くらぶとろぴか

きもちはいつもシパダンの海の中。シパダンとコタキナバル旅の備忘録、ときどき弾丸、そしてホームワークアウトおたく。

Pulau Weh 1日め

2009-01-23 22:52:17 |  旅行
ウェーの港、バロハンに降り立つと、男たちが、どこへ行くのか聞いてくる。
「ギャパンにまっすぐ行きたい!」と言うと、「ガパンね」と言われた。
ここではじめてGAPANはガパンと発音することを知った。考えてみれば、バハサではGAはギャではなくガだった。

このガパンに「ルンバルンバ・ダイビング&リビング」という、今回利用するダイビングサービスと宿泊施設があるのだ。港からガパンにゆくには、まずミニバスで15分離れたサバンという町へゆき(10,000ルピア)、サバンからミニバス(50,000ルピア)やタクシー(150,000~200,000ルピア)45分でガパンに行くというのが一般的らしい。ただ、ルンバルンバのホームページによれば、午後のフェリーで着いても、ミニバスのサービスはあまりないので、タクシーか、ミニバスをチャーターすることになるらしい。ややこしい。

男に何人いるかとたずねられ、「さとぅおらんさはじゃ(ひとりだけ)」と答えると、一瞬難色を示された。横には白人ですでにいっぱいになったミニバス。これに乗り込むのは確かに無理だ。しかしバスの天井に荷物を積んでいたドライバーが「のーぷろぶれむ。ゆーきゃんごー!」と手招き。行ってみると最後部右側に1つだけスペースが残っていた。「ガパンまでいくら?」と聞くと、50,000ルピアだった。あー、安くあがってよかった。

このプロウ・ウェーの港からガパンビーチへの移動が今回の旅の一番の難所ではないかと思ってたが、案ずるより生むが易し、ってやつだ。

港を出るとすぐに田舎の道になる。ミニバスの中には10人+かわいすぎるドイツ人の1乳幼児がいた。窓から流れる景色は、東南アジアのいなかのイメージそのもの。島の雰囲気はいっぺんで気に入ってしまった。水田、点在する民家、サッカーではなくバレーボールに興じる若者たち、ときどき見える海、牛、ヤギファミリー、にわとり。でもここの牛は、小走りになっていたし、ヤギファミリーもはや足、にわとりはかけまわりで、バリやアチェのやつらより活発だ。

起伏の多い、カーブ続きの道をミニバスはクラクション鳴らしっぱなしの猛スピードで走る。15分ほど走ったところでミニバスは止まった。まだ早いぞと思いつつ降りてみると、道の下にシャレーが何棟か見える。見上げれば椰子の木。



ここで8人+1乳幼児が降りた。ドライバーに「ルンバルンバはどこ?」と聞くと、「ルンバルンバはここから1時間!」といわれた。ミニバスの乗客は、感じのよいオージーの女性と私のふたりだけのガラガラになった。ミニバスが再び出発し10分ほど走ると、別のミニバスというか、キジャン・カー(トヨタがインドネシアむけに売っていた車)と合流した。キジャンにはガパンへむかうマレーシア人2人と白人のおやじ1人が乗っていたので、われわれミニバス組がキジャンへ移動することになった。



ウェーの道路はきちんと舗装されている部分が多くて概ね良好。地形も変化にとんでいて、落石注意みたいな場所もあった。大部分はココナッツやバナナの木が生い茂る道だが、標高が高くなるにつれ植物層がどんどんかわっていくのもおもしろい。高台を走ると、ところどころで眼下に広がる海がとても美しい。いちばん標高の高いところに到達すると、道路が補修中で、そこだけガタガタだった。砂利がひいてあるだけで、さらに急勾配なのでスピードも出ない場所が10分ほど続く。再び下りにはいると、道はまたよく舗装されており、あとは下り一辺倒。そして車は止まり、「ルンバルンバはこの下だよ」と言われて私だけが降りる。他の人々は、さらに先までゆくらしい。

さて、無事にガパンビーチに着いたものの、まず待っているのは石ころだらけの砂の斜面。そのあと海岸を50メートルほど歩くんだそーだ。ダイビング器材の入ったスーツケースを手に、気合いを入れて斜面を少し下りビーチに出ると、レストランやほかのダイビングサービスの人々が、「うぇるかむとぅーぷらううぇー」と声をかけてくれる。このビーチを自力で荷物運ぶ、これが今回の旅での最大の難所だなぁ、と思った。帰りのことを考えると、早くも憂鬱になる。

