芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

試験結果を学生課に送信するのに一日がかり

2014年04月19日 | Weblog

16日(水)の18:30に試験が終わったので、帰りの車を待つ間に、試験の採点が終わり、宿舎に戻って食事の後、学生課に5人の試験結果を添付して送った。

翌17日になかなか学生課から連絡がないので、メールで連絡しようとしたが、開けない。大学のホームページそのものが開けない。やむをえず学生課長に電話して、試験結果を受け取ったか確認したら、添付されていないと言う。メールが出来ないから、コンピュータ室に電話するように言ったら、責任者の電話を教えてくれ、自分で電話してくれというので、したが、何度電話しても取らない。隣りの宿舎の係に電話してもらおうと思って聞きに行ったら、そのコンピュータ室責任者は母親が一昨日亡くなった人だと言う。そう言えば、お知らせのメールで、そのことが記されていた。学生課長の発音が分かりずらくて、別人かと思ったので、電話を何度も掛けたが、取り込み中で休暇をとっていて電話など取るわけもなかったのだ。

仕事をしたくない学生課長は、取り込み中と知っていていい加減なことを私に押し付けたのだ。

この学生課長のもとだから、去年のサーティフィケート課程の修了証がいまだに出来ていない。学生課長に

コンピュータ室に自分で電話するように言ったら間もなくメールできるようになった。まだ調子悪いらしく、メールでいくら添付を送っても送れない、宛先を変えたり送信済みから送ったり6度目でやっと送れた。朝からとりかかって出来るようになったのが18:00ちょっと前である。これでは、ディプロマ課程の修了証も来週中には出来ないであろう。今年卒業の学生は、5月初めに就職先に行くと言うから、その学生には、渡せない。この学生課長は、ワルダの大学職員と同じである。


ディプロマ課程の試験終了

2014年04月18日 | Weblog

16日(水)に試験をしに大学に行ったが、いつもの車が、朝、運転手に確認しているのに、なかなか来なくて、16:00というのが17:00過ぎに宿舎を出たため、予定していたことが出来ず、おまけに、試験会場の部屋が、先週来、工事中で電気がつかないので、隣りの部屋に移動した。ディプロマ課程の授業には、初め6人来ていたが、終わりには、4人になっていたので、受験者は4人かと思ったら、授業に殆ど出ていない4年生の学生が加わって5人になった。しかし、試験問題は協同で勉強したらしく、ほぼ、皆満点であったが、会話の対話の読みで違いが出た。来ないを「きない」と読んだりして、フリガナがないせいである。カ変とサ変は何度も説明しているが、覚えられなかったと見える。試験の出来が良く、終了の30分前に終わったので、電話で運転手を呼び出したが、また、車を待つことになった。今日は、待つことの多い日であった。


サダル・バーザールの仕立て直し屋まで散歩

2014年04月16日 | Weblog

運動不足か解消のため、夕方、サダル・バーザールまで歩いた。帰国の時に使う布のバッグを直すのにまた、いつもの仕立てと繕いをするムスリムの店に行った。前の客の直しを待って、バッグの他にズボンの直しも4着あった。バッグは、以前に汽車でデリーに出た時、バッグの中にオヴンのパウンドケーキを入れて床に置いたら、夜中にネズミに食いちぎられていたので、あわててベッドに上げたのだ。パンパンに入れたために、チャックを止めている糸も切れ、今回の帰り支度を始めているので、急いで直すことになった。ジーパン2着の破けは他所で50ルピーで直して来てくれ、その他は70ルピーであった。帰りも歩いて、暗くなったリッジ通りを来ると、前方に赤い満月が見えた。近所のハヌマーン・マンディル(猿神社)では、参拝者にご馳走を振る舞っていた。途中の神社でも夕方の祈りが盛んに行なわれていた。


