきことをなさず、そのく
  せふんぞりかえっている。たらふく飲み食いするくせに、労働を蔑視するから、いつまでたっても飢
  えと寒さになやまされている。

    まるで乞食が、香鼠(口の中に食物をたくわえる習性をもつ)のように食物をしまいこみ、羊のよ
 うにキEロキョロし、去勢豚のようにだらしが
ないのにそっくりだ。人がこれをからかうと
 「おまえなんかに、おれの偉さがわかるものか」
  と腹を立てる。
  だが、実際、かれらは、夏は穀物を乞い歩き、取入れが終われば、すかさず葬儀屋に早変りする。
 それも一族郎党がゾロゾロつきしたがって、
たらふく飲み食いする。こうしていくつかの葬儀を請け
 負えば、それで十分やっていける。つまり、かれらは、他人に寄生して飲み食いし、他人の畑をあて
 にして頑張りかえっているのだ。金持の家に不幸があれば、「メシのクネができた」といって小躍り
 するわけである。
  また儒者は「君子たる者は、古人のことば、古人の服装にならうべきだ。それでこそ、仁である」
 と主張する。

  だが、この「古人のことば」「古人の服装」は、当の古人にとっては何であったか。時代の先端を
 いくものだったはずだ。古人は誰にならったわけでもない。とすれば、古人は君子でないことになる。 
 つまり、儒者は、君子でない者のことば、君子でない者の服装にならうことが、仁であると半張して
 いるのだ。
  儒者はまた「君子は、古人にまなべばいい。新しいものを作りだす必要はない」と主張する。
  では、その古人はどうしたのか。悍はらを作りだし、仔は鎧甲を作りだし、案件は車を作りだし、
 巧飽は舟を作りだした。儒者にしたがえば、今の弓師、鎧師、車大工、舟大工、こういう連中が君子
 であり、悍、仔、案件、巧僥、これらの古人は君子ならぬ小人ということになる。しかも、「まなぶ」
 対象は、小人が「作りだした」ものであるから、儒者は、小人にまなべと主張しているのだ。

  

 〈弄、仔、呉仲、巧俑〉 いずれも古代中国の伝説上の人物。卯は、亮のときの射官であり、『惑溺

  子』『列子』には、日を射た話や、西王母から仙薬をもらった話が伝わっている。
  仔は、夏の爾王の後裔であるといわれるが、詳しいことはわからない。
  昌仲は、両の時代にはじめて馬車をつくった人といわれろ。車はすでに、伝説上、中国最初の帝
  ある黄帝の時代につくられていたといわれる。

  巧腫は、尭の時代に其工の官(工部長官)をつとめた。


  有強執有命以說議曰、壽夭貧富,安危治亂,固有天命,不可損益。窮達賞罰幸否有極,人之知力、
    不能
為焉。群吏信之、則怠於分職、庶人信之、則怠於從事。不治則亂、農事緩則貧、貧且亂政
    之本、而儒者以為道教、是賊天下之人者也。且夫繁飾禮樂以淫人、久喪偽哀以謾親、立命緩貧而高浩
    居、倍本棄事而安怠傲、貪於飲食、惰於作務、陷於飢寒、危於凍餒、無以違之。是若人氣、鼸鼠藏、而羝
  羊視、賁彘起。君子笑之。怒曰、散人!焉知良儒。夫夏乞麥禾、五穀既收、大喪是隨、子姓皆從、得厭飲
  食、畢治數喪、足以至矣。因人之家翠、以為、恃人之野以為尊、富人有喪、乃大說、喜曰、此衣食之端也。
  儒者曰、君子必服古言然後仁。應之曰、所謂古之言服者,皆嘗新矣,而古人言之、服之、則非君子也。
  然則必服非君子之服、言非君子之言、而後仁乎?

 

 

【量子・ナノサイズ太陽電池時代: テッペンを取りに行く】

最初から言い訳するのだが、今抱えているrテーマの数と比較して圧倒的に時間が足らない。従って、 マーク・ザ
ッカーバーグの言葉を引用して「完璧」を最初から捨て、「開発研究スケルトン」のイメージ化を重点に行っている
ことをまず謝らなければないらないが、このスタイルは当面変えない。

● 今夜の事例1:高感度光検出画像装置の製造装置とその方法

 

 

US9209331 Materials, fabrication equipment, and methods for stable, sensitive photodetectors  and image sensors made the
refrom;D
ec 8 .2015

上図の特許は、光学的に敏感なデバイスは、第1接点と第2接点は、それぞれが固有の仕事関数もつ装置
である。第1接触と第2接点の特定新語と関数をもつp型半導体の感光物質である。 回路は、第1、第2
接点の間にバイアス電圧印加し、この感光物質は、バイアスが第1、第2接点間に印加され第2接点最
初電子走行時間より長い電子寿命をもつ。第1接点は、電子注入しつつ正孔抽出を阻止する。第1接点
との界面は光学的に敏感材料で、表面再結合速度114センチメートル/秒未満である。そして、【特許
請求範囲】は9項目からなり、(1)光学的に敏感なデバイスであって、最初の接触。 n型半導体。 p
型半導体を備える感光物質。第2接触;感光物質の仕事関数の大きさは、第1接点仕事関数の大きさより
も少なくとも0.4 eVの大きいこと、 第2接点の仕事関数の大きさよりも少なくとも0.4電子ボルト
より大きく、バイアスが第1
コンタクトと第2のコンタクトとの間に印加され用命電極ている第2接触
の最初の接触から電子走行時間より長い電子寿命を有する感光物質。 n型半導体の電子の注入を提供し、
正孔の抽出を阻止し、n型半導体と1センチ/秒未満の表面再結合速度を提供する感光物質との間のイン
ターフェースであり、(2)p型半導体は、化学的に還元された二酸化チタンを、二酸化チタンからな
る選択さた材料、酸化チタンを、CdTeを含む、請求項1に記載の装置、Cd、CdSeで、Siはナノ粒子を、
PbSPbSePbTeCdS、CdSeCdTeの、シリコン、ゲルマニウム、または炭素からなる群で選択する。
(3)
バイアスは約ー2.8ボルトから約-0.1ボルトの範囲の請求項1の装置であり、(4)ナノ粒子の各々がそ
れぞれのナノ粒子の表面に酸化物を有する感光物質は複数のナノ粒子を含み、請求項1に記載の装置である。
(5)光学的に敏感な材料をPbS、PbSe、PbTeCdS、CdSの、CdTeの、シリコン、ゲルマニウム、または炭素か
らから選択したナノ粒子を含み、請求項1に記載の装置である。(6)感光物質は、相互接続された複数のナノ粒
子を含む、請求項1に記載の装置。(7)第1第2接点が2ミクロンから200ナノメートルの範囲の距離の請求項1
に記載のしたそうちfである。(8)第1と第2接点がそれぞれアルミニウム、銀、マグネシウム、カルシウム、リチウ
ム、銅、ニッケル、硫化ニッケル、スズ、窒化タンタル、酸化チタンらなる群から選択した料を含む、請求項1に記
載の装置であり、チタンxNy、透明電極、ルテニウム、ケイ化チタン、ケイ化チタンは、酸化チタンxは、コバルトを
ドープした炭素、酸化チタンにホウ素をドーピング。酸化チタンxは、鉄、、酸化チタンxをドーピンクしている。゛

これらの新機構案ソニーなどの第4次産業の雄である国内メーカ(ソニーなど)と激しく競合する領域
であることを補足しておく。


● 今夜の事例2: 量子ドット修飾した発光装置 

下図の発明は、発光ダイオードと面修飾発光体を含む発光素子に関するものであり、表面改質された蛍
光体は、量子ドット発光体と量子ドット発光体上に配置されたフッ素化コーティングを含む。この
例示
形態は、水分安定性放射線および他の環境の影響に対する安定性動作寿命の改善を供でき、ケイ
酸やは量子ドット発光体を用いた発光装置を提供するものである。このフ
ッ素化された無機や有機剤で
表面処理が施された発光層の発光装置の提案。それによると、
発光団面や発光物質を製造できる化合物
の表面ネットワーク形成を微細に分散したフッ化物やフッ素化合物の検出可能で、疎水性表面と表面欠
陥を直す方法を提供する。この発明
特徴は、記第1の発光ダイオードと、光の第一発光ダイオードから
放出され、吸収された光とは異なる波長をもつ光放出構成し、この表面修飾発光体を含む発光素子の表
面修飾した発光層(塊
)は、量子ドット発光団およびその発光体上に配置されたフッ素化コーティング
を含む説明は
、以下ように記載した。一部は説明から明らかとなり、またはこの発明実施により確認で
きる。

US9196785 Light emitting device having surface-modified quantum dot luminophores

 ● 今夜の事例3:薄膜太陽電池及びその形成方法

下図の太陽電池は、光吸収層上にバッファ層を堆積し、基板の裏面上に保護層を塗布する、バックコンタクト層
上に吸収層を形成し、基板の表面側にバックコンタクト層を形成することによって作製する。過剰な緩衝材は、基
板裏面上に堆積され、そして過剰な緩衝材と保護層を除去する。
尚、太陽電池は、太陽光発電(PV)効果により、太陽光からの電流を発生させるための電気機器のため。
薄膜太陽電池は、基板上に堆積されたPV材料の薄膜の1つ以上の層をもつ。 PV材料の膜厚は、ナノメー
トルまたはマイクロメートルのオーダーである。
太陽電池吸収層として用いられる薄膜PV材料の例には、
銅インジウムガリウムセレン(CIGS)及びテルル化カドミウムを含む。吸収材層は、電流に変換するた
めの光を吸収。太陽電池は、光トラッピングと光電流取出しを助け、太陽電池の電気接点を提供し、前
面および背面接点層を含む。多くの太陽電池はまた、層の界面特性を向上させ、更なる処理の間に吸収
体を保護に、吸収体と前面コンタクト層の間に中間層としてのバッファ層を含むが、薄膜堆積
のための
一般的に使用されるプロセスは、薄膜下部構造に損傷を与える。  

以上、今夜も不十分ながら、、目的の「量子ドット・ナノスケール」の太陽電池をはじめとする電子デバイスの新規
考案事例を恣意的にピックアップし事例研究に供した。しかしながら、関連残件は箒で満点の正座を掃き清める
がごときさぎょうであった。

                               

【ひとりだけの料理Ⅱ:黒豆茶】

昨夜からシリーズ掲載しはじめた理由を掲載が。理由はそれだけじゃなかった。アロマの商品開発は、
労力と事業責任を考え即決で中止した(再会するときはそれなりの組織経営体となっているが)。それ
じゃ、そのほかの理由というのは?理由は2つある。その1つは、アロマ飲料水用や漢方薬調合のため
に通販で購入した「マジックバレット買っていたがハーブの粉末化ほどしか使っていたためがその理由
だ。2つめは便秘対策。緑茶粉末ではその効果がない。香りが好きだが嗜好は乏しいが、これは即効せ
いとして効果てきめん。ところがコーヒー豆は相対的に値段が高い。そこで代用品をさがすこととなる。
マーカーレシピには「黒豆茶」が紹介されていたので、黒豆(20グラム)、熱湯()400ミリリッ
トル)で、まず、黒豆を空入りしブレードしそれをカップに入れ、ディファーテの熱湯を加えてその効
果を試していみる。



しかし、コーヒーのカフェインがその効果の現任らしい――
コーヒーの主成分はカフェイン。このカフェイ
ンは、腸の収縮を促進する神経を刺激する作用を持つ。
その結果、腸の運動を促して、便が出やすい状態に
なる。
便秘解消効果だけでなく、利尿効果にも優れ、トイレに行く回数が増えるという。その効果は下剤と
も呼ばれ、
段あまりコーヒーを飲まない方が飲むと、腸の動きを急激に活性化させる。その結果、急性の
便秘の改善に効果的とも言われているカ
ェインには、アデノシンという神経伝達物質の妨害を行い、アデノ
シンという神経伝達物質のもつ眠気を誘発を特製する効果をもつ(軽微な覚醒効果?)。
また、アデノシン
は膀胱壁の収縮や内尿道口の開閉にも関わる、膀胱括約筋と呼ばれる筋肉の作用を抑制作用もある――とい
うから、カフェインを多く含むオルガニックを探した方が早そうな気がする。
  

  

 

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媒体依存の見直し

2015年12月08日 | 時事書評

 

  

     完璧を目指すよりまず終わらせろ。   


                                                      マーク・ザッカーバーグ

                                                                                          

 

 

    

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 
 

  ※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
     尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。

   非儒 - 『墨子』   

  ● 儒家批判

  いつの世も、思想闘争は感情的な悪口雑言を伴うものとみえる。儒家に対する墨家のそれも、
 まことにすさましい。現代の目からみてピンとこない個所があるとはいうものの、この一編は
 形
式主義に堕し、繁文御礼と化した儒家に対する墨子の憤りをヒシヒシと感じさせる。


 ことぱ

 「至私するところを厚くせんことを欲するために、至重すべきところを軽んぜば、あに大姦にあ
 らがらんや」
 「礼楽を繁飾してもって人を淫し、久喪偽哀もって親を漫り、会を立て貪に緩くして高く激則し、
 本に背き事を棄てて急激に安んじ、飲食を貪り、作務を惰り、飢寒に陥り、凍倣に危うきも、も
 ってこれを違ることなし」
 「孔某肉のよりて来たるところを問わずして食う」
 「孔某の行ない、かくのごとくなれば、儒士はすなわちもって疑うべし」

 
  
 矛盾している儒者の礼

  儒者は、「愛情にも敬意にも、相手が誰であるかによって、ちがいがあるべきだ」と主張する。
 相手との親しさの程度、相手の地位の高さ、これを尺度とすべきだというのだ。
  そして、儒者の礼は、近親者の死に対する服喪期間を次のように規定している。父母の死には三年。
 妻、嫡男の場合にも三年。伯父、叔父、兄弟、庶子の死には一年、親類縁者の場合は五ヵ月。
 
 相手との親しさの程度を尺度として、期間の長短を親しさの程度と一致させたのであれば、妻と嫡
 男の場合が、父親の場合と同じなのはうなずける。だが、相手の地位の高さを尺度とした場合、父母
 が妻、嫡男と同格になり、伯父、叔父、宗兄(本家の嫡男)が庶子と同格になるのはどういうわけか。
 まったく矛盾しているといわざるをえない。また、儒者の礼では、親が死ぬと、柏に納める前に、霊
 魂を求めて、屋根に登ったり、井戸をのぞいたり、ネズミの穴を掻きまわしたり、水桶の中を探した
 りする。死者の霊魂がそういう場所に隠れていると考えているのだとしたら、実にバカげた話である。
 霊魂などないのを承知で探すのだとすれば、虚偽もはなはだしい。
 