ルンバルンバの前に到達すると、中から白人女性が出て来た。ダイビングのリリースフォームとゲストカードに個人情報を記すと、COOLなイギリス人の女の子がリゾートのブリーフィングをしてくれた。ダイビング器材だけ取り出すと、さっそくローカルスタッフが器材をバスケットに回収して持っていってくれた。残る荷物はイングリッシュガールが手伝ってくれながら、部屋へ運ぶ。

もらったコテージ、No4はダイブステーションのすぐ裏。ダイビングサービスの裏口&トイレビュー。ダイビングに行くには便利な場所だ。他の部屋も、いずれにしても海やビーチがきれいに臨めるわけではなさそうで、ビューはいまいち。イングリッシュガールが、部屋の説明もこまごまとしてくれる。水が止まったら、インドネシアならではのマンディを使って、とか、停電したときのためにロウソクがここにあるわ、とか。ここなら部屋でワイヤレスもつながるわ、とそのあと、パスワードを持ってきてくれた。

そうこうするうちに日が暮れてきた。シャワーを浴び、ディナーにレストランを探そうと外へ出ると、真っ暗だ。今は新月に近いので、月明かりもない。ミニバスで着いたとき、ビーチで何件かレストランを見たので、きょう歩いてきた方向に行ってみようと暗闇を歩く。いちばんサービスから離れた位置にあるコテージのバルコニーでリラックスしていた白人カップルに、「ハ~イ!ビーチに出たいの?」と聞かれたので、「いぇ~す」と答えると、「そこは歩けないわよ、水が来てるから」、と言われた。「ご忠告ありがとう。」と、また自分のコテージのところまで戻る。ビーチと、ルンバルンバのコテージの間は、湿地帯のようになっていて、そこをつっきってビーチには出られなくなっていた。ダイビングサービスの建物を通ってビーチに出るか、斜面をあがっていちど車道に出てビーチに下りるかだ。夜は昔のシパダンみたく、水中ライト持っていないと、歩き回れない感じだ。しかし、シパダンのナイトダイビングの思い出を胸に、ナイトを封印した私には水中ライトがない。鳥目で万事休すなので、ルンバルンバのすぐ隣のレストランに行った。

ルンバルンバの部屋に備えつけられていた「Welcome to Lumba Lumba Diving」という、ダイブショップ、コテージ、ビーチについて案内したファイルによれば、この店は、「ダンダンナ」というのかな?薄暗い灯りがついている店の中に入ると、メニューはけっこう豊富にある。バリで毎日のようにナシ・チャンプルーかミーゴレンに偏っていたので、今日はチャプチャイとライスのセット25,000ルピアにしよう。アチェコーヒー5000ルピアとともに。

他にお客はいなかったが、ずいぶん長いこと食事は出てこなかった。別に急ぐこともないが、蚊との戦いがつらかった・・・。味はおいしくもまずくもなく。ライスはお米の精米がよくない。アチェコーヒーは、土っぽい感じで、苦味の中にかすかな甘みも感じられる、不思議な風味だった。メインランドであるバンダアチェから離れた島、しかもその島の中心からも離れたこのビーチでは、はるか町から物資を運んでくる関係だろうか、食べ物が高い。バリ値段がしみついていたので、なんでこの質素な食事にこんなに?と思ってしまった。

レストランを出ると、ますます真っ暗。瞳孔は最大限に開いた状態で、自分のコテージへと戻った。ベッドのリーディングライトをつけたまま出かけていたら、ランプの真下を中心に、ベッドにたくさん小さい虫が落ちている。いらっ。あー、自然豊かなだけに、虫が多い。部屋の壁にはゲッコがたくさん止まっている。ゲッコーは平気だけど、虫はいやだ。これから毎日虫かぁ、とテンションがさがりはじめてきた。

