きょうはダイビングではなく、登山の話。
ちょうど1年前のきょう、5月11日は、キナバル山に向けて出発した思い出深い日だ。
もともと私は、マラソンや登山といった、地道さと持久力が要求されるスポーツが大の苦手だ。高校時代は、登山遠足などあろうものなら、友達とつるんでサボったほど。それなのになぜかキナバル山にだけは登りたかった。それは1994年9月11日、はじめてのシパダンに向かうときに、コタキナバル(KK)からタワウゆきの飛行機から見た、朝日に輝くキナバル山があまりに雄大で美しかったから。それと、シパダンの水深40m(公称)からキナバル山の高度4000mまでを制覇したいという自己満足的な動機以外のなにものでもない。
シパダンに行く時は、通常、KK発午前6時10分のMH2121便で、まずはタワウに向かう。ちょうど日の出を待ってKKを飛び立つ感じだが、飛行機が離陸して水平飛行に移ると、進行方向に向かって左の窓には、キナバル山の山頂の風景が広がる。早朝便なので眠りに落ちていたが、左側に強い光を感じて目をあけると、キナバル山の見事な景色がそこにあり、いっきに目がさめものだ。友達とは「次に来るときは登りたいね。」、「今度こそ登ろうね。」と、いつも話していたものの、限られた休みのうちでダイビングの日数を減らすのも惜しくて、登山になかなか踏み切れないでいた。それでも情報収集は怠らず、経験者に話を聞くのがいちばんと、いつもシパダンのダイブマスター達にキナバル山のことを聞いていた。彼らのほとんどはジモティーだけあって、キナバル山に登っていた。「はじめて登った時、高山病になって、これが最初で最後と言ったのに、もう4回も登ったよ。」とか、「登るより下りがいやだ。」などなど。やはりちょっと大変そうだ。それでも大体は前向きな意見が聞けた。あるときシパダンでBCDが壊れてしまい、安いからと、帰りにKKのボルネオダイバーズで新しいBCDを購入したことがある。もともと持っていったダイビング器材一式と水中写真用ハウジング、カメラ一式があるところに、さらに新しいBCDが加わり、荷物は40キロ超になった。エコノミークラスで20キロオーバーなので、当然ながらチェックインでエクセスチャージを請求される。わかっているくせに、大げさにショックを受けてみせ、エクセスチャージをなんとかまけてもらうよう、ネゴった。無理があるネゴだと思ったが、幸いそこには12人ほどの登山グループの方々がいて、チェックインスタッフが「あの登山の人たちと、いっしょってことにしてあげるよ。」と言ってくれて、大助かりだったことがあった。そのグループの中のおばさんたちに「キナバル山は、どうでしたか?」とたずねたら、「と~ってもよかったし、簡単なのよ~。」と、まったく疲れた様子もなかった。また、私がKKでファンダイブをしていたとき、オープンウォーターの講習を受けに来ていたおじさんが、コース終了後に日にちが余ってるからと、急遽キナバル山登山に行くことにしていた。そのおじさんと帰りのフライトが一緒だったので、どうだったかたずねると、「楽勝だったよ。」という答え。これで、キナバル山って本当に簡単なんだ、と確信。唯一ネガティブなアドバイスは、シパダンで知り合った、香港在住のアメリカ人のビジネスマンから。「俺も登ったよ。でも、やめとけ。朝のMHからみえる景色と同じだから、わざわざ登る必要なんかないよ。」・・・そのアメリカ人は六本木大好きという人だったので、あまり参考にならないな、と彼の意見は封印することとした。
こうして、登ろう登ろうと思っているうちに、あっという間に11年もの月日が過ぎてしまった。去年、私がちょうど仕事を4月で辞めたとき、たまたま同時期にプーになった京都の友達がいたので、いっしょにモルディブとシパダンに潜りにいこうという話になった。当初はモルディブでダイブサファリに乗った帰りに、シパダン方面へ行って、全2週間の旅行にするつもりだったが、計画するうちに、モルディブでは、リゾートも行きたいね、マレーシアは、ラヤンラヤンにも行きたいね、ってことで、どんどんスケジュールが長くなっていった。友達は、キナバル山のことを知らなかったが、地元で簡単な登山もする人なので、「世界遺産のキナバル山に登ってみない?」って軽い気持ちで誘ってみたところ、「え?そんなすごいもん登れるんやろか?」と言ってたが、大乗り気。こうして、ついにキナバル登山が実現することになった。
