以前から、句集なるものを作ってみたいなあ…
などと、思ったこともあったが、何だかんだ
で、作れないままになっていた。
待てよ…と思ったのは、この時代何も句集に
固執する必要はないのではないか、と思った
のだ。
大体、句集を作る一番の目的は、人に
見せたいためではなく、自句を記念のように
残したいという気持ちが強いのではないだろうか。
だとすると、今やSNSを使えばいくらでも
できるのでは、と気づいたのである。
つまり、このブログで十分可能なのでは
と思ったのだ。
考えてみると、すでに入院俳句、退社俳句
と書いていることに、今更ながら気付いた
のである。
見たくなければ、スルーしてもらえば
いいわけなので、句集などと構えず、
もっと気楽に、「俳句記」として
書けるかも…と思ったのだ。
そう思い立って、数冊の俳句帳に書き連ねていた
俳句の整理をし始めた。
今見ると、目を覆いたくなるような拙句が
山ほど並んでいるが、おお…我ながら、と
いう句も散見された。
そういった句を拾い、添削などしながら
選び出し、さらに選別にかけて、少数精鋭を
目指している。
選別し終わったら、四季別にまとめて
グログ記事にしてみたいと思ったのだ。
まあ、拙句は拙句なりに我が人生の
断片が散りばめられた自分史でもあるので、
自分俳句史になれば、と思っている。
ちなみに、多分それらの最初に来るで
あろう一句を。
春暁や ただ懸命の ほか知らず
issei
俳句を始めた初期に、自分の心情を
思って詠った一句である。
この一句の想いは、言わば自分の初心
でもあるし、生き様の核の部分でもあるので、
時折りはこの句を思い出している。
などと、思ったこともあったが、何だかんだ
で、作れないままになっていた。
待てよ…と思ったのは、この時代何も句集に
固執する必要はないのではないか、と思った
のだ。
大体、句集を作る一番の目的は、人に
見せたいためではなく、自句を記念のように
残したいという気持ちが強いのではないだろうか。
だとすると、今やSNSを使えばいくらでも
できるのでは、と気づいたのである。
つまり、このブログで十分可能なのでは
と思ったのだ。
考えてみると、すでに入院俳句、退社俳句
と書いていることに、今更ながら気付いた
のである。
見たくなければ、スルーしてもらえば
いいわけなので、句集などと構えず、
もっと気楽に、「俳句記」として
書けるかも…と思ったのだ。
そう思い立って、数冊の俳句帳に書き連ねていた
俳句の整理をし始めた。
今見ると、目を覆いたくなるような拙句が
山ほど並んでいるが、おお…我ながら、と
いう句も散見された。
そういった句を拾い、添削などしながら
選び出し、さらに選別にかけて、少数精鋭を
目指している。
選別し終わったら、四季別にまとめて
グログ記事にしてみたいと思ったのだ。
まあ、拙句は拙句なりに我が人生の
断片が散りばめられた自分史でもあるので、
自分俳句史になれば、と思っている。
ちなみに、多分それらの最初に来るで
あろう一句を。
春暁や ただ懸命の ほか知らず
issei
俳句を始めた初期に、自分の心情を
思って詠った一句である。
この一句の想いは、言わば自分の初心
でもあるし、生き様の核の部分でもあるので、
時折りはこの句を思い出している。