ワイヤレスはちゃんとつながるが、かなり遅い。そしてこうしてブログを書いていると、ラップトップの画面にも虫が飛んでくる。

明日は9時半にダイブステーションに行けばいいらしいから、ずいぶんゆっくりできる。おやすみなさい。

バンダアチェ

2009-01-23 22:40:56 |  旅行
メダンからバンダアチェの飛行時間はたったの50分。
アチェに着いたら、空港はメダンなみにうざいんだろうか、タクシーでちゃんと港までたどりつけるかなぁと、あれこれ考えていた。
めざすプロゥ・ウェーへの船は、バンダアチェから車で約35分のウレレという港から出るが、そのウレレひとつにしたって、ロンリープラネットには「Uleh- Leh」、ルンバルンバからのメールには「Uleh Lhue」、エルメスというホテルのサイトでは「Ulee Lheue」と書かれている。一体どれが正しいの?音的には変わらない気がするが、こうしたささいなことも気になってくる。読みはウレレで本当にいいんだろうか、タクシードライバーにちゃんと目的地を伝えられるように、紙切れに「ulee leh」と書いたりしているうちに、スナックが出てきた。多くの航空会社が、近距離国内線のミールサービスを廃止しているのに、ガルーダインドネシアは今でもサービスするんだとびっくりした。



プロゥ・ウェーのあるナングル・アチェ・ダルサラム州は、外務省の危険情報で、今も「渡航の是非を検討してください」とされている。数年前までインドネシアからの分離独立を求めるGAM(自由アチェ運動)なる武装組織が30年にわたり紛争を繰り広げてきていた地域だ。2004年12月26日のスマトラ島沖地震によるアチェの壊滅的被害を契機に、アチェの人々は戦うことよりもアチェの再建をめざし、GAMとインドネシア政府の間に和平合意が結ばれたのが、まだ2005年8月のこと。その後和平プロセスは進行しているものの、まだまだ政情が安定しているとはいえず、ロンリープラネットもアチェのよさを強調する一方、アチェを旅するならば、常に情勢をモニターするようにと警告している。実際には、アチェと同じ危険度がシパダンのある「サバ州東側の島嶼部及び周辺海域」にもいまだ継続で発出されていて、私はシパダンには普通に通っているわりには、アチェは未知の場所、津波での惨状の記憶がなまなましいだけに、一抹の不安がある。

バンダアチェ着陸態勢にはいると、飛行機から見えるアチェは、起伏の少ない緑の大地。椰子の木や水田の広がる平和な光景とすがすがしい緑にほっとする。滑走路の横も水田。



空港の名前は「スルタン・イスカンダル・ムダ空港」という。空港の建物のある側は、なんだか無機質な感じ。



飛行機は沖止め(ボーディングブリッジの設備がないのかも)、タラップを降りるとバスで空港ビルまで移動だ。バスの中でガルーダの職員同士が、「38人しか乗っていない。」と話しているのが聞こえたが、乗客が少ないだけに荷物もさっさと出てきた。メダンのこともあり、キッとなって出て行くと、出口で男たちが外国人には必ず「Pulau Weh?」とたずねている。私ももれなくたずねられ、港の名前を告げる必要なんてなかった。値段を尋ねると「100,000ルピア。」ダイビングサービスから聞いていた値段、ロンリープラネットに書いてあった値段と同じなので一安心。

空港を出発して通りに出ると、青々とした水田が続く。田んぼには牛がごろっとしていたり、ガチョウが歩いていたり、見ていてなごむ景色だ。そしてバナナに椰子の木。東南アジアの田舎によくある景色だが、確かにラオスもカンボジアもタイも忘れることができそうなものがある。ただ民家や商店が軒を連ねるエリアに入っても、何か違和感がある。ゴーストタウンのようなのだ。すでに日にちと曜日の感覚を失っていたが、きょうは金曜日。ムスリムたちはお休みだからか・・・。

港に近づくにつれ、建築中の家、明らかに津波でダメージをうけた橋などがあり、スマトラ沖大地震の爪痕はまだまだ残っている。
フェリー乗り場の建物が見えてくると、そのあたりの道はまだちゃんと舗装されていなくて、砂利道でガタガタ。はるか前方には、バイクにサイドカーつきのボロい乗り物が、激しくガタガタ、のろのろと走っていくのが見えた。あれはきっと安いに違いない。私もあれでいいのに、なんて思いながら、こちらも極端にスピードが落ちガタガタ。数分の振動ののち無事港につき、運賃は当初の約束どおり100,000ルピアだった。