さて、前置きが長くなったが、実際に山登りをするのは5月12日。この日しか山小屋がとれなかったからだ。キナバル山登山は、通常2日がかりなので、山小屋をとらなくてはならない。山小屋は、ステラ・サンクチュアリー・リゾートというところが管理している。予約はメールで行うが、回答は遅いし、リクエストする日は、ことごとく「Accomodation Fully Booked」というレス。「5月1日から14日まで、いったいいつなら空いているの!?」というメールを出したら、問答無用で「5月12日でOK」というレスが来た。
そして登山前日は、高山病のリスクを減らすために、キナバル国立公園近くの、キナバル・パイン・リゾートというところで1泊することにした。パインリゾートは、「地球の歩き方」ではなかなかよさそうな評価だったので選んだ。2名で1泊190リンギット、朝夕食つきという、一人3000円もしないお手ごろさ。
ところで、登山についての知識が皆無の私は、どんな仕度が必要なのかもわからず、山の準備はほとんどせずに日本を出てきた。登山で使えそうだな、と持ってきたものは、家にあった裏起毛の古いヘリーハンセンのトレーナーにLa2のウィンドブレーカー、それとLove Boatのニット帽だけ。リュックサックもないので、BURTONのスノボ用巨大バッグのブーツ入れ部分をはずして代用。ひと昔前の、海と雪山が同居したような、相当変ないでたちだが、これで上半身はいけると思う。登山はきっと今回限りだろうから、あるものを使おう。腰から下は、ジャージや靴は日本では高いから、現地調達すればいいやと何も用意してこなかった。そんなわけで、登山前日の午後、泊まっていたストゥラ・ハーバー・リゾートをチェックアウトしたあと、ようやくセンターポイントへ登山用グッズを買いに行った。まずは靴。1000円程度のスニーカーを履き捨てで十分だとは思ったが、ついついNIKEショップで約8000円のトレーニングシューズを購入。いっそNIKEでウェア類もそろえようかと思ったが、スニーカーは履くことはあっても、他のものはドロドロになりそうだし、もったいないのでやめることにした。ウェアは、同じくセンターポイントにある、パシフィック・ニゥキーなるスーパーのワゴンセールで、水色のジャージのパンツと、黄色の、恐らくナイロン100%の撥水性素材のパンツを買って900円くらいだった。最後に地下の雑貨屋で、軍手を購入し、多分、これで衣類の準備はOK。
続いて、登山に必須と思われるチョコレートと水を求めて、センターポイントよりも安い、KKプラザ地下のスーパーへ。
クジラの絵にひかれてついつい…。
1.5リットルのペットボトルが約30円というクジラ微笑むミネラル・ウォーターを2本GET。
マレーシアには、さまざまなミネラルウォーターがあるが、これが一番安い。あやしく安い。ふだんは水にはうるさい私なのに。
足りないものがまだあるような気はするが、最低限のものはそろったと思うので、KKプラザ前で客待ちをしていたタクシーで、ストゥラ・ハーバーへ戻る。チャイニーズの運チャンは、グラサンかけて、なんだかしぶがってる。エンジンがかかるなり、いきなりエルヴィスが流れ始めた。そしてハンドル握る運チャンの指には、左右5本すべてにシルバーアクセが!ロックオヤジだぁ~。でも、車内のアクセサリーは、中国の暦とか縁起物。このミスマッチの妙。エルヴィスがガンガンかかる中、すぐにストゥラ・ハーバー到着。本人はCoolにキメキメのつもりなんだろうが、もう、ププッって感じだった。しぇきなべいべと言わせたい、内田裕也みたいなおっさんだった。こんなに印象に残るタクシードライバーははじめてだ。