 妻を迎えるさいには、儒者は親迎の礼を行なう。黒の礼服を着こみ、花嫁の従者となって、車にのる
 さい、紐(吊革のようなもの、単に乗るときこれに手をかける)を花嫁に渡してやり、みすがら手綱
 をにざる。まるで子どもが親にかしずくようである。しかも、挙式となると、祖先をまつる儀式のよ
 うに威儀をととのえる。

  このように、儒者は上下の関係をさかさまにし、父母をないがしろにしている。父母が妻子なみに
 扱われ、妻子が父母の座を侵しているのだ。これでも儒者は、親を大切にしているのであろうか。
  儒者は、「妻は、祖先をまつる協力者であり、子は、宗廟の守り手である。だから妻と子を犬切にI
 するのだ」と弁解する。だが、この弁解は成り立だない。
  宗兄が、宗㈲を数十年にわたって守り続けたとしても、かれの死に対しては一年間しか喪に服さな
 い。宗兄の妻に対しては、夫とともに宗廟を守るにもかかわらず、全然喪に服さない。ところが、自
 分の妻と子が死ねば、三年間も喪に服する。してみれば、祖先をまつる協力者だからというのは、単
 なる口実にすぎないのだ。妻子だけを特別あつかいにするというまちがいをおかしながら、その上さ
 らにぬけぬけと「親しい者をmんじているのだ」などという。最も重んずべきものをないがしろにし・
 て、私情を満足させているのだ。卑劣といわずしてなんといおう。


  〈儒者の礼〉 儒家の考えでは、礼には二つの効用がある。一は人の情を節すること、二は人の情
   を文ることである。そして、礼は人間相互の衝突を防ぐために差別を規定するものである。儒家
   は周の礼をたっとんだ。ここに出てくる服喪期問、葬儀法などは、周代の儀式・法制をしるした
   といわれる『儀礼』に細かく規定されてる。
  〈親迎の礼〉 結婚の当日、新郎が新婦を迎えに行く儀式である。妻を娶る場合、納采、同名、納
        吉、告期などを経て、最後に親迎の礼に至る。
1

 

  

● 日中食品汚染 20 中国の食品汚染地図 

 【目次】 

 第1章 見えない食品の恐怖
 第2章 中国の食品汚染
 第3章 食品汚染のヒトへの影響
 第4章 なぜ汚染連鎖が絶ちきれないのか
 第5章 重金属汚染という新たな難題
 第6章 日本の食品は安全といえるか 
 

  消費者と消費者行政

  食品汚染というと消費″nはもっぱら被害者としてのみ扱われ、そのことに批判の余地は
 ないかのように思われるのは日中間でも大きな差はない,。しかし良品汚染の連鎖
を断ち切
 るためには、結局は消費″nがその実態を白日の下にさらし、専門家とともに
その原囚を探
 ることが、まず求められるのではないだろうか『
それには、1960年代に自動申の安全性
 向Lにつとめ、…一…‥界の消費者運動をリ
ードしたアメリカのラルフ・ネーダーのような
 活動が市民運動として社会的に認知さ
れることが必要だ。

 、この運動は、消費者とメーカーやサービスを供給する側との相互
の認知あるいは了解があ
 ってこそはじめて効果的なものとなる。一方、供給側や当局
が消費片の意思を敵撹するよう
 な雰囲気があるところでは、こうした運動は反社会運
として、取締りの対象と化してしま
 うおそれもある.、これでは、どんな消費者運動も不毛な争いの渦中に埋もれるしかなくな
 る。

  このような角度から中国の消費者を見た場合、これほどの食品汚染が起きているにもかか
 わらず、ただじっと我慢をしているだけのように見受けられる。せいぜいのところ、隣近所
 の井戸端会議でうわさ話をする程度で、解決のための何の展望も生まれてこない。いやだっ
 たら買わなければいい、という売る側の横柄な態度さえ受け入れざるをえないのが現状だ。
  代わりの店舗や人手方法がほかにないからだ,どこの小売店やスーパーにも残る売り手市
 場意識に対する消費者の立場は、今なお弱い,

  どの国でもそうだが消費者運動には、さきほど述べたような相互の認知状況が最初から備
 わっていることはない。健康な生活や生きる価値を求めて立ち上がったり一ダーたちの人生
 をかけた闘いが徐々に理解を広げ、社会全体の認知を受けて独り立ちしていくものだ。この
 点、中国の消費者や市民は、当局が認めた組織や運動でない限り自由にならないハンディを
 負っている,つまり、自由な消費者運動がそもそも許されない国なのだ。前述した「信訪」
 だけが残された唯一の抵抗手段で、それも「信訪条例」が定めるきびしい規則に従った方法、
 内容でなければ当局に受け取ってもらえないし、読んでももらえない。

  当局や企業に集団で直接意見を申し述べることは本来禁止されている。最近各地で聞かれ
 るようになった反土地収用、反公害、反原発建設などを目的に集まる一般の農民や巾民は、
 必ずといっていいほど地元警官や警察が雇った、ならずもの集団によって排除されている。



 反食品汚染運動はロコミで

 だから中国の消費者が食品汚染に反対して立ち上がり、農民や
 食品加エメーカーを啓発していくなどということはほとんど期待できない。しかしそこまで
 いかずともできる範囲内で行動を起こすことは可能なはずだ。中国の消費者はロコミやデマ
 に本当に弱い体質がある,あれがうまいとなれば大挙しておしかけ、きらいとなれば4歳5
 歳の子供まで動員して悪口を広める。2012年秋にみせた過激な反日暴動や日本製品の不
 買運動は、トップから最末端までが一体となって起こした運動の典型例だった。

  この体質を逆にいかした口コミ方式で、反食品汚染運動を起こせば、危険な食品を作り、
 売る業界は、黙って聞き流すことはできないし、当局もきびしい対応を起こすはずだ。何と
 いっても自身の健康を害することなのだから,そのためになすべきことは、消費者としての
 学習だ。目本には「消費者教育の推進に関する法律一などというものまであって、消費者が
 率先して学習することや、子供の頃から支援することを謳っている。

  中国にはこのような法律はないが、消費者教育制度を求める声は少なくない。食品の製造・
 流通を所管する国家工商行政管理総局や各地の消費者協会(1984年国務院が設置)が、
 最近、食品問題に関心を示すようになったことは歓迎すべきことだ。だが、これらの組織や
 行動は、消費者運動が反社会運動につながらないよう管理する役割の方が強い,ということ
 は、逆に消費者が食品汚染問題について危機感を強めている証左でもある。

  消費者運動に限らず、民間が取り組む組織的な運動すべてが反政府運動と取り違えられて
 しまう国で、普通の消費者が純粋な消費者運動を行うことは不可能である。そして、現に存
 在する消費者運動らしいものは当局の強い管理下におかれている。こうした現状は、農産物
 を作り、加工する食品加エメーカーにとっては都合がいいだろうが、それを輸入する国の消
 費者にとっては望ましいことではない。



  食品添加物大国・中国
 
  では、汚染の構造を解きあかすため、次に食品添加物について触れよう。すでに述べたこ
 とは省き、ここでは実際にどのような食品添加物が使われているのか、危険性はどうなのか
 を中心に見ていく,
  中国で許可されている食品添加物は日本同様、防腐剤、酸化防止剤、着色料、漂白剤、膨
 張剤、香料、うまみ剤、保水剤、栄養強化剤などに分類されている。この分類ごとおよび使
 用食品ごとに使用量が決められており、たとえばビタミンAはコメーキログラム当たり60
 0~1200マイクログラム、粉ミルクは同じく2000~1万マイクログラムなどとい
 うように定められている。

  p-ヒドロキシ安息香酸メチル

  コメにはビタミンAのほか一定量のB1、B2、ミナイアシン、葉酸、カルシウム、亜
 ナマリ、セレン、リシン(コメに含有が少ないアミノ酸)などを添加していいことになっ
 ている。なぜコメにこうしたビタミン剤を混ぜる必要があるのか理解に苦しむが、コメだ
 けでなく、万事がこういう状態なのだ。「p-ヒドロキシ安息香酸」は発ガン性が疑われ
 る物質を含む食品添加物だが、醤油、食用油、果汁、酢、炒めもの肉類など、広範に使用
 が許可されている。

  これらの食品添加物は、輸入される味付け惣菜順に添加されている可能性もある。許可
  添加物の中にはこれと似たものが多数含まれていることは想像にかたくない。しかしこれ
 らは政府が使用許可している食品添加物であることから、民間の業者が安全基準内で使用
 しているかどうかについては、少なくとも技術的には確認しやすい。


  摘発された危険添加物

  だが、使用が許可されている食品添加物のほかに、多数の違法な食品添加物が巷に氾濫
 している。違法添加物となると、そもそも検査の対象項目にないものなので、実際に使用
 されていたにしても発見する手立てが非常に限られている。極端なことをいうと、あらゆ
 る危険物質を調べない限り、危険で違法な物質が食品添加物として使用されているかどう
 かは正確にはわからないのだ。

  氷山の一角にすぎないが、現在、当局の捜査によってつぎの500種類の違法添加物が摘
 発されている,
  ホルムアルデヒド、スーダン紅(染料)、アストラゾンオレンジ(染料)、黄色塊(染
 料)、精子蛋白質、メラミン、ホウ酸、チオシアン酸ナトリウム、ローズレッドB、アル
 カリ性黄色、工業用ホルムアルデヒド、工業用苛性ソーダ、一酸化炭素、硫化物、工業用
 硫黄、工業用染料、ケシ、革の加水分解物、臭素酸カリウム、β-ラクタマーゼ(ハクモ
 クレン酵素)、フマル酸ジメチル、廃棄食用油、工業用鉱物油、工業用ゼラチン、工業用
 アルコール、ジクロルボス、毛髪水、工業用酢酸、クレンブテロール、ラクトパミン、ニ
 トロフラン薬、ゼラノール、抗生物質かす、鎮静剤、蛍光増白物質、工業用塩化マグネシ
 ウム、リン化アルミニウム、漂白剤、充填剤、アシッドオレンジH、クロラムフェニコー
 ル、キノロン、水ガラス、マラカイトグリーン、メテナミン、ペンタクロロフェノール、
 オラキンドックス、ベーシックイエロー、スルフアメタジン、トリクロルホン。 これら
 は中国語を翻訳したものだが、専門用語なので日本語として適切でないものもあるかもし
 れない。

  つぎに日本が輸入しているか、加工食品原材料として使っている可能性の高い食品に、
 どのような違法食品添加物が使われているのか、その一例を挙げる。

   違法着色料:漬物、冷凍果物、パスタ、ワイン、違法乳化剤‥月餅、パスタ
   違法防腐剤:パスタ、月餅、冷凍果物、漬
   違法汁:味剤:漬物、パスタ、月餅、菓子
   違法漂白剤(硫黄):万頭
   違法光沢剤:菓子
   違法保水剤‥菓子
   違法膨張剤‥菓子、油条(中国風揚げパン)
   違法補色剤‥肉製品
   二酸化鉄∵小麦粉
   タルカムバウグー‥小麦粉
   硫酸鉄‥臭豆腐
   硫酸銅‥乾燥野菜
 
  また飼料添加物も要注意だ。使用が許可されているもの以外に、違法な成長ホルモン剤
 や違法抗生物質が流通している。
  タイロシン、バシトラシン、マクロライド、ポリペプチド、リスチン、エンラマイシン、
 アボパルシン、フラボマイシンン、オキシテトラサイクリン、サリノマイシン、モネンシ
 ン、アミノグリコシド、コクロルテトラサイクリン、ハイグロマイシンBな 以上は飼料
 添加物として許可されている抗生物質だが、種類も多く、中には日本の製薬会社が開発し
 たものもある。当然、抗生物質のすべてが悪いわけではない。しかし、牛や豚の病気を治
 すために一時的に使用するならともかく、長期間飼料に添加されると残留分がやがて人間
 の体内に入り込む危険性がある,

  食品添加物は日々増え、改良され続けている,需要に応じて、また一方で需要を作り出
 すために。以下はその背景だ。

  ①激しさを増す食品加エメーカー間の競争で生き残り、あるいは一層優位にを立つため
   (加工費用と加工時間の短縮に有効なため/ミクロ的要求)
  ②加工食品に良い他品種大量生産のため(マクロ的要求)
  ③食品・食品が食品モジュール化によって一層桐分化しているため(マクロ・ミクロ的.
   要求)
  ④食のグローバル化による食品添加物の政府間相互承認のため(国際的要求)
 
  このままでは、食品添加物は増加の一途をたどる可能性がある。食品安全問題はコーデ
 ックス委員会の仕事であるにもかかわらず世界中に増え続ける食品添加物を規制する動き
 は、ほとんど確認されていない。危険な食品添加物を規制するにはメーカーの自主性と良
 心に、安全を守るには消費者.人ひとりの判断と行動に期待するしかないのだろうか?