チケットうりばにゆくと、高速船には席が3種類あった。ロンリープラネットには60,000ルピアと70,000ルピアの席があるようなことが書いてあったが、エコノミー55,000ルピアとなっている。ガイドブックの情報より高く払わなくてはならないことは世の常だが、安いってのも珍しい。乗船時間が50分しかないのだから、いちばん安いエアコンなしの「エコノミー」でじゅうぶん。他の料金など見もせず、売り場のお兄さんに「えこのみー、さとぅおらん(ひとり)」と告げる。お兄さんに「名前をここに書いてください。」とメモを差し出される。ファーストネームだけ書くと、それを見てお兄さんがチケットに乗客の名前を書き込む。乗船券だけぽっと渡すのではなく、ちゃんとチケットには乗客名、目的地、日付、時間、料金、荷物重量(20キロが制限らしい)が手書きされる。このマニュアルっぽいところがまたなごむ。




時間はまだ14時をまわったところ、高速船エクスプレス・バハリ号(EXPRESS BAHARI)の出発は16時で、2時間弱ある。待合室に入ると人影もまばら。アチェではスマトラコーヒーが飲みたいと思ったので、待合室内にある売店の女の子に「コピはある?」とたずねたら、「ないわ」という返事。残念。ミネラルウォーターを買って無意味にiPhoneをいじってみたりするが、ワイヤレスは来ていない。退屈なので、待合室のまわりを一周することにした。

待合室を背に、タクシーでやってきた方向を見ると、殺風景な感じがする。おそらくこのあたりは津波の被害で再建されてから年月が浅いからだろう。でも、小鳥はやってくるし、無数のトンボが激しく飛び回っているし、自然は感じられる。



ダイビングサービスからのメールで、港で軽食がとれるようなことが書いてあったので、待合室の売店のパンやお菓子のことかな、と思っていたら、外には簡単なレストランがあった。おなかはいっぱいだし、すっかりスマトラコーヒーのことは忘れ、近寄らなかった。



トイレも待合室の外にあり、行っておこうと思うが、チップ制で1000ルピア必要だ。1000ルピア紙幣を持っていなかったので、無理と思いつつも、トイレもりのおばさんに5000ルピア見せて「おつりないよね」と聞くと、やはりないとのこと。コインが合計600ルピアあったにで、これでお願い、といったらにこやかに入れてくれた。トゥリマカシ。

海側には、これから乗るエクスプレス・バハリ号が泊まっている。




結局、ウレレ港散策は、ものの5分で終わってしまい、また待合室へ戻る。ケータイのアラームをセットして、少し眠ろうと思うが、眠くならない。1時間ほどぼーっとしていると、乗船時刻にはまだあるのに、突然警笛が鳴った。外国人は皆きょろきょろ。私も外国人なのできょろきょろ。何人かのローカルが、船にむかって歩いてゆくのが見えた。外で待ってもいいかなと思い、私も荷物を持って乗り場に向かう。外国人たちもそれを見て動き始める。まだ乗れないものと思っていたが、乗り場の手前でさっそく切符の一部をもぎられた。乗船は40分前に開始のようだ。乗船口で再度チケットを見せると上に行くように言われる。荷物をあげるのが面倒くさい。乗船口横の客室は扉が閉まっていてエアコンキンキンの様子。階段を数段昇ると、右手には扉の閉まったエアコンのきいた席。左手はドアが全開、そちらがエアコンなしのエコノミーなのだ。




あまり人が乗り込んでこないので、がらがらのまま出発するのかな、と思っていたら、出発10分前になって、洋の東西を問わず人がぞくぞくと乗ってきた。結局ほとんど席が埋まった。

船は定刻16時に出発した。客室の前方にはいちおうカフェと書かれたブースがある。ローカルはこの売店でよく買う。皆、半透明のピンクやグリーンのプラスチックのコップを手にいそいそと戻ってくる。液体の色から、ミルクと砂糖がどっさり入ったコーヒーだろう。船のゆれにそなえてか、コップの半分くらいしか入っていない。前方にはテレビもあるが、ウレレを離れるにつれどんどん写りが悪くなっていく。船は揺れも少なく、エアコンがなくたって窓から入る風でじゅうぶん。途中で、クルーが、もう一度チケットの確認に来る。けっこう用心深いなあ。バンダアチェを出るときは雲が多かったが、やがて西に傾き始めた太陽で金色がかったウェーがくっきりと見えてきた。緑に包まれた島のところところが、地すべり後のようにえぐれているところがある。津波のあとなんだろうか。50分もかからず船はウェーに到着した。