ストゥラ・ハーバーには、キナバル山から降りてきたら、また戻ってくるので、ベルキャプテンに大部分の荷物は預かってもらい、最低限のものだけで山に向かう。午後3時半頃、また新たなるタクシーを呼んでKKを出発した。KKのバスターミナルから、キナバル国立公園ゆきのバスがあるのは早朝のみなので、タクシーを使わざるを得ない。KKの街の終わり、ウィスマ・サバを過ぎると、南シナ海が左手に開け、椰子の木が整然と並ぶ、いかにも南国の海辺という景観がしばらく続く。その後、リカスという街を抜け、有名なシャングリラ・ラサ・リア・リゾートのあるトゥアランを過ぎると、いよいよ車は山道に入っていく。標高が高くなるにつれて、天候が悪くなってきた。道は、何巻きもあり、ところどころ平地になると、古典的な売店があり、バナナなどフルーツが並んでいる。タクシーは、まれな長距離のせいか、山道でエンストを起こした。運ちゃんは、チャイニーズでも、さっきの裕也とはうってかわってやさしそうなおじさん。「僕はエンジニアだから大丈夫。」と言うが、小雨の中、エンジンと格闘するロスタイム約20分ののち、やっと復旧。キナバル・パイン・リゾートに着いた時は、KKを出てから約1時間40分たっていた。雨は本降りになっていた。パイン・リゾートの周辺には、ニッコウキスゲとそっくりの黄色い花が咲き乱れていて、気温は、18度くらいだろうか、かなり肌寒かった。パイン・リゾートは白い外観で、部屋は日本の高原のペンションのようだった。眺望が一番よいと言う売り言葉で、「BlockS4」という、一番高台にある部屋をとったが、その部屋までの坂道の傾斜がきつく、それだけで息切れがし、明日からが思いやられる感じがした。見晴らしがよいはずの部屋も、外は雲に覆われ、しばらくは何もみえなかったが、小一時間ほどで雨が止み、雲が切れると、目の前に、キナバル山がそびえたった。KKの街から、朝、頭だけが見えている姿とは違い、おごそか度が増していた。
山の夕暮れは早い。薄暗くなってきたので、ロッジのレストランで6時にはディナー。ミ・ゴレン(焼そば)とテ・スス(ミルクティー)で軽めにしておく。旅行中毎日飲んでいたビールは、明日に備えてパス。体力温存のため、部屋に戻って、少しでも早く眠ろうとするが、ここは高原。蛾やカメムシが部屋に入りこんでしまい、こわいこわい。蛾が落ちてきたらどうしようとか、カメムシがもし異臭を放ったらどうしようという、虫への恐怖と、山登りへの緊張感から、固まったままなんとか眠りについた。
続く。
ちょうど1年前のきょう、5月11日は、キナバル山に向けて出発した思い出深い日だ。
もともと私は、マラソンや登山といった、地道さと持久力が要求されるスポーツが大の苦手だ。高校時代は、登山遠足などあろうものなら、友達とつるんでサボったほど。それなのになぜかキナバル山にだけは登りたかった。それは1994年9月11日、はじめてのシパダンに向かうときに、コタキナバル(KK)からタワウゆきの飛行機から見た、朝日に輝くキナバル山があまりに雄大で美しかったから。それと、シパダンの水深40m(公称)からキナバル山の高度4000mまでを制覇したいという自己満足的な動機以外のなにものでもない。
シパダンに行く時は、通常、KK発午前6時10分のMH2121便で、まずはタワウに向かう。ちょうど日の出を待ってKKを飛び立つ感じだが、飛行機が離陸して水平飛行に移ると、進行方向に向かって左の窓には、キナバル山の山頂の風景が広がる。早朝便なので眠りに落ちていたが、左側に強い光を感じて目をあけると、キナバル山の見事な景色がそこにあり、いっきに目がさめものだ。友達とは「次に来るときは登りたいね。」、「今度こそ登ろうね。」と、いつも話していたものの、限られた休みのうちでダイビングの日数を減らすのも惜しくて、登山になかなか踏み切れないでいた。それでも情報収集は怠らず、経験者に話を聞くのがいちばんと、いつもシパダンのダイブマスター達にキナバル山のことを聞いていた。彼らのほとんどはジモティーだけあって、キナバル山に登っていた。「はじめて登った時、高山病になって、これが最初で最後と言ったのに、もう4回も登ったよ。」とか、「登るより下りがいやだ。」などなど。やはりちょっと大変そうだ。それでも大体は前向きな意見が聞けた。あるときシパダンでBCDが壊れてしまい、安いからと、帰りにKKのボルネオダイバーズで新しいBCDを購入したことがある。もともと持っていったダイビング器材一式と水中写真用ハウジング、カメラ一式があるところに、さらに新しいBCDが加わり、荷物は40キロ超になった。