  水売り商売
 
  何度も触れてきた水汚染だが、ここではその問題が農村に悪循環を及ぼしている例を上
 げる。
  黄河の総延長は5464キロメートル、長江についで中国第2の大河だ。この川の源流
 は、チベット族が羊やヤク(毛深い大を大きくしたような牛の.腫)を飼う標高約450
 0メートルの平原や湖、中小の河川が散在する西海省『三江源』である。
  2011年7月、わたしは同原3人と約10日問、碕河源流地帯に住むチベット族の牧畜
 や水環境調査をするため現地を訪れた。中国の研究者も含め、ひとりに付き大小合わせて
 3本の酸素ボンベ、食料とテント、寝袋などをパジェロとランドクルーザーに積み込んだ
 大所帯の旅だ。青海省の省都西寧巾から菜の花が二面に咲く青海湖畔を抜け、山岳道路を
 走り、三江源でチベット族の話を聞き、最後の目的地は四川地震の肢害が残る辺境、玉樹
 チベット族自治州に行くことだった。青い草と、はるか遠方にコメ粒のような羊の群れ以
 外は見えない大平原を走っていくと、あの濁った黄河につながっているとは思えない神秘
 的な美しさをたたえた水源にたどり着いた。



  その美しい水も大河に流れ込んでくる問に汚染される,北に向かって大きく蛇行して院
 西省・西安に近づいてくるに従って汚染は深刻になる,西安はその昔、長安と呼ぱれ唐の
 時代の作目部だったところだ.
  わたしは黄河に近い農村地帯へ向かい、農家の庭先で水売り商売をしている李東栄(仮
 名)に出会った。李は45歳で、水売り商売のかたわら、肥料や農薬などの農業資材を農民
 に売る什事や大手保険会社の代理店業務をして生活をしている。自然を相手にする農民の
 顔は表情に曇りがなく、笑顔が素直なのが特徴だが、そういった風情が李の顔からは感じ
 られなかった。とはいえ、どちらかというと人柄のよさそうな顔つきの男だ。彼の家の庭
 先に腰を掛けて話を聞いた。周りは一面トウモロコシ畑で、そのための井戸を掘って、農
 民に売ることが彼の主な仕事だという。

 「このあたりは水の豊富なところだったが、10年ほど前から不足するようになった。わ
 たしは農民に農薬を売ってきたのでこの地方のことは良く知っている。そこで、水を売る
 ことを考えたのさ」

  左手に強そうなタバコをはさみながら、彼はいった。
  この辺では井戸を掘るのは自由なのだろうか。
 「本当は県政府の許可がいるが、商売仲間はみな無許可で掘っている。自分の井戸は掘る
 のに1万元かかった。誰もができることではない,経済的なカがある者だけが掘れるのだ」
 農村地帯の農業用水は県の水利庁が管理するが、この地方では、他の地方にはあまりない
 農民の水利組合が水の配分の調整などを担っている。彼はその水利組合の幹部とうまくや
 っているのに違いない。

  李は「200から300メートル掘らないと水は出ないよ」と何事もなさそうにいう。
 しかも、「あまりにも地ドが深いので、塩害が出るんだよ」というではないか。地下水位
 の低下は中国全体の問題で、このために全国的に地盤沈下が進行している。農村ばかりで
 なく、都巾でも地盤沈下は深刻で、北京、上海は海抜ゼロメートルの場所も多いという。
 塩害が出るような場所の水で、農業には影響ないのかと聞くと、「この水以外に、代わり
 になる水はないよ。農民は皆、良くないと思っていてもこの水しかないのだ」という。 

  わたしと一緒に村を歩いている院生も驚きながら、では水はちゃんと出るのかと聞いて
 いる。
 「今のところは大丈夫だ。しかし、何年かすると、もっと深い井戸を掘ることになるかも
 しれない」というではないか。わたしは、おそらく地下水が枯渇する日もそう遠くはない
 のはないかと思う,そういう場所が中国の西部には少なくない,映西省の隣、甘粛省の
 村を歩いてみるとわかるが、昔は生きていたにちがいない河や小川の跡が露出している。
  このあたりの農業用水はすべて、井戸の水を使う井戸漂流だ。以前は河から引いた水を、
 農村地帯を血管のように細かく張り巡らせた用水路に流したものだが、今は河から取った
 水ではなく片口水に代わったのだ。
 「流ほが減ったので河の水が取水ロよりも下がってしまったのだ。そのために河から水を
 取れなくなったのだよ」
 

                                  この項つづく 
 

【ひとりだけの料理Ⅰ:粉末茶】



月命日や法要が多くなり、お香、線香、蝋燭、粉末茶が残るようになり、毎朝、目を覚ますと、般若心
経を唱えお勤め、ティファールで湯を沸かし、小さじ1、熱湯160グラムを注ぎ頂くことが定着して
いる。元来声が大きいのでご近所迷惑は承知の上、抹香臭い成果とパターンを送る。どうれじゃという
わけだけではないが、「ひとりメシ」?とはどこかで聴いたような――サラメシだったか――腕により
をかけ創作掲載することにする。今朝は緑茶カテキンが効いた「粉末茶」を取り上げた。

 


● マスコミ二ケーションでなくディスコミニケーション

この言葉の発信者は吉本隆明である。TPPやアベノミなどのマスコの質は急速に低下してから随分と
なる。国家官僚の言葉を「茶坊主」ように流し続けてひさしく、国民は「ロストスコア」で貧困と格差
の拡大で苦しんできた。いままた、千頁にも亘るTPPの詳細議事録が翻訳されずに、「要約文」のみ
が垂れ流されているのである。また、中東情勢では、テロ国家の頭目と直に話し合うことなく、問答無
用とばかりに空爆やミサイル攻撃を行っている。もし「墨子」が生きていたなら、即刻、彼ならばその
頭目たちと直接交渉しに出かけていただろうとわたし(たち)は考える。「媒体」はいらない。
必要な
のは「直談判」なのだと、そのように考えているが「覆水盆に返らず」である。如何に?!




  

 

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喪中葉書に慟哭

2015年12月06日 | 現代歌謡

 

  

       若さと技術力の大切さを強調したい。若い人間のほうが頭がいい。
                  チェスの名人がみんな20代なのは偶然じゃない。
     
                                                      マーク・ザッカーバーグ

                                                                                          

   

 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 
 

  ※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
     尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。

   魯問――迷妄を解く- 『墨子』   

  ● 技術の巧拙とは

  公輸子、竹と木を削って、おもちゃのカササギをつくった。さっそく飛ばしてみると、三日
 間も
飛んでいた。「
  わたしほど腕の立つ技術者はいないだろう」
 と公輸子は自慢した。それをきいて、墨子は、
 「カササギをどんなに精巧につくったところで、大工が車のクサビをつくるのには及ばない。
 大工は
見ているまに、長さ三寸の木を削ってクサビを作る。しかもそのクサビは重さ五十石三
 石は百二十斤)
の荷物に耐えられる。人を利する技術が"巧"であり、あなたのような人を利さ
 ぬ技術は”拙"なのだ」

  
   科学技術の目的
 

  これと似た話は、『韓非子』にもある。『韓非子』では、カササギがトビ(鳶)になってお
 り、つくった人間は
公愉子ではなく、墨子自身となっている。弟子がその技術をほめると、「
 いや、車の把手をつくる者にはか
なわない。一尺たらずの材木しかつかわず、一日もかけない
 で仕上げてしまい、それでいて三十石の重荷
をのせて、遠くまではこぶ力がある。しかも何年
 も長もちする。わたしのつくったトビは、三年もかけなが
ら、一日飛んだだけでこわれてしま
 った」
とこたえている。墨子がつくったのか、公輸子がつくったのか、どちらとも決めかねる
 が、技術に対する
墨子の見方は、一貫している。

  公輸盤削竹、木做成鵲、做成了就讓它飛起來。三天不從天上落下來。公輸盤自己認為很精巧。墨
  子對公輸盤說。你做的鵲、不如匠人做的車軸上的銷子、一會兒削成一塊三寸的木頭、可以擔當五
  十石重的東西。所以、平常所做的事。有利于人、可稱作精巧。不利于人、就叫作拙劣了。

 



【我が家の焚書顛末記 Ⅳ】

1995年に買った本だが、デジタル化して廃棄した。昔からプロとして通用しないがあるてい
どまでならいけるぞと変な確信(自信)を若い頃は持っていた――練習量が全く違うから無理は
承知の上とわかっているが――楽譜を見ただけで知らない歌を歌えるほどにはなっていた。今は
ピアノは分け合って椅子をぶち投げ傷だらけとなり二束三文で売却してしまった。この歳になっ
ても、「デジタル作曲」アプリがあるもののその打ち込みが気に入らないので放置したままにあ
る。
親父が元気なころ、即興でピアノを引いていると、珍しく部屋に来てか「まるでジャズピア
ノみたね」と感心ししばらくして自室に戻っていたことを思い出す。時間にも(また金銭的にも)
余裕ができたら電子ピアノ買って、作曲活動の夢を実現したいと思っている。ヘッドフォ-ンを
使えば家族や近所に迷惑をかけずに専念できる時代だ。運がよければ動画アップし1億回以上の
再生を実現してみるのも面白いかもしれない(歌えるなら、英語・中国語・日本語・スペイン語
の4国語で録画発信してみようか?)。

 




※ジャズピアノはユーチューブにはないね(拝金主義もここまでくると何だかゆとりがなくなってしまうのが
哀しいね。) ”I Want To Hold Your Hand - The Beatles - Glee version - Piano” で今回は代用。

 



【喪中葉書に慟哭】
 

師走に入り喪中葉書の舞い込み枚数も増えるような年格好となっている。ところが、その一葉に目を通す
していると、胸にこみ上げ慟哭する。

 
          師走に入りお忙しい毎日をお過ごしの事と存じます
          本来ならば夫 山口和彦と共に年末年始のご挨拶を
          致すべきところ 今はもう叶いません
          日常の出来事や季節の行事に夫を想い 唯一無二の
          存在であった事を痛感する日々ですが 家族や親戚
          友人同僚の皆様など大勢の方に支えて頂きながら
          少しずつ歩みを進めております
          本年中に賜りましたご厚情に心から深く感謝
          致しますとともに お健やかなる新年をお迎えに
          なりますようお祈り申し上げます。

           平成二十七年十二月 
                           山口 智子


          添え書 仕事ではもちろん休みの日に一緒に過ごして
              い頂いた事、ごちそうになった事等よく話
              してくれました。お世話になり有り難うご
              ざいました。


思えば、山口和彦さは後輩であったが、聡明で、私の方からあれしろ、これしれといったことは
なかった
が、わたしが考案した、佐賀は有田市の企業を見学しネット式の超音波洗浄(シャドウ
マスク製品の再
洗)装置の開発装置を、庄田さん、西川さん、山口さんなどが黙っていても組み
立て稼働させてしまった。
その時、優秀な人たちのチームの仕事とはこのように、静かに完結さ
れることに感心してたことを思い出
した。遠いところでは、中国のシャドウマスク工場建設のス
パーバイズ設計会議で南京市に出張したこ
とや、最近では大見忠広東北大教授が主宰する「大型
液晶ディスプレイプロジェクト(上図クリック)で一
緒したことがあったが、その折り、わたし
を参画させるようにチーフの村岡祐介さんに働きかけたことを後
で知ることになる。ところで、、
仕事とは辛いこともいっぱいあるが、奇跡のような体験も結構している。その時、ひとりでその
畏怖に感嘆することもあるが、仲間たちと分かち合いながら感嘆することもある。あるいは、偶
然に現場でご一緒した人たちとで問題を解決をして奇跡のような畏怖体験する場合もあった。
沢山の若者が私の周りに立ち寄りまた別の職場に移動したり、あるいは悩み自死した若者や(仕
事とは関係ないが村田さんも含まれる)、若くして
夭折した竹中さん、野村さんらの仲間もいた。
そんなとき、もう少し丁寧に接しておけばよかったと悔やむ数ことが、今思えばは星の数ほどあ
ったように思う。そのひとりが山口和彦さんである。小雨降る中、わたし、村岡さん、三宅さん
と彼の四人で彦根城内の桜を見物しながら交わした杯が最後となった。

                                       合唱



  愛しき日々

        



 
 
Benjamin David "Benny" Goodman
 
 
 
【ジャジーな風に吹かれてⅢ: ベニーグッドマン
 


● 『カーネギー・ホール・コンサート』 CBS
 
ベニー・グッドマン、カウント・ベイシー、テディ・ウィルソン、ライオネル・ハンプトン、ボ
ピー・ハケット、ジョニー・ホッジス、ハ
リー・カーネイ。クーティ・ウィリアムス、バック・
クレイトン、ハリー・ジェ
ームス、レスター・ヤング、ヴァーノン・ブラウン、フレディ・グ
ーン、ウォルター・ペイジ、ジーン・クルーパ、マーサ・ティル
トンほか。その手はないよ/ワ
ン・オクロック・ジャンプ/身も心も/私の彼氏/ブルー・
ムーン/素敵な貴方/サボイでスト
ンプ/天使は歌う/シング・シング・シン
グほか全23曲 1938.16 NY カーネギーホール Pd
ジョン・ハモンド。
 
貧しいユダヤ系ロシア移民の子としてシカゴのゲットー(貧民地区)に生を受けたペニー・グ
ッドマンこと
ベンジャミン・デイヴィッド・グッドマンが十二歳でプロ・デビュー、二十代でニ
ューョークに進出、スター街
道を「キング・オブ・スイング」まで上り詰めるサクセス・ストー
リーは、日本のTVでも繰り返し放映されて
いる映画『ペニー・グッドマン物語』55年/ヴァ
レンタイン・デイヴィス監督作品/スティーブ・アレン主演
)を通じてジャズ・ファンのみなら
ず多くの知るところとんる。『カーネギー・ホール・コンサート』は、文字
どおり、38年1月
16日のカーネギー・ホールにおけるペニー・グ。ドマン・コンサートの全貌を二枚のCDに完
全収録。1891年にチャイコフスキーの指揮でこけらを落とした〈クラシックの殿堂〉カーネ
ギー・ホールがジャズを受け入れた初めてのコンサートとして歴史に名を残す。

この夜、ペニー・グッドマンは、T・ウィルソン、L・ハンプトン、G・クルーパからなる自身
のカルテットにデューク・エリントンやカウント・ベイシーのオーケストラからスター・プレイ
ヤーを加え人種の壁を超えたスペシャル・バンドを結成、編成を組み替えるなど趣向を凝らしな
がら一大スイングの饗宴を張った。翌朝のニュー・ヨーク・タイムス紙は「ペニー・グッドマン
がステージに登場すると聴衆はトスカニーニを迎えるような万雷の拍手で彼を迎えた」と報じた
という。内容に求心性を求めるリスナーには同時期録音の『キング・オブ・スイング』(CBS
)の方が好まれると思われるが、本CDは右記の内容と、29年に始まる世界大恐慌から完全に
回復好景気に沸く世相をも反映したものとして推す。なお、この録音は、ワンポイント・マイク
でディスクに収録、後年、グッドマンの娘により偶然発見され初めて公開されたという。


 Benny Goodman small group with  Benson & Hammond (1975)
 

   

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ナノグラフェンのひこうき雲

2015年12月05日 | ネオコンバーテック

 

  

 

     僕は早くに会社を作ることには否定的だった。大学にいた頃、世界が    
                 進んでいく方向について友達とよく議論していて、それが起きるところを
                 見ることはもっと気にかけていた。僕たちはこれ(Facebook)を作った け
         れど、会社になるとは考えていなかった。ただ、最高だと思ったから作っ
         ただけだった。

                                                                           マーク・ザッカーバーグ

                                                                                   

 2015.12./04

【今夜も新技術がてんこ盛り】

 パネル設置角40度で積雪に耐えうるか?