メダンでトランジット

2009-01-23 22:36:40 |  旅行
スマトラ島上陸
シンガポールからのシルクエアーがメダン・ポロニア空港への着陸態勢にはいると、眼下には緑の大地。だけどガスっていてぼんやりしている。やがて町が見えてきた。ずいぶんと大きな町だ。ポロニア空港は住宅街エリアにあって、さらに滑走路の使える部分が短いこと、近くに山があることで、着陸が難しいというのを思い出した。ポロニア空港の乗り継ぎ情報を求めて、ネットでいろいろ調べているうちに、ここ30年で4回ものクラッシュがあったことを知った。ロケーション自体が空港にふさわしくないということで、近く新空港に移転するらしい。なんとなくやだな、と思いながら無事着陸。

メダンはマトラの州都だ。地球の歩き方に、メダンはインドネシアでいちばん危険な町ともいわれると書かれていたので、乗り継ぎだけでもテンパってみる。


インドネシア入国・メダン編


イミグレーションの入り口で、まず黒ラブチェックを受ける。飛行機は満席だったのに、VISA ON ARRIVALの窓口は人影もまばら。シンガポリアンはインドネシアのビザはいらないから、到着ビザに並ぶ人達は数名といったとこころだった。ビザ代を払うところとビザ発給の窓口が隣り合わせの別室になっているが、あっという間に手続き完了。外国人パスポートのところもすいていて、入国手続きもスムーズ。

手荷物受け取り所はターンテーブルになっておらず、1本のコンベアーで流れてくるタイプ。私の荷物はすでに出てきていた。ポーターはたくさんいるが、ノーサンキューと言えば、ゆく道を阻まれることもなかった。税関は申告書だけ受け取るとだけで、なんのチェックもなくするするっと抜けられた。


