完璧を目指すよりまず終わらせろ。
マーク・ザッカーバーグ
【中国の思想: 墨子Ⅴ】
公輸――墨子と戦争技術者※
尚賢――人の能力を正当に評価せよ
兼愛――ひとを差別するな※
非攻――非戦論※
節葬――葬儀を簡略にせよ
非楽――音楽の害悪
非命――宿命論に反対する
非儒――儒家批判
親士――人材尊重
所染――何に染まるか
七患――君子の誤り七つ
耕柱――弟子たちとの対話
貴義――義を貴しとなす
公孟――儒者との対話
魯問――迷妄を解く
※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。
● 儒家批判
いつの世も、思想闘争は感情的な悪口雑言を伴うものとみえる。儒家に対する墨家のそれも、
まことにすさましい。現代の目からみてピンとこない個所があるとはいうものの、この一編は
形式主義に堕し、繁文御礼と化した儒家に対する墨子の憤りをヒシヒシと感じさせる。
ことぱ
「至私するところを厚くせんことを欲するために、至重すべきところを軽んぜば、あに大姦にあ
らがらんや」
「礼楽を繁飾してもって人を淫し、久喪偽哀もって親を漫り、会を立て貪に緩くして高く激則し、
本に背き事を棄てて急激に安んじ、飲食を貪り、作務を惰り、飢寒に陥り、凍倣に危うきも、も
ってこれを違ることなし」
「孔某肉のよりて来たるところを問わずして食う」
「孔某の行ない、かくのごとくなれば、儒士はすなわちもって疑うべし」
● 矛盾している儒者の礼
儒者は、「愛情にも敬意にも、相手が誰であるかによって、ちがいがあるべきだ」と主張する。
相手との親しさの程度、相手の地位の高さ、これを尺度とすべきだというのだ。
そして、儒者の礼は、近親者の死に対する服喪期間を次のように規定している。父母の死には三年。
妻、嫡男の場合にも三年。伯父、叔父、兄弟、庶子の死には一年、親類縁者の場合は五ヵ月。
相手との親しさの程度を尺度として、期間の長短を親しさの程度と一致させたのであれば、妻と嫡
男の場合が、父親の場合と同じなのはうなずける。だが、相手の地位の高さを尺度とした場合、父母
が妻、嫡男と同格になり、伯父、叔父、宗兄(本家の嫡男)が庶子と同格になるのはどういうわけか。
まったく矛盾しているといわざるをえない。また、儒者の礼では、親が死ぬと、柏に納める前に、霊
魂を求めて、屋根に登ったり、井戸をのぞいたり、ネズミの穴を掻きまわしたり、水桶の中を探した
りする。死者の霊魂がそういう場所に隠れていると考えているのだとしたら、実にバカげた話である。
霊魂などないのを承知で探すのだとすれば、虚偽もはなはだしい。
妻を迎えるさいには、儒者は親迎の礼を行なう。黒の礼服を着こみ、花嫁の従者となって、車にのる
さい、紐(吊革のようなもの、単に乗るときこれに手をかける)を花嫁に渡してやり、みすがら手綱
をにざる。まるで子どもが親にかしずくようである。しかも、挙式となると、祖先をまつる儀式のよ
うに威儀をととのえる。
このように、儒者は上下の関係をさかさまにし、父母をないがしろにしている。父母が妻子なみに
扱われ、妻子が父母の座を侵しているのだ。これでも儒者は、親を大切にしているのであろうか。
儒者は、「妻は、祖先をまつる協力者であり、子は、宗廟の守り手である。だから妻と子を犬切にI
するのだ」と弁解する。だが、この弁解は成り立だない。
宗兄が、宗㈲を数十年にわたって守り続けたとしても、かれの死に対しては一年間しか喪に服さな
い。宗兄の妻に対しては、夫とともに宗廟を守るにもかかわらず、全然喪に服さない。ところが、自
分の妻と子が死ねば、三年間も喪に服する。してみれば、祖先をまつる協力者だからというのは、単
なる口実にすぎないのだ。妻子だけを特別あつかいにするというまちがいをおかしながら、その上さ
らにぬけぬけと「親しい者をmんじているのだ」などという。最も重んずべきものをないがしろにし・
て、私情を満足させているのだ。卑劣といわずしてなんといおう。
〈儒者の礼〉 儒家の考えでは、礼には二つの効用がある。一は人の情を節すること、二は人の情
