私はしばらく絵を描かないとイライラしてくる。
ストレスが溜まってくるのである。
自分の作品にしている「はいまん彩」は俳句・まんが・彩墨画
の融合をめざす作品なので、それなりの構成が必要になる。
これがけっこう面倒で、イメージが決まるまで時間が
かかったりするのである。
そんなときは、絵も描けずイライラがつのってくるので、
「はいまん彩」にならないただの「絵」をつい描いてしまう。
だいたいが好きな魚の絵が多く、それにともなう波など
描いたりする。このときは構成など考えていないので
気楽に描けるのだ。
そうするとスーッとしてストレスが消えてしまう。
その後で絵を見て、「はいまん彩」にできそうなものは
これから構成して作品にすることもある。
ついこのあいだ、こうやって一枚の作品を完成させたのだが、
自分の中では手ごたえを感じたので、落款(印鑑)をうって、完成させた。
この落款をうつというのは、自分の中で合格点を出しているということである。
落款をうてない絵・作品は五万とある。
ところがこれをカミさんに見せたところ、色が悪いだの、
遠近がとれてないだの、字もどうしようもないだの、えらく不評だった。
ちょいとムカッとしたが、ま…こんなことはよくあることで、
万人がいいなんていうものはなかなか出来ないし、人に
よってそれぞれ感じ方が違うのである。
気を取り直して娘に見せた。
カミさんと娘ではこれまた全然意見が違う場合が
めずらしくない。「ウ~ン…」としばらくうなった後、「オトン
の悪いところがみんな出てるかもしれんね」といいいやがる。
「そおうかあ…」少しは娘に期待していたので、ガックリ。
ま…これとてそうめずらしいことではないのである。
昨年やはり二人に不評をかったやつを展示したところ
その作品がほしいと二度も見に来てくれた人がいたのだ。
このように人によって見方感じ方が違うので、
一喜一憂しないほうがいいのだが、やはり不評が
多いと、自信に翳りがでてテンションが下がってくるのである。
それなら…と最後の砦である母に見せた。
母はいい意味でまったくの素人判断をするので
けっこう思わぬ作品が拾われたりするのだ。
「ウ~ンちょっとバランスがわるいかなあ」「…」
撃沈である。
果たしてこの作品はボツか浮かぶ瀬もあるのか…。
「いいワイ!こうなったら世に問うてやる!」
もはや意地になってきた。
こうなったらブログを見てくれる人にこれがその作品なのだ…と
見てもらって…などとわれを忘れて、載せるつもりでコピーをとりに行った。
F6サイズなので、パソコンに取り込むためには約半分のA4サイズに
しなければならないのである。
実はそこで密かに期待していることがあったのだ。
絵はコピーで縮小されると絵が凝縮されて、その絵の
良さがわかることが多々あるのである。
つまり最後の最後の砦でもあったのだ。
コピーされて出てきたのを見た瞬間。「」
なんと逆にその絵の悪いところがハッキリと
見えてしまったのである。
作者というものは自分の絵に対して客観性をなくす
ものだが、まさしくなくなっていたのだ…。玉砕である。
これでこの作品の“ボツ”は、決まってしまった。
正直ガックリであるが、これとてもそう珍しいことでもなく、
私の成功作というのは、10枚描いて1枚ぐらいの成功率なのだ。
というわけで、作品の表示は見送らせてもらうのだが、
破り捨てるというわけにもいかないので、そのまま
保管することにした。
そしてなにかの折に取り出して、戒めの一枚にするつもりである。
このように人にご披露するというのは、幾山も越えなければ
ならないのである。
やれやれまた一からやり直しだ。
ストレスが溜まってくるのである。
自分の作品にしている「はいまん彩」は俳句・まんが・彩墨画
の融合をめざす作品なので、それなりの構成が必要になる。
これがけっこう面倒で、イメージが決まるまで時間が
かかったりするのである。
そんなときは、絵も描けずイライラがつのってくるので、
「はいまん彩」にならないただの「絵」をつい描いてしまう。
だいたいが好きな魚の絵が多く、それにともなう波など
描いたりする。このときは構成など考えていないので
気楽に描けるのだ。
そうするとスーッとしてストレスが消えてしまう。
その後で絵を見て、「はいまん彩」にできそうなものは
これから構成して作品にすることもある。
ついこのあいだ、こうやって一枚の作品を完成させたのだが、
自分の中では手ごたえを感じたので、落款(印鑑)をうって、完成させた。
この落款をうつというのは、自分の中で合格点を出しているということである。
落款をうてない絵・作品は五万とある。
ところがこれをカミさんに見せたところ、色が悪いだの、
遠近がとれてないだの、字もどうしようもないだの、えらく不評だった。
ちょいとムカッとしたが、ま…こんなことはよくあることで、
万人がいいなんていうものはなかなか出来ないし、人に
よってそれぞれ感じ方が違うのである。
気を取り直して娘に見せた。
カミさんと娘ではこれまた全然意見が違う場合が
めずらしくない。「ウ~ン…」としばらくうなった後、「オトン
の悪いところがみんな出てるかもしれんね」といいいやがる。
「そおうかあ…」少しは娘に期待していたので、ガックリ。
ま…これとてそうめずらしいことではないのである。
昨年やはり二人に不評をかったやつを展示したところ
その作品がほしいと二度も見に来てくれた人がいたのだ。
このように人によって見方感じ方が違うので、
一喜一憂しないほうがいいのだが、やはり不評が
多いと、自信に翳りがでてテンションが下がってくるのである。
それなら…と最後の砦である母に見せた。
母はいい意味でまったくの素人判断をするので
けっこう思わぬ作品が拾われたりするのだ。
「ウ~ンちょっとバランスがわるいかなあ」「…」
撃沈である。
果たしてこの作品はボツか浮かぶ瀬もあるのか…。
「いいワイ!こうなったら世に問うてやる!」
もはや意地になってきた。
こうなったらブログを見てくれる人にこれがその作品なのだ…と
見てもらって…などとわれを忘れて、載せるつもりでコピーをとりに行った。
F6サイズなので、パソコンに取り込むためには約半分のA4サイズに
しなければならないのである。
実はそこで密かに期待していることがあったのだ。
絵はコピーで縮小されると絵が凝縮されて、その絵の
良さがわかることが多々あるのである。
つまり最後の最後の砦でもあったのだ。
コピーされて出てきたのを見た瞬間。「」
なんと逆にその絵の悪いところがハッキリと
見えてしまったのである。
作者というものは自分の絵に対して客観性をなくす
ものだが、まさしくなくなっていたのだ…。玉砕である。
これでこの作品の“ボツ”は、決まってしまった。
正直ガックリであるが、これとてもそう珍しいことでもなく、
私の成功作というのは、10枚描いて1枚ぐらいの成功率なのだ。
というわけで、作品の表示は見送らせてもらうのだが、
破り捨てるというわけにもいかないので、そのまま
保管することにした。
そしてなにかの折に取り出して、戒めの一枚にするつもりである。
このように人にご披露するというのは、幾山も越えなければ
ならないのである。
やれやれまた一からやり直しだ。