いんちきポーター・メダン編
税関を抜けたところで時計はまだ8時をまわって少々。バンダアチェゆきのガルーダのフライトまで約4時間ある。早すぎてチェックインはオープンしていないかもしれないが、とりあえず国内線ターミナルにさっさと移動してしまいたい。外に出ると、さっそくわっとタクシーの客引きが集まって来た。みんな荷物を運ぼうとするので、ノーサンキューの一点張りで歩き続ける。みんな私が市内に出ると思っているようなので、「とらんすふぁーおんりー!」を連呼。するとだいぶ人が減った。「国内線ターミナルはどっち?両替所はどこにある?」と聞くと、「国内線はあっち、両替所は中だよ。」といわれた。一人のおじさんが両替所こっち、と荷物を手伝おうとするので、「荷物は自分で運ぶからほっといて。」と言うと、笑って「ここはそんな心配しなくていいから。」と言う。もちろん、引き続き猜疑心のかたまりでゆく。この空港は、両替所は外になく、税関通過前にすませる仕組みになっているようだ。おじさんが両替所を外からノックすると、愛想も態度もよくない両替所のお姉ちゃんが裏から中に入れてくれた。100ドル紙幣を出して、50ドル分だけ替えたいというと、お姉ちゃんはむっつりしたままさっさと替えてくれた。レートはバリよりずっと悪い。そしておねえちゃんはむっつり顔のまま、「気をつけて」と言ってくれた。さて両替所を出ると、ここまで連れて来てくれたおじさんはもういなくなっていた。そしてまた新たなる客引きたちが「タクシー?」と言いながらわらわらっとやって来た。同じことの繰り返し。国内線にゆくだけなので、用はないというと「バンダアチェだね。まだ時間があるから、出発まで30ドルでメダン観光はどう?」と言ってくる。市内に出るつもりも、観光するつもりも、そのお金もないと断る。ひたすら「NO」と、「Tidak mahu」をおうむのように言い続ける。ひとりの中年が「国内線まで案内してあげるよ。」と言うので、「あっちに歩くだけなんだから、ノーサンキュー!」と言い捨てるが、勝手に人からスーツケースを奪い、しかもあっという間に肩にかついでしまった。「最初に言っておくけれど、私は頼んでいないんだし、そうやって荷物を運んだって、あんたに払うお金は一円もない。荷物を即刻返しなさい。」と引導を渡す。インドネシアの空港のいんちき職員や悪質ポーターについて十分心得てるということをはっきりと伝える。「心配いりません、僕は空港で働いている者です。メダンに来てくれた人を助けたい。」などと言ってる。そのわりには二言目には市内観光30ドル、ホテルロビーでのお茶が20ドルと言ってくるので、絶対金をとろうとしているのは明白。とにかく荷物を返せと言っているうちに、5、6分で国内線に着いてしまった。「じゃ、どうもわざわざありがとう。」と荷物を返すように言うと、「ここは待つのにナイスな場所じゃないから、観光はしなくてもメダンのホテルで出発まで20ドルでお茶はどうですか。」「私はここで時間をつぶすから結構です。」それならチェックインをした方がいいでしょう、とそのままチェックインカウンターに行って、チェックインをする。ボーディングパスをもたせておくとロクなことはなさそうと思ったので、「ボーディングパスはこっちにください。」とボーディングパスをさっさと奪いとる。さて荷物も流れていったし身軽になった。ここでまた、「まだ時間がありますから観光はどうですか?ホテルのロビーでお茶はどうですか?」としつこいのと、さすがに5、6分21キロかついできたので、金で解決できるものは金で解決したい。チップでお引取り願おうと30,000ルピア出すと、「それは受け取れません。僕らは空港で働いていますが、退屈なので、好意で手伝ってるだけです。」と固辞する。嘘くさい。「町に出ないのでしたら、出発まで、空港内のドリンクやスナックがとれるところで待ちたいですか?」という。はたしてそんなラウンジ的なものが、ここにあるのだろうか?「そんな場所がここにあるの?」と聞き返すと「15ドルです。」ときた。「いりません。いろいろどうもありがとう。私はここで時間をつぶすから、もう戻ってください。」すると「それでは僕に20ドル払ってください。」そら来た。「なんであんたに20ドル?」「ここでお手伝いをした場合、オフイスに支払う取り決めになっているのです。」なんでカフェで飲食して15ドルが、飲食もなしに20ドルに値上がりするのか、おかしくなってしまった。「20ドルなんて持っていません。」「では、何札ならありますか。日本円、ルピア。」「円だろーがドルだろーが、ルピアだろーが、あんたに払う金はないとさっきから言ってるじゃない。ま、ここまで手伝ってくれたから、チップはあげるから、それでもう消えてちょーだい。」とまくしたてたら、「チップはいくらもらえますか?」「20,000だけ。」なぜ2万かというと、バリに着いた時にもらったバリチリの情報に、人に荷物を運んでもらったり、何かをお願いしたときには1万ルピアとあったのだ。実質距離が長かったのと、円高だから3万という考えだったのだが、やはりインチキだったので、2万に減らすことにしたのだ。本当はこいつが勝手に運んだのであり、私は頼んでいないので、払うべきではないのかもしれない。こういうふうに小額でも何らか払ってしまうのが、こいつらをつけあがらせる原因でよくないな、と思いつつも、とにかくさっさとこいつに視界から消えてほしい。すると「青いルピアが欲しいです。」と言い出す。50,000ルピアのことだ。「だめ。あんたは嘘つきだから20,000ルピアだけ。」と20,000つかませて、相手が呆然としてる間に「トゥリマカシあんどバイバイ」と立ち去った。最初に黙って30,000ルピアもらっとけばよかったのに、バーカと言ってやりたかった。インドネシアは、このポーターと、必ずおなかをこわすのがいやだ。


これでうっとおしいやつが消え、搭乗時刻まで約3時間半。出発ホールにすすむにはさすがに早いので、店を片っ端からひやかした。



インターナショナルな店はダンキンドーナッツがあるだけで、あとは全部ローカルなお店。ここまで来てダンキンでもないな、と思う。お店のほとんどはお菓子や新聞を売る店だ。まず小さな店でクエ(お菓子)を買う。パンダンリーフの生地に、ココナッツフレークを黒糖で味付けしたマレーシアでもよくあるお菓子。とてもおいしい。そのあと別の店へコピ(コーヒー)を飲みに入る。ここはスマトラ。スマトラコーヒーを期待していったが、なんとネスカフェしかなかった。それでも時間つぶしには、まあいいや。

どの店も20センチ角くらいのレイヤーケーキを売っていて、買っていけとうるさい。ひとり旅で食べきれないから無理というと、ハーフサイズに切ってあげると積極的だ。試食でもさせてくれたら買ってしまったかもしれないが試食はない。でも見ていると飛ぶように売れてゆく。きっとおいしいのだろう。ローカルの人々は、ダンボールに何箱かケーキを買っていくほどだ。店の人はケーキの箱が売れると、またどんどん補充していく。すばらしい売れ行きだ。