文春2月号のまだ読んでいない書評欄を読んだ

2014年04月14日 | Weblog

試験問題も作り終わり、久しぶりで本を読む時間ができたので、斎藤兄に送って頂いた文春2月号のまだ読んでいない書評欄を読んだ。この欄には相当ページがさかれていて、日本を離れている者には、参考になった。田中慎弥『燃える家』に興味が惹かれたが、山内昌之、片山杜秀、浜矩子の鼎談書評の薦めるユージン・ローガン、白洲英子訳『アラブ500年史』(上下)にも興味が湧いた。というのは、この鼎談でも話し合われているが、アラブについて、日本では、西欧史を通した見方が今まで一般的で、私の世代もアラブからインドにかけての歴史を学ぶときには、どうしても英国植民地主義の支配下にあった、キリスト教の布教者によって書かれたものが良くできていて、私も学生時代はそれを読んでいたのだが、この本はそのような西欧史観をできるだけ排しているというからだ。

しかし、日本の政治は、相変わらず欧米元植民地主義国家の後塵を拝するだけで、イラークにしろ、アフガーニスターンにしろ、米国の軍事的経済的な世界戦略に組み込まれたままである。マスコミは、政府のちょうちん持ちに過ぎず、米国の他国侵略を隠す宣伝をそのまま垂れ流している。これについては、私が寂聴尼を担いで、イラークに行ってきたときに報告の形で作った本『寂聴イラークを行く』に少し述べている。

また、最近のブッシュ息子のイラーク攻撃に小泉政権が協力という名目で服従して参戦したのに対して、レバノン大使だった天木直人外交官が職をなげうって反対したのが耳新しい。

日本のイスラーム社会の研究は、戦前から遅れていて、無知なまま、中国、インド、マレーシア、インドネシア方面に戦争を仕掛けていったのは、富国と強兵を唱えながら、富を知識獲得に回さず、目くら蛇におじず、常識外れの世界戦に踏み込んでいった。この文春では、「代表的日本人の新選・百人一首」というので、南原繁の「人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ」の歌を取り上げているのが、ピッタリで可笑しい。

いずれにしろ、西欧史観に基づく研究は層が厚く、それを元にせざるを得ないが、日本の政府がどれだけ日本独自に研究できる素地を今作っているか心もとない。


ヤモリが印字機の中で試験問題の印字を邪魔する

2014年04月13日 | Weblog

来週は、月水金のうち月、金が休日なので、水曜日に試験をする。その試験問題を自分の研究室で印字しようとしたが、何回印字しても文字の1部が欠けて出てくる。試験問題は、50問で、5ページあり、この欠けた文字を手書きで直すのは厄介だと思い、直せるかどうかわからないが、印字機のふたを開けてみたら、何と中に大きめのヤモリが一匹いた。これが原因かもしれないので、中から追い払い、もう一度印字したら欠けのない綺麗な文字が出た。どうもヤモリの尻尾がいたずらをしていたようだ。

ディプロマの授業は、4人しか受けていないから、今回は恐らくその4人だけが試験を受けるであろう。筆記50問50点。会話の50点は、電話の受け答えで結構難しいので、受け答えを印字して学生に渡し、それを読ませることにした。


十日は総選挙、14日は、アンベードカルの誕生日で休日

2014年04月12日 | Weblog

4月10日(木)は総選挙で休みだった。このジャバルプルなど、中央州はインド人民党の強いところで、ナレンドラ・モディ首相候補がたびたび演説に来ている。彼は、アハメダーバードが首都のグジャラート州の首相で、日本にも行って企業誘致に努めていて、ムンバイとアハメダーバード間の新幹線を日本から輸入しようとしている。

現在のマンモーハン・シン首相は後継者が決まらないまま引退の予定であるため、国民会議派はまとまらず、ジャバルプルにも演説に来ている候補者がいるのか、聞かない。これからは、恐らく、インド人民党の強いマハートマー・ガーンディーの出身地であるグジャラート州や中央州などが著しい発展をすることになるかもしれない。