を文ることである。そして、礼は人間相互の衝突を防ぐために差別を規定するものである。儒家
は周の礼をたっとんだ。ここに出てくる服喪期問、葬儀法などは、周代の儀式・法制をしるした
といわれる『儀礼』に細かく規定されてる。
〈親迎の礼〉 結婚の当日、新郎が新婦を迎えに行く儀式である。妻を娶る場合、納采、同名、納
吉、告期などを経て、最後に親迎の礼に至る。
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● 日中食品汚染 20 中国の食品汚染地図
【目次】
第1章 見えない食品の恐怖
第2章 中国の食品汚染
第3章 食品汚染のヒトへの影響
第4章 なぜ汚染連鎖が絶ちきれないのか
第5章 重金属汚染という新たな難題
第6章 日本の食品は安全といえるか
消費者と消費者行政
食品汚染というと消費″nはもっぱら被害者としてのみ扱われ、そのことに批判の余地は
ないかのように思われるのは日中間でも大きな差はない,。しかし良品汚染の連鎖を断ち切
るためには、結局は消費″nがその実態を白日の下にさらし、専門家とともにその原囚を探
ることが、まず求められるのではないだろうか『それには、1960年代に自動申の安全性
向Lにつとめ、…一…‥界の消費者運動をリードしたアメリカのラルフ・ネーダーのような
活動が市民運動として社会的に認知されることが必要だ。
、この運動は、消費者とメーカーやサービスを供給する側との相互の認知あるいは了解があ
ってこそはじめて効果的なものとなる。一方、供給側や当局が消費片の意思を敵撹するよう
な雰囲気があるところでは、こうした運動は反社会運動として、取締りの対象と化してしま
うおそれもある.、これでは、どんな消費者運動も不毛な争いの渦中に埋もれるしかなくな
る。
このような角度から中国の消費者を見た場合、これほどの食品汚染が起きているにもかか
わらず、ただじっと我慢をしているだけのように見受けられる。せいぜいのところ、隣近所
の井戸端会議でうわさ話をする程度で、解決のための何の展望も生まれてこない。いやだっ
たら買わなければいい、という売る側の横柄な態度さえ受け入れざるをえないのが現状だ。
代わりの店舗や人手方法がほかにないからだ,どこの小売店やスーパーにも残る売り手市
場意識に対する消費者の立場は、今なお弱い,
どの国でもそうだが消費者運動には、さきほど述べたような相互の認知状況が最初から備
わっていることはない。健康な生活や生きる価値を求めて立ち上がったり一ダーたちの人生
をかけた闘いが徐々に理解を広げ、社会全体の認知を受けて独り立ちしていくものだ。この
点、中国の消費者や市民は、当局が認めた組織や運動でない限り自由にならないハンディを
負っている,つまり、自由な消費者運動がそもそも許されない国なのだ。前述した「信訪」
だけが残された唯一の抵抗手段で、それも「信訪条例」が定めるきびしい規則に従った方法、
内容でなければ当局に受け取ってもらえないし、読んでももらえない。
当局や企業に集団で直接意見を申し述べることは本来禁止されている。最近各地で聞かれ
るようになった反土地収用、反公害、反原発建設などを目的に集まる一般の農民や巾民は、
必ずといっていいほど地元警官や警察が雇った、ならずもの集団によって排除されている。
反食品汚染運動はロコミで、
だから中国の消費者が食品汚染に反対して立ち上がり、農民や
食品加エメーカーを啓発していくなどということはほとんど期待できない。しかしそこまで
いかずともできる範囲内で行動を起こすことは可能なはずだ。中国の消費者はロコミやデマ
に本当に弱い体質がある,あれがうまいとなれば大挙しておしかけ、きらいとなれば4歳5
歳の子供まで動員して悪口を広める。2012年秋にみせた過激な反日暴動や日本製品の不
買運動は、トップから最末端までが一体となって起こした運動の典型例だった。
この体質を逆にいかした口コミ方式で、反食品汚染運動を起こせば、危険な食品を作り、