シャープと芙蓉総合リースが共同出資する合同会社クリスタル・クリア・エナジーは11月30日、北
海道十勝郡浦幌町で「シャープ浦幌太陽光発電所」の商業運転を開始した。浦幌町の所有する6万千平
方メートルを賃借し、出力2.3メガワット分のシャープ製太陽光パネルを設置している。発電事業者
はクリスタル・クリア・エナジーとなる。EPC(設計・調達・施工)サービス)と完成後のO&M(運営・
保守)はシャープが担当する。太陽光パネルはシャープ製の多結晶シリコン型(出力250W/枚)、パワ
ーコンディショナー(PCS)は富士電機製を採用。積雪に備え、パネルの設置角は40度に傾けている。。

このことで、
年間の予測発電量は約290万キロワット時で、一般的な家庭の年間消費電力量に置き換
えると約805世帯分に相当。買取価格は40円/キロワット時(税抜き)で北海道電力に売電すると
しているが積雪対策の切り札になるだろうか?超撥水性フィルム(塗装)の開発はどうなっているのだろ
うか――この件については残件扱いとして時宜をみて掲載する。

※ 太陽光発電の設置角度と発電効率の関係 l 太陽光発電比較サイト 
※ 冬期の太陽光発電の運営風雪時の対策と対応 浅川太陽発電所 2013.12.19

 

 

【量子・ナノサイズ電子工学時代 Ⅳ】

科学技術振興機構

● 大容量の蓄電が可能に:性能はリチウムイオンの6倍の

ナノ多孔質グラフェンとルテニウム系触媒が鍵

大きな電気容量を持つ炭素材料に少量のルテニウム系触媒(40wt.%:重量%,<5vol.%:体積
%)を添加することで電極自体が持つ大きな比表面積、空隙率や電気伝導性を損なうことなく、大きな
電気容量(2000ミリアンペア時/グラム)と充電電圧(4.0V以下)を同時に実現、かつエネル
ギー利用効率72%で100回以上安定して作動する空気電池開発に成功した公表(2015.09.02)。

最近、新しい二次電池の中に「リチウム空気電池」――従来のリチウムイオン電池とは異なり――正極
にコバルト系やマンガン系の化合物を用いることなく、リチウム金属、電解液と空気だけで作動し、リ
チウムイオン電池の5~8倍の容量を実現し注目されているが、正極に使用する多孔質グラフェンは、
グラフェンの持つ電気伝導性に加え、大きな空隙を持ち、大容量の電極材料となりうることに着目し、
リチウム空気電池の正極に新たに開発した多孔質グラフェンを使用し、電極の単位重量あたり2000
ミリアンペア時の大きな電気エネルギーを持ち、かつ100回以上の繰返し充放電が可能なリチウム空
気電池の開発に成功したというもの。このことで、充電1回あたりで500~600キロメートル走行
が可能となるから驚きだ――10年後にはトヨタ・フォルクワーゲン・フォードといつた自動車会社は
なくなっているぐらの衝撃(インパクト)
をもってこの開発の行方を見守っている

さて、開発に成功した空気電池は、RuOナノ粒子触媒をグラフェンで挟んだ窒素ドープナノ多孔質
グラフェンを正極電極とする(下図)。ナノ多孔質グラフェン電極は、100-300nm(ナノメー
トル ナノは10億分の1)の大きさの微細孔を持つため、リチウムイオン、酸素、電解質の輸送が円
滑に行われ、大きな空隙の中に生成物である過酸化リチウムが貯蔵され、さらにその大きな表面積の効
果により、過酸化リチウムの分解反応が促進される。この電極を用いて充電した後には、過酸化リチウ
ムが消失していることを確認、放電前の状態(過酸化リチウムの生成・分解の平衡状態)に戻ることが
明らかになる。さらに透過型電子顕微鏡(TEM)を用いて、使用前と50サイクル充放電後のRuO
ナノ粒子触媒の状態を原子レベルで観察した結果、50サイクル充放電後でも、粒子のサイズが変わっ
ておらず、充放電過程で触媒に大きな変化、劣化がないことを確認している

 

 

※ 関連特許

・特許5585907 ナノポ-ラス金属コア・シェル型コンポジット及びその製造法  
・特許5034047 ナノ多孔質金属及びその製造方法 
・特開2015-063742  多孔質金属およびその製造方法並びにリチウム空気電池
・特開2015-085249  多孔質ニッケル合金化合物、その製造方法及び触媒

 

 尚、ナノグラフェン製造方法とその応用苦悩材料に関する技術は時宜をえて「研究所の鉄欄室」に入館させて
おくので希望者は自由閲覧して下さい。




● 変換効率向上の「光エネルギー損失」を大幅に引き下げる分子の開発

有機薄膜太陽電池は、シリコン太陽電池とは異なる利点がある。軽量化しやすく、製造時のエネルギー
が少ない。弱点は変換効率だ。理化学研究所と京都大学の研究チームは、変換効率向上の邪魔になって
いた「光エネルギー損失」を大幅に引き下げる分子の開発を公表。新開発の半導体ポリマー「PNOz4T
を用いて、塗布型有機薄膜太陽電池の光エネルギー損失を、無機太陽電池並みに低減することに成功し
たと発表。同時に高いエネルギー変換効率も得ている。


このPNOz4Tは、同じ研究チームが2012年に開発した半導体ポリマー「PNTz4T」の分子構造を改良したも
の。いずれも吸収可能な太陽光エネルギー(バンドギャップ)は、約1.5eVでほぼ同等だが、PNOz4T
を用いたOPV(PNOz4T素子)は、1.0Vの出力電圧が得られ、これまで作製したPNTz4T素子の0.7Vに
比べはるかに高い出力電圧だ。同研究グループによれば、今後PNOz4Tの性質を最大限に引き出すことで
素子のエネルギー変換効率は、実用レベルといわれる15%まで引き上げ可能とみる。当面、研究チーム
は今回の成果に改良を加えながら、16年度中には12%達成を目指す計画である

 ところで、有機薄膜太陽電池の変換効率が上がりにくい最大の理由は、太陽光から得たエネルギーの一部を
電力として取り出す前に失うことにあることはブログ掲載してきたが、(1)有機薄膜太陽電池では、無機系の太
陽電池と違って、分子が光を受けても即座に電子と正孔に分かれない。(2)数十ナノ秒間、励起状態にとどまり
励起状態を放っておくとエネルギーが熱に変わる無駄になるが、(3)分子のそばに、フラーレン(C60を装飾
した分子で電子を受け取り電流を取り出すことができるが、(4) 励起子からフラーレン類分子へ電子を移動させ
るための駆動力が必要がその分、取り出すことできる電気エネルギーが減るが、この駆動力をゼロにでききれば
問題解決するがそこが難しい。


ところが」、上図左と比して、 図右は、開発したPNOz4T分子が太陽光を受けたときの状態変化だ。一
般的な有機半導体分子とは異なり、駆動力によるエネルギー損失がほとんどない。そのため、光エネル
ギーの損失を無機系の半導体に近い0.5電子ボルトに抑えることができる。しかり、理屈がわかららな
い――なぜ駆動力がゼロになるのかが分からない。伝導帯のエネルギー準位に段差がないのに、PNOz4Tか
らフラーレンへ電子が移動する。駆動力を少なくする設計指針で分子を設計したところ、ゼロになった。
て今後はゼロになるメカニズムの解明が焦点
――になり高い変換効率を実現できる。

 

光エネルギー損失が少ないと何が起こるか。太陽電池セルから得られる電圧が高くなる。その様子を上
図に示した。しかし、これもブログでしてきしてきたことだが――電子顕微鏡観察や京都大学で実施し
た分光学的手法によって、PNOz4Tとフラーレンのそれぞれの粒径が大きいことが分かった。粒径が大き
いと界面の面積が小さくなる。電子の受け渡しは界面でしか起きないため、粒径を小さくして界面の面
積を増やす必要がある。混合プロセスの改善に加えて、溶剤に対する分子の溶解度を高める工夫で改善
できるだろう。今回のPNOz4Tは一般的なポリマーと比較して溶解度が低い。分子設計によってこれを高
めたい――と方針を語っているがこれは正しい。PNOz4Tのバンドギャップは1.52電子ボルト。この値な
ら、20ミリアンペア/平方センチメートル程度の電流密度を狙うことが可能だと。これは面白い。
 

 

doi:10.1038/ncomms10085

 

   ● 今夜の四曲

acoustic guitar solo

      
acoustic guitar solo                   acoustic guitar solo  

  恋人よ

作業の手を止め、裏庭にでてラークのロング一本をくゆらとし空をみると、ひこうき雲が輝いていた。
その思いを
夜ユーチューブで確認。馬場ひろふみの『いちご白書をもういちど』を聴、き、つどけて、
ギターソロー三曲を聴き
最後の五輪真弓の『恋人よ』で聴き終えた。ピアノがあれば弾き語っていた
だろうと昔を懐かしむ。


   枯葉散る夕暮れは
   来る日の窯さをものがたり
   雨に壊れたベンチには 
   愛をささやく歌もない

   恋人よそばにいて
   こごえる私のそばにいてよ
   そしてひとことこの別れ話が
   冗談だよと笑ってほしい

   砂利路を駆け足で

   マラソン人が行き過ぎる
   まるで忘却のぞむように
   止まる私を誘っている

   恋人よさようなら

   季節はめぐってくるけど
   あの日の二人宵の流れ星
   光っては消える無情の夢よ

   恋人よそばにいて
   こごえる私のそばにいてよ
   そしてひとことこの別れ話が
   冗談だよと笑ってほしい

                         唄・作詞・作曲 五輪真弓 『恋人よ』

  

 

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量子・ナノサイズ電子工学時代 Ⅲ

2015年12月04日 | デジタル革命渦論

  

  

   

     世界はオープンであればあるほどいいというのが僕たちの考えです。
                  情報が多ければ多いほどよい選択ができ、世の中に大きなインパクトを与えられます。

                                                                                              マーク・ザッカーバーグ

                                                                                                

 【量子・ナノサイズ電子工学時代 Ⅲ:テッペンを取りに行く】 


米国特許申請を調べていると、村上春樹の『羊をめぐる冒険』に登場する翻訳家の台詞を思い出すほど
だ。そのことはさておいて、下図の新規技術について概説する。表題は「CdTe / CDS / ZnSのコア/シェ
ル(核)/シェル(殻)なそのナノ結晶とのコーティング」、つまりその製造方法、さらに、生物医学
に使用する
細胞中検体のセンサ、フォトニックアプリケーション、電界効果トランジスタの製造」と長
々しい。
特に、CdTeのコアをもつナノ結晶を提供し、コア上にコーティングしたCdSのナノ結晶は、約
650ナノメータmから900
ナナ光ルミネセンス(発光現象)の極大するCdS/ZnSコアの被覆に関す
る新規技術を掲載してみた。
US9202867 Nanocrystals containing CdTe core with CdS and ZnS coatings)。

● 技術背景

(1)ナノワイヤ

励起子ボーア半径以下の極薄径の半導体ナノワイヤ(ナノワイヤ)、マジック・サイズすなわち、2
ナノメーの直径をもつが、得意な量子閉じ込め効果の量子コンダクタンス――バリスティック伝導、低熱伝導率、
増大した表面積特性、
熱電装置、センサー、触媒などのナノデバイスや潜在的な原子球面マジックサイズの半導
クラスタ(または超小型
ナノ結晶種々の技術で製造されてきたが、マジックサイズの直径をもつ極薄半導体ナ
ノワイヤの達成の困
を極めた。導体材料は、広く、レーザー、エレクトロルミネセンスデバイス
、フラットパ
ネルディスプレイフィールドエミッタ、赤外線ウィンド
ウで使用されます
そしてUV光検出器. 2ミクロン以下
の直径を持つ高品質のZnSのナノワイヤ(NW)の報告はない。

硫化亜鉛(ZnS)は、室温で3.6
eVでの直接バンドギャップと40ミリeVでの大きな励起子結合エネ
ギーの重要な半導体材料で、広く、レーザー、エレクトロルミネセンスデバイス、フラットパネルデ
ィスプレイ、フィールドエミッタ、
赤外線窓、UV光検出器など使用されている

ドーピングには、光学的、電子的、輸送、ピントロニクス特性は強力な制御法ができ、半導体の特性を
向上できる。 マンガン(
Mn)をドープした亜鉛カルコゲナイド量子ドットは、CdSeの量子ドットの代替
として検討されている。また、
鋭い励起子吸収ピーク――細かく調整可能な均一な直径、調整可能なレ
ベルピングレベル、高量子収量にの特徴をもち、高品質のマンガン(Mn)をドープしたZnS量子ドット合
成方法が求められている。

(2)量子ドット

コロイド量子ドット、または半導体ナノ結晶)ベースのナノテクノロジー分野では2大挑戦にある。その
1つがは、堅牢な非点滅量子ドットの実現、っもう1つは。単一粒子レベルで階層制御編成したナノアー
キテクチャな独自光学特性の異なる量子ドットの組み立てある。
それのためのいくつかの課題が残ってい
える。


1)
青から近赤外スペクトル範囲に調整可能な滅非点滅マルチカラー量子ドットの合成。。
2)
生物学的イメージング用途使用でき、生体分子結合に、水溶性で非点滅動作な量子ドットの実現。
3)
非点滅動作をのために、異なる組成と光学特性の非点滅QDの合成の研究。
4)
量子ドット間の相互作用――蛍光エネルギー移動――の研究とバイオセンシング応用のナノデバイス
 の製造用プラットフォームを提供と、画像形成のアドレス指定のアーキテクチャの階層的なアセンブリ
 達成

(3) 量子シートとリボン

硫化鈴(SNS)は、重要なメイングループIV-VI族(IV=Ge、Sn、Pb、VIS、SE、TE)で、その狭いバン
ドギャップと豊富な電子・光学的特性に注目されている。
SnSはまた、安価な自然豊かな、環境に優しい
――カドミウム、鉛、水銀を含まない――として知られている。
理論計算は、SNSは、クリーンエネルギ
ー転換素子の組み込みに適した太陽エネルギーの効率的変化特性をもつ。
そのほか、光導電性、光触媒、
ペルチェ効果の熱電冷却、熱電発電など近赤外光エレクトロニクスなどの多機能性を持ち、豊富な資源
量をもつ
ナノ構造合成利用が可能だが、高品質のSNSナノ構造体合成は硫化鉛やセレン鉛特性と比して
課題も多い。

