つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

理想の死

2012-09-13 09:59:36 | ちょっとした出来事
かの坂本竜馬は「死ぬときは例え溝の中で
あろうとも前に倒れて死にたい」と言ったとか…。

彼の常に前向きに生きていく生き様が表れて
いるようだ。俗に、死にざまなどはなくて、生きざま
だけしかないというのを聞いたことがあるが、
これなどはまさにそれを表しているようである。

なぜこのようなことを言うかというと、歳を重ねるに
したがって、死というものを考えたりするようになった
からである。親、友人、知人の病変、訃報が
増えるにつけ、身近に感じるようになったのだ。

人生のピリオドを打つときは必ずやってくる。そこで、
自分にとって理想の死とはどんな風なのか、
時折考えたりするのである。

毎日のようにジョギングしている人が突然
走ってる最中に心臓麻痺などで、亡くなったり
するのを聞いたりすると、あの歳でこの冬場に
走らなきゃあいいのに…などと思ったりしていた。

しかし、走る人に聞いてみると、走るということに、
快感があるというのだ。それも、息が苦しくなって、
心臓が止まろうかと思う寸前ぐらいの時に訪れる
陶酔感が、いわゆるランナーズハイと称されるもの
なのである。

と、すると、ジョギング中の死というのは、その
恍惚の極致に訪れるということになる…。
するとこれは一種の快楽死ではないのか…との
思いが沸き起こってきたのである。走り人にとっては、
望むところと言えなくもないではないか。

すると、絵描きを自負する我が理想の死とは…。

もうこれ以上は描けないという自分の最高傑作を
描き上げ、ここぞという位置に完成の落款を打つ。
その直後に、命の糸がプッツンと切れる…。

これこそ最高の死ではないか、いや…できれば、
辞世の最高の一句をひねって書き残し、
「もっと光を…」などのような、最後のカッコイイ一言を
残して逝く…。

ウム…これがもし実現したならば、我が人生にまったく
悔いは残らないでありましょう。

しかし、現実にはなかなかそうもいかないとは
思うが、そう願っていれば、あるいは…などと
考えたりしている。

しかしながら…その実現への第一歩としては、
とにもかくにも絵を描かなければならないのである。

ここんとこ描いてないなあ…幸か不幸か、理想の死は
まだまだ遠いところか…。






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