エコノミークラスで20キロオーバーなので、当然ながらチェックインでエクセスチャージを請求される。わかっているくせに、大げさにショックを受けてみせ、エクセスチャージをなんとかまけてもらうよう、ネゴった。無理があるネゴだと思ったが、幸いそこには12人ほどの登山グループの方々がいて、チェックインスタッフが「あの登山の人たちと、いっしょってことにしてあげるよ。」と言ってくれて、大助かりだったことがあった。そのグループの中のおばさんたちに「キナバル山は、どうでしたか?」とたずねたら、「と~ってもよかったし、簡単なのよ~。」と、まったく疲れた様子もなかった。また、私がKKでファンダイブをしていたとき、オープンウォーターの講習を受けに来ていたおじさんが、コース終了後に日にちが余ってるからと、急遽キナバル山登山に行くことにしていた。そのおじさんと帰りのフライトが一緒だったので、どうだったかたずねると、「楽勝だったよ。」という答え。これで、キナバル山って本当に簡単なんだ、と確信。唯一ネガティブなアドバイスは、シパダンで知り合った、香港在住のアメリカ人のビジネスマンから。「俺も登ったよ。でも、やめとけ。朝のMHからみえる景色と同じだから、わざわざ登る必要なんかないよ。」・・・そのアメリカ人は六本木大好きという人だったので、あまり参考にならないな、と彼の意見は封印することとした。
こうして、登ろう登ろうと思っているうちに、あっという間に11年もの月日が過ぎてしまった。去年、私がちょうど仕事を4月で辞めたとき、たまたま同時期にプーになった京都の友達がいたので、いっしょにモルディブとシパダンに潜りにいこうという話になった。当初はモルディブでダイブサファリに乗った帰りに、シパダン方面へ行って、全2週間の旅行にするつもりだったが、計画するうちに、モルディブでは、リゾートも行きたいね、マレーシアは、ラヤンラヤンにも行きたいね、ってことで、どんどんスケジュールが長くなっていった。友達は、キナバル山のことを知らなかったが、地元で簡単な登山もする人なので、「世界遺産のキナバル山に登ってみない?」って軽い気持ちで誘ってみたところ、「え?そんなすごいもん登れるんやろか?」と言ってたが、大乗り気。こうして、ついにキナバル登山が実現することになった。
さて、前置きが長くなったが、実際に山登りをするのは5月12日。この日しか山小屋がとれなかったからだ。キナバル山登山は、通常2日がかりなので、山小屋をとらなくてはならない。山小屋は、ステラ・サンクチュアリー・リゾートというところが管理している。予約はメールで行うが、回答は遅いし、リクエストする日は、ことごとく「Accomodation Fully Booked」というレス。「5月1日から14日まで、いったいいつなら空いているの!?」というメールを出したら、問答無用で「5月12日でOK」というレスが来た。
そして登山前日は、高山病のリスクを減らすために、キナバル国立公園近くの、キナバル・パイン・リゾートというところで1泊することにした。パインリゾートは、「地球の歩き方」ではなかなかよさそうな評価だったので選んだ。2名で1泊190リンギット、朝夕食つきという、一人3000円もしないお手ごろさ。
ところで、登山についての知識が皆無の私は、どんな仕度が必要なのかもわからず、山の準備はほとんどせずに日本を出てきた。登山で使えそうだな、と持ってきたものは、家にあった裏起毛の古いヘリーハンセンのトレーナーにLa2のウィンドブレーカー、それとLove Boatのニット帽だけ。リュックサックもないので、BURTONのスノボ用巨大バッグのブーツ入れ部分をはずして代用。ひと昔前の、海と雪山が同居したような、相当変ないでたちだが、これで上半身はいけると思う。登山はきっと今回限りだろうから、あるものを使おう。腰から下は、ジャージや靴は日本では高いから、現地調達すればいいやと何も用意してこなかった。そんなわけで、登山前日の午後、泊まっていたストゥラ・ハーバー・リゾートをチェックアウトしたあと、ようやくセンターポイントへ登山用グッズを買いに行った。まずは靴。1000円程度のスニーカーを履き捨てで十分だとは思ったが、ついついNIKEショップで約8000円のトレーニングシューズを購入。いっそNIKEでウェア類もそろえようかと思ったが、スニーカーは履くことはあっても、他のものはドロドロになりそうだし、もったいないのでやめることにした。ウェアは、同じくセンターポイントにある、パシフィック・ニゥキーなるスーパーのワゴンセールで、水色のジャージのパンツと、黄色の、恐らくナイロン100%の撥水性素材のパンツを買って900円くらいだった。最後に地下の雑貨屋で、軍手を購入し、多分、これで衣類の準備はOK。
