昨日、小野小町が終ったので、その和歌の載っているコピーを返したら、次は谷川俊太郎であるが、今日また印度詩人のガンガー河についての詩を詠んであるのを訳しくださいという。ひとつできると次々と出てくるので、休む暇がない。なぜガンガー河かというと、遠藤周作の『深い河』がガンガー河(すなわちガンジス河」)だから、関連付けで、既にあるものを読んで見て、さらに、新しくガンガー河についての詩を詩人に詠んでもらうのだそうだ。谷川俊太郎の詩集は、集英社の本だが、詩の中から良いものを選べと今日になってから言い出した。この1週間は毎日、学生になったような日々で、朝から晩まで、ヒンディー語と日本語の間の行ったり来たりである。もっとも学生のときは、こんなに時間をとったことも集中したこともなかった劣等生であった。今更、元々少ないヒンディー語の語彙を増やす気もなかったのに、何となく、覚えているのが、そのうちにまた忘れるであろう。小野小町の歌ではないが、すっかり、花の色も失せて、何もかにも忘れてただ年だけをとってしまうのであろうが。
「ながめつつ過ぐる月日も知らぬまに秋の景色になりにけるかも(な)」 と詠嘆することになるのか。
「ながめつつ過ぐる月日も知らぬまに秋の景色になりにけるかも(な)」 と詠嘆することになるのか。