来週の月曜日は、アンベードカルの誕生日で、臨時休業になった。これも制度化されるであろう。この人は、インド憲法を制定するのに貢献している。

そんな訳で、今日が授業の最終日で、来週は水曜日の夕方に試験をすれば、その採点をするだけで主な仕事は終わりだ。


海外に電話するために古い携帯に充電

2014年04月10日 | Weblog

昨日の日本語授業の教室は、いつもの教室が他の授業に占拠されていたので、やむを得ず、隣りの空いている教室を使った。占拠した教師は、学部長で、本来、教室の割り振りを知っていなければならない人なのに、確認もしないで他の授業が入っている教室を使うというのも、困ったもので、ついこないだもこういうことが起こった。

遅刻して来る学生を教室の外で待ってから、授業を始めたが、遅刻して来た学生は、朝からの授業で疲れているらしく、たった4人の受講者なのに、机にうつぶして途中から寝入ってしまった。夕方の授業を早朝に変えればこんなことはないのかもしれないが、そうなると、車の運転手も大変であろう。

今日、古い携帯のシムに120ルピー分リチャージしに街の店に行ったら、パソコンでは出来ず、親切なシックの店主が別の店にバイクで送ってくれて、充電できた。


明後日で今期の授業は終わり

2014年04月09日 | Weblog

今日の日本語授業には、学生が4名出席した。どうもこの4名だけが来週のディプロマ課程の試験を受けるようだ。あとの二人は4年生で、就職が決まったので、もう授業には出て来ないようだ。一人は、クボタ・インド、もう一人は、日本企業でないようだが、デリー近郊のグルガーオンにあるバス会社らしい。

試験前の授業なので、来週水曜日の試験について学生に説明して、19:30の送迎車の出発を少し過ぎたら、授業を早く切り上げるようにと運転手から催促された。

一昨日は、7時半に終わっても、8時半まで待たされたではないかと運転手にはなしたら、他の授業が8時半まであったからだと言い訳をしていた。


カッテージ・チーズのカレーでまた蕁麻疹

2014年04月09日 | Weblog

昨日、出た蕁麻疹は、夕べ飲んだ薬で、夕べから今日にかけてほぼ引っ込んだ。

このアレルギーの薬は良く効く。

LEVOCETRIZINE または  ALERTRIZ 1錠、5mg。10錠セットでで32ルピーである。

1錠あたり日本円にして、5円程度だ。アハメダーバードにあるCadila という会社が扱っている。

かかりつけの女医ジョーティさんに「強くないが、眠くなる」と言われ、確かに、授業がないから良いが、暑いせいもあって昼寝をしたり、マドロンだり、一日中グタグタである。

日本にいれば、年末からこの時期は、私自身、花粉症がひどいから、今回帰国の時に少し持って帰ろうと思う。


日本語ディプロマ課程の会話試験の問題が出来上がる

2014年04月08日 | Weblog

先週の金曜日に日本語授業に出たのは、女子学生2名だったが、今日の授業は、女子一名と最近他の臨時授業に出て、ずっと欠席していた男子学生が一人の2名であった。試験前で、試験の傾向や問題の出し方を教える時なので、休むと、試験の成績に直接響くのだが、どうしたものか。しかも今日は、授業で、会話の試験の仕方を説明して19:30に時間通りに終わったのに、送迎車が来ていず、先週同様にコンピュータ室で待った。ところが、20:00までの授業の教師が、コンピュータ室に入って来て、20:30までコンピュータ室で授業をしたために更に待たされ、そのあと、学生寮で何かしていた若い教師達3名を迎えに行って、その教師達を彼らの家に送ってから、21:00近くに宿舎に戻ったので、すっかり待ちくたびれてしまった。

一つには、昨夕のカッテージ・チーズのカレーで、また、蕁麻疹が出たために不調のせいもある。