続いて、登山に必須と思われるチョコレートと水を求めて、センターポイントよりも安い、KKプラザ地下のスーパーへ。
クジラの絵にひかれてついつい…。
1.5リットルのペットボトルが約30円というクジラ微笑むミネラル・ウォーターを2本GET。
マレーシアには、さまざまなミネラルウォーターがあるが、これが一番安い。あやしく安い。ふだんは水にはうるさい私なのに。
足りないものがまだあるような気はするが、最低限のものはそろったと思うので、KKプラザ前で客待ちをしていたタクシーで、ストゥラ・ハーバーへ戻る。チャイニーズの運チャンは、グラサンかけて、なんだかしぶがってる。エンジンがかかるなり、いきなりエルヴィスが流れ始めた。そしてハンドル握る運チャンの指には、左右5本すべてにシルバーアクセが!ロックオヤジだぁ~。でも、車内のアクセサリーは、中国の暦とか縁起物。このミスマッチの妙。エルヴィスがガンガンかかる中、すぐにストゥラ・ハーバー到着。本人はCoolにキメキメのつもりなんだろうが、もう、ププッって感じだった。しぇきなべいべと言わせたい、内田裕也みたいなおっさんだった。こんなに印象に残るタクシードライバーははじめてだ。
ストゥラ・ハーバーには、キナバル山から降りてきたら、また戻ってくるので、ベルキャプテンに大部分の荷物は預かってもらい、最低限のものだけで山に向かう。午後3時半頃、また新たなるタクシーを呼んでKKを出発した。KKのバスターミナルから、キナバル国立公園ゆきのバスがあるのは早朝のみなので、タクシーを使わざるを得ない。KKの街の終わり、ウィスマ・サバを過ぎると、南シナ海が左手に開け、椰子の木が整然と並ぶ、いかにも南国の海辺という景観がしばらく続く。その後、リカスという街を抜け、有名なシャングリラ・ラサ・リア・リゾートのあるトゥアランを過ぎると、いよいよ車は山道に入っていく。標高が高くなるにつれて、天候が悪くなってきた。道は、何巻きもあり、ところどころ平地になると、古典的な売店があり、バナナなどフルーツが並んでいる。タクシーは、まれな長距離のせいか、山道でエンストを起こした。運ちゃんは、チャイニーズでも、さっきの裕也とはうってかわってやさしそうなおじさん。「僕はエンジニアだから大丈夫。」と言うが、小雨の中、エンジンと格闘するロスタイム約20分ののち、やっと復旧。キナバル・パイン・リゾートに着いた時は、KKを出てから約1時間40分たっていた。雨は本降りになっていた。パイン・リゾートの周辺には、ニッコウキスゲとそっくりの黄色い花が咲き乱れていて、気温は、18度くらいだろうか、かなり肌寒かった。パイン・リゾートは白い外観で、部屋は日本の高原のペンションのようだった。眺望が一番よいと言う売り言葉で、「BlockS4」という、一番高台にある部屋をとったが、その部屋までの坂道の傾斜がきつく、それだけで息切れがし、明日からが思いやられる感じがした。見晴らしがよいはずの部屋も、外は雲に覆われ、しばらくは何もみえなかったが、小一時間ほどで雨が止み、雲が切れると、目の前に、キナバル山がそびえたった。KKの街から、朝、頭だけが見えている姿とは違い、おごそか度が増していた。
山の夕暮れは早い。薄暗くなってきたので、ロッジのレストランで6時にはディナー。ミ・ゴレン(焼そば)とテ・スス(ミルクティー)で軽めにしておく。旅行中毎日飲んでいたビールは、明日に備えてパス。体力温存のため、部屋に戻って、少しでも早く眠ろうとするが、ここは高原。蛾やカメムシが部屋に入りこんでしまい、こわいこわい。蛾が落ちてきたらどうしようとか、カメムシがもし異臭を放ったらどうしようという、虫への恐怖と、山登りへの緊張感から、固まったままなんとか眠りについた。
続く。