俳句は、五七五という定型に
季語を1つ入れて作るという
決まり事がある。
しかし、これに当てはまらない
句もあって、自由律と呼ばれている。
有名なのは、種田山頭火で、
●分け入っても 分け入っても 青い山
●歩けばかっこー 急げばかっこー
●後ろ姿の しぐれて行くか
●まっすぐな道でさみしい
これらは、資料を見なくても、覚えて
いる句だ。
山頭火は、放浪の道すがら、肌身で
感じたことを句にしているので、
何とも言えない実相感がある。
●鉄鉢(てっぱつ)の中にも霰(あられ)
●陽を吸う
など、ちょっとした瞬間も
深い感性で捉えている。
もう一人、自由律で有名なのが
尾崎放哉だ。
●咳をしても一人
●入れものがない両手でうける
などである。
二人とも、漂白の生活の中から
絞り出した魂の雄叫びみたいな
ものがあるので、その孤独感が
人々の胸に迫ってくるのだ。
私も、時折り、自由律俳句を
詠んでみたいとは思うのだが、
いかにせん、のほほんと生きて
来たので、魂を揺さぶる程の
ものを作る自信はない。
しかし、俳句にはなりそうもないが、
日頃誰にでもある、日常のつぶやきや、
グチ、思いつき、ならば無いことも
ないので、メモろうかと思い立った
のだ。
それを、一応がんばって、一捻り
しようと思ったので、つぶや句と
してみたのです。
「今が過ぎて また今」
つぶや句issei
時間って何だろうなあ、と考えていた
ことがあって、今がずっと繋がってる
だけだよなあ…とか、思えたときに
つぶやいたものです。
季語を1つ入れて作るという
決まり事がある。
しかし、これに当てはまらない
句もあって、自由律と呼ばれている。
有名なのは、種田山頭火で、
●分け入っても 分け入っても 青い山
●歩けばかっこー 急げばかっこー
●後ろ姿の しぐれて行くか
●まっすぐな道でさみしい
これらは、資料を見なくても、覚えて
いる句だ。
山頭火は、放浪の道すがら、肌身で
感じたことを句にしているので、
何とも言えない実相感がある。
●鉄鉢(てっぱつ)の中にも霰(あられ)
●陽を吸う
など、ちょっとした瞬間も
深い感性で捉えている。
もう一人、自由律で有名なのが
尾崎放哉だ。
●咳をしても一人
●入れものがない両手でうける
などである。
二人とも、漂白の生活の中から
絞り出した魂の雄叫びみたいな
ものがあるので、その孤独感が
人々の胸に迫ってくるのだ。
私も、時折り、自由律俳句を
詠んでみたいとは思うのだが、
いかにせん、のほほんと生きて
来たので、魂を揺さぶる程の
ものを作る自信はない。
しかし、俳句にはなりそうもないが、
日頃誰にでもある、日常のつぶやきや、
グチ、思いつき、ならば無いことも
ないので、メモろうかと思い立った
のだ。
それを、一応がんばって、一捻り
しようと思ったので、つぶや句と
してみたのです。
「今が過ぎて また今」
つぶや句issei
時間って何だろうなあ、と考えていた
ことがあって、今がずっと繋がってる
だけだよなあ…とか、思えたときに
つぶやいたものです。