売る業界は、黙って聞き流すことはできないし、当局もきびしい対応を起こすはずだ。何と
いっても自身の健康を害することなのだから,そのためになすべきことは、消費者としての
学習だ。目本には「消費者教育の推進に関する法律一などというものまであって、消費者が
率先して学習することや、子供の頃から支援することを謳っている。
中国にはこのような法律はないが、消費者教育制度を求める声は少なくない。食品の製造・
流通を所管する国家工商行政管理総局や各地の消費者協会(1984年国務院が設置)が、
最近、食品問題に関心を示すようになったことは歓迎すべきことだ。だが、これらの組織や
行動は、消費者運動が反社会運動につながらないよう管理する役割の方が強い,ということ
は、逆に消費者が食品汚染問題について危機感を強めている証左でもある。
消費者運動に限らず、民間が取り組む組織的な運動すべてが反政府運動と取り違えられて
しまう国で、普通の消費者が純粋な消費者運動を行うことは不可能である。そして、現に存
在する消費者運動らしいものは当局の強い管理下におかれている。こうした現状は、農産物
を作り、加工する食品加エメーカーにとっては都合がいいだろうが、それを輸入する国の消
費者にとっては望ましいことではない。
食品添加物大国・中国
では、汚染の構造を解きあかすため、次に食品添加物について触れよう。すでに述べたこ
とは省き、ここでは実際にどのような食品添加物が使われているのか、危険性はどうなのか
を中心に見ていく,
中国で許可されている食品添加物は日本同様、防腐剤、酸化防止剤、着色料、漂白剤、膨
張剤、香料、うまみ剤、保水剤、栄養強化剤などに分類されている。この分類ごとおよび使
用食品ごとに使用量が決められており、たとえばビタミンAはコメーキログラム当たり60
0~1200マイクログラム、粉ミルクは同じく2000~1万マイクログラムなどとい
うように定められている。
p-ヒドロキシ安息香酸メチル
コメにはビタミンAのほか一定量のB1、B2、ミナイアシン、葉酸、カルシウム、亜
ナマリ、セレン、リシン(コメに含有が少ないアミノ酸)などを添加していいことになっ
ている。なぜコメにこうしたビタミン剤を混ぜる必要があるのか理解に苦しむが、コメだ
けでなく、万事がこういう状態なのだ。「p-ヒドロキシ安息香酸」は発ガン性が疑われ
る物質を含む食品添加物だが、醤油、食用油、果汁、酢、炒めもの肉類など、広範に使用
が許可されている。
これらの食品添加物は、輸入される味付け惣菜順に添加されている可能性もある。許可
添加物の中にはこれと似たものが多数含まれていることは想像にかたくない。しかしこれ
らは政府が使用許可している食品添加物であることから、民間の業者が安全基準内で使用
しているかどうかについては、少なくとも技術的には確認しやすい。
摘発された危険添加物
だが、使用が許可されている食品添加物のほかに、多数の違法な食品添加物が巷に氾濫
している。違法添加物となると、そもそも検査の対象項目にないものなので、実際に使用
されていたにしても発見する手立てが非常に限られている。極端なことをいうと、あらゆ
る危険物質を調べない限り、危険で違法な物質が食品添加物として使用されているかどう
かは正確にはわからないのだ。
氷山の一角にすぎないが、現在、当局の捜査によってつぎの500種類の違法添加物が摘
発されている,
ホルムアルデヒド、スーダン紅(染料)、アストラゾンオレンジ(染料)、黄色塊(染
料)、精子蛋白質、メラミン、ホウ酸、チオシアン酸ナトリウム、ローズレッドB、アル
カリ性黄色、工業用ホルムアルデヒド、工業用苛性ソーダ、一酸化炭素、硫化物、工業用
硫黄、工業用染料、ケシ、革の加水分解物、臭素酸カリウム、β-ラクタマーゼ(ハクモ
クレン酵素)、フマル酸ジメチル、廃棄食用油、工業用鉱物油、工業用ゼラチン、工業用
アルコール、ジクロルボス、毛髪水、工業用酢酸、クレンブテロール、ラクトパミン、ニ
トロフラン薬、ゼラノール、抗生物質かす、鎮静剤、蛍光増白物質、工業用塩化マグネシ