● 課題と解決

ここでまで、単結晶のZnSナノワイヤ合成とのZnSナノワイヤードープした高品質のウルツ鉱型(例えば、
マンガンをドープしたZnSナノワイヤー)の、簡単で高速、無触媒コロイド法を報告している。
ZnS(2.5
ナノメーター)の励起子ボーア半径以下の1.2ナノ
で、大きなブルーシフトUV /可視励起子吸収スペクト
ル、表面欠陥状態優なルミネセンス発光スペクトルや幾何学的X線解析(XRD)パターンと極薄のZnS
ノワイヤの固有の性質に関連する異常特性を観察した。
特に、緑色及び空気中で安定な塩の硝酸亜鉛は
ZnSのナノワイヤ合成の亜鉛源に使用でき。
この前駆体は、化学的により安定し、可燃性ジエチル亜鉛
(毒物)を超える。

例えば、高品質のウルツ鉱型マンガンをドープした硫化亜鉛(ZnSの量子ロッド(QRS)は細かく、例
えば、1.6〜5.6ナノメートルに調整可能で、あるいは0.18%から1.6%の範囲でマンガン(Mn)のドー
ピングレベルの
直径に調製可能である。これは鋭い励起子吸収ピーク、微調整可能かつ均一な直径、45
5%までの高い量子収率で、高品質なマンガンドープしたコロイドZnS量子ロッド合成の初事例である。
また、マンガンドープ硫化亜鉛の量子ロッドは、調整可能なデュアルカラー(オレンジ、青)の排出と
フォトニックデバイスとバイオイメージングアプリケーションを創製可能で、明るい多(二次元・三光
子)励起発光を実証する。

また、得意な準安定相転移過程を経て形成した単結晶IV-VI族の硫化錫ナノリボンコロイド合成を示す。
ノ正方形、ナノリボンの両端と二相中間の硫化錫ヘテロ構造に、そして純粋な斜方晶相の単結晶の硫化錫ナノ
リボンに、閃亜鉛鉱相の硫化錫ナノスフェアから明確な相転移を観察し。 
さらに、単一のナノリボン系電界効果
トランジスタ(FET)性能改善に、元の有機オレイルアミンリガンドを置換に、単純な無機硫化水素リガンドを使用
する(攻略)。
 

 

 

  

字数制限で掲載できずに残件扱いとなった。時宜をえて連続けいさいしていく。このように米国関連特許申請質
量が膨大であることをご理解いただければ幸甚である。
 

 

【我が家の焚書顛末記 Ⅲ】

最近おかしなことがつづいている。『水木しげるの遠野物語』も焚書処分寸前だったが、急な訃報、デ
ジタル(ファイル)化することになり残ることとなったが、今度は、「テッペンを取りに行く宣言」
したのがはよいが
、『量子・ナノサイズ工学時代』をこのブログでシリーズ化を掲載することになり、
フッ酸によるエッチング――例えば、わたし(たち)は、吸光度法で数PPM能動(1リットル当たり
0.2ミリグラムの低濃度検出、あるいは不純物含まれていてもフーリエ変換吸光度法で検出の装置に
成功している――などのプロセス技術など半導体製造技術が頻繁に出てくるので、これも焚書寸前でデ
ジタル(ファイル)化することに決め、午後からその作業にかかるその図書とは上図(初版)の20年
前の『半導体デバイス工程評価技術―ライフライム、DLTS評価を中心として』をデジタル化する作
業に入る。(定価?その当時で約7万円弱?)。しかしまだまだ焚書対象は尽ず
滞蔵されている。

  

 

 

 

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ポルトガの半潜水型浮体式風力発電

2015年12月03日 | 時事書評

 

  

 

    「速く動いて失敗せよ」、「リスクをとらないことが
         最大のリスク」
という言葉も肝に銘じています。

                                        マーク・ザッカーバーグ
                                                
                                              
                                                 
                                                                                                                                                                                           

    14 Nov.  2014

今月1日。31才となったソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)
世界最大手、米フェイスブック創始者のマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者
(
Mark Zuckerber)が、忠恕の誕生を機に、人間の潜在能力と平等のてめの新しい社
会貢献プロジェクト
に、現在約45億ドル(持ち株の99%売却して約5兆5千
百円相当?)を―自分の生まれたばかりの娘への手紙の中へ寄付することを署名。
この計画には、歌手シャキーラ、元カリフォルニア州知事アーノルド・シュワル
ツェネッガーとメリンダ・ゲイツ、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツの妻な
ど錚々たる賛同者をはじめ57万が参加している――もっつとも、ゲイツ氏とウ
ォーレン・バフェットなどの億万長者は、独自殿慈善事業をおこなってる――そ
れも次の3年間の1億ドルの配当も寄付するだろうと話している。なお、マーク・
ザッカーバーグの同社の54%を独占しており。殻が26才の折、所得の半分を
慈善事業に寄付しており、このザッカーバーグの新しいプロジェクト「チャン・
ザッカーバーグイニシアティブ」は今回がはじめてはないのだ。

 03 Dec 2015

考えてみれば、学生中に考案した「デジタル合コン・ネットシステム」(別呼:
SNS)は清純・不純の動機は別としてまたたくまに世界に広がり巨万の富をを
得ることにった「ジャスミン革命」にはじまる今日の中東の地獄絵図をみるにつ
け、あのアルフレッド・ノーベルのニトログリセリンの発明に類似するかのよう
な錯覚に陥る。思えば、ウィンドズのOSを発明したビル・ゲーツもあってもな
くてもよいOS(リナクスやBトロンなどでも代替できる)巨万の富を得ている。
電子構文や電子ソフトなどの言語産業で巨万の富は、即刻社会に還元すべきもの
だとわたし(たち)考えているが、まぎれもなくこれはグッド・ニュースだ。 
 

 

もんじゅ 動かないのに関連総費用1兆1703億円 

95年12月に冷却材のナトリウム漏れ火災事故を起こして以来ほとんど運転
ていない高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)関連の総費用が今年
3月
末までに約1兆1703億円にのぼったことが運営主体・日本原子力研究
開発機
構への取材で分かった。これまでは、会計検査院が2011年に総額「1
兆81
0億円」と指摘したが、その後の総額は明らかになっていなかった。も
んじゅは
過去5年間動いていないが、プラントの維持に加えて固定資産税や人
件費も含め
年平均220億円以上を支出していることも分かった。来年度には
総額1兆20
00億円を突破しそうだという(毎日新聞 2015.12.02)。

それによると、もんじゅは、85年に着工し、94年に核分裂が持続する「臨界
」に達し翌
年に送電を始めた。しかし、ナトリウム火災を起こして長期停止。1
0年5月に原子炉を
再起動したが、同8月に燃料交換装置が原子炉内へ落下して
以来、再び長期停止して
いる。停止中でも、もんじゅが使うナトリウムは常温で
は固まるため、電気であたためて
液体状に保つ必要があり、こうした維持費が積
み重なっていた。

 

さらに、原子力機構は、もんじゅの10年度までの総事業費について約9265
億円と公表していた。しかし、会計検査院が11年11月、関連施設の費用や固
定資産税、人件費などを含めて算出すると、総支出額は1兆810億円だったと
指摘し、経費の全体規模を公表するよう機構に意見を表明していた。今回、毎日
新聞の取材に対し原子力機構は、14年度までのもんじゅの人件費が約533億
円、固定資産税が記録が残る99年度以降で412億円と提示。こうした結果、
出総額は71年度以降の建設準備費なども含め約1兆1703億円と算出した。
年間の費用は、会計検査院が指摘した11年度以降の4年間の維持費のほか固
定資産
税や人件費も含めて平均すると、約223億円になった。これに対し、2
0年間でもんじゅ
が発電したのは日数換算で約37日で、売電収入は約6億円だ
ったとしているとしている。
この記事に接し、太平洋戦争に突入していった「軍
需ファシズム」(今風にいえば「「拝金
ファシズム?)という無責任体制を起想
した。

 



【百パーセント再エネ時代: ポルトガルの半潜水型浮体式風力発電】

ポルトガル沖で進んでいる浮体式洋上風力を用いた発電事業に、三菱商事と千代
田化工建設など5社が出資参画。ポルトガルのWindplus社が総事業費は160億円
を投じ合計25メガワットの浮体式洋上風力発電設備を設置するもので、商業運
転開始は18年予定。 同風力発電事業はポルトガル電力公社が設立した合弁会
社であ
Windplus社が事業主体となり、ポルトガル北部のヴィアナ・ド・カステ
ロ市の沖合20
キロメートルの大西洋上に、3機、4機からなる合計25メガワ
ッの浮体式洋上風力発電
設備を設置する(上図)。商業運転開始は18年を予定
している。
 

 

同事業で採用する浮体技術「WindFloat」とは、米国のPrinciple Power社(シアト
ル)が開発した3本の柱で構成される半潜水型浮体式基礎構造。洋上に風力発電
設備を載せて浮かべ、ケーブルで海底に固定する仕組みだ(再上図)。
既にこの
WindFloatにデンマークのVestas社製のタービンV80(出力2MW)を搭載した実証機
WindFloat1)が、ポルトガル沖で稼働している。この実証機は過酷な天候条件
にも左右されずに、運用開始から4年間で16ギガワット時を発電した実績があ
る。また、三菱商事は、現在オランダにおける着床式洋上風力発電事業や、英国・
独国での海底送電事業を手掛けている。今後も引き続き欧州で再生可能エネルギ
ーを含めた発電事業を積極的に拡大し、現在グローバルベースで保有する発電資
産約500万キロワットを20年までに750万キロワットへ拡大する方針。さ
らに、千代田
化工機は中期経営計画(13~16年)において、再生可能エネル
ギー分野事業の強化・
拡大を成長戦略として掲げており、この事業への参画はこ
れらを推進する。海外向け電
力事業投資案件は今回が初になる(スマート・ジャ
パン2015.12.02)。

 

  

● 日中食品汚染 19 中国の食品汚染地図 

 【目次】 

 第1章 見えない食品の恐怖
 第2章 中国の食品汚染
 第3章 食品汚染のヒトへの影響
 第4章 なぜ汚染連鎖が絶ちきれないのか
 第5章 重金属汚染という新たな難題
 第6章 日本の食品は安全といえるか 
 

   第4章 なぜ汚染連鎖が絶ちきれないのか

                ヒントは日系食品メーカーにあリ

   自社原乳を自社の設陥で加エして販売するので、安全性も保証されてい
 るとみてよい.、こうした企業が責任を持って作った製品ならば、中国製
 で
あろうとなかろうと消費者は歓迎すべきだ。中国で事業展開をする日本
 の
食品加エメーカーすべてが、A社のように間題ないと断言する自信はな
 い
が、相対的には安心度の高い企業が多いと思う。

  ただ厳密にいうと、安全性について日本メーカーがいくら注意を払って
 も、すべての生産資材を自前で調達することは不可能で、配合飼料、獣医
 薬品、農薬、化学肥料などは外部から買うしかない。また、勝手にやって
 くる大気や水の汚染、そして重金属などは防ぎようもないことである。


                中国で支持される農産物宅配

  もうひとつの例を紹介しよう。
  約70ヘクタールの農地で日本人が中国人妻と二人三脚で経営をするD農
 場は、安全な野菜を売りものに、地元の消費者から支持を受けている。ワ
 ンボックスカーに、消費者一戸一戸から受けた注文野菜を積み、自ら運転
 して宅配をする。目本の生協が得意な注文品の宅配方式を参考にしたもの
 だ。


  D社は食品加エメーカーではないが、この農場の農産物販売の仕方や注

 文主の話を聞くと、中国の都市部の消費者層が徐々に洗練され、高級品志
 向を持ちつつあることがうかがえる。この点は生食用の農林畜水産物のみ
 ならず、食品全体に当てはまる。
  日本人社長の斉藤(仮名)さんは50がらみのいかにも精力的な印象の人
 だ。
  農産物の宅配を始めた理由を尋ねると、
 「中国人にないきめ細かさを売り込もうと思いました。宅配というのは、
 ニリー戸の好みをつかんで、それに応えないと商売になりません。これが
 できれば、きっと成功すると思いました」
 と答えた。
 「ここに住む日本人家庭、中国人家庭の一部が主なお客さんです。消費者
 層として見ると、中国人世帯もおおむね上層・中層・下層と分かれている
 ので、中の上を狙っています。わたしの目には、中国人の消費者は安全性
 も含めた質を重脱する日本人の後を追っていると映りますよ。だから近い
 うちに中国のお客さんも日本人と同じようになるんだなあ、という気がし
 ます」
  宅配方式というのは、単価が安いと商売にならない。多少高くてもいい
 ものを欲しがる人がいてこそ、はじめて成り立つ商売である。
  中国人消費者の中にもそういう層が確実に増えているという。安全な農
 産物や加工食品は、今や中国人消費者の中の上の層も意識して求めるよう
 に変化している。しかし、中国人の食品販売業者には、その細かなニーズ
 に応える者がほとんどいない。
 「こちらのやり方は荒っぽいですからね。新鮮な魚をナタで切るようなも
 んです,どんな繊細な野菜を作っても、売る業者が荒っぼいと台無しです。
 だから、わたしは自分で作り、自分で注文を受け、自分で配達しているの
 です」

  そんな細やかな方法で、利益の方は大丈夫なのですか?

