昨日は、一昨日に私の遠藤周作『深い河』の講演に参加してくれた詩人Manoj Sharma氏の出版記念パーティーが印度国際文化センターで開かれたのに呼ばれてウニタ教授夫妻に連れられて参加した。
彼の友人が数人、彼についてと彼の詩について話していた。新しい詩集の一部をManoj Sharma氏が読み、ここでのこの出版記念パーティーの形式が前回、私の『竹取物語』ヒンディー語役の出版記念パーティーが、ロシア文化会館と印度国際文化センターで開かれた時と同じで、マスコミも来て盛んに撮影していた。マノージ氏の妹も絵描きで、来年日本で個展をするという。どうも芸術家一家らしい。ラージカマルという印度で一番大きな出版社の幹部も来ていた。マノージ氏は相当有名な人らしく、彼の幼なじみを二人伴って来ていて、その一人は、先日私の講演に来てくれたラデイシヤーム Sharma氏で彼は、15歳の時、13歳の今の奥さんと結婚したという先生だ。ラージャスターンには今も幼児結婚の習慣があるようだが、一緒に住んだのはもっとあとでそれでも今50歳くらいで何人も孫がいるのだという。もう一人の友達がやたらコーフというので、よく聴くと、宝石屋で、甲府に原石を輸出していて、その仲間がよく来ているらしい。腹切りについても質問され、ちょっと面食らった。
その後、庭園でパーティーになり、日本のホテルでもよく出る形式で食事がテントの下に並べられ、それを自分で皿にとって食べた。国際ヒンディー語大学のライ学長も来ていて、先日のワルダでお会いして以来の再会で, 詩人Upendra Kumar氏も来ていたので、しばし、団らんした。 私の講演のとき司会をしてくれた詩人のGanga Prasad 氏もマノージ氏の友達で、来ていた。彼は、日印文化協会の会長でもあり、ビルマの竪琴をヒンディー語訳した人だ。どうもそうそうたる作家の集まりらしいが、なにぶん知らない人ばかりで、マノージ氏の友達からは、ジャイプルに遊びにくるように誘われた。
彼の友人が数人、彼についてと彼の詩について話していた。新しい詩集の一部をManoj Sharma氏が読み、ここでのこの出版記念パーティーの形式が前回、私の『竹取物語』ヒンディー語役の出版記念パーティーが、ロシア文化会館と印度国際文化センターで開かれた時と同じで、マスコミも来て盛んに撮影していた。マノージ氏の妹も絵描きで、来年日本で個展をするという。どうも芸術家一家らしい。ラージカマルという印度で一番大きな出版社の幹部も来ていた。マノージ氏は相当有名な人らしく、彼の幼なじみを二人伴って来ていて、その一人は、先日私の講演に来てくれたラデイシヤーム Sharma氏で彼は、15歳の時、13歳の今の奥さんと結婚したという先生だ。ラージャスターンには今も幼児結婚の習慣があるようだが、一緒に住んだのはもっとあとでそれでも今50歳くらいで何人も孫がいるのだという。もう一人の友達がやたらコーフというので、よく聴くと、宝石屋で、甲府に原石を輸出していて、その仲間がよく来ているらしい。腹切りについても質問され、ちょっと面食らった。
その後、庭園でパーティーになり、日本のホテルでもよく出る形式で食事がテントの下に並べられ、それを自分で皿にとって食べた。国際ヒンディー語大学のライ学長も来ていて、先日のワルダでお会いして以来の再会で, 詩人Upendra Kumar氏も来ていたので、しばし、団らんした。 私の講演のとき司会をしてくれた詩人のGanga Prasad 氏もマノージ氏の友達で、来ていた。彼は、日印文化協会の会長でもあり、ビルマの竪琴をヒンディー語訳した人だ。どうもそうそうたる作家の集まりらしいが、なにぶん知らない人ばかりで、マノージ氏の友達からは、ジャイプルに遊びにくるように誘われた。