ウム、リン化アルミニウム、漂白剤、充填剤、アシッドオレンジH、クロラムフェニコー
ル、キノロン、水ガラス、マラカイトグリーン、メテナミン、ペンタクロロフェノール、
オラキンドックス、ベーシックイエロー、スルフアメタジン、トリクロルホン。 これら
は中国語を翻訳したものだが、専門用語なので日本語として適切でないものもあるかもし
れない。
つぎに日本が輸入しているか、加工食品原材料として使っている可能性の高い食品に、
どのような違法食品添加物が使われているのか、その一例を挙げる。
違法着色料:漬物、冷凍果物、パスタ、ワイン、違法乳化剤‥月餅、パスタ
違法防腐剤:パスタ、月餅、冷凍果物、漬物
違法汁:味剤:漬物、パスタ、月餅、菓子
違法漂白剤(硫黄):万頭
違法光沢剤:菓子
違法保水剤‥菓子
違法膨張剤‥菓子、油条(中国風揚げパン)
違法補色剤‥肉製品
二酸化鉄∵小麦粉
タルカムバウグー‥小麦粉
硫酸鉄‥臭豆腐
硫酸銅‥乾燥野菜
また飼料添加物も要注意だ。使用が許可されているもの以外に、違法な成長ホルモン剤
や違法抗生物質が流通している。
タイロシン、バシトラシン、マクロライド、ポリペプチド、リスチン、エンラマイシン、
アボパルシン、フラボマイシンン、オキシテトラサイクリン、サリノマイシン、モネンシ
ン、アミノグリコシド、コクロルテトラサイクリン、ハイグロマイシンBな 以上は飼料
添加物として許可されている抗生物質だが、種類も多く、中には日本の製薬会社が開発し
たものもある。当然、抗生物質のすべてが悪いわけではない。しかし、牛や豚の病気を治
すために一時的に使用するならともかく、長期間飼料に添加されると残留分がやがて人間
の体内に入り込む危険性がある,
食品添加物は日々増え、改良され続けている,需要に応じて、また一方で需要を作り出
すために。以下はその背景だ。
①激しさを増す食品加エメーカー間の競争で生き残り、あるいは一層優位にを立つため
(加工費用と加工時間の短縮に有効なため/ミクロ的要求)
②加工食品に良い他品種大量生産のため(マクロ的要求)
③食品・食品が食品モジュール化によって一層桐分化しているため(マクロ・ミクロ的.
要求)
④食のグローバル化による食品添加物の政府間相互承認のため(国際的要求)
このままでは、食品添加物は増加の一途をたどる可能性がある。食品安全問題はコーデ
ックス委員会の仕事であるにもかかわらず世界中に増え続ける食品添加物を規制する動き
は、ほとんど確認されていない。危険な食品添加物を規制するにはメーカーの自主性と良
心に、安全を守るには消費者.人ひとりの判断と行動に期待するしかないのだろうか?
水売り商売
何度も触れてきた水汚染だが、ここではその問題が農村に悪循環を及ぼしている例を上
げる。
黄河の総延長は5464キロメートル、長江についで中国第2の大河だ。この川の源流
は、チベット族が羊やヤク(毛深い大を大きくしたような牛の.腫)を飼う標高約450
0メートルの平原や湖、中小の河川が散在する西海省『三江源』である。
2011年7月、わたしは同原3人と約10日問、碕河源流地帯に住むチベット族の牧畜
や水環境調査をするため現地を訪れた。中国の研究者も含め、ひとりに付き大小合わせて
3本の酸素ボンベ、食料とテント、寝袋などをパジェロとランドクルーザーに積み込んだ
大所帯の旅だ。青海省の省都西寧巾から菜の花が二面に咲く青海湖畔を抜け、山岳道路を
走り、三江源でチベット族の話を聞き、最後の目的地は四川地震の肢害が残る辺境、玉樹
チベット族自治州に行くことだった。青い草と、はるか遠方にコメ粒のような羊の群れ以
外は見えない大平原を走っていくと、あの濁った黄河につながっているとは思えない神秘
的な美しさをたたえた水源にたどり着いた。
その美しい水も大河に流れ込んでくる問に汚染される,北に向かって大きく蛇行して院
西省・西安に近づいてくるに従って汚染は深刻になる,西安はその昔、長安と呼ぱれ唐の
時代の作目部だったところだ.