 「なんとかやれています。いいものは安くないことがわかる中国人も、以
 前に比べたら増えました。いい傾向です」
  消費者は供給者が育てるものだということだろう。
  斉藤さんはさまざまな要求をする消費者にできるだけ応えるように、コ
 ストとのバランスに苦労しながら経営を軌道に乗せることに成功した。彼
 の話を聞きながら、結局、安全な食品を提供するということは、質の良い
 消費者と向き合うことだと教わった。質の良い消費者は、質の良い生産者
 を支える。食品汚染の連鎖構造を断ち切るには、両者間における正の循環
 が不可欠だ。

 「斉藤さん、いつまで、ここで頑張るつもりですか?」と、ややぶしつけ
 な質問をしてみた。「はっきりしません。ここでは何が起こるかわからな
 いし、水がちゃんと確保できるかどうか、わたしの身体が持つかどうか、
 わかりませんから」
  と、弱九日とも思える返事を返してきた。
  半ば個人経営の斉藤さんは、本当は不安でいっぱいなのかもしれない 。
 D農場のようなきめ細かさは、中国の農場や食品メーカーにとって、もっ
 とも必要なノウハウといえる。このような経営者を育成するには、何とい
 っても安全で美味しいものが高くても売れる仕組み作り、食品の商流と物
 流の制度的な改敞fが不可欠なのだ。

                   当たり前のことができない

  食品加工工場の設置や事業の進め方について、中国政府は厳格な指導を
 行うことになっている,また、定期的なエ場検査などの対策にも取り組ん
 でいる,さらに、.定規模以上のエ場の中には「食品衛生加工管理規程」
 という内部規則を設け、従業員に対する業務指導や衛生管理を行っている
 ところもある。
 次は、あるメーカーの例だ,

  ・原材料は事前に検査、問題のある原材料はすべて破棄すること
  ・衛生基準を守り、従業員は健康要件を満たすこと
  ・従業員は健康診断書を提出すること
  ・包装担当者は包装材料を洗浄・消毒し、包装作業は専用の作業場で
   斤うこと
  ・加工用具、コンテナは消毒すること
  ・作業環境は衛生的に管理すること
  ・蚊、ネズミ、ハエ、ゴキブリの侵入を防ぎ、害虫駆除を行うこと
  ・作業場の床は清掃し、洗浄後は水分を拭き取ること  
  ・壁、天井のカビを防ぎ、天井は脱落しないようにすること
  ・作業衣は明るい色とし、帽子を着用、髪はとかし、マスクを着用、
   マニキュアは禁止
  ・トイレ後は手を消毒し、トイレの際は作業衣、帽子を脱ぐこと
  ・食堂は禁煙とし、加工食品に向け咳、くしゃみをしないこと
  ・爪、髪を清潔にし、入浴し、衣類は洗濯し、エ場内で痰を吐かない
   こと
  ・ゴミのポイ捨ては禁止する
  ・作業工具は洗浄すること

  どれも当たり前のことで、わざわざ規程として書くようなことではな
 い。だが従業員のほとんどは、農村から出嫁ぎにきた若い男女である。経
 営者あるいはエ場の責任者が、彼らをどう認識しているかを示している,
 最近は農村の生活水準も上がり、衛生観念や清潔感などは格段の向上がみ
 られるものの、日本人の常識がそのまま当てはまるところまでには至って
 いない。田舎の食堂で食べる昼飯はまずくはないが、前の客が使った食器
 を何度も貯めた水で洗い、そのまま自分に出されたら食欲も萎えようとい
 うものだ。わたしなどは肌身離さずもっているティシューを取り出して、
 自分で拭いて食べることが多い,

  規程を作り、食品加工工場で働く従業員の生活文化を一層改善すること
 が求められる。当然のことを守らせようとする必要があることは事実で、
 加T食品の安全性を唱え続けなければならない根拠もある。


                      食品加工品業者の憂鬱

  しかし従業員サイドからすれば、守ろうにも守れない事情がある。食品
 加エエ場の命は豊富で清潔な水と冷凍・冷蔵施設だ,しかし不十分なエ場
 がほとんどだ。清潔で豊富な水の調達となるとさらに難題である,
  そのため、加工工程の衛生管理や製品の保鮮といった面で問題が起こり
 やすい。お役所はこの点をとくに重点的にチェックするが、年に1回程度
 なので、そのときは工場側は何とか切り抜けるのが一般的だ。
  今の中国で、清潔で豊富な水を安価に確保できるところは皆無といって
 もよい,前述のA杜とD農場がある山東省は、内外の食品加エメーカーと
 大規模農業経営の集鯖地帯だが、どのエ場も優良な水の確保には頭を痛め
 ている。というのは、彼らが当てにするのは地下水だが、安全に不安があ
 り、その上に地下水位の低下が起きているからだ。
 
  全省のうちで2番目に多い人口9600万人を数える山東省の水利庁に
 よると、2012年の水の総供給量は222億立方メートルだが、うち40
 %は地下水が占める,しかし毎年地下水資源は減少し、前の年から16%も
 減少、地下水位はさらに49センチも低下したという。水の質もあまり良い
 とはいえず、6段階の水質区分のうち最も悪い区分の6番目に属する水
 が、全体の38%にも達するのだ。

  決して恵まれているとはいえないこうした水資源環境のもとで、食品加 
 工業分野へ配分される水の量は全体のわずか127%しかない。もっとも
 多くの水を院っているのは農業で60%、生活用水はわずか11・5%、山東
 省に限らず中国では工業用水、農業用水、生活用水の争奪戦が繰り広げら
 れているのだ。山東省は水問題の解決が最大の課題となっている。食品加
 エエ場ではけっして質的に満足できる十分な水を確保しているとはいえ
 ず、食品の安全管理にも影響が避けられない状況にあることが容易に想像
 できよう。

  安全な農産物の原材料が調達できるかどうかという点も、食品加工工場
 にとっては死活問題だ,大きな問題が起こると、食品加工工場は筒単に閉
 鎖される憂き目に遭う。この点は今や中国でも日本と変わらない。毒入り
 政子事件やホルモン入り粉ミルク事件を起こした企業は、いずれも大きな
 企業だが両方とも閉鎖された。


                     検査にはお金がかかる

  だから、企業はこうした事件に巻き込まれないように冲経を使っている
 のだが、残留農薬野菜や仕入れの段階以前の業者や納入業者の偽装、偽物
 混入や汚染原材料の意図的あるいは非意図的な嘔件はなくなっていない,
 この点は既述したので繰り返さないが、原因のひとつは仕入れ段階の検査
 が概して甘く、対応できないというか、改善が進んでいないことにある。
 たとえば、原材料として使う農林畜水産物の残留農薬検査だ。比較的大き
 なエ場は、独自の検査室や専門の人員を抱えているが、小規模の工場は納
 入元の検査に頼るしかない。しかも検査施設や人員を抱えている比較的大
 きな工場の場合であっても、検査機器、検査方法の面で、成果はかならず
 しも上がっていない。

  残留農薬問題が起きてからというもの、農業竜頭企業、卸売市場、食品
 加エメーカーなどは検査機器を買ったり、専門の検査室を設置したり、専
 門技術者を雇ったりするようになった。市販されている検査機器の種類も
 増え、筒県に操作できるような改良も進んでいる,価格も手ごろなものが
 増えてきた。しかしひとつの検体を検査するにも時間がかかるので、多種
 煩に及ぶ品目の安当な量のサンプル検査を行うことは、実際のところ不可
 能といっていいのだ。

  検査機器や人員を持たないところは、専門の分析業者に依存するしかな
 い,以前わたしが訪ねた検査業者は、高学歴の人員と立派な設備を持ち技
 術も熟練しているようだったが、検査単価の高さに驚いたものだ。中国の
 新聞紙トでは、ニラ500グラムで5000元(約8万円)というニ-ス
 が流れたことがあるが、通常は1件の検査に10日程度かかり3000元が
 相場だ。仮に3品目頼むとその3倍だが、農民が負担することはもちろん
 無理だ。加エメーカーや市場にとってさえ大変な負担である。残留農薬検
 査が敬遠される理由がここにある。農薬の種類は多いから、すべてを検査
 すると大変な金額になる。

  さらに最近は厄介な別の問題も生まれてきた。農産物の重金属汚染問題
 が注目されるようになったものの、これについての検査体制は未整備なと
 ころがほとんどなのである。残留農薬の検出のための機器や技術は、重金
 属の検出には使えない。重金属の検出検査には1週同程度が必要で、単価
 は残留農薬院査以上に高い。上海化工研究院の資料によると、水中及び土
 壌中重金属検査は、1金属検出検量で100グラム当たり5日間で150
 0元である。残留農薬検査と同じく、重金属検査もまた敬遠されている理
 由がここにある。

  国の検査行政にも問題がある。重金属の広がりが学者の問から指摘され
 て、ようやく土壌汚染の全国実態調査を実施したのだが、今になっても結
 梁を公表していない。いくども、「まもなく公表する]といいつつ実現し
 ていない。食品加工業者や検査機関が全国データを手にすることができれ
 ば、仕入れや販売、検査などの役に立つはずだ。

  以上はどちらかというと、食品加工業者の責任というより外部要因の色
 彩が強い。では、業者責任がまったくないのかといえば、けっしてそうで
 はない。食品加エメーカー自身にも、経営の姿勢が問われることが起きて
 いる。モラルの欠如や利益優先の姿勢が危険な食品を生むことがよくある。
 その証拠に、日本が輸入した食品から検出される汚染事例は中国産が最大
 の件数を占めているからだ。

  表面的な統計数字では、違反重量は中国よりもアメジカが大きいとし、
 あたかも中国からの違反輸入が少ないかのようにいう者がいる。しかしこ
 れは実態を正しく理解していない意見だ。
 輸入届け出1件当たりの重量は、中国は6トン(4070058トン÷6
 50431件)だが、アメリカは約8借の47トン(10947577トン
 ÷234245件。「2013年度輸入良品―視統計一),もし、アメリ
 カのI件に違反があれば、違反重量は中国の8倍となる勘定だ。
  アメリカからの輸入品目の中には小麦、トウモロコシ、大一ベオレン
 ジ、グレープフルーツなど輸入届け出件数1件当たり輸入重量が大きいも
 のが多い。

  違反件数は中国より少ないのに、アメリカの違反重量が大きいのはこの
 ためだ,数字のトリックといっていいだろう,
  こういった状況にある中国だが、徐々に体制や経営姿勢が改善されてき
 ていることも事実であり、評価できる。これをもたらしたのは内外からの
 批判の声であった。日本の輸入渠片が中国の加に食い皿を擁護するのは彼
 らの利溢に直結することだから当然だが、いくら刊溢をトげたところで、
 中国の状況を変える力にはつながらず、むしろ現状を維持すろことにしか
 ならない-長い□で見れば、批判すべき抒がいてはじめて、聞貨な発展か
 関防され実現もされるというものだ。

 
03 December 2015



8月5日から約4ヶ月ぶりの掲載である。こんごもすます食品の加工が高度
化していう。行動消費社会・高度情報化社会の陰のリスク対象のモグラ叩き
は決してやむことはない(中国産の石炭は硫黄分が多いので危険・細心注意)。

                            この項つづく

  

 

 

 

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東野物語と盆暗

2015年12月02日 | 時事書評

  

 

    幸福の七ヶ条

       第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
       第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
       第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
       第四条 好きの力を信じる。
       第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
       第六条 怠け者になりなさい。 
       第七条 目に見えない世界を信じる。


                                水木しげる 


                                                               

 

 

『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる漫画家・作家の水木しげるさんが亡くなったことが、昨日わかった。
水木 しげる(1922年3月8日 - 2015年11月30日)は、日本の漫画家。文化功労者、傷痍軍人。本名は
武良 茂(むら しげる)。
大阪府大阪市住吉区出生、鳥取県境港市入船町出身、東京都調布市在住。
ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市で経営していたアパート「水木荘」から名付けた。5
8年に漫画家としてデビュー。代表作の『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などを発表。
妖怪漫画の第一人者となる。武蔵野美術学校(武蔵野美術大学)中退。

66年から『少年サンデー』連載の「ふしぎなふしぎなふしぎな話」で妖怪画を発表し始める。やが
て、『少年マガジン』増刊の『日本妖怪大全』を経て、70年に『水木しげる妖怪画集』を刊行。そ
の後も「妖怪図鑑」の類を多数執筆。
水木は妖怪を題材にするにあたり、古い文献や絵巻などから多
くの伝承や妖怪画を蒐集してゆく。鳥山石燕など古典の画が存在する場合は参考にして描き、「子泣
き爺」「砂かけ婆」「ぬりかべ」「一反木綿」など文字の記録のみで古典の画が存在しないものは、
水木によって初めて絵として描かれていった。そのため多くは水木が創造した形であり、現在の日本
人が持つ「妖怪」イメージは、水木の作品が大きく影響している。

大衆の中で失われていた多くの妖怪を救ったともされ、こうした仕事に対しては、水木を妖怪文化の
継承者にして布教者などと評す声もある一方、出典が不詳のため、創作の可能性を指摘されている妖
怪(樹木子など)も幾つか描く。
また、07年8月に、妖怪研究家の湯本豪一が保有する江戸時代の
絵巻に描かれた「四角い犬のような妖怪」が、米国ブリガム・ヤング大学の図書館にあるものと符合
され「ぬりかべ」の絵と判明したように、近年の研究で水木の創作以前の絵が発見された例もある。
80
年代には『水木しげるの妖怪事典 正・続』、『水木しげるの世界妖怪事典』などを発表。92
年には『カラー版 妖怪画談』を岩波新書から刊行して話題となる。98年からは、千六百点以上の
妖怪画を収録した『妖鬼化』シリーズの刊行が開始。
水木の周囲に妖怪好きの人々たちが集まってき
たことから、95年に世界妖怪協会を設立し会長におさまる。荒俣宏、京極夏彦、多田克己らが会員
となり、「世界妖怪会議」が開催され、97年からは、世界妖怪協会公認の妖怪マガジン『怪』(角
川書店)が刊行開始。水木も漫画を執筆した。

 

90歳を超えてなお新作漫画を発表し続け、近年の主な作品としては、『遠野物語』を漫画化した『
水木しげるの遠野物語』、長年の課題としていた出雲を描いた『水木しげるの古代出雲』、極貧時代
の家計簿を元にした『ゲゲゲの家計簿』などがある。『ゲゲゲの鬼太郎』の実写映画や貸本版『墓場
鬼太郎』のテレビアニメなどが実現した。10年、妻・布枝の著書『ゲゲゲの女房』がNHK連続テレ
ビ小説としてテレビドラマ、および映画化されるなど改めて水木の人生に注目が集まった。海外での
評価も高まり、フランス・アングレーム国際漫画賞、米アイズナー賞などを受賞している。11年、
東日本大震災について考察した絵を描き、ニューヨーク・タイムズに掲載された。

なお、『水木しげるの遠野物語』は、「我が家の焚書顛末記」の対象となり処分寸前にあったが、急
遽とりやめ
デジタル(ファイル)化し、このように一部を切り取りブログ掲載した。志望者があれば
物語一話ごとに掲載し
作家の遺徳と作品のバックグランドを適宜再考してみてもそれは意味があるか
もしれないと思っているがどう
だろうか。享年九十三。
    
                                                                合唱

 