それから1時間半ほどローカルに混じって、ベンチに座ってぼーっとしていたが、エアコンもなく蒸し暑い。しケーキ販売事情をながめているのにも飽きてきたので、中に入って待つことにした。インドネシアは、今でも国内線の出発税を、空港で支払わなければならない。25,000ルピア。金額は小さいが、トイレにはトイレットペーパーないし、どうして税金がとれようと思う空港だ。



国内線の出発エリアはだだっぴろい。聞いたことのない名前のエアラインが次から次へと出発していく。どの便も、ボーディングタイムになると、ゲートには人がたくさん並んでいた。アナウンスはインドネシア語と英語があるが、広いホールにうわんうわんと響いてよく聞き取れない。1時間半、待ちに待って、やっとボーディングタイムになると、バンダアチェゆきは、ガラガラだった。 


飛行機の窓から見るメダンはどんより曇っていた。私のメダンへの印象をそのままあらわすようなよどみ具合だ。インチキポーターでイメージが決定づけられてしまったメダン。もう二度と訪れることはないと確信のメダン。さよならメダン。


バリのスパ~テタ・スパ・バイ・ザ・シー

2009-01-23 01:08:58 |  スパ
バリでのしめはテタ・スパ・バイ・ザ・シー

テタ・スパはクタのラマダ・ビンタンというホテルの中にある。
ラマダ・ビンタンは、ひと昔前にできたホテルにありがちな大型ホテル。
ホテルに着くとレセプションは通らず、ホテルの横にあるゲートへカートが
迎えにきていて、それに乗ってことこと移動する。
3~4棟ならぶ宿泊棟を過ぎるとプールに出るので、カートをおりてそこから
スパまでは少し歩く。
プールはビヤ樽のようなオージーだらけだった。いいおっさんたちがみんな
プールの中でバレーボールに興じていたり、水中スタンディングバーを楽しん
でいた。
せっかくのプライベートビーチには人影もなく・・・。



そのプールサイドにテタスパはある。




中に入るとカウンセリング。グァバジュースをいただく。
ここはメニューが予約してあってもカウンセリングをしっかりしてくれる。
マッサージは「アイランドマッサージ」というバリニーズスタイルのものと、
「テラピュティックマッサージ」という古代インド伝承の手法とスウェディッシュ
をあわせたものから選ぶ。マッサージオイルも、ラベンダーとベルガモットの
どちらがよいですか、と尋ねてくれた。

マッサージはアイランドマッサージ、オイルはベルガモットを選ぶと、ヤニー
ちゃんというセラピストさんがやってきた。とても礼儀正しく、「スイマセーン」
なんていわず、「シツレイイタシマス」とちゃんとしてる。

トリートメントルームはこじまんりしていて質素だが、海も見えて気持ちが良い。



ここはまずマッサージからスタート。
フットバスはないが、足裏からフルボディ。バリのスパでは、いちばん意識が
遠のきそうになったかもしれない。

次がセサミとオートミールのスクラブ。

そしてボルネオ産ハニーのボディマスク。
ボディマスクはだいたいひんやりしてびくっとなるものだけれど、ハニーが
ちゃんと加熱されていて、寒くならない。ときどきハチミツの甘い香りがして
きてとろけそう。そして、ここが一味違うのは、バティークではなく、バナナ
リーフで体をラップするところ。これも最高。

そして仕上げはハニー&ミルクのフラワーバス。ピッチャーいっぱいのミルクを
どぼどぼとバスに入れる。



そして、ここのバスは半露天。ビーチが見える位置。
スダレを下げるかと聞かれて、人も通らない場所だし、せっかく海が見えるからと
そのまま海を見ていた。
湯温も適温。サンセットにこのフラワーバスに入れたら、いいだろうなぁ。
そして、バス中に、フレッシュジュースがサービスされ、これもオレンジ、パイ
ナップル、ストロベリー、レモンから選べる。そしてジュースがうまい。

バスを出て、着替えて部屋を出る前にもう一度外を見ると、人は通らないと思った
ところを人が通ることが判明。まあいいや。



チェックアウト時には、ライムウォーターが出てきて、帰りのご挨拶もしっかり。
US150ドルと、今回のバリ滞在の中では一番高かったが、高いだけにサービス
も満点だった。ここはまた絶対来たいと思う。