わたしは黄河に近い農村地帯へ向かい、農家の庭先で水売り商売をしている李東栄(仮
名)に出会った。李は45歳で、水売り商売のかたわら、肥料や農薬などの農業資材を農民
に売る什事や大手保険会社の代理店業務をして生活をしている。自然を相手にする農民の
顔は表情に曇りがなく、笑顔が素直なのが特徴だが、そういった風情が李の顔からは感じ
られなかった。とはいえ、どちらかというと人柄のよさそうな顔つきの男だ。彼の家の庭
先に腰を掛けて話を聞いた。周りは一面トウモロコシ畑で、そのための井戸を掘って、農
民に売ることが彼の主な仕事だという。
「このあたりは水の豊富なところだったが、10年ほど前から不足するようになった。わ
たしは農民に農薬を売ってきたのでこの地方のことは良く知っている。そこで、水を売る
ことを考えたのさ」
左手に強そうなタバコをはさみながら、彼はいった。
この辺では井戸を掘るのは自由なのだろうか。
「本当は県政府の許可がいるが、商売仲間はみな無許可で掘っている。自分の井戸は掘る
のに1万元かかった。誰もができることではない,経済的なカがある者だけが掘れるのだ」
農村地帯の農業用水は県の水利庁が管理するが、この地方では、他の地方にはあまりない
農民の水利組合が水の配分の調整などを担っている。彼はその水利組合の幹部とうまくや
っているのに違いない。
李は「200から300メートル掘らないと水は出ないよ」と何事もなさそうにいう。
しかも、「あまりにも地ドが深いので、塩害が出るんだよ」というではないか。地下水位
の低下は中国全体の問題で、このために全国的に地盤沈下が進行している。農村ばかりで
なく、都巾でも地盤沈下は深刻で、北京、上海は海抜ゼロメートルの場所も多いという。
塩害が出るような場所の水で、農業には影響ないのかと聞くと、「この水以外に、代わり
になる水はないよ。農民は皆、良くないと思っていてもこの水しかないのだ」という。
わたしと一緒に村を歩いている院生も驚きながら、では水はちゃんと出るのかと聞いて
いる。
「今のところは大丈夫だ。しかし、何年かすると、もっと深い井戸を掘ることになるかも
しれない」というではないか。わたしは、おそらく地下水が枯渇する日もそう遠くはない
のはないかと思う,そういう場所が中国の西部には少なくない,映西省の隣、甘粛省の農
村を歩いてみるとわかるが、昔は生きていたにちがいない河や小川の跡が露出している。
このあたりの農業用水はすべて、井戸の水を使う井戸漂流だ。以前は河から引いた水を、
農村地帯を血管のように細かく張り巡らせた用水路に流したものだが、今は河から取った
水ではなく片口水に代わったのだ。
「流ほが減ったので河の水が取水ロよりも下がってしまったのだ。そのために河から水を
取れなくなったのだよ」
この項つづく
【ひとりだけの料理Ⅰ:粉末茶】
月命日や法要が多くなり、お香、線香、蝋燭、粉末茶が残るようになり、毎朝、目を覚ますと、般若心
経を唱えお勤め、ティファールで湯を沸かし、小さじ1、熱湯160グラムを注ぎ頂くことが定着して
いる。元来声が大きいのでご近所迷惑は承知の上、抹香臭い成果とパターンを送る。どうれじゃという
わけだけではないが、「ひとりメシ」?とはどこかで聴いたような――サラメシだったか――腕により
をかけ創作掲載することにする。今朝は緑茶カテキンが効いた「粉末茶」を取り上げた。
● マスコミ二ケーションでなくディスコミニケーション
この言葉の発信者は吉本隆明である。TPPやアベノミなどのマスコの質は急速に低下してから随分と
なる。国家官僚の言葉を「茶坊主」ように流し続けてひさしく、国民は「ロストスコア」で貧困と格差
の拡大で苦しんできた。いままた、千頁にも亘るTPPの詳細議事録が翻訳されずに、「要約文」のみ
が垂れ流されているのである。また、中東情勢では、テロ国家の頭目と直に話し合うことなく、問答無
用とばかりに空爆やミサイル攻撃を行っている。もし「墨子」が生きていたなら、即刻、彼ならばその
頭目たちと直接交渉しに出かけていただろうとわたし(たち)は考える。「媒体」はいらない。必要な
のは「直談判」なのだと、そのように考えているが「覆水盆に返らず」である。如何に?!