【量子・ナノサイズ電子工学時代 Ⅱ】 

昨夜のつづき。

下図の方法には、分散性が高くかつ生産速度で、サブミクロン/ナノスケール粒子を製造できる。短
時間で約毎時35グラムで、約75ナノメートル未満の平均直径の均一な粒子を製造でき、パウダー
コーティングで均一なサブミクロン/ナノスケール粒子堆積が可能となる。

 
代表図 US 9175174 Dispersions of submicron doped silicon particles

下図は、電気化学的活性電極材料例で、金属シリサイドとテンプレートに堆積し、高容量の活物質を
表面積テンプレート上に積層でき、例えば、基板の活物質や活性材料間の電気伝導体の機械的支持
機能
に最適に、テンプレート大表面積で十分な活性物質のローディングに対応する電池容量を均質薄
層が提
供できるだけでなく、活性物質を長時間に亘り維持でき、電池のサイクル間、その構造が完全
に維持で
きる。



代表図 US 9172094 Template electrode structures for depositing active materials 

下図の方法とシステムは、薄い金属や酸化物被覆のパターニングもつポリマーベースのインプリント・
リソグラフィ・テンプレートの作製装置システム。これによるとテンプレートは、流体拡散し埋める、
最適なな剥離特性と長寿命性を向上。酸化物被覆バージョン製造方法とステムは、特に低コスト処理
と強化スループットを常圧下で実施できるものである。 


代表図 US 9170485 Nano imprinting with reusable polymer template with metallic or oxide coating


下図、最初のイメージセンサアレイと第一のイメージセンサアレイがカメラの前に最初の焦点面に設
し、第2の画像センサアレイと第2の画像センサアレイを含むカメラシステムは、前の第二焦点面
に設計
された最初の焦点面までの距離が、第二焦点面との距離よりも実質的に異なる構成カメラであ
る。
なお、この技術は、新発光ダイオードLED)の形成にCMOSイメージセンサ、ディスプレイ、
マイク
ロディスプレイ、太陽電池でのイオン・カットなどの多接合層として転写方式利用に検討され
ている新技
術である。

 

代表図 US 9197804 Semiconductor and optoelectronic devices 

IMM太陽電池を製造する新技術。第一のサブセルは、一時的基材上に形成され、第二のサブセルは、第
一のサブセル上に形成してもよいです。第二のサブセルは、第一のサブセルよりも小さなバンドギャ
ップをもつことができます。
この方法は、シリコンサブセルに第一と第二のサブセルを結合した後、
仮基板を除去できる。 IMM太陽電池では、第二のサブセルと第一のサブセルよりも小さなバンドギャ
ップをもつる第二のサブセル上に配置された第一のサブセルと第一と第二のサブセルを含む(
IMM太陽
電池は、第一のシリコン支持サブセルを含んでいてもよい)。
第二のサブセルその上にシリコンサブ
セルと第二のサブセルとの間に金属-金属結合をもつ新しい構造である。
 

代表例 US 9184332 Inverted metamorphic multi-junction (IMM) solar cell and associated fabrication method 

                                                           この項つづく

    

● 折々の読書 『職業としての小説家』38

   あとがき

  本書に収められた一連の原稿をいつ頃から書き始めたのか、はっきりとは覚えていないのだが、
 たぶん五、六年前のことだったと思う。自分が小説を書くことについて、こうして小説家として 
 小説を書き続けている状況について、まとめて何かを語っておきたいという気持ちは前々からあ
 り、仕事の合間に暇を見つけては、そういう文章を少しずつ断片的に、テーマ別に書きためてい
 た。つまりこれらは出版社から依頼を受けて書いた文章ではなく、最初から自発的に、いねば自
 分自身のために書き始めた文章だということになる。

  最初のいくつかの章は通常の文体で――たとえば今こうして書いているような文体で――書い

 ていたのだけれど、書いたものを読み返してみると、文章の流れがいくぶん生硬というか、とん
 がっているというか、もうひとつうまく気持ちに馴染まなかった。それで試しに、人々を前にし
 て語りかけるような文体で書いてみると、わりにすらすらと素直に書ける(しゃべれる)感触が
 あり、それならと、講演原稿を書くつもりで全体の文章を統一してみることにした。小さなホー
 ルで、だいたい三十人から四十人くらいの人が僕の前に座っていると仮定し、その人たちにでき
 るだけ親密な口調で語りかけるという設定で書き直したわけだ。しかし実際には、これらの講演
 原稿を人前で声に出して読む機会はなかった(最後の河合隼雄先生に関する章だけは、現実に京
 都大学の講堂で、千人ほどの人を前に語ったけれど)。

  どうして講演をしなかったのか? まずだいいちに自分について、また自分が小説を書くとい
 う作業について、こんな風に正面から堂々と語ってしまうことがいささか気恥ずかしかったから
 だ。僕には、自分が書く小説についてあまり説明したくないという思いが、わりに強くある。自
 作について語ると、どうしても言い訳をしたり、自慢したり、自己弁護をしたりしてしまいがち
 になる。そうするつもりはなくても、結果的にそう「見えてしまう」ところがある。
 
  まあ、いつかは世間に向けて語る機会もあるだろうが、まだ時期的に少々早すぎるかもしれな

 い。もう少し年齢をかさねてからでいいだろう。そう思って、抽斗に放り込んだままにしておい
 た。そしてときどき引っ張り出しては、あちこち細かく書き直した。僕を取り巻く状況――個人
 的状況、社会的状況――も少しずつ変化していくし、それにあわせて僕の考え方や感じ方も変わ
 っていく。そういう意味では、最初に書いた原稿と、今ここにある原稿とでは、雰囲気やトーソ
 がけっこう違ってきているかもしれない。でもそれはそれとして、僕の基本的な姿勢や考え方は
 ほぼまったく変わらない。考えてみたら、僕はデビューした当時から、ほとんど同じことばかり
 繰り返し述べているような気がするくらいだ。三十年以上前の自分の発言を読んで、「なんだ、
 今言っていることとまるで同じじやないか」と自分でも驚いてしまう。

 というわけで本書では、これまで僕がいろんなかたちで書いたり語ったりしてきたことが、(少
 しずつ姿かたちは変えられているにせよ)繰り返し述べられることになると思う。「それって、
 前にどっかで読んだよ」と思われる読者も多いかもしれないが、その点はどうかお許し願いたい。
 このように今回、これらの「語られざる講演録」を文章のかたちで出しだのは、これまであちこ
 ちで述べてきたことを、系統的にひとところに収めたいという意味合いもあったからだ。小説を
 書くことに関する、僕の見解の(今のところの)集大成みたいなものとして読んでいただければ
 と思う。



  本書の前半部は、雑誌「Monkey」に連載された。たまたま柴田元幸さんが「Monkey」を新雑
 誌として起ち上げ(新感覚のパーソナルな文芸誌だ)、「何か書いてくれませんか?」という依
 頼があった。それで「いいですよ」と、短編小説を一本渡したのだけど(ちょうどうまく、書き
 上げたばかりの作品があったので)、ついでにふと思い出して、「そういえば、私的講演録みた
 いなものの手持ちもあるんだけど、もしスペースがあったら連載させてくれませんか?」と持ち
 かけてみた。
 そのようにして最初の六章ぶんが「Monkey」に毎号掲載されることになった。机の中に眠ってい
 たものを毎号渡すだけだったので、これは実のところ格段に楽な仕事だった。章は全部で十一章
 ぶんあったので、前半の六章は雑誌掲載、後半の五章は書き下ろし収録ということになった。

  そこに河合隼雄先生についての講演原稿を付け加え、全部で十二章の構成になった。
  本書は結果的に「自伝的エッセイ」という扱いを受けることになりそうだが、もともとそうな
 ることを意識して書いたわけではない。僕としては、自分が小説家としてどのような道を、どの
 ような思いをもってこれまで歩んできたかを、できるだけ具象的に、実際的に書き留めておきた
 いと思っただけだ。とぱいえもちろん、小説を書き続けるということは、とりもなおさず自己を
 表現し続けることであるのだから、書くという作業について語り出せば、どうしても自己という
 ものについて語らないわけにはいかない。

  本書が小説家を志す人々のためのガイドブック、案内書になりうるかどうか、正直言ってそこ

 までは僕にもよくわからない。というのは、僕はあまりにも個人的な考え方をする人間であって、
 僕のものの書き方や生き方にいったいどれほどの一般性・汎用性があるのか、自分でもうまくつ
 かめないからだ。小説家どうしのつきあいもほとんどないので、他の作家の方がどのような書き
 方をされているかもよく知らないし、従って比較することもできない。僕はこのような書き方で
 なくては書けないから、とにかくそうやって書いているというだけのことであって、それが小説
 を書くためのいちばん正しいやり方だと主張しているわけでは決してない。僕の方法の中には一
 般化できるものもあれば、一般化するのはちょっと無理があるかもしれないというものもあるだ
 とは、みなさんが各自見きわめて、適正に判断していただければと思う。

  ただひとつ理解していただきたいのは、僕は基本的には「ごく普通の人間」であるということ
 だ。たしかに小説を書く資質みたいなものはもともといくらか具わっていたのだろうと思う(ま
 ったくなければこれだけ長くは小説を書き続けられないから)。しかしそれを別にすれば、自分
 で言うのもなんだけど、僕はどこにでもいる普通の人間だ。街を歩いていても目立だないし、レ
 ストランではたいていひどい席に案内される。もし小説を書いていなかったら、誰かにとくに注
 目されるようなこともなかっただろう。ごく当たり前に、ごく当たり前の人生を送っていたはず
 だ。僕自身、日常生活の中で、自分が作家だという事実を意識することはほとんどない。

  でもたまたま小説を書くために資質を少しばかり持ち合わせていて、幸運みたいなものにも恵
 まれ、またいくぶん頑固な(よく言えば一貫した)性格にも助けられ、三十五年あまりこうして
 職業的小説家として小説を書き続けている。そしてその事実はいまだに僕自身を驚かせている。
 とても深く驚かせる。僕がこの本の中で語りたかったのは、要するにその驚きについてであり、
 その驚きをできるだけピュアなままに保ちたいという強い思い(たぶん意志と呼んでもいいだろ
 う)についてである。僕のこの三十五年間の人生は結局のところ、その驚きを持続させるための
 切々たる営みであったのかもしれない。そんな気がする。

  最後にお断りしておきたいのだが、僕は純粋に頭だけを使ってものを考えることが得意ではな
 い人間である。ロジカルな論考や、抽象的思考にあまり向かない。文章を書くことによってしか、
 順序立ててものを考えられない。フィジカルに手を動かして文章を書き、それを何度も何度も読
 み返し、細かく書き改めることによってようやく、自分の頭の中にあることを人並みに整理し、
 把握していくことができる。そのようなわけで僕は歳月をかけて、本書に収められたこれらの文
 章を書きためることによって、またそれに何度も手を入れることによって、小説家である僕自身
 について、また自分か小説家であることについて、あらためて系統的に思考し、それなりに俯瞰
 することができたように思う。

  そのような、ある意味では身勝手で個人的な文章――メッセージというよりはむしろ思惟の私

 的プロセスのようなものかもしれない――が、読者のみなさんのためにどれほどお役に立てるか
 は、僕自身にもよくわからない。わずかなりとも、何か現実のお役に立てればとても嬉しいのだ

      2015年6月

                               「あとがき」   村上春樹 
                      
                                      
長編小説は苦手だ。それは仕事のありようがそうさせる側面がある。常にビジネスのことがあり、新
しいアイデアを求めていたからだ。それでも『羊をめぐる冒険』などは読み切っている。だからロシ
ア文学は埒外で、ミニマリストのレーモンド・カヴァーの作品は欠かさず読んでいる――俵万智の『
サラダ記念日』は冒頭の一首で彼女の感性の上質さを了解できたので購入した本はそのまま積んどく
だけにした事例があるほどだ。さて、村上春樹のの作品は『高度消費社会の日本状況論』としての価
値ある文学作品――それ以上でもそれ以下でもない――とわたしは了解しているが、その作品がどの
ように生み出されているのかこの本で理
解することが十分にできた。新作に期待してこの項を了とす
る。                                                                                                                                                                          

                                                                                                                                       ● 今夜の一曲

古い話だが、クリスマスパーティーのダンスの合間にに。この「ゲゲゲの鬼太郎の歌」やビートルー
ズの「ミッシ
ェル」「ガール」などを選曲してアコースティクギターソロで歌う準備していたものの、
スケジュールの都合で没になってしまたことがあったことを、思い出した。いまは懐かし思い出のひ
とつだ。



【東野物語と盆暗】

● 気がつけば師走

水森しげるの「第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ」をかみしめている。これを日
本語以外に
翻訳するとどうなるのか?翻訳家のプロに聞いてみたいものだが、わたしは畏怖を感じさ
せる名言だとと考える。その意味で遺作となった『遠野物語』は再評価したい。ブログ掲載しはじめ
て、ことしで6年になるが、いろいろなことがあった。政権交代が政治的には一番の出来事――東日
本大震災・福島原発事故・地球温暖化の顕著をのぞき――だろうが、できたばかかりの政権では「経
済運営の能力"ゼロ"」もいたしかたないが、手練手管の自民党政権はどうかというと、その学習能力
に期待すれど『アベノミクス』は国家官僚の羽交い締めにあい機能できす「政権能力近似ゼロ」とい
うことが明らかになった。政権に片思いの高橋洋一はある意味尊敬しているからこそ、むしろ、哀れ
である。いわんや、たとえば選挙応援演説している谷垣
禎一に至っては陰がない。日本で政治家と言え
る者は、橋本徹と松井 一郎のこの二人以外に見あたらない。関西弁で言うところの「盆暗」ばかだと考えるの
はわたし(たち)だけだろうか。

     

 

 

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最新流体機械工学

2015年12月01日 | デジタル革命渦論

 

 

  

 

     思考こそが一次言語であり、数学は二次言語である。
         数学は、思考の上に作られた、一つの言語に過ぎない。

                      ジョン・フォン・ノイマン
                                 

 

                                                                        
                                                                           John von Neumann 
                                                                                                                                   December 28, 1903 – February 8, 1957

● 数学とエ学の断絶


ネット検索をしていると、目的と関係ない「ヘッドライン」にでくわくことがある。今回は(岡山大学大
学金谷健一教授の「数学と工学の断絶」(2010.12.14)だ。内容はかんたんなことだが、日米の格差が、
現在もあるのか心配になった。以下はその主旨の抜粋。
 

 SSS総会での講演で広中平祐5いか、John von Neumann、Norben Wiener、RudolrE.Kalman、ClaudeE.Shannon
   
のような学者かなぜ日本から出ないのか,それは日本の縦割り制度のためである、と言われた'われた.
 周知の
ように,彼らは傑出した数学ぶであっただけでなく,先駆的な計算機工学者、制御工学者、通
 信工学者でもあっ
た.私の研究は画像処理、コンピュータビジョンであるか,思い当たるところか多
 い。
私は画像|-の点列に代数曲線を糟密に当てはめる研究を行っていたので,円のような特殊な特殊
 な曲線では当てはめ
の割算か簡単化されることを知っていたか、あるときある宋国の論えを読んでシ
 ョックを受けた。訓算か簡単.に
なる(計算機による演算量が少なくできる)必要十分条件か、当ては
 める曲線線の方程式F(x・y)=0の変数 x, y を
それぞれ複素関平面に拡張したときの各々の偏導関数
 の零点の位置によって定まるというのである――中略――
その論理の高級さに打たれ、日参入は決し
 てこのような論文は書けないことを実感した.なぜなら、日本の数学者は画
像処理やコンピュ一タピ
 ジョンの問題に関心かないからである.


