ウニタ教授はネルー大学に住んでいるから、ネルー大学の教授かと思っていたら、デリー大学の教授だった。ネルー大学は、ご主人の教授をしている大学で、そのご主人が借りている宿舎に一緒に住んでいるだけなのであった。以前に、ネルー大学のゲストハウスの食堂でご主人と一緒にご馳走してくださったので、すっかり、ネルー大学の教授と誤解していた。名刺をもらっていなかったので、デリー大学でシンポジュームがあったときに、他のデリー大学の教授たちと一緒にいるのは、いろいろな大学から来ている一人であるからかと思っていたのであった。ウニタ教授自身が、あまりデリー大学の教授職に拘泥していないからであろうか。デリー大学の幹部たちが、日本語学科を廃止しようとしているのと、だいぶ戦って、去年は病気になって回復したばかりにあったので、すっかりデリー大学に嫌気がさしていたのが、私に伝わったのかもしれない。
いずれにしろ、去年、クラレの協賛で、『竹取物語』のシンポジュームなどが開かれたときに知り合ったのである。ウニタ教授の興味のあることと私の関係していた仕事に共通点があったので、トントン拍子で話が進んで、遠藤周作『深い河』をヒンディー語訳することになり、小野小町の和歌をヒンディー語訳することになった。
いずれにしろ、去年、クラレの協賛で、『竹取物語』のシンポジュームなどが開かれたときに知り合ったのである。ウニタ教授の興味のあることと私の関係していた仕事に共通点があったので、トントン拍子で話が進んで、遠藤周作『深い河』をヒンディー語訳することになり、小野小町の和歌をヒンディー語訳することになった。