そして、「米国では数学科を卒業した学生か工学系の大学院に移ることか多い.大学院生は給料を貰って
研究するから、少しでも待遇のよい,研究費か多い分野に集まる。そのため画像関係の国際会議でも数学
出身の研究者か多く、その理論水準に日本人は太刀tlちできない」と指摘し「エ学部の学生か同じ学科の
大学院に進学し,数学科の卒業俘は数学科の大学院に進学する、両者に何の交流もないし,交流を促進す
るような金銭的な誘引もない、もし数学科の卒業生は必ずエ学系の大学院に進学するというような規規」
でもあれば日本本の科学技術は著しく進歩するであろう」結んでいるが、"画像(技術)産業"が第4次産
業であると考えていた吉本明ををはじめとするわた(たち)はにとって(参照『デジタル革命渦論』)、
「日本の国家官僚制」の弊害がここにもあらわれていたのかと改めて再確認することになる。さて、現在
は改善されているのだろうか?

 

 

【量子・ナノサイズ電子工学時代 Ⅰ】 

昨夜は、高分子電解質膜燃料電池(固体高分子形燃料電池)のナノサイズ技術駆使による長耐久化と低コ
スト化事例を紹介ししたが、今夜は、太陽電池――ただし、それ以外の分野におも応用できるものもの含
む――における最新量子・ナノサイズ技術事例を紹介する。下図は、ディスプレイをタッチし、ソーラー
デバイス、スマートウィンドウ、ディスプレイ、タッチセンサパネルを含む電子または光電子デバイスの
様々機器の表面昼間部に高活性機能添加剤を配置するもので、低コストでデバイスコンポーネントを実現
新規技術事例である。


※ US9185798B2  Device components with surface-embedded additives and related manufacturing methods   

下図の事例は、ナノ有機液体前駆体を有する電子供与体、電子受容体、液体キャリアと光起
電力素子を製造技術。
液体前駆体は、電極に印加され、気体透過性層およびスタンプ接点と
電子供与体、受容体材料の均一な相互貫入網と固体活性物質形成の液体キャリアを除去する
有機液体前駆体に圧力を加え――二
段階法も含む――える製造技術である。電子ドナー、ア
クセプターのいずれかを有する液体前駆体は、パターニング表面の固体形成し、ナノスケー
ルのパターンの第一タイムスタンプでで電極を印圧付加する。
次に、電子ドナー、アクセプ
ターと第二の液体前駆体――活性物質形成――を第二のタイムスタンプでパターンするため
表面する。
材料ナノ格子を含有する透明導電電極をロール・ツー・ロールなどで連続処理形
成する技術である

 

※ US9184400B2 Methods of making organic photovoltaic cells having improved heterojunction morphology

このように、米国特許の最新動向を調査するだけでも数多く申請されており日米の技術格差
が広がりつつあるようにうかがえる。紙面・掲載字数の関係で掲載できなかったものを含め
下記にそのリストを参考までに掲載しておく。


※ 関連新技術事例索引

・US 9181455 Method of making hydrophobic coated article including hydrophobic coatings, and/or sol
          compositions for use in the same 
・US 91844B2 Methods of making organic photovoltaic cells having improved heterojunction morphology 
・US 9175174 Dispersions of submicron doped silicon particles
・US 9172094 Template electrode structures for depositing active materials 
・US 9170485 Nano imprinting with reusable polymer template with metallic or oxide coating
・US 9197804 Semiconductor and optoelectronic devices 
・US 9190581 Light-emitting dies incorporating wavelength-conversion materials and related methods 
・US 9184351 Polymeric binders incorporating light-detecting elements 
・US 9184332 Inverted metamorphic multi-junction (IMM) solar cell and associated fabrication method 
・US 9178095 High-efficiency solar-cell arrays with integrated devices and methods for forming them 
・US 9171970 Alternating bias hot carrier solar cells 
・US 9171909 Flexible semiconductor devices based on flexible freestanding epitaxial elements 
・US 9161448 Laser assisted transfer welding process 
・US 9142615 Methods and apparatus for identifying and reducing semiconductor failures 
・US 9136402 High efficiency flexible solar cells for consumer electronics 
・US 9159590 Encapsulated nanoparticles 
・US 9129751 Highly efficient dye-sensitized solar cells using microtextured electron collecting anode and
                       nanoporous and interdigitated hole collecting cathode and method for making same 

 




【百パーセント再エネ時代:地熱エネルギー発電 Ⅰ】 

このブログでも(『新再エネ立国九州論 Ⅱ』など)地熱発電を掲載してきた。ここでは屋上屋を避ける
が参考に米国の新規システム技術を紹介する。話は変わるが『我が家の焚書顛末記』でも掲載しているよ
うに図書の廃棄とデジタル(ファイルリング)化をすすめているのだが、分厚い辞典類の処分に頭をなや
まさている。つい最近、上の朝倉書店の『流体機械ハンドブック』のデジタル化をすませた。『マルチメ
ディア画像情報技術辞典』もそうだったっが、膨大な知識情報の偉大さを再確認する作業でもある(アル
コール量が増えるのでこまりものです)。

下図のような地熱発電システムは、生産ケーシングとその中に配置され、生産チューブを持つその間に環
状部を形成する。パッカーは、第1の部分と第2の部分に環状部を分離可能な位置に環状部に配置。ウェ
ル環が第1部分に配置され、環状部の第1部分と生産チュービングを通って流れる流体の生産を流れる作
動流体との間の熱伝達できるよう構成されたタイバック管と第2環の部分内の流体の流体を分離する。作
動流体は第1環部分に接続させた構成でコンピュータ制御されたシステムの新規技術である。
 

US9074794 Systems and methods for co-production of geothermal energy and fluids 

 

 

 

    

● 折々の読書 『職業としての小説家』37 

   でもその翌日、二度目にお目にかかったとき、すべては一変していました。河合先生は打って
 変わったように快活で上機嫌で、ひっきりなしに冗談を口にされ、顔つきもがらりと明るくなっ
 ていました。その目には、まるで子供の目のようにきれいに澄んだ奥行きがありました。一晩で
 これくらい人は変われるものなのか、とあきれるくらいです。それで僕にも「ああ、昨日はこの
 人は意識的に、自分を受動態勢に置いていたんだな」とわかったわけです。おそらく自分を殺し
 てというか、自分を無に近づけて、相手の「ありよう」を少しでも自然に、いねばテキストとし
 て、あるがままに吸い込もうとしていたんだなと。

  僕にそれがわかったのは、僕自身ときどきそういうことをするからです。できるだけこちらの

 気配を鎮め、相手の存在をそのままのかたちで受容しようとします。とくにインタビューをして
 いるときがそうです。そういうときには、徹底的に集中して相手の言葉に耳を傾け、自分の意識
 の流れみたいなものを殺してしまいます。そういう切り替えができないと、本当に真剣に人の話
 を間くことはできません。僕はその何年かあと『アンダーグラウンド』という地下鉄サリン事件
 についての本を書くにあたって、そういう作業を一年間とおして続けましたが、そのときに「あ
 あ、これは河合先生があのときやっていたのと同じようなことなんだな」とあらためて感じまし
 た。そういう意味では、河合先生のお仕事と、僕らがやっている仕事とは、似ている部分がいく
 らかあるのかもしれません。

  それで二度目に会ったときには、河合先生は僕の話すことに積極的に反応され、質問にもきち
 んと答えてくださいました。話をしていてとても面白かった。たぶん「受容」(reception)から
  「交換」(interchange)へと、河合先生の側でモードが転換されたということなんだと思います。
 それからあとは、僕らはごく普通に、自由にいろんなことを話し合うようになりました。たぶん
 それは僕が河合先生の「基準」をいちおうクリアしたということなんだろうと(厚かましいよう
 ですが)僕としては解釈しています。それ以来ときどき河合先生から連絡があり、「どうですか、
 メシでも食いませんか?」みたいなお誘いを受けて、あちこちで親しくお話をさせていただきま
 した。いつも和気蕩々とした愉快な会話で、もちろんずいぶん教えられるところもあったんです
 が、どんなことを話したのか、具体的な内容はほとんど覚えていません。記録しておけばよかっ
 たんですが、なにしろお酒を飲みながら気持ちよく話しているんで、話すそばからどんどん忘れ
 ていってしまいます。しょうがないです。僕が今でもよく覚えているのは、先生が口にされるい
 つものしょうもない駄洒落ばっかりで。たとえばこんなものです。
 
 「『21世紀日本の構想』懇談会の座長をやっておりましたとき、小渕総理の時代ですが、閣議
 というものにいっぺん出たことがありました。そのときに、なんか用事があったんでしょうな、
 小渕さんがちょっと遅れてはったんです。それでほかの閣僚がみんな揃って部屋で待っていると
 ころに、遅れてすみません、すみません言うて、丁寧に謝りながら入ってきはりました。けど、
 総理大臣いうのは偉いもんですなあ。僕は感心したんですが、英語で謝りながら入ってきはるん
 ですわ。アイム・ソーリー、アイム・ソーリーいうて」

  河合先生の駄洒落というのは、言ってはなんですが、このように実にくだらないのが特徴でし
 た。いわゆる「悪い意味でのおやじギャグ」です。しかし僕は思うんですが、それはそもそもで
 きるだけくだらないものでなくてはならなかったんです。そうでなくては意味がなかった。それ
 は河合先生にとっては、いねば「悪魔祓い」のようなものだったのではないかと僕は考えていま
 す。河合先生は臨床家としてクライアントと向かい合うことで、多くの場合、魂の暗い奥底まで
 その人と一緒に降りていきます。それは往々にして危険を伴う作業になります。ひょっとしたら
 帰りの道筋がわからなくなり、そのまま暗い場所に沈みっぱなしになってしまうこともあるかも
 しれません。そういう力業の作業を日々、お仕事として続けておられます。そのような場所で糸
 くずのようにべったり絡みついてくる負の気配、悪の気配を振り払うためには、できるだけくだ
 らない、ナンセンスな駄洒落を口にしないわけにはいかなかった。僕は先生のゆるい駄洒落を耳
 にするたびに、そういう感触を持ちました。あるいは少し好意的すぎるかもしれませんが。

  ちなみに僕の場合の「悪魔祓い」は走ることです。かれこれ三十年ほど走り続けているんです
 が、毎口外に出て走ることで、僕は小説を書くことで絡みついてくる「負の気配」をふるい落と
 しているような気がします。ゆるい駄洒落よりは、まわりの人を脱力させないぶん害が少ないん
 じゃないかとひそかに思っていますが。



  僕らが会って話をして、でも何を話したかほとんど覚えていないと、さっき中し上げたわけで
 すが、実を言えば、それは本当はどうでもいいことなんじゃないかと思っているんです。そこに
 あったいちばん大事なものは、話の内容よりはむしろ、我々がそこで何かを共有していたという
 「物理的な実感」だったという気がするからです。我々は何を共有していたか? ひとことで言
 えば、おそらく物語というコンセプトだったと思います。物語というのはつまり人の魂の奥底に
 あるものです。人の魂の奥底にあるべきものです。それは魂のいちばん深いところにあるからこ
 そ、人と人とを根元でつなぎ合わせられるものなのです。僕は小説を書くことによって、日常的
 にその場所に降りていくことになります。河合先生は臨床家としてクライアソトと向き合うこと
 によって、日常的にそこに降りていくことになります。あるいは降りていかなくてはなりません。
 河合先生と僕とはたぶんそのことを「臨床的に」理解し合っていた
 
 そういう気がするんです。

 言葉にはあえて出さないけれど、お互いにそのことはわかりあっていた。匂いでわかりあうみた
 いに。もちろんこれは僕だけの勝手な思い込みかもしれません。でもそれに近い何かしらの共感
 があったはずだと、僕は今でもはっきり感じています。
 僕がそういう共感を抱くことができた相手は、それまで河合先生以外には一人もいなかったし、
 実を言えば今でもI人もいません。「物語」という言葉は近年よく口にされるようになりました。
  しかし僕が「物語」という言葉を口にするとき、それをそのまま正確なかたちで――僕が考え
 るままのかたちで――物理的に総合的に受け止めてくれた人は河合先生以外にはいなかった。そ
 して大事なことは、投げたボールが相手にしっかり両手で受け止められている、隈無く理解され
 ているという感触が、説明抜きで理屈抜きで、こちらにありありフィードバックされてきたこと
 です。そういう手応えは、僕にとって何より嬉しいことであり、励ましになることでした。自分
 のやっていることは決して間違っていないんだと、実感できたわけです。

  こんなことを言うといささか問題がありそうですが、僕はこれまでのところ、それに匹敵する
 確かな励ましの手応えみたいなものを、文学の領域において得たことは一度もありません。それ
 は僕にとってはいささか残念なことであり、不思議なことでもあり、もちろん悲しいことでもあ
 ります。まあそのぶん、河合先生が専門分野を超えて、優れて大柄な方であったということにな
 るわけですが。

  最後になりますが、河合先生のご冥福をお祈りしたいと思います。本当にもう少しでも、一目
 でも長く生きていていただきたかったんですが。

                 「第十二回 物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出」
                                   
                                      村上春樹

この章で終わろうかと考えた――これを一言でいえば、村上春樹の『文学的創作パワー論』というふ
うに受け止めてきた――が、時宜をみて「あとがき」を掲載する。

                                      この項つづく 
  

     

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